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シリーズ1 ~ウンメイノスレチガイ~
Story-3 すれちがい
しおりを挟むシーラは広場で出会った少女に促されるままに、南東地区へやってきた。
「ここよ」
「ここがモリ、あなたの家なの?」
「モリじゃないわ、あなたが、モリ!わたしが、シーラよ!」
「そうだったわね」
工房はレンガと粘土でできていた。そして、なにやらずいぶんまわりが熱い。雨が降り出しそうな今、太陽の照り返しでないことははっきりしている。
「もう一度言うわよ。あんたはモリ・ペック。そしてあたしがシーラ・パンプキンソンだからね。パンプキンソンなんて変な名前。
これでも我慢してあげてるんだからね」
「わかったわ」
「こうして名前の交換をしたことは、誰にもいわないで。そして、あんたはここで、モリ・ペックとして働くのよ」
「わかったわ。あなたはなにをするの?」
「わたしは、ほかにやるべきことがあるの」
そのとき、工房の奥から怒鳴り声が聞こえた。
「モリ!どこへいってやがった!はやく薪を持って来い!」
「さあ行って!」
モリにうながされたシーラは足早に工房へ入った。中に入ると、そこはさらに熱く、薪が壁一面に並んでいた。シーラはそのひとつをとると、さらに奥の部屋に入っていった。二重構造になっているのだ。奥の部屋、釜場は息をするのも苦しいほどの熱気だった。
「モリ、はやく薪をよこせ、火がたえちまうだろうが!」
「はい」
シーラは火の周りに二人いる男たちのそばに行き、なんとか薪を渡した。だが、近寄るのも恐ろしいほど熱く、そして目も明けていられなかった。男たちは火をよけるために厚い皮地のエプロンと手袋、そして帽子をしている。そして目には黒っぽい遮光ガラスのゴーグルをはめていた。男たちが火のなかに薪をくべていく。そのうえの入れ物には真っ赤に液体が燃えていた。
「モリ、なにぼさっとしてんだ、薪をもっともってこい!」
「はいっ」
シーラは返事をしたつもりだったが、熱気に包まれて吐息が漏れただけだった。一つ前の部屋、薪場にもどり、薪の束を持って再び釜の部屋へ運び込んだ。シーラの体はあっという間に汗でびしょぬれになった。午後中、シーラはそこへ張り付いて、モリと呼ばれるたびに薪を運んだり、水を運んだりした。シーラも水を何度口にしたかかわからない。
工房では鋳物をつくっていた。高熱でとかされた金属を、型に流し込み、冷めたら型から外していく。はじめてみる作業に、シーラの胸には珍しさと面白さが混在したが、それ以上にシーラが感じたのは恐怖だった。火のそばは焼けるように熱く、飛び跳ねてくる金属の粒はじゅっじゅっと唸るような音をたて、シーラの靴とスカートを焦がした。
前方のふたりの男は、溶けた金属をひしゃくですくい型へながす作業を、簡単な作業のようにこともなげにこなしている。熱さと暑さにも慣れているようで、シーラのようにふらついたり、気が遠のくという様子はみじんもなかった。
「よし、今日はこれで釜を閉じるぞ」
ようやくか、とシーラは正直心底ほっとした。男たちは手際よく、すえつけられた石を動かし、熱が逃げないように窯にふたをした。そしてようやく帽子とメガネをはずし、汗を拭いた。
「モリ、なにをぼさっとしてるんだ。はやく風呂と飯の準備をしろ」
「はい、あの…」
「あん?」
「台所はどこですか?」
二人がようやくシーラを見た。
「あんた、だれだ」
怪訝そうな二人は汗まみれのシーラを上から下まで眺めた。
「モリ・ペックです」
「はあ?」
二人のうち若い方は息子のようだ。年は二十歳前後。汗を拭いたばかりの顔は、風呂上りのように真っ赤にゆだっている。
「あんた、モリ? なんの冗談だよ」
「仕事があると聞いてきました」
「仕事って…、はあ? …いや、もしかしてモリのやろう…」
息子はどうやらなにかを察したらしかった。今度は父親りほうがシーラに話し掛けた。
「嬢ちゃんよ、たしかに家は今喉から手が出るほど人手が欲しいところだがよ。いったい誰にその話をお聞きなすったのかね」
「シーラ・パンプキンソンです」
男たちにその名前は利き覚えがなかった。あるはずがないのをシーラは知っていたが、モリとの約束でそれを口にはしなかった。
「とにかく、するってえと、今日あんたはそのシーラとか言う奴から、ここに仕事があると聞いてやってきたというんだな」
「はい」
「まったく、誰だそいつは……。んで、あんたの名前が、うちの娘と全く同じモリっていうんで、おれたちが呼びつけたのを、あんたは自分が呼ばれたと思って、ここで半日働いちまったと、そういうわけかい」
「はい。わたし住み込みで働けるところを探していたんです」
親子が難しそうな顔を見合わせたあと、父親のほうが言った。
「今日のところはしかたねぇ。そのままじゃあんた、風邪引いちまうよ。家でよけりゃあひと晩泊まっていきな」
外は雨が降り出していた。火照った体に、天然のシャワーが心地よかった。
家は工房からしばらく歩いた場所にあり、明かりがついていた。
「モリ、帰ったぞ!風呂はできてるか?」
入るなり父親が声をあげたが、返事はない。
「おい、モリ、モリ!」
「はい、なんでしょう」
「あんたじゃねえよ」
息子も多少いらつきながら、棚からタオルを引っ張り出した。その一枚をシーラに投げてよこした。
「しょうがねえ、今日は風呂なしだ。この雨で勘弁やらあ」
親子はそこでいつものようにさっさと服を脱ぎ、着替えを始めた。シーラは黙って後ろを向いた。しばらくして父親が慌てた。
「こいつはすまねえ。ええと、二階の角部屋に女房の服があるから、あんたそこで着替えてきな」
