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33 胸算
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瀬峰と和解するとすぐに、大我は青葉とも連絡を取った。
彼の出勤前の時間帯にアパートをたずね、五年間持ち続けた合鍵を手渡す。
付き合ってきた人間のなかで社会人だったのは青葉だけ。
生活リズムが異なり頻繁には会わなかったが、もっとも自分の内情を語り弱さを見せてきた。
父親と血が繋がっていないと思ってきたことも言ってある。
愛する人が一人では足りなかったことも言ってある。
青葉は本来なら大我のような若い人間を家に上げてはならないと認識していたが、自分の弱さに勝てなかったと言った。
長く深く関わることもできないだろうから、他の人間も同じむなしさを味わうのなら自分も耐えられると、他へゆくことになにも言わなかった。
おろかなことをしている自覚があったから、そのぶんできる限り大我をいつくしんだ。
大我が瀬峰らにも話したすべてを語り謝罪すると、青葉は自分も間違ったことをしていたのだからなにもあやまることはないと笑う。
自分より小柄で、心根が強そうに見えながらか弱い青葉を前に、大我は涙を耐え切れなかった。
自分のせいで、悲しい思いをさせてしまった。
青葉は泣いてくれるのが嬉しいと、軟弱な自分を否定しなかった。
「僕といた時間が大我くんにとって大切な時間だったなら、僕は間違ってなかったって、思えるんだけれど」
合鍵をポケットにおさめながら自分を見上げる青葉に、大我はどうにか、笑いかける。
「すごく、大切な時間だった」
自分に逃げ場と愛情を与えてくれて、最終的には荒れてしまったが長らくおだやかに過ごすことができた。
逃げ場の代償として課された難件は、家を出た時も南方のもとに身を寄せた際も自分の力となった。
「そっか、安心した」
微笑む青葉の好意に甘え、青葉の出勤を邪魔しないよう長居はせずに別れを告げて、アパートを後にする。
愛した人と過ごした時間は、すべて大切な時間だった。
親の目を引こうと意識して、また無意識で彼らから学んだ良心を、親以外は好意的に受けとめてくれる。
南方が礼節や家事を褒めてくれる。
先日介護施設で心配りを評価されたのは、瀬峰の気づかいや河南の話術をまねたから。
ずっと不快に思いながらも執着してきた親の存在も、無意味なものではなかった。
形式だけでも親の保護があったからこそ、自分勝手にふるまうことができていた。
いっときはむなしく感じたが、愛されようとした努力が今の自分を作っている。
それらのすべてを絶望した自分は、なかったことにしようとした。
しなくて、よかった。
今の自分を大切にすることは、きっと愛した人を大切にすることと同じ。
自分を高めることで、彼らの思いにむくいたい。
石越の勤める介護施設はさまざまな様式の介護がおこなわれる複合施設。
バスを乗り継げば、時間はかかるが車がなくても出向くことができる。
大我は面接を受ける前にボランティアを再度経験することを選んだ。
自分はほとんど社会を理解していないと自覚している。
少しでも理解してから介入したほうが周囲のためだと考えた。
南方に相談すると、家事をしているし生活費も出しているから思った通りにしてもよいと、大我の見通しを認めてくれた。
南方はおのれの優しさをいつわりだと悲観したが、それでもその優しさは大我にとって、南方の中でもっとも愛しい美点だった。
話を柔らかく聞き出して、言葉をかけてくれる。
かけられた言葉に反発したこともあったが、自分を思って言葉をかけようとしてくれること自体が嬉しいし、かけられる声音が本当に好きだった。
青葉たちからさまざまなことを学んだように、南方からは優しさを学びたい。
社会に出て一人前になり、南方のように周囲の期待にこたえられる人間になりたい。
今の自分は南方に愛されるに足る人間とは言えない気がする。
南方に自分だけを好きになれと言った手前、自分もさらなる努力が必要だと感じた。
先日はデイケアのレクリエーションを見たが、今回は特別養護ホームのレクリエーションの手伝いを指示された。
手伝いと言っても娯楽をともに楽しむだけで、怪我の恐れがあるので歩行の介助すら許されていない。
