53 / 59
43、一旦帰還
しおりを挟む翌日、ハインリヒさんとマッカリが町奉行へ向かうための支度を調えた。
わたしと旬さんが、エレベーターで送るというと、やっぱりハインリヒさんから、あなたは体を治すことに専念しなさいといわれてしまった。
使用人が準備してくれたシュバルツという名の黒い馬にまたがり、登城用の着物を身につけたハインリヒさんは、割増してかぜん立派に見えた。
さすがは元軍人さん……!
その一方、手前に乗せられたマッカリの顔には緊張が張り付いていた。
「マッカリ、なにかあったらすぐにつぼみで知らせてね」
「はい」
マッカリが胸のつぼみを触れながらこくりとうなづく。
「ハインリヒさん、宜しくお願いします」
「ああ、ではいってくる」
ふたりをわたしたちはそろって応接室のソファにそれぞれ腰かけた。
すると、すぐにバームクーヘンとミルクティーが出てきた。
「ありがとうございます。でも、ハインリヒさんとマッカリが帰ってきてからいただきます」
「いえ、少しでも美波浮者を太らせるようにとハインリヒ浮者から申し付けられておりますので、どうぞ一口だけでもお召し上がりください」
こ、こっちもスパルタですか……。
そのうち、北京ダックくらい太らされるんじゃないだろうか。
思わず苦笑してしまったけど、そういうことならせっかくなので、いただくことにした。
とはいえ、マッカリの大事な人が間近に死刑になるのだと思うと、甘くおいしいものも素直に喜べない。
わたしだけでなく、ムラークくんもカーツさんもどこか落ち着かない様子だった。
大丈夫かな……。
大丈夫だよね?
ハインリヒさんがマッカリを連れて戻ってくれるはずだもん……。
一刻が経つか経たないかの頃合いに、ハインリヒさんとマッカリが帰ってきた。
わたしたちはそろって門まで迎えに行った。
シュバルツの上で、マッカリはハインリヒさんに抱かれるようにしてうなだれていた。
馬を降りて、わたしを見るなり、マッカリは、わあと泣き声を上げて、わたしにしがみついた。
「マッカリ……」
マッカリの全力の叫びに、わたしは力いっぱいマッカリを抱きしめた。
触れている体から伝わってくる、マッカリの熱、振動、重み。
ひとつも漏らさないと決めて、ずっと抱きしめていた。
「マッカリ、おかえり、よく帰ってきたね」
次第に泣き止み、自分を取り戻したマッカリを、わたしは部屋に連れて行った。
マッカリがいつもやってくれているように、今度はわたしが洗面器を用意した。
「美波浮者……」
そう口にするものの、マッカリの言葉は続かない。
わたしはじっと待った。
なにか話したければ聞くし、なにも話したくなければそれでもいい。
ただ、今はマッカリの側にいてあげたい。
その日はずっとふたりで部屋に閉じこもった。
マッカリは食事もとらずただじっと、悲しみに耐えていた。
夜になって寝支度を終えると、マッカリがお休みなさいませ、といって襖の向こうへ引き取った。
わたしは旬さんに断った。
「今日だけ別々に寝ても怒らない?」
「ずっとそばにいろといったのは美波だろ」
「でも、旬さんは一応男性だし、マッカリの部屋には入れられないよ」
「どうせ片手だけだ」
「そうだけど」
珍しく旬さんが折れてくれなかったので、わたしは旬さんと一緒にマッカリのいる部屋の襖に向かって声をかけた。
「マッカリ、ちょっといい?」
「はい」
襖を開けると、マッカリは髪を梳かしていた。
「なんでございましょう?」
「えとね、今夜は一晩中、マッカリの涙を拭くことにしたの」
「美波浮者……」
「あのね、旬さんもついてきちっゃたんだけど、こうやって、この枕に縛り付けておくからね」
枕に腰ひもで縛られた旬さんの左手を見て、マッカリがくすっと笑った。
「そこまでしていただかなくても、旬浮者のお心代わりなど心配しませんわ。旬浮者はいつだって美波浮者の四月の井戸の中でございますもの」