「ありがとうございます」
シーラがその部屋で着替えをしていると、モリが入ってきた。
「おかえり、モリ。仕事きつかったでしょ」
「シーラ。このとおり。もうふらふらだわ」
「洗濯物は下にまとめておくかごがあるわ」
シーラはモリについて一階へおりていった。すると息子がモリの姿を目ざとく見つけた。
「モリ、やっぱりいたな!」
「はい、なんでしょう」
「だからあんたじゃねぇって!」
息子は厳しい顔つきで、モリにくってかかった。
「モリ、なんで仕事をさぼったんだ。家のこともなんにもしてねぇじゃねえか。どういう了見だ」
「はなしてよ、ドリ兄ちゃん!わたしはもうモリじゃない。シーラって言うの。シーラ・パンプキンソン」
「はあ?」
「モリならここに新しいモリがいるわ。だから、これからはこのモリになんでも仕事を言いつけてよね!」
「なにいってんだ、モリ」
「だからモリじゃないっていってるでしょ。これからはシーラって呼ばなきゃ答えないから」
ふんと鼻をならしてモリは二階に戻っていってしまった。
「いったい、なんだっつうんだ。この忙しいときに」
「まあ、ドリ。落ち着け」
父親はテーブルにつくよううながした。
「モリにも、……うちのモリにもなんか思うところがあんだろう。しばらくほうっておけ。それより、そっちのモリさん」
「はい」
「あんた腹が減ってないかい」
「減っています」
「おれたちもだ。よかったら一緒に飯はどうだ。ただし、おれたちはまったく料理ができなないんでね、あんたがなにか作ってくれるとたすかるんだが」
「喜んで」
「モリさん、塩をとってくれるかい」
「すみません、味がうすかったですか」
「いや、おれたちの仕事は汗を流しすぎるから、塩をとらなきゃぶったおれちまうんだ。あんたも少し余分になめておいたほうがいい」
「ところでダリ親方。奥様とシーラさんのお食事はどちらに運びましょうか」
「いや、うちのモリはほっといてくれ。女房は今、女房の親父のところへいっていていない。南西地区の大火でな。もう長いことその看病に」
「それは大変ですね」
「ああ。いつもは下男を一人雇っているんだが、そいつが急にやめちまいやがって。仕事が立て込んでるし、親父さんの治療に金もかかるっていうのに」
「それなら、わたしを雇ってください」
「ばかをいうんじゃねえよ。あんた、今日やってみてわかったろう。これは女のする仕事じゃねえ」
「でも、シーラさんはやっていたんですよね」
「そりゃあ、うちのモリにとってはうちの仕事だからな。かわりに学校に通わせられななくなっちまったのは、ちとかわいそうだが、家族が支えあうのは当然のことだ」
ドリがパンと煮込みを飲み込んでいう。
「だけど親父、おれも知り合いに声をかけてはいるが、下働きがこう二ヶ月も決まらないのも事実だ。つぎの下働きが決るまでのあいだ、いっそこのモリさんにしばらくお願いしてはどうだ。猫の手も借りたいくらいなんだ、女手でわるいことはねえよ」
ダリはやれやれと頭に手をやった。
「それもそうさな。モリさんよ。食事と洗濯、風呂と掃除。家の仕事をやりながら、日中は薪と水と塩をたやさぬように釜場に運ぶ仕事だ。
火が入っているうちは家を離れられねぇだろうから、買い物だけはうちのモリにやらせる。三食風呂つきの住み込みの仕事だ。
どうだ、やれそうかい」
「はい、がんばります」
シーラは下男用の部屋を与えられて、そこでようやく腰を落ち着けた。すると、そこへモリが入ってきた。
「父ちゃんと兄ちゃん、なんて?」
「次の下働きがみつかるまで、ここにおいてくれるそうよ」
「そう。よかったじゃない」
「ええ、ありがとう、シーラ」
「いいのよ。ありがたいのはあたしも同じ。明日からようやく学校へいけるわ」
「学校でもシーラを名乗るの?」
「そうね、しばらくはそうしてみる。でもそんなこと関係ないわ。わたし、先生からこのままがんばれば、教師の資格に挑戦できるって言われているの」
「すごいのね」
「そうよ。だから、あたしのためにも、あんたは仕事をがんばってちょうだい」
・・・・・・
翌朝、シーラはすこしきつめに塩をふった朝食を整えて、家人を起こしにいった。
「ああ、おはようモリさん」
「親方、部下にさんづけはおかしいでしょうから、モリと呼んでください」
「ああ、そうだな、モリ」
シーラはてきぱきとダリとドリに暖かい茶を差し出して、自分も席についた。そして、あの木切れで作った手製のペンを取り出した。
「それで、食事はいつにどこへ準備しましょうか」
ドリはまるでほとんど丸飲みのようにして食べている。
「おれたちは釜をはなれらんねぇから、昼は釜場に運んでくれ。十一時と三時、片手でつまめるものと、塩をいれた蜂蜜茶をたのむ。
それから、水と塩は切らさねぇように釜部屋の端ににおいておいてくれ。これはおれたちの生命線だからな」
「はい」
「夕食は、釜を閉じて風呂にはいったあとだ。昨日見てもらったとおり体力勝負の仕事だ。食事と休息をしっかりとらなきゃ体がもたん。
たのむぞ」
「はい。釜場に薪を運び込む時間や量の目安はありますか。薪がなくなったときはどこへ注文すればいいでしょうか」
「ああ、そうだな。火を入れてから正午までは二時間おきに六束、午後からは様子をみながら二束か三束ぐらいだな。
薪は定期注文にしてあるから心配はいらんよ」
そうしているうちに、モリが二階から降りてきた。モリとダリとドリはたがいになにもいわずに食事をすませた。そして席を立ちながら、ダリがいった。
「モリあんた、字が書けるのか。その枝はペンのつもりかい」
「はい」
「うちのモリにいって石筆を一本もらって使え」