それでも外部の人間との交流は閉鎖的な施設にとって重要なものらしいので、適当にこなすつもりはなかった。
伸びた後ろ髪を一つに結び、気を引き締める。
広々としたホールを眺め時間を潰していると、石越が姿を見せた。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
前回同様、南方に言われた通り敬語で挨拶をする。
前回は部署の違いで彼とは挨拶をした程度だったが、今回は石越の受け持つエリアでのボランティアだ。
挨拶を返す石越は、相変わらず難しい表情を変えなかった。
「入居者と交流するだけじゃなく、職員の動きもなんとなく見ておけよ」
表情に反して親身な助言をしてくる。
南方の友人であるし、やはり悪い人間ではないのだろう。
「わかりました、ありがとうございます」
礼を言ったというのに、石越はわずらわしそうに目を細めた。
「俺にはもう敬語で話すな、最初にタメ口きいてきたヤツが。気になってしかたがない」
「んー、わかった。ありがとう」
せっかく頑張っているのにと渋りつつも軽く返すと、石越の不快な表情が若干ゆるむ。
「時間があったらどんな感じか見させてもらう。話を聞いた限りでは、大丈夫そうだけどな」
自分に一般常識があるのかと懸念していたが、問題ないと判断されたらしい。
少しは認められたのだと思うと、この場にいてもよいのだと安心する。
ケアマネジャーという役割で介護以外の仕事が多いという石越は、事務所へと去っていった。
しだいに介護士に付き添われて、入居者がホールに集い始める。
大我は席に落ち着いた入居者に挨拶をしながら、首から下げた入館証を見せて自己紹介をしてゆく。
みなが挨拶や会釈で反応を返してくれるのが嬉しい。
随所に気をつかうことが合コンのときのようだと感じ、自分はきっと園姫でホストのまねごとをしたほうがよいのだと、わずかに思う。
だが、ここがよい。
親に愛されたかったという気持ちが強いのだろう。
親よりは年配であるが、年を重ねた人たちと語らうことができ優しい反応が返ってくることで、満たされるものがある。
不意に、車椅子を押されながらホールをおとずれた気むずかしげな老人が一人、席に落ち着く前に大我に対してうとましげに声をかけてきた。
「新しい職員か?」
すでに嫌われているのだろうか、老人は石越に似た表情を向ける。
車椅子のかたわらにしゃがみ込んでボランティアだと説明し、名を名乗り相手の名を聞いたが、こたえてはくれなかった。
「ボランティアでその態度か、やる気がないなら帰れ」
問題のある態度をとったつもりはない、きっと以前石越が言ったように見た目でそう判断されている。
服装は紺のポロシャツに茶のチノパンで、この場の職員と大差がない。
車椅子を固定した介護士は、老人の肩に手を乗せて彼の顔をのぞき込んだ。
「米山さん、白石くんは先週デイケアのお手伝いをしてくれてね、やる気があってしっかりしてたって聞いたよ。髪の毛の色まぶしいけど、そのままでいいって言われたんだよね」
「はい」
不真面目な人間を雇いたいというホームの主任の言葉で、あえて元の色には戻さなかった。
米山は納得のいかない様子で反論する。
「そんなの社交辞令だろう。本当は日本人らしく黒髪のほうがいいのに、おまえに気をつかって言わなかっただけだぞ」
そうなのだろうか。
なんとなく理解はできるが、言われた通りにしないことで逆に迷惑をかけることがあるのではないか。
ふと米山の言葉が、不快だった父親をしのばせた。
おのれの考えを押し付けて行動を束縛し、自分をことごとく否定する。
石越の同様の言葉でそう感じなかったのは、恋愛感情がからんでいると思い込んだからか。
「米山さん、俺の父親に似てるな。……仲良くして欲しいんだけど」
社会に出るために努力が必要だと強く感じたから、たった一人との不和も許容できなかった。
米山と折り合いがつかなければこの先はないと錯覚した。
父親とは歩み寄れなかったが、成長し周囲と比較するようになって自分が反抗した部分もあった。
今の自分は、石越や米山がしたような非難で反発心が芽生えることはない。
それは外見についてなにひとつ言及せずに自分を評価してくれる尊敬できる優しい人間が存在することを、知っているから。