「四月の井戸の中?」
「その人の深みから逃れられないほど愛しているという意味でございますわ」
初めて聞くことわざだった。
ハナムンでは春ごろ、井戸水が甘くなることがあるらしく、そのようにいわれるのだそうだ。
甘い水の年は、作物がよく育つのだという。
なるほど、来年の春は井戸の水をよく味わってみようかな。
マッカリが櫛を置いて、布団にやってきた。
ふたりで横になると、少し敷き布団もかけ布団も狭かった。
でも、夏だから構わないよね。
わたしは旬さんを縛り付けた枕を枕に、マッカリと向かい合った。
気づけば、マッカリの目にはうっすら涙がたまっていた。
わたしはマッカリの頭をそっと抱きしめた。
「絶対ひとりにしないからね、マッカリがもううっとうしいからもういらないっていうまで、何日でもこうするからね」
「はい……でも、暑いのでときどきは離れてくださいましね」
「そうだね……、一旦離れよっか」
「冬でしたら良かったですわ」
「ほんと」
暑すぎたので、わたしたちは手をつなぎ合うことにして、それぞれ目を閉じた。
翌日、ふたりとも寝過ごして、呼びに来たムラークくんにまた不本意なセクハラをしてしまった。
ごめんね、ムラークくん。
君ってなぜか、いつも、そうだよね……。
そういう星の元に生まれてるのかなあ。
女難の星?
ハナムンにも星占いがあるみたいだから、今度聞いてみようか。
「美南浮者、さあしゃっきりしてくださいな」
瞼を擦り擦りマッカリに仕度を手伝ってもらう。
ふと気づくと、昨日あれほど腫らしていたはずのマッカリの目元がすっかりきれいになっている。
「あれ、マッカリ……。目が……」
「治癒流術を少しばかり。だって、みっともない顔では殿方の前に出られませんわ」
「そう……」
心配していたけれど、マッカリの中では区切りがついたのだろうか。
なんだか、わたしのほうが、ぐでんとしているのはいつものことだけど、マッカリはしゃっきりしすぎている気がする。
「マッカリ、無理しなくていいんだよ……?」
マッカリが化粧の鏡越しに笑って見せた。
いつもより口紅が濃い。
「昨日は美南浮者のご厚意に存分に甘えてしまいましたわ。
でもこの国、特にイスウエンでは浮者に使えるハナムン人は節度を持たねばならないと心得ます。
わたし個人のことで、浮者を困らせたりするわけにはいかないのです」
「だけど、マッカリ、わたしにはそんなこと……」
いいかけたとき、マッカリがくるりと振り向き、微笑んだ。
「いいえ、クランにも約束しました。
美南浮者のお側は私が守ると。
そのお役目は、必ずわたしは果たします」
「マッカリ……」
気丈なマッカリにわたしはそれ以上なにもいえなかった。
でも、無理をしているのはわかる。
わたしは素早く瞬さんに伝えた。
「瞬さん、一旦トラントランに帰ろう」
「まだ大将軍に会ってない」
「そうだけど、このままイスウエンにいたら、マッカリの心が休まらないよ」
瞬さんはしばらく沈黙した。
「そうだな、ヒエンも少し時間がかかるとかいっていたしな」
「うん!」
早速朝食の席でハインリヒさんに、トラントランに帰ることを伝えた。
「そうか……。だが、もっと回復してからでもよいのではないか?」
「いえ、わたしはもう大丈夫なので。
それに、ムラークくんとカーツさんは階級試験も控えていますし、そろそろ戻らないと」
「そうであったか。美南を太らせるどころか、元にも戻せていないのに、このまま帰らせるのは忍びない。せめてWrust (ソーセージ)とLachsschinken (生ハム)を持って帰ってくれ」
「わあっ、それはありがたいです」
それからすぐみんなで帰り支度を整えた。
ハインリヒさんがソーセージの準備をするから、午後まで出発を待ってくれというので、わたしたちは応接室で待っている。
しばらくすると、ハインリヒさんと使用人たちが荷物を抱えてやってきた。