モリは目線だけで、別に構わないけどというふうにみせた。ふたりが出ていくと、モリはシーラに石筆を一本よこして学校へ出かけていった。工房の尋常でない熱さは、体力をひどく奪われる。だがシーラの仕事自体は慣れてしまうとそれほど複雑なものではなかった。
ただシーラは毎日、父子以上に自分の体調にも気を使うことが必要だった。はじめは恐かった火や解けた鉄にも少しずつ慣れてきた。といっても親子と同じことができるとは到底思えなかったが、火や鉄そのものの性質や現象に本来そなわっている理や、それが持つ美しさを感じられるようになった。
シーラが日ごろ気にもとめずにふつうに目にしてきた鉄の道具や柵などは、このような燃えるような場所で、このように男たちが玉の汗をかいて作っていたのだ。シーラはそれに感動を覚えるほどだった。
ある日、休みの日にもかかわらず、工房に火が入っていることに気づいたシーラは、工房をのぞきに言った。そこでは、ドリがひとりで作業をしている姿があった。いつもとは違うなにかを作っている様子だった。
「ドリさん、お手伝いしましょうか」
「いや、大丈夫だ。こいつは練習だから」
みると、馬やリスといった細かな鋳物をつくっているようのだった。
「かわいいですね。こういう置物もつくっているんですね」
「本来うちはこういう細かいものが得意なんだ。今つくってる柵だとか窓枠だとかは、火災がおこるたびにうちみたいな小さい工房にも大量の注文が来るけどよ、もともとおやじはもっと繊細なものづくりをする職人なんだよ」
「見ててもいいですか」
「かまわねぇけど…」
ドリは同じ作業をなんども繰り返した。
シーラには、同じ作業、同じ出来栄えにしか見えないが、ドリにはなにかが違うらしい。ドリはいったいなにをつかもうとしているのだろうか。火はあいかわらず押し付けるように熱く、鉄はオレンジ色に輝いている。シーラは黙って観察していた。
「モリさんよ、あんたかわった人だな。休みなんだから、もっとほかにやることがあるだろうに」
「いいえ。おもしろいです。わたしなんかがいうのはおこがましいでしょうけど」
「え?」
「わたしはじめ、正直この釜の火や溶けた金属が恐かったんです。だけど最近はきれいだなあと思います」
「そ、そうか…」
「ああしてとかされた金属が、こんなふうに職人さんのいうことを聞いて、思うとおりに形を変えてくれるのはなぜかしらって、とても不思議に思います」
シーラは鉄でできた馬に触れようと手を伸ばした。
「さわるな!」
ドリに手をはたかれたシーラは驚いて目を丸くした。
「あ、いや、まだ熱いから触るなといったんだ。ほら…」
ドリはそばに置いてあった水を馬にかけた。するとじゅっと言う音とともに、馬から激しく水蒸気が上がった。
「金属は赤くなければ冷たいってわけじゃないんだ」
「すみません」
「いや、おれもたたいてわるかったよ」
「不思議ですね、見た目はおなじ色なのに、冷たいときもあれば熱いときもある。この金属の内側ではなにがどう違っているんでしょうか」
「それがわかれば苦労はねぇよ。だからおれもこうして釜と向き合っちゃいるけど、まだわからねぇことだらけだ」
「ドリさんにわからないんじゃ、わたしにまだわかるはずもないですね」
赤く燃える釜を二人はならんでながめた。その視線をすこしだけシーラのなめらかな横顔になげたことは、ドリ以外だれも知らなかった。
・・・・・・
「なに、シーラ・パンプキンソンが見つかった?」
「はい、南東区で教師を目指して勉強している才女だという話です」
「昨日、この地区を聞きこみにまわっていたところ、夕刻間近の帰りがけ子どもたちがシーラ・パンプキンソンの名前を話しているのを聞いたのです。詳しく尋ねてみると、地区教会学校で一番の成績で教員資格にも見込まれているとか。貴族の屋敷で家庭教師をしてたのであれば、うなづける話です。これから確かめにいってきます」
「少し待ってくれ。おれも行こう」
ハリーは午前の仕事を手早に片付けて、さっそくベンジーをつれて町へ出た。
学校では丁度授業が行なわれていた。ガラス窓からはいく人かの歳のばらばらの子どもたちが座っているのが見える。この国に体系に基づく平民教育制度はまだない。学校への参加も義務ではないし、年も関係なかった。
「ここからだと見当たりませんね」
「もうすぐ昼だな。待ってみよう」
しばらくすると、子どもたちが教会から駆け出してきた。二人はそこから視線をはずすことなくみていたがはずだったが、あの娘らしき人影は確認できなかった。
「おかしいですね。見当たりません」
ベンジーは手近にいた男の子を捕まえた。
「少年、ちょっと教えてくれないか」
「うわあっ、ハリーさまだ!」
「シーラ・パンプキンソンは今日きているかい」
「きてます、あそこです」
「どこに?」
「あれです。あの白い帽子のこです」
ハリーとベンジーは顔を見合わせて、白い帽子の女の子を再度みつめた。念のため、白い帽子の少女のそばまで近寄って行ったが、その目の前にくるまでもなく、求めていた娘と違っていることはわかった。ハリーに気がついた子供たちがやにわに騒ぎ出した。とりわけ年頃の女の子たちは黄色い声でさざめいた。白い帽子の女の子に、ベンジーは一応確認をした。
「君がシーラパンプキンソン?」
「は、はい……」
「変わった名前だね。それって本名なの?」
「いえ……。本当の名前はモリです。モリ・ペック」
「どうしてシーラを名乗ってるんだい?」
「……その、あたしは教師になりたいからです」
「その名を名乗ると、教師になれるの? きいたことないけど」
「……あたしの場合は、そうなんです」
今度はハリーが聞いた。
「その名前は、誰かから教えてもらったのかい? 少々変わった名前だが」
