虚飾と懸想と真情と

至北 巧

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8 不穏

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 泉の家に、行かなければ良かった。
 大我は酷暑の自室、窓を全開にするとベッドで無造作に横になって、目を閉じる。

 夏季休暇に入って早々、コンクール県大会でアナウンス部門三位を獲得した泉は、南方と共に全国大会のために上京した。
 南方は夏季休暇中は部活動時にしか会えないものだと、これでも理解している。
 だが、泉と会いたいのに数日間会えない日が続くことは、今までになかった。

 準決勝で敗退した泉が大会から戻った翌日の昼過ぎ、連絡を取ってから課題持参で中学以来、久し振りに泉の家に行った。
 曜日の感覚がなくなっていて、後悔した。
 土曜日で、泉の母親がいて、父親もいた。

 元気な母親に容姿を褒められたので、泉のほうが良いと返した。
 穏やかな父親には、いつも世話になっていると冗談交じりの笑顔で言われたので、こっちがよっぽど世話になっていると返した。

 それだけで、もう駄目だった。
 親というのは、こういうものではないのか。
 苛々する。

 エアコンの効いた泉の部屋、スマートフォンのバトルロイヤルゲームで遊んでから課題に手を付ける。
 泉に抱きしめて欲しくて不意打ちで頬にキスをしたが、また南方を諦めろと言うので、泉の抱擁のほうを諦めた。
 泉にはもう愛されているような気がするので、恋人にはなれなくても、今の形でも構わない。

 夕飯前に帰ろうとすると、泉の母親に夏休みだから泊まっていけば良いと言われた。
 だが、汗もかいたし着替えがないからと断った。
 泉の父親にお邪魔しましたと声をかけると、またいつでも来いと言われた。
 笑顔で家を出たが、自転車に乗りその場を離れると、泣きたくなった。




 自宅に戻ると、リビングで父親と母親は夕飯の卓についていた。
 飲み物が欲しかっただけなのだが、母親が夕飯を準備すると言うので無言で席に着いた。
 父親が、あまり外に出て他人に迷惑をかけないようにと言ってきた。
 他人の心配はするのか。
 度々たびたび家を空ける自分にはなにも感じないのか。
 むしろ清々せいせいしているのか。
 でも、言葉にはしない。
 母親は、大我は今風の子なのに礼儀礼節を知っていると、外でよく褒められるのだと、笑顔で言う。
 他人に迷惑をかけるような人間に育ててはいないと、父親に報告する。
 他人に迷惑をかけるなと言うから、そうしてきたが。
 褒めてくれるのは、外の人間。
 家の人間は。
 なにも言わずに、自室にこもった。



 日曜。
 早朝から二階の自室は暑過ぎて、大我はわずかな窓の隙間を全開にすると、ベッドに倒れ、目をつむる。
 家に居たくない。

 親に期待して身につけた処世術。
 期待は裏切られたが、外の世界には奏功する。
 愛する人が、愛してくれる。

 瀬峰は両親共に夜勤の日に家に呼んでくれるが、連絡がないなら今日は行けない。
 青葉のアパートに行こうと思ったが、今はいるだろうが、昼から仕事で夜中まで帰らない。
 学生の友人と外で遊びたい気分じゃない。
 不安だから、愛されたくて、抱きしめられたい。
 南方は、会えるだろうか。

 午前九時を回ってから、電話をかけた。
 電話はしばらく待つと、繋がった。

『もしもし、どうしたの?』

 受話口から聞こえる南方の声は、朗読を読んでくれた時の声に似ていた。
 縋り付きたくなるような、優しい響き。

「みなちゃんに会いたいんだけど」

『なにかあったの?』

「……なにもないから」

 この家は、なにもない。
 悲しいことが起こるわけでもなく、嬉しいことが起こるわけでもない。
 なにもないことは、虚しいだけではなく、苦痛だった。

 暇だからという意味に取られて断られるかと思ったが。

『先客がいるけど、それでも良かったら僕の家まで来れる?』

 会えるわけがないと、話せただけでも満足だと期待などしなかったのに、家に呼んでくれた。
 先客がいても構わない。

 大まかな交通手段を聞いて、住所をメールで送ってもらった。
 スクールバッグに課題や財布を詰めて、大我は自転車で鉄道の駅に向かった。
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