木箱の中にはいっぱいのソーセージと生ハムが詰まっている。
「うわあ、こんなにいいんですか?」
「ラックスシンケンは温度管理が難しい。氷を扱える流者がいれば結構だが、この季節だ、早めに食した方がいいだろう」
「ありがとうございます! トラントランのみんなでわけて食べますね!」
それを見ながら、マッカリが手帳を取り出し、使用人に保存の仕方を詳しく聞いてメモをし始めた。
「美波浮者ったら、今日帰るなんて急におっしゃるんですもの。
こんなことなら、もっと早くヴルストやラックスシンケンの作り方をしっかり習っておくんでしたわ」
「ごめんごめん……」
そっか、マッカリは料理を覚えようとしてくれていたんだよね。
でも、またいつでも来ればいいんだし。
今はマッカリの心のほうが大事だよ。
「あっ、あと、ハインリヒさん」
「うん?」
「夏の間にトラントランにこれそうですか? もし都合がわかりそうなら聞いておきたいです」
「ああ、そうだったな。上の者に伺いを立てているところだ。だが恐らくこの夏の間には休みが取れるだろう」
「じゃあ、つぼみはそのままお貸ししておきますね。それを通じて呼んでくれれば、わたしと瞬さんが迎えに来ますから」
「それはありがたいが、それまでに美南はしっかり食べてよく休んで、もとの体調を取り戻しておくのだぞ」
「はい、わかっています。それじゃあ、わたしたちはこれで」
そのとき、ハインリヒさんがにわかに手を上げた。
「その、し、しばし待ってもらえるか……」
「え?」
少しためらいがちに……いや、照れくさそうにして、ハインリヒさんが袂からなにかを取り出した。
糸で止められた和本のようだ。
「これは、星座盤のお礼だ」
おもむろにムラークくんに差し出された本のタイトルを見ると、星座について書かれた本のようだった。
しかも、ハナムンの本ではなく、イスウエンの浮者の間でやりとりされているらしき日本語で書かれた地球の星座の内容のようだった。
ムラークくんが驚きとともに、星座の二文字を見るや、わあっと歓喜の声を上げた。
「僕にですか? 良いのですか!?」
「ああ、君にこれをあげたかったのだ」
「ありがとうございます! うれしいです!」
「以前奉行所から借りたものを見せてやったが、これはそれを書き写したものだ。
無論書き写したのはわたしではなく別の者だがな。きっと君なら将来に役立ててくれるだろうと思う」
「僕、頑張ってもっともっと下町言葉を練習します!」
「うむ、励みたまえ」
今にも飛び跳ねそうなほど喜ぶムラークくんを見て、ハインリヒさんもうれしそうだ。
ふたりはハナムン語と日本語でやりとりしていたが、もはや言語の違いなどなんの障害にもならなかった。
次に、ハインリヒさんは小さな玉の連飾りのついたきれいなかんざしを袂から取り出し、マッカリの前に差し出された。
マッカリもムラークくんと同じように目を丸くして、かんざしとハインリヒさんを交互に見つめた。
「大切な家族を失う辛さはわたしにもわかる。
こんなもので悲しみが癒えるとはとうてい思わないが、女性は美しいものを見たり身につけたりすることで慰められることもあるだろう。
あなたはまだ若いし、未来がある。前を向いて生きて欲しい」
「……ハインリヒ浮者……。ありがたく……ありがたく、頂戴いたします……」
思わぬ心遣いに、マッカリの目が潤んだ。
両手で受け取ると、深々と頭を下げた。
その様子を見て、ハインリヒさんがふっと自嘲した。
「慣れないことをするのは緊張するものだな」
「わたしもうれしいです。ハインリヒさんがふたりのことを思ってくれたことが」
「なんというかまあ……、わたしの子どもたちの代わりにというわけではないのだが、受け取ってもらえる相手がいるというのは、それだけでうれしいものだな」
そっか……。
ハインリヒさんから見たら、そう感じるんだね。
もう、家族同然じゃん!