「その……」
モリは答えに詰まった。もし本当のことを話したら、ハリーたちは工房にいるシーラを訪ねるかもしれない。そうすれば、シーラが本当はモリ・ペックという名前ではないことが、父と兄に知られてしまう。モリが学校へ通いたいがために、シーラにモリの名前と仕事を押し付けたことがばれてしまうのだ。
「自分で考えました」
「自分で?」
「本とか読んだんです。あたし勉強が好きだから」
「そうか。面白いね。ありがとう」
二人の青年が去っていった。モリはどきどきと高鳴っていた胸をなでおろした。モリのもとに、わっと子どもたちが集まってきた。殿下と話をしたモリは一躍みんなのヒーローになった。
「すごいわね、モリ! あ、シーラ!」
「おれもシーラって言う名前にしようかな!」
「あんたはだめよ、男の子でしょ」
「だけど、なんで、ハリー様がここへきたの?」
「わかんなーい、なんでなの?」
モリにもわからなかった。モリは帰ったらこのことをシーラに確認しようと胸に秘めた。
町から城へ帰るあいだ、ベンジーはうつむいて黙っていた。ハリーに無駄足を踏ませてしまったことに悪気を感じているのだ。しかし、馬上でハリーはくつくつと笑い始めた。しだいに笑い声は高くなって、大笑いし始めた。
「ハリー殿下…」
「いやあ、まったく。大の男が二人連れで出かけていって、女の子に名前を訪ねさせただけで帰らせるなんて。おれにこんなとをさせる人間がこの国にいるとは」
「申し訳ありません、殿下!」
「おまえのことじゃないよ。シーラパンプキンソンだよ。まったく面白い」
「はあ…、がっかりしておられないのですか」
「がっかりはしていない。もしかすると、おれは避けられているのかな。むしろ、嫌われているんじゃないのか」
ははは、とハリーはまた笑った。
士官学校に戻ってきたベンジーの顔をみるや、モリスはシーラが見つからなかったことを覚った。
「そうしょげることはない」
「ですが…」
「むしろ、シーラ・パンプキンソンが別人だったのだから、これはいいことじゃないか。これでもう手がかりはなくなった。そうだろう」
「いいえ、殿下はあきらめたご様子ではありませんでした。まだ探していない地区を探してみよと仰せです」
「うぬ、まだ探す気でいらっしゃるのか」
「もう夜会は明後日です。間に合いませんでした…」
「今回のところは仕方がない。おれたちはせいぜい明後日の夜会を楽しもう。そして、陛下にも由緒正しき貴族家系の麗しき女性のもつ数々の魅力を知ってもらおうじゃないか。例えば、おまえの姉君と妹君のような」
「で…、ですね、ですね!」
「おれはドールボーン家のフリエ嬢を誘う。おまえは?」
「決ってるじゃないですか!ノエル姉様とマチルちゃんと同行しますよ!」
「お、おお…」
「それよりモリスさん。陛下にべったりで、フリエ嬢をそっちのけなんてことにならないようにしなきゃいけませんよ」
「なにっ?」
「前回もそれでデイズ嬢に振られたんですから」
・・・・
モリはハリーにあったその日のことを、教会学校からの帰り道でいろいろと考えをめぐらせたていた。帰ってすぐにでもシーラに確かめたかったモリだが、あることに思い至ったのだった。それによってはシーラが仕事をやめて出て行ってしまうかもしれない
もし本当にハリーがシーラを探しているのだとしたら、シーラはここにはいられなくなってしまうかもしれない。どういう理由かにもよるだろうが、ハリーが自分を探していることを知ったシーラは、逃げたり隠れたりする必要があるかもしれない。
シーラがいなくなってしまうと、モリは以前と同じ暮らしを強いられ、学校にはまた通えなくなったしまうのだ。へたにシーラに聞いたことで、そんなことになりかねない。そんなことにおもいいたったのだ。そのためにモリ胸のうちで二日あまり思い悩んだ。
その一方で、激しい好奇心にもくすぐられていた。学校の誰も、いや町の誰もが知らない秘密を、モリだけが知ることができるかもしれなかった。モリは楽しい想像と悲しい想像と両方を繰り返し、その思いが募ったその日の夕方、誘惑に勝てずについに口を開いた。
夕食作りを手伝いを口実にモリはシーラの隣にいた。シーラはいつものへんな歌をくちずさんでいる。
「マーハリック、マリック、鉄の仕事~♪」
「ねえ、シーラどういうこと?」
「え? どうしたの、シーラ、というかモリ……。いいの、名前は」
「いいのよ今は」
モリはまだ父と兄が帰ってこないことを肩越しに確認した。
「わたしとシーラが名前を交換したことは、あたしたちしか知らないわよね」
「ええ」
「シーラの名前はシーラ以外にも知ってる人はたくさんいるの?」
「たくさんかどうか……。でもこの名前で生きてきたから、もちろん知っている人はいるわ」
「ハリーさまも?」
「ハリーさま? だれなの?」
「しらないの?」
「しらないし、しりあいにもそんな名前の人はいないわよ」
モリは少し肩透かしを食らったような気分だった。
「このリバエル国の王様の、弟よ!」
「ああ……」
「ああって!」
「名前くらいはしってるわ」
「あのね、二日前にね、信じられないかもしれないけど、ハリー様が学校へきて、あんたの名前をきいてきたわ」
「へえ? どうして」
「それをききたいのはあたしのほう」
「はあ……」
「どういうことなの? どうしてシーラをハリーさまが探していたの?」
「どうしてってきかれても、わからないわ」
「なにかあるでしょ、でなければ、どうしてそんなことが起こりうるわけ?」
しだいに興奮状態になるモリに対して、シーラは深く首をひねった。おもいあたるふしがなかった。
「待ってよ、モリ。よく考えてみて。わたしが王様の弟なんてひとに会えると思う?
