【完】こじらせ女子は乙女ゲームの中で人知れず感じてきた生きづらさから解き放たれる

国府知里

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#88、 いま会いたい

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 白亜の屋敷をシュトラスが出て行って、島には夜が訪れた。
 新婚のふたりで過ごすはずの屋敷には奈々江ひとりの気配しかなく、また亜空間の島だからなのか、波の音も風の音もどこか遠くてひどく寂しい。

(シュトラス……いつ帰ってくるの……?)

 奈々江は手にしたスモークグラムを持ち上げては降ろしを繰り返していた。

(ひとりになりたいっていっていたから、時間が必要なのはわかる……。
 急かしたらよくないんだろうな……。
 でも、会いたい……。
 こんな日に、離れ離れなんて、やだよ……)

 聖水のエレスチャルのことさえなければ、奈々江は今夜シュトラスと甘い一夜を過ごしていたかもしれない。
 そこまでに至らなくとも、人生で初めてのキスを味わい、次の瞬間、現実の病院のベットで目が覚める。
 そういう一日になっていたかもしれない。

(はあ……。どんなに広い屋敷でも、どんなにすばらしい島でも、ひとりじゃ……。
 シュトラスがいてくれないと、なにも面白くないよ……)

 ベッドの上の花びらに触れて奈々江は思い出す。
 滑らかな花びらの感触が指に残り、いまだ味わったことのないキスがどんなものかと想像する。
 シュトラスの香り、その指、腕の太さ、温かさ。
 金色の髪に縁どられたうっとりするような微笑み。
 優しく甘く見つめる緑色の目。

(触れて欲しい……)

 シュトラスを思って、体の中が静かにうずく。

(会いたい……)

 奈々江はもはや自動的に部屋の外へ向かっていた。
 屋敷の部屋という部屋を一つずつ改めていく。
 物音もなければ人影もない。
 シュトラスは外だろうか。
 夜の島とはいえ、亜空間ならばそう危険もなさそうだと決めこんで、奈々江は蝋燭の付いた燭台を握りしめた。
 屋敷の外に出て、屋敷の周りの森を探す。
 空には月が昇っていたが、森へ入ると蝋燭の灯りだけではなかなか前に進めない。

(シュトラス……、どこ……?)

 手探りで木々を頼りにしながら辺りを見わたした。
 途中、腕が木の枝に引っかかったが、もはや目視で確認するのも無駄と思え、奈々江は強引に手を引っ張って前に進んだ。
 ドレスの装飾かなにかがぱさと下に落ちたが、奈々江は気にも留めなかった。
 しばらく森を進むが、それらしい姿はない。
 今度は浜辺へ向かった。
 砂浜にシュトラスの足跡を見つけて、奈々江はそれを追いかけた。
 シュトラスの足跡は苦悶を表すかのようにあちらこちらと行ったり来たりしていた。
 その途中で、足跡がぷつりと消えていた。

(シュトラス、わたしを置いて行ったの……?)

 風は変わらないのに、急に寒くなったような気分だ。
 自分でも、思っても見ないくらいに打撃を受けた。

(わたし、シュトラスに嫌われた? ……見捨てられたの?)

 しばらくそこに立ち尽くした。
 妨害魔法をかけたといっていたが、一生ここから出すつもりがないという意味だったのだろうか。
 もはや、好き嫌いより以前に、ここにつないでおかなければならないとでも思われたのだろうか。
 シュトラスの気持ちがわからない。
 奈々江にとって、初めて経験する不安と動揺だった。

(わたしの気持ち、伝わらなかったの……?
 というより、ゲームのことのほうが衝撃が大きすぎて、そこまで考えられなかったとか……。
 でも、こうなった以上、シュトラスがどう考え感じるかはわたしにはわからない……。
 わたしから離れたのって、もしかしたら、ずっとっていう意味なのかも……)

 そう思ったとたん、奈々江の胸にせり上がるものがあった。

(シュトラス……!)

 会いたい。会って、話がしたい。
 顔を見れるだけでもいい。
 そうすれば、シュトラスの気持ちがわかる気がする。
 だが、もしシュトラスの気持ちが離れてしまったとして、奈々江は考えていた。
 太陽のエレスチャルを使うかどうか。

(もしそうなら、使わなければ多分このゲームはクリアできない……)

 奈々江はさらにしばらくの間途切れた足跡を見つめ、ゆっくりと顔を上げた。
 人を好きになるという気持ちはなんて不安定で頼りないものなのだろう。
 臆病な気持ちと、シュトラスを求める気持ちとが引綱のように揺れる。
 自分の思いが募るほどに、相手の心を知るのが怖くなる。
 それなのに、確かめずにはいられない。
 太陽のエレスチャルなんて使いたくない、それが奈々江の本心だ。
 魔法アイテムなんて使わずに、もう一度好きな人と思いがつながるという喜びを確認したい。

(シュトラスに会わなくちゃ……)

 奈々江は来た道を戻り、屋敷で魔法陣を書いた。
 シュトラスの妨害魔法がどの程度かわからないが、それを突破できるだけの強力な魔法陣でなければならない。

(そうだ、もう一度血で書けば)

 思いつく限りに熟考凝らした魔法陣の最後の一部を自分の血で書いた。
 前回の禁忌魔法から目覚めた後、使う血の量はあまり関係がないと聞いたから、恐らくこれでいいだろう。
 そのとき、自分の手首から、セレンディアスのくれたブレスレットが消えていることに気が付いた。
 森でなにかひっかけたとき、あのとき落としたに違いなかった。
 探しに行こうかと考えたが、この暗さでは簡単には見つからないだろう。

(シュトラスに会うだけ、それだけでいい。
 わたしが会いたがっていることがわかるだけでもいい……。
 今、会いたいの……)

 奈々江はもはや迷わずに、ライトオンと唱えた。


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