そのとき、ぱっとムラークくんとマッカリがハインリヒさんに向かって膝を折り、首を垂れた。
「ど、どうしたの?」
わたしがふたりを交互に見ると、カーツさんが口を開いた。
「祝福です」
そっか、ハインリヒさんの気持ちがふたりへの祝福になったんだ。
わたしには見えなかったけど、きっとマヌーケルンの光が二人に注いだんだね。
ムラークくんとマッカリが感動したように目を輝かせて顔を上げた。
「多大なるご厚意をこの身に受けましたこと、感謝申し上げます」
「遥かなる恵みを頂戴しましたこと、心よりうれしく存じ上げます」
「ふたりとも、そうかしこまらないでくれ。
わたしはそれ以上のものを貰っているのだから。
それから、カーツ。あなたの望みは稽古をつけることだったな。トラントランにいったらきっと約束を果たそう」
「はっ、ありがたき幸せ!」
カーツさんの目がらんらんと輝いた。
あー……、もうこの人は本当に戦うのが好きなんだから……。
ムラークくんが遠慮がちにハインリヒさんを見上げている。
「あの、あの、武術の稽古できっとお忙しくなると思うのですが……」
「Siegfried (ジークフリート)の続きだな。それもきっと話してやろう」
「わあい、ありがとうございます!」
庭にでると、瞬さんがエレベーターを作る。
わたしたち四人とお土産の木箱が積み込まれた。
「じゃあ、ハインリヒさん、連絡待っていますからね!」
「ああ」
笑顔を交わし合い、わたしはトラントランへ帰るボタンを押した。
――プシュ―……。
エレベーターの中は多少窮屈だったけれど、イスウエンであった出来事や、ハインリヒさんやヒエンさんのことを話していたら、あっという間にトラントランについていた。
その間、カーツさんがマッカリに「ハインリヒ浮者が女性は美しいものを見たり身につけたりすることで慰められることもあるとおっしゃっていたが、そのようなことで悲しみが癒えるというのはどういった理屈なのか?」と真面目な顔で聞いていた。
……カーツさん、あなたは武術よりも女性との付き合い方をハインリヒさんから学ぶといいよ……。
「お帰りなさいませ!」
「お帰りなさい!」
「お疲れ様でございます!」
「御無事で何よりです!」
クランをはじめ、トラントランの面々が口々に声をかけてくれた。
「ただいま戻りました! 」
再会を喜び合い、笑顔のままに挨拶を済ませる。
トラントランに戻ってくると、やっぱりほっとする。
イスウエンの暮らしはよかったけど、やっぱりここが一番落ち着くよ……!