彼らさえ理解してくれれば、自分はなにを批判されても、動じることはない。
素直に話をして、歩み寄りたいと思った。
彼の出勤前の時間帯にアパートをたずね、五年間持ち続けた合鍵を手渡す。
付き合ってきた人間のなかで社会人だったのは青葉だけ。
生活リズムが異なり頻繁には会わなかったが、もっとも自分の内情を語り弱さを見せてきた。
父親と血が繋がっていないと思ってきたことも言ってある。
愛する人が一人では足りなかったことも言ってある。
青葉は本来なら大我のような若い人間を家に上げてはならないと認識していたが、自分の弱さに勝てなかったと言った。
長く深く関わることもできないだろうから、他の人間も同じむなしさを味わうのなら自分も耐えられると、他へゆくことになにも言わなかった。
おろかなことをしている自覚があったから、そのぶんできる限り大我をいつくしんだ。
大我が瀬峰らにも話したすべてを語り謝罪すると、青葉は自分も間違ったことをしていたのだからなにもあやまることはないと笑う。
自分より小柄で、心根が強そうに見えながらか弱い青葉を前に、大我は涙を耐え切れなかった。
自分のせいで、悲しい思いをさせてしまった。
青葉は泣いてくれるのが嬉しいと、軟弱な自分を否定しなかった。
「僕といた時間が大我くんにとって大切な時間だったなら、僕は間違ってなかったって、思えるんだけれど」
合鍵をポケットにおさめながら自分を見上げる青葉に、大我はどうにか、笑いかける。
「すごく、大切な時間だった」
自分に逃げ場と愛情を与えてくれて、最終的には荒れてしまったが長らくおだやかに過ごすことができた。
逃げ場の代償として課された難件は、家を出た時も南方のもとに身を寄せた際も自分の力となった。
「そっか、安心した」
微笑む青葉の好意に甘え、青葉の出勤を邪魔しないよう長居はせずに別れを告げて、アパートを後にする。
愛した人と過ごした時間は、すべて大切な時間だった。
親の目を引こうと意識して、また無意識で彼らから学んだ良心を、親以外は好意的に受けとめてくれる。
南方が礼節や家事を褒めてくれる。
先日介護施設で心配りを評価されたのは、瀬峰の気づかいや河南の話術をまねたから。
ずっと不快に思いながらも執着してきた親の存在も、無意味なものではなかった。
形式だけでも親の保護があったからこそ、自分勝手にふるまうことができていた。
いっときはむなしく感じたが、愛されようとした努力が今の自分を作っている。
それらのすべてを絶望した自分は、なかったことにしようとした。
しなくて、よかった。
今の自分を大切にすることは、きっと愛した人を大切にすることと同じ。
自分を高めることで、彼らの思いにむくいたい。
石越の勤める介護施設はさまざまな様式の介護がおこなわれる複合施設。
バスを乗り継げば、時間はかかるが車がなくても出向くことができる。
大我は面接を受ける前にボランティアを再度経験することを選んだ。
自分はほとんど社会を理解していないと自覚している。
少しでも理解してから介入したほうが周囲のためだと考えた。
南方に相談すると、家事をしているし生活費も出しているから思った通りにしてもよいと、大我の見通しを認めてくれた。
南方はおのれの優しさをいつわりだと悲観したが、それでもその優しさは大我にとって、南方の中でもっとも愛しい美点だった。
話を柔らかく聞き出して、言葉をかけてくれる。
かけられた言葉に反発したこともあったが、自分を思って言葉をかけようとしてくれること自体が嬉しいし、かけられる声音が本当に好きだった。
青葉たちからさまざまなことを学んだように、南方からは優しさを学びたい。
社会に出て一人前になり、南方のように周囲の期待にこたえられる人間になりたい。
今の自分は南方に愛されるに足る人間とは言えない気がする。
南方に自分だけを好きになれと言った手前、自分もさらなる努力が必要だと感じた。
先日はデイケアのレクリエーションを見たが、今回は特別養護ホームのレクリエーションの手伝いを指示された。
手伝いと言っても娯楽をともに楽しむだけで、怪我の恐れがあるので歩行の介助すら許されていない。
それでも外部の人間との交流は閉鎖的な施設にとって重要なものらしいので、適当にこなすつもりはなかった。