「おもわない」
「おもわないでしょう」
「だからこうしてきいてるのよ」
「なにかのまちがいよ。だってあったこともないし、それにわたしは少し前まで外国にいたの。この町にきたのだって結構最近のことなのよ」
「そのあいだにどこかであったんじゃない?」
「どうかしら。わたしはこの町にきてからわたしはほとんどの時間、仕事をしたり、仕事を失っては、また探したりしてきたわ。そんな暇はどこもなかったのよ」
「じゃあ、いたったいどうしてハリーさまがあんたの名前をしってる」
「ハリーさまが探していたのはほんとうにわたしなの? べつのシーラじゃないかしら」
「でもシーラ・パンブキンソンなんて変な名前、この国じゃふたりといないでしょ」
「外国人なんじゃないかしら? 外国では平民貴族かかわらずに三文字でも四文字でも好きに名前をつける国はあるわよ」
「外国人? そうかもしけないけど…」
そのとき、ドリが仕事から帰ってきた。
「モリ、風呂は沸いているか?」
「おつかれさまです。沸いてますよ」
シーラはドリに返事をしたあと、まだなにかききたそうなモリのほうを向き直った。
「知ってることなら話すわよ。でも知らないことははなしようがないわ」
「それはそうだけど」
「そろそろ夕食を仕上げない? シーラ」
「…わかったわ、モリ」
その日の夜、シーラは食事の片づけをすませたあと風呂に入った。ダリの家は作り付けの風呂場がある。わざわざ風呂場を設けるのは貴族の屋敷ですら珍しかった。洗い桶を運ぶ手間や水運びや湯沸かしができない者が、ダリの家に風呂を借りに来ることもあった。
シーラは湯舟につかりながら、ふとモリのいっていたことが気になった。ダモ縫製工場を追われたのは、もしかするともう一人のシーラ・パンプキンソンのせいではないのか?と思いついたからだった。とすれば、これからも追われる理由のないシーラが追われる可能性がある。だがその一方で、モリのいうようにシーラとまったく同じ名前の人物がいるとは考えにくい。名前について特殊な慣習が深いこの国では特に。
「大きい町だから、お金を貯めるのに苦労はないと思ってたんだけどな…」
シーラは五年越しの目的がある。それは故郷へ帰ることだった。ダモ縫製工場では最後に給金をもらえたからまだよかったが、なんども仕事を追われるのは勘弁だった。なぜならそのたび仕事を探し歩かねばならないし、見つからなければ貯めたお金が宿代に消えてしまうからだ。シーラは首をすくめた。
「かんがえてもしょうがないわね」
同じ頃、ダリの家のドアを叩くものがいた。こんな時間に風呂を借りに来る人がいないでもないので、あまり不信がらずドリはドアを開けた。シーラは風呂に、モリは二階に、ダリはソファで居眠りをしていた。
「夜分遅くにすまない」
馬一匹男一人の風情で、マントと羽根のついた帽子につつまれた男が立っていた。まさか、風呂を借りにきたとは到底思えなかった。ドリはまぶかにかぶった一人帽子の奥を怪しい目つきで眺めた。
「なんの御用でしょう」
すると男はぱっと帽子を取った。ハリーだった。
「目立ちたくない、いれてもらえないか」
「は、はい…」
「この家はダモ・ぺックの家にまちがいないか」
「た、たしかにダモ・ペックは父ですが…。どうしてハリー様が、このようなところに、しかも、お、おひとりで?」
「わけあってな。時間もあまりないのだ。本題に入ってもいいか」
「どうぞ…」
「娘のモリ・ペックにあいたい。呼んでもらえないだろうか」
「モ、モリですか?」
ドリの喉がひくっと上下した。実のところ、ドリは夕食を作りながらシーラとモリがはなしていたことを立ち聞きしていたのだ。モリのいうことをにわかには信じられなかったが、今は疑いようがなかった。ハリーがどっちのモリを呼んで欲しいといっているのかはわからなかったが、すくなともハリーの用に応えられるのはシーラに間違いがなかった。
そして、シーラを少なからず思い始めていたドリにとって、それは歓迎したいこととはおもえなかった。
「あ、あいにく、モリはいま風呂に入っておりまして」
「そうか、間のわるいところへきてしまったな」
「あの、モリにいったい何の用事でしょう」
「実は、ある娘を探していたのだ。二日前モリにあったとき、モリはシーラ・パンプキンソンという名を名乗っていた。
おれが探している娘の名だ。モリは本かなにかを読んで自分で考えたといっていたが、もうすこし詳しく聞いてみたいと思ってな。本の題名など」
「そ、それを聞きに、ここまで、おひとりで?」
「うむ。夜会を抜けてきた。今頃みなが慌てているかと思うと、少し愉快だ」
「はあ……」
「た、立ち入ったことをおききしますが、そのシーラ・パンプキンソンというかたはどういったかたなんですか」
聞いてみたい気持ちに逆らえず、ドリはつい口走った。ハリーはくすっと笑みを浮かべた。
「会ってみなければわからない。ひとまず今は、わたしをもっとも楽しませてくれるゲームメイトというところかな」
「ゲーム……」
「わざとなのかそうでないのかわからないが、このところおれはずっと彼女におちょくられている。このまま振り回されっぱなしでは男がすたるというものだ」
「……そうですか。ハリー殿下にそこまでいわせるなんで、きっとものすごい美人なんでしょうね……」
「それがそうでもない。見た目はただの十五、六の町娘だ。どこか違う町から最近来たらしい。だが、どこか普通の娘ではない。
どこが普通でないのか、この目で知りたいと思ってな」
そのとき、時を知らせる鐘が鳴った。
「時間切れだ。もう戻らなくては。おまえの名は」
「ドリです」
「ではドリ、モリにさっきのことを伝えてもらえないか。また人を寄越すから。それと」
「はい」
「このことは内密に」
「は、はい、だれにもいいません」
「たのむ。誰にも知られては困るのだ。はじめおれは、今夜中に八地区すべてを回って、シーラのことを聞いて回ろうと思った」
「そんなことをしたら、ハリー殿下がシーラを探していることを町中に知られてしまいますよ」
「ああそうだ。そのほうが好都合だと思ったのだ。おれが探さなくても、町じゅうが勝手にシーラを探してくれるからな。
だが、それでは面白くない。このゲームがすぐに終わってしまうじゃないか」
「はあ……」
「それにそんなうわさが立ったら、大臣たちがおれに結婚しろとまたうるさくいってくるのは、うっとうしいからな」
ははは、とハリーは明るく笑った。