カーツさんがエレベータから箱を降ろすのを見て、クランが尋ねる。
「なんですか、その箱は?」
「ハインリヒさんから、みんなにお土産をもらったんだよ~!」
みんなの顔に驚きと期待が浮かぶ。
早速箱を開けると、小坊主さんたちや檀家の女性たちが前のめりになって覗き込んだ。
「わあっ、肉だ……! 燻製のいい匂いがするぞ!」
「あれ、ちょっとかわった肉だねぇ。なんだい、生なのかい?」
待ってましたとばかりにマッカリが得意げな顔をした。
「こちらはヴルスト。またの名をソーセージともいいますわ。ひき肉に香草を練り込み燻製したもので、焼いたりゆでたりして食するのですわ。肉の汁が滴る程たっぷり溢れ出て、この上なく美味なる肉料理ですわ」
「おおっ……!」
「こちらはラックスシンケン。美波浮者が大好物とされる料理で、生ハムともいいますの。赤い色をしていますが生肉ではなく、ヴルストと同じく味付けされ燻製された肉の塊です。温度管理と熟成を肝とする極めて高度な保存食ですの。その香しさたるや山の如く高く、うまみたるや海の如く深いという珠玉の一品ですわ」
「おおおおっ……!」
マッカリのシズル感たっぷりな説明に、普段は節制を旨とする僧侶たちもがごくりと唾をのむ。
コルグさんが深々と頭を下げた。
「もったいなきご配慮、心より感謝申し上げます」
「ハインリヒさんが奮発してくれたんですよ。美味しいうちにみんなで頂きましょう!」
「……まあっ、これが美波が好きだという生ハムなんですか?
せっかくなのに、残念ですわ……。クム家に帰らねばならないわたしは口にできないのですね……」
「えっ? せっかく来ているんだし、クランも食べて帰ればいいじゃない」
そういうと、クランとゼンジさんが揃って肩を下げた。
「……今日は遠くから親戚が来ていて、早く帰ってお迎えの準備をしなければならないのですわ」
「そう、僕の叔父の家族が来てて……」
「じゃあ、親戚の分も切り分けて持って帰ったら?」
わたしが言うと、誰ともなく、自分たちの割り当てが減ると察しのか、面々がそわそわしい雰囲気を醸した。
クランが慌てて首を振る。
「そんなことできませんわ! 美波浮者がハインリヒ浮者からお土産を頂いて、寺に寄進してくださったものですもの。
個人的な理由で、わたしやゼンジが頂くわけにはいきません」
「そうなの……? ならいっそ、親戚一同みんなお寺に来てくれていたらよかったのに。こんなにあるんだから。
それに、ソーセージはともかく生ハムはけっこう塩味が濃いから、いっぺんに沢山は食べれないと思うよ。
あと、明日に残したとしても、トラントランに保冷設備があるの? この暑さじゃきっと味が落ちちゃうよ」
すると、ゼンジさんがぱっと顔を明るくした。
「そうだよ、そうしよう!」
「えっ!?」
驚くクランをよそに、ゼンジさんは善は急げとばかりに今から連れてくると叫んで、あっという間に姿を消した。
クランが頭に手をやった。
「ゼ、ゼンジったら……。まったく、恥ずかしげもなく……」
「まあ、いいじゃない、クラン。ハインリヒさんからのお土産は、浮者からの恵みだよ。
みんなで分かち合っていただこうよ」
「そ、そういっていただけるとありがたいですわ……」
マッカリがころころと笑った。
「しばらく会わない間に所帯じみたわねぇ、クラン」
「……悪かったわね! でも、今回ばかりは美波浮者のお供の役をあなたが果たしてくれたことを評価するわ」
唇を尖らせたクランだったが、すぐにいたわるような優しい表情になった。
「それに、あなたが思ったより元気そうで安心したわ」
「通訳を引き受けてくれたこと感謝するわ。本当に……」
マッカリが小さく笑った。
まだ心の休まらないはずのマッカリ。
クランがいてくれることは、きっとマッカリにとって幸いしただろう。
わたしだったら、絶対にそうだ。
ぐいっとクランとマッカリの腕を引き寄せた。
「ねえねえ! 今夜は三人で女子会しようよ!
おいしい酒の肴もあるんだし!」
「女子会、とはなんでございますか?」
「美波浮者ったら、また飲むんですの? お弱いくせに。明日の朝、なんども起こしに行くのはわたしなんですよ」
「えっ、じゃ、じゃあ、お酒はなくてもいいから、三人で夜ゆっくり過ごそうよ。
クランはイスウエンでどんなことがあったか聞きたいでしょ?」
「それはもちろんですわ!」
「あら、あなた、親戚の世話はどうするのよ」
「うっ……」
クランがうなると、ミックさんがクランの背中を叩いた。
「大丈夫だよ。食事やらなんやらの世話はあたしらに任せな。
美南浮者のご希望だし、クランはマッカリと三人でひさびさに羽を伸ばしたらいいよ」
「ミ、ミックさん……」
ミックさん、ありがとう!
