【完】叔父様ノ覚エ書【大正ロマン】

国府知里

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【シリーズ1】叔父様ノ覚エ書

【結】

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 M町、渡邊家――。

 風通しのいい一室に美咲は寝かされていた。

 朧川で倒れていた美咲を見つけ、渡邊家へ連れ帰ったのは、なんと和樹だった。

 あの世とこの世のどのようなからくりかは知れないが、和樹の魂を迎えに来た玲羽から美咲のしたことを聞かされた。

 美しく成長した姪が朧川の縁で静かに眠っている姿を目にしたときの想いと言ったら、到底言葉で表わされるものではなかった。

 和樹は死んだその時のままで朧川に舞い戻った。

 従って歳恰好も三年前と同じ二十三だった。

 突如として戻った和樹の姿形があまりに以前と変わらないので、家族一同と小林家の面々が驚いたことは言うまでもない。

 その真実を和樹は口にはしなかった。

 言った処で信じてはもらえまい。 

 魂だけとなった身で地上を彷徨っていたことを、和樹はよくよく覚えていた。

 振り返れば随分と衝撃的な体験をしたものだと思う和樹だったが、それでも姪がすべてを投げ出して自分を生き返らせたことに比べれば、それはよく見知った故郷を旅するのと同じくらい新たな発見もなく、それ以上に意味のないことだった。 

 美しく育った姪がここまで自分を慕っていたことを和樹はちっとも知らなかった。

 あどけない輪郭を備えた少女の中にいつから、どうしてこんなにも激しい想いが巣くっていたのだろう。

 密やかに秘められていた女としての情念に驚かされるばかりだった。

 姪は若い。
 そして美しい。

 この先どんな華やかな人生を謳歌したか知れない。

 そのすべてが我がために失われた悲しさを、どう表わしたらいいのかわからない。

 ただ一途な想いのためだけに、若く未来あるその人生を手放してしまうその透明で熱いなにかに、和樹は胸を揺さぶられずにはいられなかった。



 蝉の鳴き声が高く、空には入道雲が流れている。

 それから間もなく、美咲は目を覚ました。

 慌てて声を上げたのは一週間付きっきり世話をしていた母美冬だった。

 美冬の声に屋敷中から渡邊家の一族が集まって来た。その中に和樹の姿もあった。

 この日の和樹は、彼が普段見せる様子とは違っていた。

 人を押し退けて美咲の視界に自分を押し込むようにして割り込んだ。


 

 …………。

 目覚めた少女のその瞳には、あらゆる顔のいきものが映っている。

 耳障りな高い音。

 それは「みさき、みさき」と言っているのだが、少女にはその意味は分からない。

 ただ、きんきんと、耳に五月蠅い。

 突然、体が前後に振れた。

 たくさんあるいきもののひとつが、少女の手をつかんだのだ。

 少女はつかまれた感触のあるそれと、少女に触れたそのいきもののそれが同じような形をしているので、どうやら『じぶん』もこの目の前のいきものと同じような形状をしているようだ、と気がついた。

 ここで初めて少女は、なにかを知覚する自己がいることに気付く。

 少女は自己と言う言葉を知ってはいない。

 自分とか、私とか、我と言う言葉も知っていない。

 ただ、言葉を持たない動物のように『じぶん』がいるということに気が付いただけだった。



「美咲、僕がわかるかい。美咲」



 和樹は美咲ちゃんと呼ぶのをやめていた。

 つかんだその手のぬくもりを離さないように、必死に見つめ、名を呼んだ。

 『じぶん』の手をつかんでいるいきものが、『じぶん』を見つめながら、なにかを発している。

 美咲にその意味がわかるはずもなかった。

 和樹のその声はなにかの響きでしかなく、少女には意味を全く解さない。








 ―――少女には、なにもかもが、わからないのだ。









(了)
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