ハリーが帰ったあと、シーラが風呂場から出てきた。
「ドリさん、お風呂いただきました。用がなければこれで休んでもいいですか」
「あ、ああ」
「おやすみなさい」
「モリ、あのな!」
「はい?」
ドリはひきとめたくせに、なにをどうすることばも出てこない。
「ゲーム……ては得意か?」
「サイコロとかカードですか? そうですね。得意でも苦手でもありませんが、眠れないのなら一戦相手になりましょうか」
「ああ……」
ドリはカードの間中ずっとシーラの肌とぬれた髪にどきどきがとまらなかった。
・・・・・・
モリスとベンジーは二人連れでダリ金属工房に向かっていた。
「おひとりで夜会を抜け出して町へ出るなんて、まったく一国の王位継承者のなさることとは思えない」
「でも、殿下ご自身がご自身の身で、町中に平民の娘を探し回っていることを触れ回るよりかは、だいぶましでしたよ」
「わたしはあれをきいたとき、ほんとうに気が遠くなった……」
「ぼくもです。姉さまかマチルちゃんの夢がついえたかと思って頭の中が真っ白になりそうでした」
「なにはともあれ、モリという少女がシーラ・パンプキンソンの名前のことをなにか話してくれればいいのだが。なにも収穫がないとなると、殿下がまた無謀なことを考えないか心配だ」
二人が工房に着くと、そこからの強い熱気が二人を阻んだ。
「ここが金属工房のダリ・ペックの家か? まさか、ここに住んでいるわけではないよな?」
「さすがにそれはないですよ。工房の少し先にあるのが家だそうです」
「はじめからそういってくれ」
そのとき、工房からひとりの女性が駆け出してきた。
「あっ、おまえ!」
シーラは振り向きもせず、額に汗したまま駆け抜けていく。
「こんなところにいたのか!」
モリスとベンジーは慌てて馬をかけてシーラ前に立った。しかし、シーラは二人を無視したまま、馬を家に向かっていってしまう。
「ちょっ、ちょっとまて!」
馬を下りてシーラを追ったモリスが、シーラの手首を掴んだ。しかしシーラは間髪入れずにそれを弾き飛ばした。
「用があるなら黙ってそこでまってなさい!」
シーラは家に入ったかと思うと、すぐに椅子やクッションなどを抱えて駆け足で戻ってきた。そして、モリスとベンジーに目もくれないで、熱気が漏れ出す土壁の工房へ駈け込んでいった。モリスとベンジーは工房を覗き込んだが、熱気に当てられてどうしてもというわけではないが、中には入っていけなかった。
ベンジーが息を止めて一歩部屋の中に踏み込んだが、二重構造になっている工房の奥からはさらなる熱い空気が流れてくる。十秒とそこへいられなかった。しかしなんとか聞き取れたことをモリスに報告した。
「どうやら、中で人が倒れたようです」
「この熱さじゃ倒れるにきまっている。すざまじい仕事だな」
「ぼくもはじめてみました…」
しばらくすると、シーラがドリに肩を貸しながら工房の外へ出てきた。
「すまない、モリ…」
「いつも体調には気をつけているドリさんが寝不足なんて。きっと昨日のゲームのせいで目が冴えてしまったんですね」
「ひさびさに親父にどやされちまったよ」
「心配なんですよ」
シーラとドリが家に戻るのを、モリスとベンジーは目で追っていった。家に入ってからもシーラは甲斐甲斐しく世話をしながら、時間がくると工房へ駆けていって仕事をしてまたもどってくるということをしていた。
「もう大丈夫だ。モリ、それより、外のお客は?」
家の外ではベンジーに二頭の手綱を持たせ、モリスが腕くみをして待っていた。シーラは少しも意に介していないみたいだったので、逆にドリが落ち着かなくなっていた。
「そんなこと心配しなくていいんですよ。なんの用か知りませんが、今は立てこんでるって追い返してきます」
「お、おい、仮にもあれは憲兵か仕官候補生のどっちかだぞ。失礼な態度はまずい」
「憲兵?」
シーラの頭になにかがよぎった。そういえば、ダモ縫製工場にも憲兵が来たといっていたが、それは彼らなのかもしれない。
「もしかしたら、彼らが用があるのはわたしかもしれません」
シーラの言葉にドリはどきりとした。
ドリにことわったあと、シーラは二人の憲兵服のもとへむかった。モリスは待たされたことに少しいらついている。
「わたしたちのことをおぼえているだろう」
たしかに、シーラは見覚えのある顔だと思った。そうだ。あの中央公園でつっかかってきた男ではないか。
「手間をかけさせやがって。おまえにはわたしたちと来てもらう」
モリスの態度にシーラはぴしゃりといった。
「どんなご用件かはわかりませんけど、わたしは仕事中ですから仕事が終わってから来てください」
「そんなことを言って、おまえは!また逃げる気だろう!」
それはハリーたちからみた側面でしかなく、シーラにはまったく意図も身に覚えもなかったのだが、シーラは冷静にずいと前に出た。
「逃げも隠れもしませんし、わたしはあなたがたからおまえ呼ばわりされる覚えもありません」
「なにをなまいきな、平民風情が!わたしがだれの使いでこんなところへきていると思ってるんだ!」
「敬いをもって接して欲しいのなら、あなたがまずそれを表すべきです」
シーラはぷいと背を向けると、さっさと家に戻ってしまった。
モリスはくちをあけたまましばらく立ち尽くした。
「モリスさん、とりあえず戻りましょう」
ベンジーがいわなければ、モリスはもうしばらくそうしていたに違いなかった。
その日の釜の仕事が終わると、ペック家はなんともいえない雰囲気で夕食をすませた。
「モリ」
「はい、親方」
「すまないが、席をはずしてねぇか。少し家族で話をしたいんだ」
「はい」
シーラは二階に上がった。
「ドリ、モリ」
「モリじゃないわ、シーラだってば」
「モリ、もういいかげんにしろ」
「だって」
「だまってきけ」
ダリは息をついてから切り出した。
「この数週間、つまり二階のモリが来てからだが、おれは考えたことがある。はやり、母さん、ビタに戻ってきてもらおうと思う。ビタの親父さんはうちで面倒をみりゃあいい」
「親父…」
「ドリ、おめぇは今日釜場で倒れたな。その理由がわかるか」
「それは、寝不足で…」
「ちがう。おまえは二階のモリに惚れてるからだ」
「な、なんでそんな」
「おめぇを見てりゃあそれくらいわかる。仕事に支障がなかったからこれまではいわねぇでおいたがな、今日はだめた。
なにがあったのかしらねぇが、おまえがモリを見る目は落ち着きねぇし、朝からずっと集中にかけていやがった」
「それは、たまたまのことで」