女の味方は女だね!
きっとマッカリのことを気にかけてくれたのだろうし、若妻のクランの苦労も慮ってくれたのだろう。
そんなわけで、その日の夕食には寺にいるもの全員にソーセージと生ハムが割り当てられた。
ゼンジさんが連れてきた家族と親族も漏れなくご相伴に預かる。
みんな、初めて食べるドイツ仕込みの本場の味に、口福なひと時を楽しんだ。
そして、夜。
クランが夏の香草の冷たいお茶を淹れてくれた。
マッカリと三人、窓辺に座って、ゆっくりとお茶を飲む。
「バームクーヘンっていうお菓子なんだけど、それもとってもおいしかったの。
クランにも食べさせてあげたかったな」
「まあ、それもドイツなる国の食べ物なんですか?」
「そうよ。とにかく、ハインリヒ浮者の使用人たちの料理の技術はなかなかのものだったわ。
ねえ、お寺にも本格的な燻製小屋を作ったらどうかしら?」
「つくるのはいいけど、そんなに肉ばかり買えないわよ。
それに、温度管理が難しいんでしょ?」
「そうなのよ、氷の流術を使える流者ってトラントランにいないの?」
「氷はとても高度な流術よ。確かターマン師父が使えたと思うけど、日常の糧のためだけにそんな高度な術を使ってくれなんて頼めっこないわ」
「そりゃそうよね……」
わたしは瞬さんなら冷蔵庫を作ってくれるんじゃないかと思ったけど、いずれにしろ、材料が買えないんじゃ意味がないと思って口にしなかった。
お寺では食事も修行のひとつとされている。
毎日ソーセージと生ハムを食べられるお寺なんて、全然厳しさのかけらもないよね。
「大将軍にはまだお会いできないのですね」
「うん、ヒエンさんっていう中枢の偉い人が、手はずを整えてくれることになっているんだけど、大将軍の体調があまり良くないらしくて」
「そうなのですか……。このまま現在の体制は維持されるのでしょうか。それとも、大将軍がお亡くなりになったら、中枢の様相が変ったりするのでしょうか?」
「どうなんだろうね。まだわたしも瞬さんもわからないことばかりで」
お茶を飲んで息をついていると、マッカリが静かに語りだした。
「美波浮者の前でこんなことを言うのは恐れ多いことですが、わたしは浮者による国の支配はより厳しいものになると思いますわ」
「マッカリ……。どうしてそう思うの?」
「わたしは囚われの父のもとへ行きました。そこは……。
口に出すのもはばかれるようなところでしたわ……。
父は見る影もなく憐れで、もはや処刑などしなくても、死を待つばかりでした……」
「マッカリ……」
わたしとクランがほぼ同時にマッカリの手に手を重ねた。
「ありがとうございます、美波浮者。クランもありがとう」
「話して楽になるなら聞くよ。辛かったら無理に話さなくてもいいし」
「大丈夫ですわ……。本当に美波浮者とハインリヒ浮者には多大なるご温情をかけていただきました。
我が一族の行ってきたことは、自然の理に逆らうものだったのですわ。
今度のことでそれが良くわかりましたわ。
その代償を払い、払い終えたときには、もはや小我は浮の激流に洗われて、きっとまた新しく人生をやり直す機会が巡ってくるはずですわ。
わたしはそう信じます……」
「そうね、マッカリ。その通りだと思うわ。あなたも大分心身洗われて来たじゃないの」
「ええ、そうよ。正直、自分でも今の自分が一番好きだわ」
「そっか、よかったね、マッカリ」
マッカリがにこっとほほ笑んだ。
偉いなぁ、マッカリは……。
悲しみを乗り越えていこうとちゃんと心に決めたんだ。
大丈夫。
わたしも、クランも、マッカリのことを応援しているよ。