伸びた後ろ髪を一つに結び、気を引き締める。
広々としたホールを眺め時間を潰していると、石越が姿を見せた。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
前回同様、南方に言われた通り敬語で挨拶をする。
前回は部署の違いで彼とは挨拶をした程度だったが、今回は石越の受け持つエリアでのボランティアだ。
挨拶を返す石越は、相変わらず難しい表情を変えなかった。
「入居者と交流するだけじゃなく、職員の動きもなんとなく見ておけよ」
表情に反して親身な助言をしてくる。
南方の友人であるし、やはり悪い人間ではないのだろう。
「わかりました、ありがとうございます」
礼を言ったというのに、石越はわずらわしそうに目を細めた。
「俺にはもう敬語で話すな、最初にタメ口きいてきたヤツが。気になってしかたがない」
「んー、わかった。ありがとう」
せっかく頑張っているのにと渋りつつも軽く返すと、石越の不快な表情が若干ゆるむ。
「時間があったらどんな感じか見させてもらう。話を聞いた限りでは、大丈夫そうだけどな」
自分に一般常識があるのかと懸念していたが、問題ないと判断されたらしい。
少しは認められたのだと思うと、この場にいてもよいのだと安心する。
ケアマネジャーという役割で介護以外の仕事が多いという石越は、事務所へと去っていった。
しだいに介護士に付き添われて、入居者がホールに集い始める。
大我は席に落ち着いた入居者に挨拶をしながら、首から下げた入館証を見せて自己紹介をしてゆく。
みなが挨拶や会釈で反応を返してくれるのが嬉しい。
随所に気をつかうことが合コンのときのようだと感じ、自分はきっと園姫でホストのまねごとをしたほうがよいのだと、わずかに思う。
だが、ここがよい。
親に愛されたかったという気持ちが強いのだろう。
親よりは年配であるが、年を重ねた人たちと語らうことができ優しい反応が返ってくることで、満たされるものがある。
不意に、車椅子を押されながらホールをおとずれた気むずかしげな老人が一人、席に落ち着く前に大我に対してうとましげに声をかけてきた。
「新しい職員か?」
すでに嫌われているのだろうか、老人は石越に似た表情を向ける。
車椅子のかたわらにしゃがみ込んでボランティアだと説明し、名を名乗り相手の名を聞いたが、こたえてはくれなかった。
「ボランティアでその態度か、やる気がないなら帰れ」
問題のある態度をとったつもりはない、きっと以前石越が言ったように見た目でそう判断されている。
服装は紺のポロシャツに茶のチノパンで、この場の職員と大差がない。
車椅子を固定した介護士は、老人の肩に手を乗せて彼の顔をのぞき込んだ。
「米山さん、白石くんは先週デイケアのお手伝いをしてくれてね、やる気があってしっかりしてたって聞いたよ。髪の毛の色まぶしいけど、そのままでいいって言われたんだよね」
「はい」
不真面目な人間を雇いたいというホームの主任の言葉で、あえて元の色には戻さなかった。
米山は納得のいかない様子で反論する。
「そんなの社交辞令だろう。本当は日本人らしく黒髪のほうがいいのに、おまえに気をつかって言わなかっただけだぞ」
そうなのだろうか。
なんとなく理解はできるが、言われた通りにしないことで逆に迷惑をかけることがあるのではないか。
ふと米山の言葉が、不快だった父親をしのばせた。
おのれの考えを押し付けて行動を束縛し、自分をことごとく否定する。
石越の同様の言葉でそう感じなかったのは、恋愛感情がからんでいると思い込んだからか。
「米山さん、俺の父親に似てるな。……仲良くして欲しいんだけど」
社会に出るために努力が必要だと強く感じたから、たった一人との不和も許容できなかった。
米山と折り合いがつかなければこの先はないと錯覚した。
父親とは歩み寄れなかったが、成長し周囲と比較するようになって自分が反抗した部分もあった。
今の自分は、石越や米山がしたような非難で反発心が芽生えることはない。
それは外見についてなにひとつ言及せずに自分を評価してくれる尊敬できる優しい人間が存在することを、知っているから。
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