「言い訳をするな! おれたちの仕事は、下手をすれば命を失う。おめぇはたまたまのことで命を落としてぇのか」
「……」
「好きなら好きといっちまえ。だめならすっぱりあきらめろ」
「それから、モリ。おまえにはおれにもないドリにもない賢い頭がある。だから家がうまく回っていたときは、おれにとってもそれが誇らしかった。だが、状況が変わって、おまえには釜の仕事と家の仕事をまかせざるをえなくなったとき、それをおれはしかたないとおもってきた」
「いまさらそんなこと、それで?」
「二階のモリが仕事をやってくれるようになってからおれは気がついた」
「なにを」
「おれはおまえの顔をぜんぜんみていなかった」
「……」
「二階のモリは、おれが用をいいつけると目線を必ず待つんだ。はじめは気がつかなかったが、おれがそれでいいというまで…、実際には言葉でいうわけじゃねぇが、互いにこれでいいんだなと確認できるまで、おれの顔をみている。
考えてみたらあたりまえだ。付き合って日の浅い相手とやりとりしてるんだ、本当にそれでいいのかを確認してから仕事にかかるからだ」
「……」
「おれはこれまで、モリに対して名前を呼ぶだけで、モリの顔をみていなかった。おまえがどんな顔をして仕事をしていたのか、どんな思いでそこにいたのか、おれはすこしも気がついていなかった。家族なんだから家の仕事をやるのはあたりまえだと思っていたからだ」
「……」
モリはだまっていたが、次第に両目からぽたぽたと涙を落とした。
「それで、おれは考えた。おまえたちの知っての通り、おれはビタの親父さんと折り合いがよくねぇ。あの大火で怪我をしてからおれは一度も見舞いにもいってねぇ。だから親父さんがなんていうかわからねぇが、親父さんにここへきてもらえば、ビタは親父さんの面倒を見ながら家の仕事ができる。そんで、モリはこれまでどおり教師を目指せばいい。それなら勉強しながら、じいさんの世話や母さんを手伝うくらいのことはできるだろう?」
モリはこくんとうなづき、ダリは久しぶりに娘のあたまをなでた。
「さて、そうとなったら明日は臨時休業にして、おれは親父さんの家にいって説得してくる。ドリは部屋の準備をしてくれるか。
モリには悪いが部屋を空けてもらおう。モリ、おまえは二階のモリと相部屋でも構わねぇか?」
「いいわよ。でも、そのうち兄ちゃんが相部屋になるかもね」
ドリは真っ赤な顔で妹の頭を小突いた。
「だけどよう」
ドリが奥歯にものが挟まったような顔をした。
「実は二階のモリのことで気がかりなことがあるんだ」
ドリは今日までにシーラについてわかったことを、父と妹に話して聞かせた。
それを聞いたモリも、自分がシーラと交わした約束やハリーが学校へ来た時のことをつつみかくさず話した。
はじめて聞かされた話にドリはとまどうばかりだった。
「モリ…いやシーラはいったい何者なんだ?」
そして、そのときドアが叩かれた。
そこには昼間の二人が立っていた。
出迎えたダリにベンジーがに会釈した。モリスは相変わらず腕組みをしてふんぞり返っている。
「夜分失礼します。お宅の家人に用件がありまして、中に入れてもらえますか」
「どうぞ…」
「やあ、シーラ。教会広場であったね。おぼえているかい」
にこやかなベンジーにモリは引きつった笑みを浮かべた。
「さて、戸籍部によると南東地区こちらのペック一家は四人家族で、夫婦と息子娘の四人家族だそうですね。
今は三人しかいないようですが…」
「まどろこしい!出でこんか、いるんだろう!」
モリスが大声をあげた。
怪訝そうなシーラが二階から降りてきた。
「ふん、逃げも隠れもしないといったのは本当のようだな。誉めてやろう」
「どうも…。それで、ご用件をどうぞ」
「一緒にきてもらおう」
「なぜ?」
「は?」
「ですから、なぜですか?」
モリスがまたいらいらし始めたので、ベンジーが変わった。
「あなたにお会いしたいという方がいるのです。防災大会のあの日、覚えていませんか?」
「お二人のお顔は覚えています。でも自己紹介もありませんので、明日には忘れてもいいかと思っています」
「なんだと、きさま!」
モリスを押さえてベンジーはあらためて言った。
「これは失礼。僕はベンジー・ゴートルード。こちらはモリス・カーサモーデ。ぼくらはリベル士官学校士官候補生で、今はハリー殿下の使いできています」
「わたしはモリ・ペックです」
するとモリがシーラにささやいた。
「シーラ、もういいのよ」
「あら、そうなの?」
モリスがぎりぎりとこぶしを作っている。
「いったいいつまでちんたらとしている! おまえはだれだ! なまえはなんだ!」
「すみません、この人のいうことは無視しください」
ベンジーがフォローに微笑をなげた。
「わたしの名前はシーラ・パンプキンソンです。わけあってモリ・ペックの名を借りました。この家で働かせてもらっています」
「ようやくお互いが知り合えて幸いです。それでは、われわれといっしょに来ていただけませんか?」
「それはむりです」
「はあ?」
今度は何か言う前にモリスの口をベンジーが押さえた。
「わたしはこの家の工房で働いています。次の人が見つかるまでという約束です」
「一日か二日でもいいのです」
「わたしの雇い主はこちらのダリ親方です。一日か二日分、わたしが抜けたために負う納期の遅延や生産性の減退を、あなたがたのハリー殿下は親方に保証してくださるのですか?」
「そ、それは…」
「でなければ行けません。わたしはこの工房と家の仕事を任されていますから。無責任に容易なお返事はできません」
口を押さえられているモリスはそうとして、ベンジーもそれ以上の言葉が出なかった。
いまにも爆発しそうなモリスを引きずって、ベンジーは挨拶もそこそこに家を後にした。
「親方、わたしごとでお騒がせしてすみませんでした」
「いや…、モリ…じゃなくて、シーラ。おまえさんにあんな豪胆なところがあったとはおもわなかった」
「とんでもありません。働かせてもらっている身として当然です」
「だが、殿下の使い相手にあんな対応をして良かったのか? また来ると行って帰ったが」
「よくわかりませんが、わからないからといってうやむやに相手の言いなりになるほうが危ないような気がして。
でも、わたしにはやましいことがありませんし、彼らもわたしを強引に連れて行くだけの理由はないようでした。
でも親方、新しい人を早めに雇っていただいたほうがいいかもしれません」
「そうだな、考えておこう」
「さあ、皆さん、明日もお仕事がありますから、早く休みましょう」
「あ、ああ・・」
・・・・・・
「シーラパンプキンソンに会ってきた? なぜ、おれを差し置いて会いにいったんだ」
「申し訳ありません、殿下」
モリスとベンジーは二人で頭を下げた。ベンジーが顔を伏せたまま。
「殿下にまた無駄足を踏ませることになってはと思い、直に参らせた上でご報告しようと思っておりました」
「…まあいいよ。おれより先におまえたちが会ってしまったと聞くと、ずいぶんつまらないがな」
「申し訳ありません…」
「しかし殿下、あの娘はたいへんな曲者です。われわれにたいしてどれほどの無礼をはたらいたか。あんな娘、会わぬほうが殿下のためだと存じます!」
「まあまあ。それで、頼んでもいないおまえがしゃしゃり出ていって、どんな話をして彼女に同行を拒まれたのか、聞かせてもらおう」
「う…」
モリスとベンジーはかわるがわるシーラの現在の状況や様子、そしてどんな話をしたのかを説明した。ハリーはじっと聞いていたが最後ににやにやと笑い出した。
「へえ、それはおもしろかったろうな。おれもその場のやり取りをぜひ見たかった」
「お、面白くなどありません、殿下」
「ともかくよくやってくれた。ここまでくれば事は簡単だ。明日、ダリ・ペックの金属工房に下働きに仕えそうな手ごろな男を一人連れて行って、その代わりにシーラパンプキンソンを譲り受けてくればいい。シーラにはなにか仕事を与えよう。
そのほうが彼女も気安いだろう」
「もしや、殿下は直接いかれるおつもりですか?」
「そのつもりだ。でも仕事がたまっているから夕方になりそうだな。さあ、モリスおまえもそろそろ自分の仕事に戻ったらどうなんだ」
「は…」
そしてその日の夕方、ハリーはベンジーとともに、金属工房へ向かった。
すると、なにやら町の様子がおかしい。もう日が暮れるというのに、幾人もの男たちがくびをそろえ、不穏な顔を寄せ合っていた。
「なにかあったのか」
「こ、これはハリー殿下!」
「おまえがダリ・ペックか?」
「はい」
「なにやら様子がおかしいが、なにがあった?」
「実は、シーラが消えたのです」
「なんだと? ダリ、なにがあったのか話してくれ」
「その……、混乱していて、うまく話せるか…」
「大丈夫だ。順を追ってゆっくり話してくれればいい」
「はい」
殿下が現れたことで見物人が増え、そして心ある近所の町民の幾人かが明かりを持ち寄ってきてくれた。
「わたしらは、つまりわたしとシーラのことですが、今日は西南地区にいる女房とその親父殿を訪ねたんです。
その帰りたまたま珍しい人と会ったので、シーラを連れてお客に呼ばれました。西南地区にお屋敷を持っているバートルーク家のだんなです」
「ほう」
「以前から美術品や造詣品などを注文してくださるごひいきです。そこでその、申し上げにくいのですが」
「なんだ?」
「昨日のやり取りを少しかいつまんで話しましたら、バートルークのだんなにはずいぶんの面白い…あ、いや、興味深い話たったようで、シーラを少し貸してくれないかと頼まれました。いつもひいきにしていただいているので断りきれず、わたしはシーラを追いて先に帰りました」
「そのとき、バートルーク殿はなんの用でシーラを留め置いたのだ」
「あの家には双子のぼっちゃまとおじょうさまがおりまして、だんなは手を焼いているということでした」
「シーラはその子守りに?」
「おそらく」
「それで、バートルーク家から、シーラが帰ってこないというわけか」
「そこからはわたくしがお話いたしましょう」
そこにいたのはバートルーク家の若い使用人でコダという男だった。
「旦那様からいわれて、わたくしがトリオ様とトリア様のお部屋へお連れしました。おふたりははじめのうちシーラ様を敬遠なさっていましたが、次第に打ち解けたご様子で、いつのまにか三人で楽しくお遊びになられるようになりました。
そうしていい時間となってまいりましたころにシーラ様にはおかえりいただきました」
「その時間は?」
「夕方五時ごろです。いまとなっては送りの者をつけるべきでしたが、夏の五時ですし、あたりはまだ多くの人出もありました。
シーラ様もお一人で帰ると申されましたのを、わたしはそのまま見送りました」
「なにかかわった様子は?」
「いえ、特には」
「きっと、なにかあったのはそのあとなのよ」
今度はモリがいった。隣のドリの手には濡れた片方の靴が握られていた。
「その靴は?」
「これはシーラが履いていた靴です。ここに焦げた跡があります。これはとけた金属が飛んで、靴を焦がした跡です」
「これをどこで、まさか」
「運河の下流で。ゴダさんが」
「はい。ドリさんがまだお帰りにならないシーラ様を迎えにきたのが六時を回っていたと思います。心配になってわたしも一緒に探しました。そして、その靴が浮いているのを見つけたのです。まさかほんとうにシーラ様のものとは思いませんでしたが……」
町の男たちは手に棒をもち、服を濡らしている者も多かった。きっと水路をさらってシーラを探したのだろう。
ハリーは静かな口調でいった。
「わかった。この件はおれが預かろう」
「ハリー様、シーラは、シーラは…」
モリはそれ以上のことを怖くて口にできなかった。
「モリ、なにがあったか必ず明らかにすると約束する。だから、静かに待てるな?」
モリは夏だというのに震えながら頷いた。
モリの肩に手をやってハリーはうなづいた。そしてその父を向いた。
「それと、ダリ・ペック」
「はい…」
「ここにいる下男は、おまえの工房において使ってやってくれ」
「え?」
「なに、もともとシーラを譲り受けるかわりに預けていこうと思っていたのだ」
ハリーたちが去っていったあと、町の面々もぱらぱらと家へ戻っていった。そして残されたペック家の三人は、暗い顔を上げられないままに佇んだ。
「こんなことになるなら…、好きだといえばよかった…!」
ドリの絞り出すような声に、ダリは目を閉じ、モリは顔をゆがめ涙を落した。
*おせらせ* 本作は便利な「しおり」機能をご利用いただく読みやすいのでお勧めです。さらに本作を「お気に入り登録」して頂くと、最新更新のお知らせが届きますので、こちらもぜひご活用ください。
丹斗大巴(検索または、プロフィールで!)で公開中。こちらもぜひお楽しみください!
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