しばらくするとふいに、マッカリが少し慎重な顔色を作った。
「それはそうとして、あのヒエンという浮者ですが……。どうにも裏がありそうに感じますわ」
「うん、ちょっと曲者だったよね」
「そのヒエン浮者といいうのはどういうお立場で、どのようなお役目をなさっているのですか?」
クランの疑問に、表向きのことは答えられる。
大将軍の側近で、ハインリヒさんの話によると大老というナンバーツーの地位についているという。
大将軍が実務から離れて以来、実質的にイスウエンの為政を束ねているのはヒエンさんなのだそうだ。
寺社奉行の責任者でもあり、自身も研究者。
瞬さんによると、ハインリヒさんの浮の量を100とすると、ヒエンさんは130。
かなり多い方ではないかという。
ちなみに、ハインリヒさんは武闘以外に浮を使うことがほとんどできないので、位でいうと旗本だが、単純な浮の量だけで行けば中位以上だろうという話だ。
というのも、寺社奉行内で出会った浮者たちは軒並み、ハインリヒさんよりも浮が少なかったらしい。
あれが浮者の普通くらいだととすると、やはり浮の量が多く、また術も巧みであると推測されるヒエンさんは、イスウエンでは名実ともに実力者であると言えるでろう、というのが瞬さんの考えだ。
「なんていうか、うまく言い表せられないんだけど、ひと筋縄ではいかない……階層社会のおえらいさん? って感じかな」
「わたしから言わせれば、あれはひと筋縄がどうという程度ではありませんわ。
あの浮者は目的のためなら、きっと平気でうそをつき、裏切ることになんらためらいを持たない方ですわ。
元うそつきの私がいうんですから間違いありません」
「あ……、あなたがいうと、説得力があるわね……」
「まあね。ヒエン浮者は単純な浮の量でなら瞬浮者にはとうてい及ばない。
だけど、人を支配することについて、あるいは今の体制を維持することについては、はっきりとした強い意志があるようだったわ。
それなのに、表面は明るくて人当たりが良さそうで、いい人そうな面の皮を被っている。これで裏の顔がないわけないわ」
「マッカリ、あなた本当に良く見てるのね……。支配する側でいたいというのは、浮者ならば当然と言えば当然かもしれないけれど、表面だけいい顔をしているというのは気になるわね」
そう、それは瞬さんも同意見だ。
ハナムンにおける既得権益を牛耳る大将軍を骨とした中枢組織。
これからどんな隠し手が出て来るのかまだまだわからない。
ヒエンさんだけでなく研究所にいた人たちは明らかに、珍しくすぎる左手だけの浮者に強い興味を、大きすぎるという瞬さんの浮に強い懸念を持っていたようだった。
研究室の湯佐さんから教わった浮の相対的な比較で行けば、瞬さんの浮の量はけた違いだという。
ヒエンさんが瞬さんの力を制御下に置きたいということはひしひしと伝わってきた。
油断して対峙できる相手ではない、と瞬さんは思っているみたい。
わたしも気易く付き合えそうとは思わなかったけど……。
「……でも、あんまり敵対意識が高まっちゃうのは嫌だな……。
大将軍にはできればもう少し穏やかな感じで面会できればいいと思うけど……。
留洞のこともまだなにもわかってないし」
つい下を向くと、クランがぽんと肩に手を置いた。
「あんまり考えすぎるのはよくありませんわ。
せっかくの女子会ですもの、もっと楽しいことを話題にしましょう」
「それもそうだね……。あっ、そういえば、階級試験はいつなの?」
「それなら来週ですわ。みんな流の鑑定をしていただいたおかげで、張り切っています」
そうなんだ!
それならわたしたちも頑張った甲斐があったよね、瞬さん!
マッカリがどこか含んだように微笑した。
「人の裏をかくような外法を訓練している者はいないの?」
「あなたじゃないんだから、そんな僧侶がいるわけないでしょ!」
「ああら、残念。いたらわたしが指導してあげたのに」
「もう、なに言ってるのよ!」
「ほほほ」
マッカリが袖を口にして笑った。
冗談を言えるようになったんだ……。
わたしは内心すごくほっとした。
ふたりが遠慮なくいい合えている姿がものすごく尊い。
ふたりとも、本当はお互い初めからずっと、こういうふうに仲良くしたかったのだ。
それが叶ったのだから、本当よかったよ。
その晩、わたしは瞬さんにマッカリの様子を報告した。
「そうか、こちらに戻って来て正解だったな」
「うん、クランのお陰。尼寺へ行くまでの残された時間、マッカリにはもっとクランと一緒に過ごしてほしいな。
きっとクランも心の中ですごく喜んでると思うの。
……でも、マッカリは本当に尼寺に入らなきゃいけないのかな……。
正直、このまま側にいてくれたらと思うよ……」
「確かにな。マッカリがいなくなったら美波の世話は誰がするんだ。
男の手には任せられないぞ。檀家の女性たちに日替わりで頼むことになるのか」
「う、うーん……。とりあえず薬とかはゼンジさんが診てくれるけど、着替えとか湯あみの世話なんかはやっぱりミックさんみたいになれている人がいいかな……。かといって、ミックさんばかりに頼れないし……。
その度クランも来てくれるかもしれないけど、クム家でのクランの立場もあるし、あんまり頼りっぱなしはまずいよね……」
「やっぱり、マッカリを雇ったらどうだ? 俺たちは浮者なんだし、そのくらいの融通は聞いてもらえるだろ」
「……そうだね、折を見てコルグさんに相談してみよう」
「そうだな。身の回りの世話にマッカリ、警護にカーツ、なにかあったときの通訳にマシンかムラークのどちらかが早いところ日本語を覚えてくれればいいけどな。それが俺たちの最小パーティの形態だな」
……パーティって!
いよいよRPGっぽいね!
思わず笑ってしまったけど、このハナムンに来たばかりの時は、そんなこと考えられもしなかった。
始まりの町から出られる気配すらなくて、出たら出たで怪我をして今度は引きこもり。
そっか、わたしたち、ようやくハナムンを旅できるだけの力がついてきたってことなんだね。
成長したよね、わたしたち。
でもね……。
「でもね、瞬さん。わたしが一番側にいてほしいのは、瞬さんたったひとりだよ。
地球でも、ハナムンでも、これからもしも仮に全然別の星や世界に行っちゃったとしても、わたしは瞬さんさえ側にいてくれたらそれでいいの」
瞬さんの左手がそっとわたしの手を握った。
お互いに感じるこの温もり……。
このぬくもりさえあれば、他になんにもいらないよね、瞬さん。
いつもそばにいてくれて、本当にありがとう。
8
あなたにおすすめの小説
少しの間、家から追い出されたら芸能界デビューしてハーレム作ってました。コスプレのせいで。
昼寝部
キャラ文芸
俺、日向真白は義妹と幼馴染の策略により、10月31日のハロウィンの日にコスプレをすることとなった。
その日、コスプレの格好をしたまま少しの間、家を追い出された俺は、仕方なく街を歩いていると読者モデルの出版社で働く人に声をかけられる。
とても困っているようだったので、俺の写真を一枚だけ『読者モデル』に掲載することを了承する。
まさか、その写真がキッカケで芸能界デビューすることになるとは思いもせず……。
これは真白が芸能活動をしながら、義妹や幼馴染、アイドル、女優etcからモテモテとなり、全国の女性たちを魅了するだけのお話し。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる

