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シリーズ4 ~ウンメイノカケチガイ~
Story-1 宮廷行事(1)
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リベルへ向かって出発した汽車の中。
隣同士の一等室には、ハリー一行と、サラ一行が乗っている。
サラの車室にはいつものようにシーラとモリスが、ハリーの車室にはケインとベリオとアリテがついている。
さらに、その車室の前の廊下には兵士が二人立ち、二時間ごと四人の兵たちが交代して監視にあたっている。
サラの部屋のドアがノックされた。
「ハリー様」
「入ってもいいかい」
「どうぞ」
モリスが席を開け、ハリーはサラの前の席に座った。
しかし、サラはシーラの胸に体を預け、うとうととしていた。
「サラ様、ハリー様がおいでです」
シーラが呼びかけたが、サラは起き上がろうとせず、シーラの腕の中に顔をうずめてしまった。
「申し訳ありません、ハリー様。
昨日、サラ様は寝付けなかったのです。
今日をとても楽しみにしていたものですから」
「そうだったか、悪い所へ来てしまったな」
シーラの説明にハリーはなんの疑いも持たなかったが、モリスはサラがさっきまた鎮痛剤を飲んだことを知っている。
汽車の揺れが、思った以上に頭に響くらしい。
「出直したほうがよさそうだ」
ハリーは気を悪くすることもなく、静かに部屋を後にした。
みると、サラはすうすうと寝息を立てていた。
「私が運ぼう」
モリスはシーラからサラを預かると、奥のベッドルームへ連れて行き、ベッドに寝かせた。
こうして寝顔を見ていると、記憶を失った幼いサラの姿がよぎる。
その一方で、法務局で血を流し気を失ったサラの姿も。
サラが眠るとき、このまま目が覚めないのではないか、とふと怖くなる。
「モリス様、穴が開くほどサラ様を見つめないでください。
モリス様のジャケットにわたくしの嫉妬で焦げた穴をあけてしまいそうですから」
モリスは苦笑してその場をシーラに譲った。
「シーラは本当にサラのことが好きだな」
「モリス様だってそうじゃありませんか。
先ほどハリー様が見えたとき、目がきらきらに輝いていらっしゃいましたよ」
「私たちは似てるな」
「主人への忠誠に関しては、わたくしも同感です」
汽車の旅は長い。
その間、モリスはサラとシーラから二人が知っていることのすべてを聞かされた。
特に、サラがジュリアンに捕らえられてからのことがわかると、火事から始まりサラ救出までの一連のあらましがなおいっそう鮮やかに浮かび上がった。
サラ救出のあの日、モリスはサラを屋敷に連れ帰った後、約束通り懸賞金をカインに届けさせた。
この役目はカインの顔を知るケインが担った。
ケインによると、カインはそくざに少女たちのそれぞれ国へ向かう馬車に乗せた。
言葉の不自由なイエニアには、イエニア出身の渡り者を連れに付き添わせた。
それぞれの娘は、無事家に帰りついたら、カインに知らせる手はずになっているそうだ。
「その、カインっていう人に、ちゃんと手紙が来たか確認しなくちゃね」
サラの言葉に、モリスは疑問を感じた。
「ていう人、というのは……。
マリ―ブラン家まで一緒だったのだろう?」
「そうなんだけど、あまりその人のことを覚えていないの。
その時は、三人の女の子たちに懸賞金をわたすことで頭がいっぱいで頭も痛くて他何も考えられなくて。
歩くだけで必死だったから。
思い出そうとすると、頭が痛くなる」
「そうだったのか。
監禁されていたお前を、あの男は歩かせたのか?」
「仕方なかったと思うわ。
もし背負われていたら、私は多分眠ってしまっただろうし、あの人は貴族が嫌いでどうしても関わりたくなかったのよ」
「そういえばそうだったな。
……まあ、これだけ腐敗したザルマータ貴族社会に、嫌気を覚える民がいてもおかしくはない」
「とにかく、そのカインという方がいてくれてほんとうによかったです。
わたしは感謝しかありません」
「そうね、命の恩人ね」
「それを言うなら、私のほうがその名にふさわしいと思うぞ」
サラとシーラは笑った。
三人の持つ情報に差がなくなったある日のことだ。
モリスは二人に向かって、ハリーの部屋に行ってくると伝えた。
「私たちのことを話すのね?」
「いや、それはまだ。しかし、今後のことをハリー様がどう考えているかをきかせてただかねばならない。それいかんだと考えている」
「モリスの思うようにして。でも」
「ん?」
ドアに手をかけたモリスが振り向いた。
サラとシーラは二人で顔を見合わせた。
「そんなにうれしそうな顔をしていくなら、言えないわ」
「えっ?」
モリスは自分の顔をなでた。
「な、なんだ、そんな顔していたか?」
「うん、ねえ?」
「はい、とても」
「それは、仕方ないろう。私はずっとハリー様の忠臣でもこれからもそうなのだから。それで、なんだ?」
「別にいいのよ」
「そこまで言っておいて。私たちに隠し事はなしのはずだろ?」
サラが目くばせすると、シーラはポケットから小さな箱を取り出した。
「さっき車内販売でトランプを買ったから、できるだけ早く帰ってきてねって言おうとしたの」
モリスはため息をついて部屋を後にした。
「モリスです」
「入れ」
モリスが入ると、ケインが椅子を譲ってくれた。
恐縮を表すと、ケインはかまわないというようにしぐさした。
「ハリー様がこの後どのようなご予定でいらっしゃるのか、私も聞いておく必要があると思いまして」
「そうだな、詳しいことはリベルに戻ってからだが、まずは王宮にサラ嬢とシーラの部屋を用意しよう。
それから、記憶障害の治療にたけた医者を手配する。
サラ嬢はまだ自分が記憶を失っていることに気がついていないのだったな。
では、そのような場合はどのような治療が好ましいかも、医者と相談しよう」
「さようですね」
「だが、その前に……」
「はい」
「リベルの町を案内したいのだ。
王宮と王宮庭園、それに美術館に大学も。町を馬車で回って、美しい都を見せたい。天上水路と、もちろん消防車も見せよう。
シーラ・パンプキンソンとして歩いた場所を見てなにか思い出すきっかけになるかもしれない。そしてなによりもさきに、兄上に会わせたいのだ。それが、なにより、一番先だ」
ハリーはにこやかにこれからの予定について話した。
モリスはその姿をほれぼれと眺め、久しぶりに酔いしれていた。
離れていた時間がこうも思いを募らせるとは。
「どうした、モリス?」
「いえ、久しぶりにその晴れやかなご尊顔を拝めましたことに、感動していたところです」
「そうか。俺は、お前のことがうっとうしいがな」
「えっ!」
モリスはいきなり天から地へ落されたような悲痛な面持ちを浮かべた。
ハリーはすぐに、あはははと笑う。
「だって、当たり前だろう。
好きな女性のそばに、その女性のことを愛している男がいつもそばにいることを想像してみろ。
自分がそうさせたとはいえ、おもしろいわけがない」
「そ、それはそうですが……。
私は、ハリー様に顔向けできぬようなことはなにもしていないつもりですが……。
でも、今のお言葉は、つまり……」
「ああ、俺はサラ嬢を妻に迎える。心を決めた。兄上にもそう話すつもりだ」
ハリーの輝くようなまっすぐな瞳を、モリスは正面に受けた。
「どうした? まさかいまさら俺に譲るつもりだなんていうお前ではあるまい」
「それは……。ただ、今、急におっしゃられたので、答えに難しております……」
「おれはずっと考えていた。お前が俺にいらだちをぶつけたあの日から」
「あの時は……」
「お前が言ってくれたからこそ、私にははじめてわかった。
私のように、なにもかもが初めから、何の不便もないように、すべてが用意されている者は少ないのだ。
むしろ普通は、誰もが皆、日々己の暮らしや思いのために、なにかを求めて暮らしている。
シーラ・パンプキンソンは、私が初めて求めた、なにかだった。
それが、この前サラ嬢に会ったときにわかった。
俺はサラが好きだ。
彼女の背景にあるもの、彼女が愛しているもの、好きなもの、彼女が失ったもの、失った記憶もすべて。
そのすべてが好きだ。
サラが持っている、物語が好きだ。
俺は、その物語を、これから共に歩みたい。
サラと、一生をかけて」
ハリーの瞳に迷いはない。
ハリーもまた、自らの心のわずかな機微を見つめ、そして自分の人生の舵を切ろうとしているのだ。
「だから、悪いがお前にサラを渡すつもりはない。それと、ケインにもな」
モリスは驚いたようにケインを見た。
ケインは肩をわずかに上下した。
「僕にだって、告白する権利くらいありますよ。
だいたい、サラ嬢が一番つらい時に支えたのは、この僕なんですから。
記憶が戻って、そのことを思い出せば、僕にだって可能性があると思います」
「その点で言えば、一番不利なのは俺だな。
なにせ、記憶が戻ったところで、俺が会ったのは防災大会の一度きりだ。
むしろ、もう忘れていてもおかしくないぞ。いろいろあったからな」
わはは、と笑うハリーに、ケインとベリオもつづけて笑った。
モリスはすこしばかり面食らったが、やはりつられて笑った。
ひとり大人のベリオが訳知り顔をして腕を組んだ。
「まあ、それぞれ口が何を言うのも自由ですが、つまるところは、サラ嬢の心を誰がいとめるかということですね。
いずれにしても、花嫁はまだ子どもですから、少々気の長い話です。
ですが、よろしいのですか?」
ベリオはハリーを見る。
「国王様にサラ嬢を紹介するというのは、
すなわち臣下たちに対しても、サラ嬢の立場を明らかなものにいたします。
サラ嬢はそれがわかっていないとしても、マリ―ブラン公は暗にそれを認めた形でサラ嬢を送り出しています」
「つまり?」
「サラ嬢は、我が国の若い娘たちから嫉妬と羨望の的になりますでしょうね」
「なにかまずいのか?」
ベリオは頭をかいた。
「私も女性の心理というものにはそう詳しいわけではありませんが……。
私の姪もハリー様の取り巻きの一人ですから、サラ嬢のことを知ったら、嘆き狂うだろうと思います。
しかも、リベルに着くころにはちょうど、真珠会に青薔薇の会。
狩猟大会に山河の会、収穫祭に月光祭もございます。
宮廷の催しが立て続けにございます。
まさに社交界求愛シーズン最盛の時です」
ケインはなるほどと息をついた。
「ひがみややっかみを受けないというのは無理ですね。
それがサラ嬢の安全や、あるいは治療の妨げになるようなことがなければいいのですか」
ケインの心配に、ハリーは明るく言った。
「それは大丈夫だ。
そのためにモリスがついているんじゃないか」
ハリーのその信頼が、モリスの胸に喜びを満たすのを忠臣はじっと感じ入った。
ベリオはまた頭を書きながら進言をした。
「これは、アリテ殿の案なのですが……。
といっても、アリテ殿は、ザルマータの内政に関しては、静観すべしという態度なので、もしリバエル国として何かできることがあるならという、もしもの話です」
「ほう、なんだ?」
「今年の初め、兵務局で管轄している火器製造部で改良を進めていた猟銃が完成いたしました。
この出来がかなりのものでございまして、今年の狩猟大会は大変盛り上がるだろうと、今から男たちは白熱しております。
ここに、ドレイク皇太子をお招きして、その際に、ザルマータの内政についてくぎを刺すというのはいかがなものかと……」
「なるほど!」
ハリーは身を前に起こして、その案を歓迎した。
「さすが、アリテだな。さっそく、帰ったら兄上に相談しよう!」
モリスにも、この案はなかなか有効なものに思えた。
しかし、ここでサラとシーラの狂言をハリーに伝えることはできないことは、ほぼ確実となった。
リバエル国がサラが事件の記憶を持っていると明らかな状態で、ザルマータに内政の件について進言するようなことがあれば、サラを盾にして、なにか取引を持ち掛けると思われてもおかしくはない。
サラが重要な証言をしたかしなかったかの事実にかかわりなく、そのような外交取引をにおわせる結果となるのは否めないだろう。
ハリーには知らせないほうがいい。
それなら、とモリスは口を開いた。
「ドレイク皇太子だけでなく、レイン皇太子もお誘いしたほうがいいでしょう。
レイン皇太子はサラの状態やこれまでのいきさつをご存じですし、リバエル国からの進言をというよりも、レイン皇太子の進言を我々が後押しするという形のほうが、わだかまりがないでしょうし、自然ではないでしょうか」
「うむ、確かに。その方向で考えてみよう」
一同は納得し、城に戻ってからの算段を相談した。
これでいい。
と、モリスは自分の胸で納得した。
いざこのことが外交上やり玉にあげられたとしても、サラとシーラの狂言を知っていたのは自分だけだ。
このことは、サラとシーラにも承知しておいてもらわねばならない。
モリスは一人、意思をかためた。
十日余りの汽車旅を追えて、一行は、リバエル国の三層からなる王宮の中央部、王の謁見の間にいた。
サラとシーラは、ハリーに紹介され、国賓として迎えられた。
すでに事情を知っている臣下たちは、ふたりの少女の値踏みに余念がなかったが、
国王だけは、我が弟の選んだ娘がいかなる娘かをただ暖かな目でその誠を見極めようとしていた。
「緊張したわ……。シーラ、私、王様にあったのよ」
「わたくしもです、サラ様……」
挨拶は滞りなかったが、それでもサラとシーラにはなれない場と空気だったには違いない。
「サラ、シーラ。明日は、私がこの町を紹介しよう。
それに、三日後には真珠会があるし、そのあとには青薔薇会も。
これから楽しいことが盛りだくさんだ」
ハリーの誘いに、サラとシーラは緊張を忘れて笑顔になった。
ザルマータ国へ戻るまでのひと時、ふたりにとってこの国での生活は、戦いの小休止なのだ。
翌日、ハリーは王宮の紋章のついた馬車で、サラとシーラを連れて、町の各所を巡った。
リベル国は王宮を中心に東西南北に放射線状に区画が分かれ、その流麗な街並みは大陸でも有数とされている。
その一方で、区画が整っているというのは、それだけ町が火災で焼けては再生し、焼けては再生した結果であった。
大きな火災があるたびに、リベル王都は不死鳥のように美しく生まれ変わる。
それは町の民の心意気の表す言葉となっていた。
ハリーの帰国とその客について、そして、町中のくまなくをサラに案内する勢いでハリーがサラを連れまわしていることは、町でも社交界でもうわさはあっという間に広まった。
その中でも、うわさに最も苛烈に反応したのは、いうまでもなく、王弟妃の座を狙う若き貴婦人たちであった。
モリスの二人の姉妹やベリオの姪のみならず、サラに嫉妬心を燃やすもの、羨望を口にするだけで別の男性の手紙を読むもの、ハリーへの思いをさまざまに抱えた娘たちは数知れず。
そのなかでとかく、うわさ話の引き合いに出される娘の名前があった。
ロイス・テールハーン。
バイス・テールハーン大臣の娘で、ハリーとは幼馴染であった。
ジニエル国王のテールハーン大臣への信頼も深く、ロイスという娘は才色共にどこへ出しても恥ずかしくない娘と評判で、下馬評ではロイスがハリー王弟殿下の妃争奪戦の第一位とささやかれていた。
このロイスの心境はいかほどかはかりしれないとしても、真珠会に来るであろうサラを一目見てやろう、あわよくば、気を阻害てやろうという娘たちは今まさに、獲物を待つ猛獣のように、字に書いてごとく爪を研いでいるのであった。
そうした間も、ハリーはサラの体調には終始気遣いを見せていた。
定期的な診察には宮廷の侍医とともにサラを訪ね、献身的に寄り添う姿があった。
「見立てはどうだ、マリク侍医」
「はい。頭痛があるようですが、それ以外はほぼ問題ないでしょう。
傷もきれいにふさがっておりますし」
「そうか、よかった。
サラ、いいとはいっても、無理はせぬようにな」
「はい、ハリー様。
ありがとうございます」
記憶喪失の治療について、侍医と侍医が呼んだ専門医とで相談する折があったが、もう少し様子を見たいというシーラに対して、専門医も時間をかけたほうがいいとの意見だったため、催眠治療などの積極的な治療は見送られた。
また、治療の方針にはザルマータ国の許可を受けるべきだという政治的な配慮もあった。
ハリーはさほど焦った様子もなく、ただ相変わらず温かにサラを見守る様子で、サラもシーラもハリーに対する親しみをより深めることになった。
サラは無邪気ににハリーを慕う演技を続けていたが、騙していることに気後れするということをシーラとモリスにこぼすこともあった。
「ハリー様って、とってもいい方ね。
いつも明るくて優しくて、温かいわ。
このまま本当のことを言わずにいるのが心苦しい。
ねぇモリス、記憶を失っていないということを、どうしてもハリー様には話してはいけないの?」
「狩猟大会までは辛抱してほしい。
国家間のわだかまりになるような可能性はできるだけ避けたい」
シーラは別の心配をしている。
サラの身に起こった出来事も、新聞などではリバエル国民に知られており、ハリーの献身的な振るまいがしられると同時に、サラへの愛情の確かさは宮廷でも噂となり、サラとシーラのみみに入ってくることがたびたびあった。
「ハリー様は、サラ様を王弟妃にお望みだという噂は本当なのですか?
サラ様の記憶によれば、会ったのはただの一度だけだということです。
そこまで思い込みの激しい方には見えませんが」
「そうよね。
ハリー様のような方なら、いくらだって素敵な方がいらっしゃるでしょうに、どうしてかしら。
気のない方に、まるで気のあるそぶりをするようで、とても気が引けるのよ」
この件に関しては黙すモリスであった。
ハリーの口から直接言うことであって、モリスが計らうことではなかった。
「はあ……。本当のことをお伝えしたら、きっとお怒りになるわよね。
私たちにとっては、復讐のために仕方のないことだけど、ハリー様にはなんの関わりもないことだもの。
今からそのことを思うと憂鬱だわ。いい人をだますって、本当に嫌なものよ」
そして、その真珠会当日が来た。
リバエル国の真珠会というのは、このような催しである。
リバエル国海岸沿いで収穫された真珠貝のなかで、今年最もすぐれた真珠が決定され、競りによってその値段がつくというものである
また、同時に、海の幸に感謝する祈りの会でもあり、その日は王宮の一部が民にも開放され、海の幸をともに分かち合い、楽しく過ごすというものだ。
また、同時に、海難の不幸によって命を落とした者とその遺族のために、見舞金が振舞われる。
この見舞金は、会の目玉でもある海岸デートチャリティーオークションであつまった資金の全額があてられる。
海岸デートチャリティーオークション、というのはつまり、意中の男性とデートできる権利を、女性たちが競り合うというものである。
このイベントは、一年のうちで唯一一度だけ、女性が公正明大に、己の心を示すことができるというわけだった。
「母上、ノエル姉さま、マチルちゃん、ちょっと落ち着いてください!」
ベンジーはずいずいと人を押しのけていく母と、姉と妹のあとを追いかけていた。
「ベンジー、いいわね。
ノエルとマチルが必ず競りに勝てるように祈っててちょうだい!」
「母上……」
いつもはしとやかな母が、この日ばかりは我を失ったように興奮するのを、ベンジーはここ数年でようやく慣れた気がするのだった。
「お兄様!
置いていきますわよ!」
マチルまで、その勢いに相乗している。
「はいはい……」
王宮の大広間には、最高品質の真珠がずらりと並べられ、すでに人々の目を大いに楽しませている。
そして、その真珠に引けを取らない美しい装いに身を包んだ娘たちが、うわさの的の登場を今か今かと待ち望んでいる。
「はっ、お見えになったわよ!」
誰かのささやきに、広間中の眼がその一点に集まった。
その先には、ハリーの腕にてをやったサラと、その後ろにモリスの腕に手をやるシーラがいた。
つつがない挨拶がくり返されながらも、そこかしことささやかれる声。
「あら、どっちがサラ嬢?」
「ばかね、ハリー様の隣にいるほうに決まってるじゃない」
「でも、あの二人、ドレス以外はそっくりだわ。
姉妹なの?」
「姉妹じゃなくて、侶婦(レディスコンパニオン)だそうよ」
「ああ、ひどい!
モリス様までご一緒だなんて!」
「あなた、モリス様をお慕いしてたの?」
「だって、あの方、顔だけは素敵じゃない」
「ねえ、ご存じ?
コンパニオンだなんて嘘よ。
あの娘、タルテン国のただの農家の娘だそうよ」
「まあっ、ただの侍女じゃないの」
「そんな身分で、よくここへ顔を出せたものだわ」
「サラ様はザルマータの辺境でお育ちですもの。
きっと、侍女に格別の思いやりをお示しになったのかしらね」
さきほどからハリーのところには、サラを一目見るために、挨拶に訪れるものがひっきりなしに続いている。
サラは覚えきれるはずもない顔と名前の羅列にうんざりし始めていた。
そして、じろじろと値踏みされるのにも。
真珠会だというのに真珠を陳列しているテーブルなど、人で隠れて見えやしない。
「おもったより普通じゃないの」
「あの程度だったら、わたくしと変わらないと思うわ」
「ロイス様のほうが数段美人だわ」
「その通りね」
「ロイス様の地位はゆるぎないわね」
「だけど、どうかしら」
「あっ、ねえ、ロイス様が挨拶されるわよ」
ハリーの前に、母親とともにロイス・テールハーンが挨拶にやってきた。
「これはテールハーン夫人、ロイス。
真珠はもう御覧になりましたか?」
「はい、ハリー様。
今年の真珠はどれも粒が大きくて、とても素晴らしいですわ」
夫人はロイスに目配せした。
「ハ、ハリー様……。
わたくしにも、ザルマータからのかわいいお客様をどうぞご紹介いただけませんか?」
「こちらは、サラ・マリ―ブラン嬢。
サラ、こちらは、ロイス・テールハーン嬢。
私の幼馴染だ」
「初めまして。
お会いできて光栄です」
サラは先ほどからこの言葉しかしゃべっていない。
「あの、サラ様」
ロイスは少し緊張しながらサラを見つめた。
「あの、よろしかったら、ご一緒に真珠をご覧になりませんか?
ザルマータ国でもすばらしい真珠が取れると思いますけれど、リバエルではときどき金色の真珠が取れますの。
今日は、その金色の真珠も並んでますのよ」
今日はじめて親交を誘われたサラだった。
サラがハリーを見上げると、ハリーはにっこりとうなづいた。
「ええ、ぜひ」
その様子を見て、広間の好奇心の目は、ロイスがサラを組しにかかるところをじっと見つめていた。
「これが金色の真珠です。
サラ様の髪に、このイヤリング似合いそうですわね」
ロイスの言葉をうけて、ハリーがサラにすすめた。
「当ててみては?」
サラはひょいとイヤリングをつまみ上げると、シーラの耳たぶに当てた。
「本当、似合いそう!」
サラとシーラはくすりと微笑みあった。
互いの髪と目の色、そして顔立ちや体格がそっくりな自分たちは、服を選ぶ時も帽子を選ぶ時も、互いに当てるのが当たり前なのだ。
サラに似合うものはシーラに似合うし、シーラに似合うものはサラに似合うのは、ふたりにとっては当たり前のことだった。
だが、そのことを知らない周りの者たちは、微妙な空気になった。
サラに似合いそうといった真珠を、コンパニオンとはいえ、農民の娘にあてて似合うといったのは、まるで、ロイスの見立てが自分にはその程度だと、暗にそう言っているようにも見えたからだ。
侶婦(レディスコンパニオン)は、貴族の婦女子に仕える職業婦人だが本人もまた貴族である。
それに引き換え、侍女はそれにあたらない。
サラはシーラの身分にかかわらず、シーラをコンパニオン以上の存在として認識しており、シーラはゼルビアでもマリーブラン家でも、実際そのコンパニオンと使用人と両方の役目を進んで担ってきたところがある。
それに最もふさわしい役名をつけるのなら、それはやはり家族に近い。
しかも、シーラはサラの身代わりとして暮らした五年間は、事実上貴族のお嬢様として暮らしていたため、その立ち振る舞いにはなんら劣るところはなかった。
むしろ、サラのほうがくだけたふるまいをすることがあるくらいだ。
だか、そのような事情を知らないリバエル貴族たちは、シーラはサラのお気に入りの侍女で、たまたまコンパニオンのような扱いされているだけだというほかにはなにも知りようがない。
事情を知っているハリーはそのことは当然気にもとめるようすはなく、サラとシーラを見ていった。
「この真珠は私が競り落として、プレゼントしよう」
「ありがとう、ハリー様。
シーラと一緒に大事に使うわ。
素敵な真珠をご紹介してくださって、ありがとう、ロイス様」
そこでようやく、ロイスにも安堵が漏れた。
ロイスはあらためて微笑みを作ってサラに話しかけた。
「サラ様はシーラさんと、とても仲がよろしいんですわね」
「そうなの。
私たち、いつも一緒にドレスを選ぶのよ。
私たち、そっくりだから」
そんな話をしていると、真珠の競りが始まった。
次々と真珠の宝飾品に高値がつけられ、
金色の真珠のイヤリングはハリーが言った通り、競り落としてサラの耳にプレゼントされた。
そして次にチャリティーオークションが始まった。
大広間の一か所にはステージがあり、そこには有志の独身男性が次々と登壇した。
「ああっ、いつもならハリー様もご登壇くださるのに」
「今年はハリー様の競りに参加することもできないの?」
「今年こそはと思っていたのに」
オークションは次々と競っては落とされていく。
登壇した最後の男性が競り落とした女性と腕を組んで降りていった後、進行役を務めていた男性が手を挙げて、これまでの金額を発表した。
「みなさまに、ただいままでで集まったチャリティーの総額をお知らせいたしましたが、残念ながら、目標額までにはまだ手が届いておりません。
そこで、毎年高額な落札額をもたらしてくださる方をこの壇上にお呼びしたいのですが、皆様いかがでしょうか?
ハリー王弟殿下、どうか、ご登壇いただけないでしょうか?」
大広間は、わっと一気に盛り上がった。
「まいったな……」
サラとシーラは無邪気に、いって、いってと勧めた。
ハリーが壇上に挙がると、会場から熱い拍手が送られた。
「それでは、金貨一枚から始めますか?
多いですか?
少ない?
では、金貨五枚からスタートです!」
競りはあっという間に白熱した。
その中には当然、ベンジーの姉妹ノエルとマチルもおり、ベリオの姪サスラもいた。
ロイスも当然つぎつぎと駆け足に釣り挙がっていく金額を追って扇子を高く上げている。
サラとシーラはふいに、モリスがじりじりとしているのに気がついた。
「どうしたの、モリス?」
「いや……、毎年この競りに私も参加できればといつも思っているのだが……、残念だ」
サラとシーラは顔を見合わせて笑ってしまった。
「五十六枚!」
「五十七枚!」
「五十八枚!」
競りは三人にまで絞られていた。
ベンジーの姉と妹、そしてロイスだった。
「いつもこの三人が残るんだ。
あっちの二人は、モリスの姉妹」
モリスがサラとシーラにそういっている場所のすぐ前では、ロイスが母親と相談しながら競りを続けている。
それをしばらく見ていたサラは、シーラにいった。
「ロイス様のほうが不利ね……」
「そうですね。
ご姉妹ならば、あちらは二人の金額を合計すれば、すごい額になります。
別に、三人でデートしたってかまわないのなら」
その言葉が耳に入ったのか、ロイスの母親が鬼気迫る表情でこちらを見た。
次の瞬間、母親はロイスに耳打ちをし、ロイスは驚きながらも、すばやく扇子をあげた。
「百枚!」
どよっと会場が揺れた。
「ひゃ……、百……百が出ました!
百一はありますか、百一……、では、金貨百枚で、ロイス・テールハーン嬢、落札です!
すごい額が出ました、これまでのチャリティーオークション史上最も高額の落札額となりました!
ロイス・テールハーン嬢に、皆様拍手を!」
大広間には拍手が響き渡った。
ロイスは顔を真赤に染めていた。
ハリーが戻ってきて、ふたりが腕を組むと、ロイスはますます恥ずかしそうに下をむいた。
サラが拍手を送る姿を、周りの者たちは不思議そうに眺めていたが、当の本人にはその気はないことを知る由もないのだから、
いたしかたのないことだった。
そこへ、ベンジーがやってきた、というより、ノエルとマチルにひきずられるようにしてやってきた。
「ベンジー、早く、紹介してちょうだい!」
「はいはい……。
ええと、サラ様、こちらは僕の姉のノエル。
こちらは妹のマチルです」
サラはきょとんとした。
はっとしたベンジーがモリスをみた。
モリスが紹介をやり直した。
「サラ様、彼は私の後輩のベンジー・ゴートルードです。
そして姉君のノエル様。
妹君のマチル様。
そして、こちらがサラ・マリ―ブラン様と、シーラ・クリットです」
ベンジーは、あは、とごまかしの笑みを浮かべた。
「初めまして、サラ様」
サラは記憶を失ってから、まだベンジーにあったことがないのだ。
だから、ベンジーのことは初対面だということになっている。
サラもようやく微笑みを返した。
「はじめまして。
お会いできて光栄です」
そして、先ほどまで競り合っていた三人がハリーを中心に顔を合わせたのである。
「ロイス様、思い切りのいいことでしたわ。
完敗いたしました」
ノエルがハリーに目配せするのを忘れずに、いかにもがっくりというふうに言った。
マチルも続けて扇子で顔を仰ぎながら、ハリーに視線を送った。
「おうらやましいですわ」
ノエルとマチルは姉妹でありながらそれぞれの個性を強く持っていた。
ノエルはつんとした細面で、スレンダーな体にぴったりと合ったサテンのドレスがよく似合い、自分の美しさを十分に自覚していた。
マチルはややふっくらとした丸顔で、たっぷりとしたレースとリボンのかわいらしいドレスがまたよく似合う。
どちらも、ロイスに引けを取らない美しさと華やかさがあった。
ロイスはハリーの隣で頬を染めながら、ぽそぽそといった。
「あ、ええ……。
その、シーラさんが……、三人のデートで構わないなら、二人分の金額を合計すればいいというものですから。
わたくし、負けじとつい大きく張ってしまって……」
「ええっ……」
ノエルとマチルが同時にシーラを見た。
シーラはぎょっとした。
ふたりの形相が、あらかさまにシーラにいら立ちどころか強い怒りをにじませていたからだ。
しかしすぐにノエルが取り繕ったような猫なで声になった。
「そうでしたの……。
サラ様はなかなか賢いお伴をお連れですわね。
わたしたちにもこんな侍女がいたら、今回の競りにきっと勝てましたのに」
すると、ところかしこでくすくす笑いが起こった。
貴族然としているシーラに、身分の差を突き付けたノエルの言葉が、やりばのない嫉妬や羨望に鬱屈していた娘たちを刺激したようだ。
それに気をよくしたノエルとマチルは視線を交し合った。
「ほんとうですわね、お姉さま。
そうだわ、このシーラって子をサラ様から譲っていただきましょうよ」
「それはいいわね、マチル。
サラ様、わたくしたちに譲っていただけませんか?
お金はいくらでも言い値で結構ですわ。
だって、競りに負けてしまったからお金が余っているんですもの」
取り囲むような笑い声がサラとシーラをざわざわと包んだ。
リバエルの娘たちは、笑い声をあげることで、ハリーの取り巻きにすらなれないわが身を慰め、
すこしでもこの異国の娘たちに恥をかかせることで、うさを晴らしたいとおもったのだ。
ハリーはこのようにながれてしまった空気を止めることができなかったことを悔やんだが、こんな状況を予想しなかったわけではなかった。
声を上げようと口を開きかけたそのときだ。
「わたしたちは、笑われているの?」
サラははっきりとした声でいった。
マチルがふわふわと扇子を振った。
「いいえ、サラ様のことではありませんわ。
そのすこしばかり出過ぎている侍女のことを、みなさんかわいそうだと思っているだけですわ」
サラはノエルを見据えた。
「わたしは少しも面白くないわ。
ここにいるシーラは、私にとって本当の姉妹以上なの。
お姉さんのことを笑われだらどう?
妹さんをお金で譲ってくれと言われたらどんな気がする?」
サラの言葉に、あたりが静まり返った。
サラはシーラに手を伸ばすと、即座にシーラもその手を取った。
「私たち、これで失礼します」
モリスは二人を出口に案内した。
「失礼」
ハリーはロイスに詫びを入れ、すぐそのあとを追った。
廊下へ出たところで、サラとシーラは互いにしっかりと抱き合っていた
「わたくしは気にしていません、サラ様」
「私だって気にしないわ、あんな失礼な人」
サラはそういいながらも、シーラを離そうとはしない。
ハリーとモリスがその様子を見守っていると、大広間からベンジーが駆けてやってきた。
「あの……僕の姉と妹が、失礼をしました……」
サラとシーラは抱き合ったまま、モリスを見た。
「あの、いつもはあんなことを言う二人じゃないんです。
きっと、競りに負けて気が立っていたからだと思うんです……。
本当に申し訳ありません」
ベンジーはまったくなぜこんなことになったのかわからなかった。
普段のノエルとマチルは、ただただ一緒にドレスを選んだり、鏡の前で髪型を試し合ったり、ピアノの連弾や歌の輪唱などをして、それは花のように、蝶のようにかわいくて優雅な姉妹なのだ。
それが今日はどうしたことか、あのようなことを口にするとは。
ハリーが代わりに応えた。
「このようなことは想定していた。
それがたまたまあの二人だったというだけだ。
あとのことは俺に任せてくれ」
困り顔のベンジーを置いて、ハリーとモリスはサラとシーラを部屋に連れて帰った。
今日はもう二人でいたいというので、ハリーはすぐに部屋を出ることになった。
部屋の外まで送るモリスに、ハリーはため息をつく。
「ああなる前に、止められれば良かったのだが……。
ザルマータに帰ると言い出したりはしないだろうか」
「それはどうでしょうね……」
「様子を知らせてくれるか」
「はい、わかりました」
ハリーが去るのを見送った後、モリスが部屋に入ると、ふたりはちょうど向き合って話し合いをしていた。
「だって、今までそうしなかったのがおかしいくらいだわ」
「そんなこと、できっこありません。
それに、そんなことにしていただかなくても、私はサラ様のおそばを離れたりしません」
「今度は何の話をしている?」
モリスが割って入ると、サラは立ち上がった。
「シーラを私の本当の姉妹にするの。
叔父さまに手紙を書くわ。
それに、クリット家にも」
サラは今回のことがかなり頭にきたらしい。
「どうして見ず知らずの人に、シーラを譲ってくれなんて言われなきゃいけないの?
本当の姉妹だったらあんなこと言われたりしないのに。
私はシーラとずっと一緒にいたいわ。
ずっと本当の姉妹のように一緒にいたいの。
だから、それを本当にするだけよ」
「わたくしもおんなじ気持ちです。
サラ様のそのお気持ちだけで十分です」
「十分じゃないって今日初めて分かったのよ!
今日から、シーラは私の本当の姉妹よ。
だから、その敬語もやめて。
私の世話は一切しないで。
全部使用人にやらせるの。
シーラの世話も全部よ」
「サラ様……」
モリスは興奮するサラに静かな視線を送った。
「シーラをが本当の姉妹になるというのなら、シーラもファースラン殿の遺産を引き継ぎ、そしてサラと同じようにその遺産を狙われてもおかしくない立場に置かれるということだな」
そこでサラはようやくはっとした。
「いまだ真犯人が捕まっていない状況で、それはシーラにとって得か? 損か?
冷静に考えてみろ」
サラはしばらく立ち尽くした後、シーラのそばへ行き、シーラを抱きしめた。
「なら、すべてが終わった後よ。
だって、私今日初めて気づいたの。
今日みたいな社交界で、誰かがシーラを見初めて、お嫁にくださいって言ってくる日が来るんだわ。
姉妹ならそれでも交流を続けられるでしょうけど、ただの主人と使用人だったら?
シーラと私の縁はそれで切れてしまうじゃないの」
「わかりました。私はお嫁に行きません。
ずっと、シーラ様のおそばにいると約束します」
「そんなの無理よ。
だって、シーラに好きな人ができたらどうするの?
わたし、それを邪魔なんてできない」
「わたくしにサラ様以上に好きな方ができると思いますか?」
「それは」
サラにはわからなかった。
その代わりに、モリスが二人に向かっていった。
「シーラ、それはまたお前が恋を知らないからだ。
サラはいずれ誰かに恋をするだろう。
そして、シーラもだ」
シーラは以外すぎるモリスの言葉に反論した。
「まさか、モリス様からそんな言葉を聞くとは思いませんでした。
モリス様はわたくしと同じ、主人への愛のみに生きる方だと思っていましたのに」
「私だって、恋ぐらいする」
「まさか」
そういえば、とサラは思い出した。
「たしか、私を月夜の君と言ってたわよね。あのこと?」
「はあっ? 違う!」
モリスは思わず、そしてなぜか全力で否定してしまった。
モリスの過剰な反応はサラとシーラを驚少々かせたが、深堀りもせずに二人は次の話題を始めた。
狩猟大会が終わるまでは、と思っていた。
モリスがハリーに、サラが記憶を失っていなかったということと話すことは、そのほうが無難だろうと思ったのだが、はたして、それが本心だろうか、とも思うモリスだった。
確かに、モリスはサラとシーラがマルーセルへの復讐を計画していることを知らされ、しかもその協力者として二人に請われ求められて今に至る。
その優位な立場を保っていたいがために、ハリーに真実をつたえないことを決めているのではなかろうか。
まさか、と言いながら、絶対に、と言い切れない自分がいることを、モリスは気がついていた。
そのバランスの中で、モリスがサラに思いを打ち上げるのは不公平というものだ。
いやしかし、そう言い訳をして、サラに拒否されるのを恐れている自分もまた確かにいる。
今は復讐に心を燃やすサラに、余計なことで悩ませたくない気もする。
ハリーと何かを競い合うことは初めてではない。
士官学校で馬術や剣術、銃術や兵法など、とかく学校では競い合わせる。
馬術ではハリーが上、銃術ではモリスが上、兵法はベンジーが得意だった。
拮抗していたのは剣術で、勝ったり負けたりを繰り返したが、それでなにか気まずい思いなどになったためしはない。
ハリーはいつも勝っても負けても気持ちよく笑って健闘を称えあう男だ。
だが、サラのことに関して、果たしてどちらが勝っても健闘を称えあうことなどできるのだろうか。
いっそ、ハリーに譲るということも考えた。
だが、それができたとして、モリスは今まで通りの忠誠心をもってハリーに使え続けることができるだろうか。
それを考えると、譲るという選択肢はありえなかった。
モリスはそんなふうに今思いを打ち明けるべきではない理由を連ねている。
それが自分でも言い訳がましいとわかっているから、さきほどのように過敏な反応をしてしまったのだろうと内省する。
「そうだわ……。
考えてみたら、シーラはゼルビアから出たことがなかったんだもの、今まで誰も気になるような人がいなくても当然よ。
だって、あの町には、お屋敷は一つだけだったんだもの。
町のみんなだって、家族みたいだったじゃない」
「それはそうかもしれませんが……。
でしたら、サラ様は素敵だなって思う殿方が今までにいらっしゃったのですか?」
モリスは体を動かすことなく、耳だけをそちらに向けていた。
「そうね、いたわ、多分。
旅の間に仲良くなった人や、助けてくれた人、時には好意を寄せてくれる人もいた。
だけど、私には目的があったし、それにね、シーラ」
「はい」
「お父様ほど素敵な人は誰もいなかったのよ」
「ああ、そうですよね……」
サラはシーラの手を取って、ふたりは並んでベッドに腰かけた。
「でもね、シーラ。
やっぱり、私たちはきっと恋をするんだわ。
だって、マハリクマリックのおじさんだって、最後は娘と結婚するのよ」
「ああ、そうですけれど。
わたくし、サラ様がどこのだれともしれない殿方のものになるのを想像しただけで、悲しくて泣けてきます。
きっと、わたくしのことなんて、二の次三の次になってしまうのが瞼に浮かびます」
「まあ、それをいうなら、わたしだってそうよ。
シーラがいなくなったら、一体誰とおしゃべりすればいいのかわからない。
五年ぶり会えたからこそ、本当にそうだと分かったわ。
私たちははなれていたときもいつもおしゃべりをしていたのよ。
そうでしょ?」
「はい、私も、いつもサラ様ならなんというか、なにをするか、どんなふうに笑うか。
そればかり考えていました」
「ああ、わたしたち、やっぱり恋はしないのかも。
それとも、男性に興味が持てないのかしら。
シーラよりも誰かを大切に思うことなんてあるのかしら?
いっそシーラと結婚できればいいのに!」
「わたくしもわたくしの手でサラ様を幸せにして差し上げられるなら、そういたしますのに」
モリスはひとり、ため息をついていた。
サラとシーラを引き離さない限り、思いを伝えるのは無理だと思ったモリスであった。
隣同士の一等室には、ハリー一行と、サラ一行が乗っている。
サラの車室にはいつものようにシーラとモリスが、ハリーの車室にはケインとベリオとアリテがついている。
さらに、その車室の前の廊下には兵士が二人立ち、二時間ごと四人の兵たちが交代して監視にあたっている。
サラの部屋のドアがノックされた。
「ハリー様」
「入ってもいいかい」
「どうぞ」
モリスが席を開け、ハリーはサラの前の席に座った。
しかし、サラはシーラの胸に体を預け、うとうととしていた。
「サラ様、ハリー様がおいでです」
シーラが呼びかけたが、サラは起き上がろうとせず、シーラの腕の中に顔をうずめてしまった。
「申し訳ありません、ハリー様。
昨日、サラ様は寝付けなかったのです。
今日をとても楽しみにしていたものですから」
「そうだったか、悪い所へ来てしまったな」
シーラの説明にハリーはなんの疑いも持たなかったが、モリスはサラがさっきまた鎮痛剤を飲んだことを知っている。
汽車の揺れが、思った以上に頭に響くらしい。
「出直したほうがよさそうだ」
ハリーは気を悪くすることもなく、静かに部屋を後にした。
みると、サラはすうすうと寝息を立てていた。
「私が運ぼう」
モリスはシーラからサラを預かると、奥のベッドルームへ連れて行き、ベッドに寝かせた。
こうして寝顔を見ていると、記憶を失った幼いサラの姿がよぎる。
その一方で、法務局で血を流し気を失ったサラの姿も。
サラが眠るとき、このまま目が覚めないのではないか、とふと怖くなる。
「モリス様、穴が開くほどサラ様を見つめないでください。
モリス様のジャケットにわたくしの嫉妬で焦げた穴をあけてしまいそうですから」
モリスは苦笑してその場をシーラに譲った。
「シーラは本当にサラのことが好きだな」
「モリス様だってそうじゃありませんか。
先ほどハリー様が見えたとき、目がきらきらに輝いていらっしゃいましたよ」
「私たちは似てるな」
「主人への忠誠に関しては、わたくしも同感です」
汽車の旅は長い。
その間、モリスはサラとシーラから二人が知っていることのすべてを聞かされた。
特に、サラがジュリアンに捕らえられてからのことがわかると、火事から始まりサラ救出までの一連のあらましがなおいっそう鮮やかに浮かび上がった。
サラ救出のあの日、モリスはサラを屋敷に連れ帰った後、約束通り懸賞金をカインに届けさせた。
この役目はカインの顔を知るケインが担った。
ケインによると、カインはそくざに少女たちのそれぞれ国へ向かう馬車に乗せた。
言葉の不自由なイエニアには、イエニア出身の渡り者を連れに付き添わせた。
それぞれの娘は、無事家に帰りついたら、カインに知らせる手はずになっているそうだ。
「その、カインっていう人に、ちゃんと手紙が来たか確認しなくちゃね」
サラの言葉に、モリスは疑問を感じた。
「ていう人、というのは……。
マリ―ブラン家まで一緒だったのだろう?」
「そうなんだけど、あまりその人のことを覚えていないの。
その時は、三人の女の子たちに懸賞金をわたすことで頭がいっぱいで頭も痛くて他何も考えられなくて。
歩くだけで必死だったから。
思い出そうとすると、頭が痛くなる」
「そうだったのか。
監禁されていたお前を、あの男は歩かせたのか?」
「仕方なかったと思うわ。
もし背負われていたら、私は多分眠ってしまっただろうし、あの人は貴族が嫌いでどうしても関わりたくなかったのよ」
「そういえばそうだったな。
……まあ、これだけ腐敗したザルマータ貴族社会に、嫌気を覚える民がいてもおかしくはない」
「とにかく、そのカインという方がいてくれてほんとうによかったです。
わたしは感謝しかありません」
「そうね、命の恩人ね」
「それを言うなら、私のほうがその名にふさわしいと思うぞ」
サラとシーラは笑った。
三人の持つ情報に差がなくなったある日のことだ。
モリスは二人に向かって、ハリーの部屋に行ってくると伝えた。
「私たちのことを話すのね?」
「いや、それはまだ。しかし、今後のことをハリー様がどう考えているかをきかせてただかねばならない。それいかんだと考えている」
「モリスの思うようにして。でも」
「ん?」
ドアに手をかけたモリスが振り向いた。
サラとシーラは二人で顔を見合わせた。
「そんなにうれしそうな顔をしていくなら、言えないわ」
「えっ?」
モリスは自分の顔をなでた。
「な、なんだ、そんな顔していたか?」
「うん、ねえ?」
「はい、とても」
「それは、仕方ないろう。私はずっとハリー様の忠臣でもこれからもそうなのだから。それで、なんだ?」
「別にいいのよ」
「そこまで言っておいて。私たちに隠し事はなしのはずだろ?」
サラが目くばせすると、シーラはポケットから小さな箱を取り出した。
「さっき車内販売でトランプを買ったから、できるだけ早く帰ってきてねって言おうとしたの」
モリスはため息をついて部屋を後にした。
「モリスです」
「入れ」
モリスが入ると、ケインが椅子を譲ってくれた。
恐縮を表すと、ケインはかまわないというようにしぐさした。
「ハリー様がこの後どのようなご予定でいらっしゃるのか、私も聞いておく必要があると思いまして」
「そうだな、詳しいことはリベルに戻ってからだが、まずは王宮にサラ嬢とシーラの部屋を用意しよう。
それから、記憶障害の治療にたけた医者を手配する。
サラ嬢はまだ自分が記憶を失っていることに気がついていないのだったな。
では、そのような場合はどのような治療が好ましいかも、医者と相談しよう」
「さようですね」
「だが、その前に……」
「はい」
「リベルの町を案内したいのだ。
王宮と王宮庭園、それに美術館に大学も。町を馬車で回って、美しい都を見せたい。天上水路と、もちろん消防車も見せよう。
シーラ・パンプキンソンとして歩いた場所を見てなにか思い出すきっかけになるかもしれない。そしてなによりもさきに、兄上に会わせたいのだ。それが、なにより、一番先だ」
ハリーはにこやかにこれからの予定について話した。
モリスはその姿をほれぼれと眺め、久しぶりに酔いしれていた。
離れていた時間がこうも思いを募らせるとは。
「どうした、モリス?」
「いえ、久しぶりにその晴れやかなご尊顔を拝めましたことに、感動していたところです」
「そうか。俺は、お前のことがうっとうしいがな」
「えっ!」
モリスはいきなり天から地へ落されたような悲痛な面持ちを浮かべた。
ハリーはすぐに、あはははと笑う。
「だって、当たり前だろう。
好きな女性のそばに、その女性のことを愛している男がいつもそばにいることを想像してみろ。
自分がそうさせたとはいえ、おもしろいわけがない」
「そ、それはそうですが……。
私は、ハリー様に顔向けできぬようなことはなにもしていないつもりですが……。
でも、今のお言葉は、つまり……」
「ああ、俺はサラ嬢を妻に迎える。心を決めた。兄上にもそう話すつもりだ」
ハリーの輝くようなまっすぐな瞳を、モリスは正面に受けた。
「どうした? まさかいまさら俺に譲るつもりだなんていうお前ではあるまい」
「それは……。ただ、今、急におっしゃられたので、答えに難しております……」
「おれはずっと考えていた。お前が俺にいらだちをぶつけたあの日から」
「あの時は……」
「お前が言ってくれたからこそ、私にははじめてわかった。
私のように、なにもかもが初めから、何の不便もないように、すべてが用意されている者は少ないのだ。
むしろ普通は、誰もが皆、日々己の暮らしや思いのために、なにかを求めて暮らしている。
シーラ・パンプキンソンは、私が初めて求めた、なにかだった。
それが、この前サラ嬢に会ったときにわかった。
俺はサラが好きだ。
彼女の背景にあるもの、彼女が愛しているもの、好きなもの、彼女が失ったもの、失った記憶もすべて。
そのすべてが好きだ。
サラが持っている、物語が好きだ。
俺は、その物語を、これから共に歩みたい。
サラと、一生をかけて」
ハリーの瞳に迷いはない。
ハリーもまた、自らの心のわずかな機微を見つめ、そして自分の人生の舵を切ろうとしているのだ。
「だから、悪いがお前にサラを渡すつもりはない。それと、ケインにもな」
モリスは驚いたようにケインを見た。
ケインは肩をわずかに上下した。
「僕にだって、告白する権利くらいありますよ。
だいたい、サラ嬢が一番つらい時に支えたのは、この僕なんですから。
記憶が戻って、そのことを思い出せば、僕にだって可能性があると思います」
「その点で言えば、一番不利なのは俺だな。
なにせ、記憶が戻ったところで、俺が会ったのは防災大会の一度きりだ。
むしろ、もう忘れていてもおかしくないぞ。いろいろあったからな」
わはは、と笑うハリーに、ケインとベリオもつづけて笑った。
モリスはすこしばかり面食らったが、やはりつられて笑った。
ひとり大人のベリオが訳知り顔をして腕を組んだ。
「まあ、それぞれ口が何を言うのも自由ですが、つまるところは、サラ嬢の心を誰がいとめるかということですね。
いずれにしても、花嫁はまだ子どもですから、少々気の長い話です。
ですが、よろしいのですか?」
ベリオはハリーを見る。
「国王様にサラ嬢を紹介するというのは、
すなわち臣下たちに対しても、サラ嬢の立場を明らかなものにいたします。
サラ嬢はそれがわかっていないとしても、マリ―ブラン公は暗にそれを認めた形でサラ嬢を送り出しています」
「つまり?」
「サラ嬢は、我が国の若い娘たちから嫉妬と羨望の的になりますでしょうね」
「なにかまずいのか?」
ベリオは頭をかいた。
「私も女性の心理というものにはそう詳しいわけではありませんが……。
私の姪もハリー様の取り巻きの一人ですから、サラ嬢のことを知ったら、嘆き狂うだろうと思います。
しかも、リベルに着くころにはちょうど、真珠会に青薔薇の会。
狩猟大会に山河の会、収穫祭に月光祭もございます。
宮廷の催しが立て続けにございます。
まさに社交界求愛シーズン最盛の時です」
ケインはなるほどと息をついた。
「ひがみややっかみを受けないというのは無理ですね。
それがサラ嬢の安全や、あるいは治療の妨げになるようなことがなければいいのですか」
ケインの心配に、ハリーは明るく言った。
「それは大丈夫だ。
そのためにモリスがついているんじゃないか」
ハリーのその信頼が、モリスの胸に喜びを満たすのを忠臣はじっと感じ入った。
ベリオはまた頭を書きながら進言をした。
「これは、アリテ殿の案なのですが……。
といっても、アリテ殿は、ザルマータの内政に関しては、静観すべしという態度なので、もしリバエル国として何かできることがあるならという、もしもの話です」
「ほう、なんだ?」
「今年の初め、兵務局で管轄している火器製造部で改良を進めていた猟銃が完成いたしました。
この出来がかなりのものでございまして、今年の狩猟大会は大変盛り上がるだろうと、今から男たちは白熱しております。
ここに、ドレイク皇太子をお招きして、その際に、ザルマータの内政についてくぎを刺すというのはいかがなものかと……」
「なるほど!」
ハリーは身を前に起こして、その案を歓迎した。
「さすが、アリテだな。さっそく、帰ったら兄上に相談しよう!」
モリスにも、この案はなかなか有効なものに思えた。
しかし、ここでサラとシーラの狂言をハリーに伝えることはできないことは、ほぼ確実となった。
リバエル国がサラが事件の記憶を持っていると明らかな状態で、ザルマータに内政の件について進言するようなことがあれば、サラを盾にして、なにか取引を持ち掛けると思われてもおかしくはない。
サラが重要な証言をしたかしなかったかの事実にかかわりなく、そのような外交取引をにおわせる結果となるのは否めないだろう。
ハリーには知らせないほうがいい。
それなら、とモリスは口を開いた。
「ドレイク皇太子だけでなく、レイン皇太子もお誘いしたほうがいいでしょう。
レイン皇太子はサラの状態やこれまでのいきさつをご存じですし、リバエル国からの進言をというよりも、レイン皇太子の進言を我々が後押しするという形のほうが、わだかまりがないでしょうし、自然ではないでしょうか」
「うむ、確かに。その方向で考えてみよう」
一同は納得し、城に戻ってからの算段を相談した。
これでいい。
と、モリスは自分の胸で納得した。
いざこのことが外交上やり玉にあげられたとしても、サラとシーラの狂言を知っていたのは自分だけだ。
このことは、サラとシーラにも承知しておいてもらわねばならない。
モリスは一人、意思をかためた。
十日余りの汽車旅を追えて、一行は、リバエル国の三層からなる王宮の中央部、王の謁見の間にいた。
サラとシーラは、ハリーに紹介され、国賓として迎えられた。
すでに事情を知っている臣下たちは、ふたりの少女の値踏みに余念がなかったが、
国王だけは、我が弟の選んだ娘がいかなる娘かをただ暖かな目でその誠を見極めようとしていた。
「緊張したわ……。シーラ、私、王様にあったのよ」
「わたくしもです、サラ様……」
挨拶は滞りなかったが、それでもサラとシーラにはなれない場と空気だったには違いない。
「サラ、シーラ。明日は、私がこの町を紹介しよう。
それに、三日後には真珠会があるし、そのあとには青薔薇会も。
これから楽しいことが盛りだくさんだ」
ハリーの誘いに、サラとシーラは緊張を忘れて笑顔になった。
ザルマータ国へ戻るまでのひと時、ふたりにとってこの国での生活は、戦いの小休止なのだ。
翌日、ハリーは王宮の紋章のついた馬車で、サラとシーラを連れて、町の各所を巡った。
リベル国は王宮を中心に東西南北に放射線状に区画が分かれ、その流麗な街並みは大陸でも有数とされている。
その一方で、区画が整っているというのは、それだけ町が火災で焼けては再生し、焼けては再生した結果であった。
大きな火災があるたびに、リベル王都は不死鳥のように美しく生まれ変わる。
それは町の民の心意気の表す言葉となっていた。
ハリーの帰国とその客について、そして、町中のくまなくをサラに案内する勢いでハリーがサラを連れまわしていることは、町でも社交界でもうわさはあっという間に広まった。
その中でも、うわさに最も苛烈に反応したのは、いうまでもなく、王弟妃の座を狙う若き貴婦人たちであった。
モリスの二人の姉妹やベリオの姪のみならず、サラに嫉妬心を燃やすもの、羨望を口にするだけで別の男性の手紙を読むもの、ハリーへの思いをさまざまに抱えた娘たちは数知れず。
そのなかでとかく、うわさ話の引き合いに出される娘の名前があった。
ロイス・テールハーン。
バイス・テールハーン大臣の娘で、ハリーとは幼馴染であった。
ジニエル国王のテールハーン大臣への信頼も深く、ロイスという娘は才色共にどこへ出しても恥ずかしくない娘と評判で、下馬評ではロイスがハリー王弟殿下の妃争奪戦の第一位とささやかれていた。
このロイスの心境はいかほどかはかりしれないとしても、真珠会に来るであろうサラを一目見てやろう、あわよくば、気を阻害てやろうという娘たちは今まさに、獲物を待つ猛獣のように、字に書いてごとく爪を研いでいるのであった。
そうした間も、ハリーはサラの体調には終始気遣いを見せていた。
定期的な診察には宮廷の侍医とともにサラを訪ね、献身的に寄り添う姿があった。
「見立てはどうだ、マリク侍医」
「はい。頭痛があるようですが、それ以外はほぼ問題ないでしょう。
傷もきれいにふさがっておりますし」
「そうか、よかった。
サラ、いいとはいっても、無理はせぬようにな」
「はい、ハリー様。
ありがとうございます」
記憶喪失の治療について、侍医と侍医が呼んだ専門医とで相談する折があったが、もう少し様子を見たいというシーラに対して、専門医も時間をかけたほうがいいとの意見だったため、催眠治療などの積極的な治療は見送られた。
また、治療の方針にはザルマータ国の許可を受けるべきだという政治的な配慮もあった。
ハリーはさほど焦った様子もなく、ただ相変わらず温かにサラを見守る様子で、サラもシーラもハリーに対する親しみをより深めることになった。
サラは無邪気ににハリーを慕う演技を続けていたが、騙していることに気後れするということをシーラとモリスにこぼすこともあった。
「ハリー様って、とってもいい方ね。
いつも明るくて優しくて、温かいわ。
このまま本当のことを言わずにいるのが心苦しい。
ねぇモリス、記憶を失っていないということを、どうしてもハリー様には話してはいけないの?」
「狩猟大会までは辛抱してほしい。
国家間のわだかまりになるような可能性はできるだけ避けたい」
シーラは別の心配をしている。
サラの身に起こった出来事も、新聞などではリバエル国民に知られており、ハリーの献身的な振るまいがしられると同時に、サラへの愛情の確かさは宮廷でも噂となり、サラとシーラのみみに入ってくることがたびたびあった。
「ハリー様は、サラ様を王弟妃にお望みだという噂は本当なのですか?
サラ様の記憶によれば、会ったのはただの一度だけだということです。
そこまで思い込みの激しい方には見えませんが」
「そうよね。
ハリー様のような方なら、いくらだって素敵な方がいらっしゃるでしょうに、どうしてかしら。
気のない方に、まるで気のあるそぶりをするようで、とても気が引けるのよ」
この件に関しては黙すモリスであった。
ハリーの口から直接言うことであって、モリスが計らうことではなかった。
「はあ……。本当のことをお伝えしたら、きっとお怒りになるわよね。
私たちにとっては、復讐のために仕方のないことだけど、ハリー様にはなんの関わりもないことだもの。
今からそのことを思うと憂鬱だわ。いい人をだますって、本当に嫌なものよ」
そして、その真珠会当日が来た。
リバエル国の真珠会というのは、このような催しである。
リバエル国海岸沿いで収穫された真珠貝のなかで、今年最もすぐれた真珠が決定され、競りによってその値段がつくというものである
また、同時に、海の幸に感謝する祈りの会でもあり、その日は王宮の一部が民にも開放され、海の幸をともに分かち合い、楽しく過ごすというものだ。
また、同時に、海難の不幸によって命を落とした者とその遺族のために、見舞金が振舞われる。
この見舞金は、会の目玉でもある海岸デートチャリティーオークションであつまった資金の全額があてられる。
海岸デートチャリティーオークション、というのはつまり、意中の男性とデートできる権利を、女性たちが競り合うというものである。
このイベントは、一年のうちで唯一一度だけ、女性が公正明大に、己の心を示すことができるというわけだった。
「母上、ノエル姉さま、マチルちゃん、ちょっと落ち着いてください!」
ベンジーはずいずいと人を押しのけていく母と、姉と妹のあとを追いかけていた。
「ベンジー、いいわね。
ノエルとマチルが必ず競りに勝てるように祈っててちょうだい!」
「母上……」
いつもはしとやかな母が、この日ばかりは我を失ったように興奮するのを、ベンジーはここ数年でようやく慣れた気がするのだった。
「お兄様!
置いていきますわよ!」
マチルまで、その勢いに相乗している。
「はいはい……」
王宮の大広間には、最高品質の真珠がずらりと並べられ、すでに人々の目を大いに楽しませている。
そして、その真珠に引けを取らない美しい装いに身を包んだ娘たちが、うわさの的の登場を今か今かと待ち望んでいる。
「はっ、お見えになったわよ!」
誰かのささやきに、広間中の眼がその一点に集まった。
その先には、ハリーの腕にてをやったサラと、その後ろにモリスの腕に手をやるシーラがいた。
つつがない挨拶がくり返されながらも、そこかしことささやかれる声。
「あら、どっちがサラ嬢?」
「ばかね、ハリー様の隣にいるほうに決まってるじゃない」
「でも、あの二人、ドレス以外はそっくりだわ。
姉妹なの?」
「姉妹じゃなくて、侶婦(レディスコンパニオン)だそうよ」
「ああ、ひどい!
モリス様までご一緒だなんて!」
「あなた、モリス様をお慕いしてたの?」
「だって、あの方、顔だけは素敵じゃない」
「ねえ、ご存じ?
コンパニオンだなんて嘘よ。
あの娘、タルテン国のただの農家の娘だそうよ」
「まあっ、ただの侍女じゃないの」
「そんな身分で、よくここへ顔を出せたものだわ」
「サラ様はザルマータの辺境でお育ちですもの。
きっと、侍女に格別の思いやりをお示しになったのかしらね」
さきほどからハリーのところには、サラを一目見るために、挨拶に訪れるものがひっきりなしに続いている。
サラは覚えきれるはずもない顔と名前の羅列にうんざりし始めていた。
そして、じろじろと値踏みされるのにも。
真珠会だというのに真珠を陳列しているテーブルなど、人で隠れて見えやしない。
「おもったより普通じゃないの」
「あの程度だったら、わたくしと変わらないと思うわ」
「ロイス様のほうが数段美人だわ」
「その通りね」
「ロイス様の地位はゆるぎないわね」
「だけど、どうかしら」
「あっ、ねえ、ロイス様が挨拶されるわよ」
ハリーの前に、母親とともにロイス・テールハーンが挨拶にやってきた。
「これはテールハーン夫人、ロイス。
真珠はもう御覧になりましたか?」
「はい、ハリー様。
今年の真珠はどれも粒が大きくて、とても素晴らしいですわ」
夫人はロイスに目配せした。
「ハ、ハリー様……。
わたくしにも、ザルマータからのかわいいお客様をどうぞご紹介いただけませんか?」
「こちらは、サラ・マリ―ブラン嬢。
サラ、こちらは、ロイス・テールハーン嬢。
私の幼馴染だ」
「初めまして。
お会いできて光栄です」
サラは先ほどからこの言葉しかしゃべっていない。
「あの、サラ様」
ロイスは少し緊張しながらサラを見つめた。
「あの、よろしかったら、ご一緒に真珠をご覧になりませんか?
ザルマータ国でもすばらしい真珠が取れると思いますけれど、リバエルではときどき金色の真珠が取れますの。
今日は、その金色の真珠も並んでますのよ」
今日はじめて親交を誘われたサラだった。
サラがハリーを見上げると、ハリーはにっこりとうなづいた。
「ええ、ぜひ」
その様子を見て、広間の好奇心の目は、ロイスがサラを組しにかかるところをじっと見つめていた。
「これが金色の真珠です。
サラ様の髪に、このイヤリング似合いそうですわね」
ロイスの言葉をうけて、ハリーがサラにすすめた。
「当ててみては?」
サラはひょいとイヤリングをつまみ上げると、シーラの耳たぶに当てた。
「本当、似合いそう!」
サラとシーラはくすりと微笑みあった。
互いの髪と目の色、そして顔立ちや体格がそっくりな自分たちは、服を選ぶ時も帽子を選ぶ時も、互いに当てるのが当たり前なのだ。
サラに似合うものはシーラに似合うし、シーラに似合うものはサラに似合うのは、ふたりにとっては当たり前のことだった。
だが、そのことを知らない周りの者たちは、微妙な空気になった。
サラに似合いそうといった真珠を、コンパニオンとはいえ、農民の娘にあてて似合うといったのは、まるで、ロイスの見立てが自分にはその程度だと、暗にそう言っているようにも見えたからだ。
侶婦(レディスコンパニオン)は、貴族の婦女子に仕える職業婦人だが本人もまた貴族である。
それに引き換え、侍女はそれにあたらない。
サラはシーラの身分にかかわらず、シーラをコンパニオン以上の存在として認識しており、シーラはゼルビアでもマリーブラン家でも、実際そのコンパニオンと使用人と両方の役目を進んで担ってきたところがある。
それに最もふさわしい役名をつけるのなら、それはやはり家族に近い。
しかも、シーラはサラの身代わりとして暮らした五年間は、事実上貴族のお嬢様として暮らしていたため、その立ち振る舞いにはなんら劣るところはなかった。
むしろ、サラのほうがくだけたふるまいをすることがあるくらいだ。
だか、そのような事情を知らないリバエル貴族たちは、シーラはサラのお気に入りの侍女で、たまたまコンパニオンのような扱いされているだけだというほかにはなにも知りようがない。
事情を知っているハリーはそのことは当然気にもとめるようすはなく、サラとシーラを見ていった。
「この真珠は私が競り落として、プレゼントしよう」
「ありがとう、ハリー様。
シーラと一緒に大事に使うわ。
素敵な真珠をご紹介してくださって、ありがとう、ロイス様」
そこでようやく、ロイスにも安堵が漏れた。
ロイスはあらためて微笑みを作ってサラに話しかけた。
「サラ様はシーラさんと、とても仲がよろしいんですわね」
「そうなの。
私たち、いつも一緒にドレスを選ぶのよ。
私たち、そっくりだから」
そんな話をしていると、真珠の競りが始まった。
次々と真珠の宝飾品に高値がつけられ、
金色の真珠のイヤリングはハリーが言った通り、競り落としてサラの耳にプレゼントされた。
そして次にチャリティーオークションが始まった。
大広間の一か所にはステージがあり、そこには有志の独身男性が次々と登壇した。
「ああっ、いつもならハリー様もご登壇くださるのに」
「今年はハリー様の競りに参加することもできないの?」
「今年こそはと思っていたのに」
オークションは次々と競っては落とされていく。
登壇した最後の男性が競り落とした女性と腕を組んで降りていった後、進行役を務めていた男性が手を挙げて、これまでの金額を発表した。
「みなさまに、ただいままでで集まったチャリティーの総額をお知らせいたしましたが、残念ながら、目標額までにはまだ手が届いておりません。
そこで、毎年高額な落札額をもたらしてくださる方をこの壇上にお呼びしたいのですが、皆様いかがでしょうか?
ハリー王弟殿下、どうか、ご登壇いただけないでしょうか?」
大広間は、わっと一気に盛り上がった。
「まいったな……」
サラとシーラは無邪気に、いって、いってと勧めた。
ハリーが壇上に挙がると、会場から熱い拍手が送られた。
「それでは、金貨一枚から始めますか?
多いですか?
少ない?
では、金貨五枚からスタートです!」
競りはあっという間に白熱した。
その中には当然、ベンジーの姉妹ノエルとマチルもおり、ベリオの姪サスラもいた。
ロイスも当然つぎつぎと駆け足に釣り挙がっていく金額を追って扇子を高く上げている。
サラとシーラはふいに、モリスがじりじりとしているのに気がついた。
「どうしたの、モリス?」
「いや……、毎年この競りに私も参加できればといつも思っているのだが……、残念だ」
サラとシーラは顔を見合わせて笑ってしまった。
「五十六枚!」
「五十七枚!」
「五十八枚!」
競りは三人にまで絞られていた。
ベンジーの姉と妹、そしてロイスだった。
「いつもこの三人が残るんだ。
あっちの二人は、モリスの姉妹」
モリスがサラとシーラにそういっている場所のすぐ前では、ロイスが母親と相談しながら競りを続けている。
それをしばらく見ていたサラは、シーラにいった。
「ロイス様のほうが不利ね……」
「そうですね。
ご姉妹ならば、あちらは二人の金額を合計すれば、すごい額になります。
別に、三人でデートしたってかまわないのなら」
その言葉が耳に入ったのか、ロイスの母親が鬼気迫る表情でこちらを見た。
次の瞬間、母親はロイスに耳打ちをし、ロイスは驚きながらも、すばやく扇子をあげた。
「百枚!」
どよっと会場が揺れた。
「ひゃ……、百……百が出ました!
百一はありますか、百一……、では、金貨百枚で、ロイス・テールハーン嬢、落札です!
すごい額が出ました、これまでのチャリティーオークション史上最も高額の落札額となりました!
ロイス・テールハーン嬢に、皆様拍手を!」
大広間には拍手が響き渡った。
ロイスは顔を真赤に染めていた。
ハリーが戻ってきて、ふたりが腕を組むと、ロイスはますます恥ずかしそうに下をむいた。
サラが拍手を送る姿を、周りの者たちは不思議そうに眺めていたが、当の本人にはその気はないことを知る由もないのだから、
いたしかたのないことだった。
そこへ、ベンジーがやってきた、というより、ノエルとマチルにひきずられるようにしてやってきた。
「ベンジー、早く、紹介してちょうだい!」
「はいはい……。
ええと、サラ様、こちらは僕の姉のノエル。
こちらは妹のマチルです」
サラはきょとんとした。
はっとしたベンジーがモリスをみた。
モリスが紹介をやり直した。
「サラ様、彼は私の後輩のベンジー・ゴートルードです。
そして姉君のノエル様。
妹君のマチル様。
そして、こちらがサラ・マリ―ブラン様と、シーラ・クリットです」
ベンジーは、あは、とごまかしの笑みを浮かべた。
「初めまして、サラ様」
サラは記憶を失ってから、まだベンジーにあったことがないのだ。
だから、ベンジーのことは初対面だということになっている。
サラもようやく微笑みを返した。
「はじめまして。
お会いできて光栄です」
そして、先ほどまで競り合っていた三人がハリーを中心に顔を合わせたのである。
「ロイス様、思い切りのいいことでしたわ。
完敗いたしました」
ノエルがハリーに目配せするのを忘れずに、いかにもがっくりというふうに言った。
マチルも続けて扇子で顔を仰ぎながら、ハリーに視線を送った。
「おうらやましいですわ」
ノエルとマチルは姉妹でありながらそれぞれの個性を強く持っていた。
ノエルはつんとした細面で、スレンダーな体にぴったりと合ったサテンのドレスがよく似合い、自分の美しさを十分に自覚していた。
マチルはややふっくらとした丸顔で、たっぷりとしたレースとリボンのかわいらしいドレスがまたよく似合う。
どちらも、ロイスに引けを取らない美しさと華やかさがあった。
ロイスはハリーの隣で頬を染めながら、ぽそぽそといった。
「あ、ええ……。
その、シーラさんが……、三人のデートで構わないなら、二人分の金額を合計すればいいというものですから。
わたくし、負けじとつい大きく張ってしまって……」
「ええっ……」
ノエルとマチルが同時にシーラを見た。
シーラはぎょっとした。
ふたりの形相が、あらかさまにシーラにいら立ちどころか強い怒りをにじませていたからだ。
しかしすぐにノエルが取り繕ったような猫なで声になった。
「そうでしたの……。
サラ様はなかなか賢いお伴をお連れですわね。
わたしたちにもこんな侍女がいたら、今回の競りにきっと勝てましたのに」
すると、ところかしこでくすくす笑いが起こった。
貴族然としているシーラに、身分の差を突き付けたノエルの言葉が、やりばのない嫉妬や羨望に鬱屈していた娘たちを刺激したようだ。
それに気をよくしたノエルとマチルは視線を交し合った。
「ほんとうですわね、お姉さま。
そうだわ、このシーラって子をサラ様から譲っていただきましょうよ」
「それはいいわね、マチル。
サラ様、わたくしたちに譲っていただけませんか?
お金はいくらでも言い値で結構ですわ。
だって、競りに負けてしまったからお金が余っているんですもの」
取り囲むような笑い声がサラとシーラをざわざわと包んだ。
リバエルの娘たちは、笑い声をあげることで、ハリーの取り巻きにすらなれないわが身を慰め、
すこしでもこの異国の娘たちに恥をかかせることで、うさを晴らしたいとおもったのだ。
ハリーはこのようにながれてしまった空気を止めることができなかったことを悔やんだが、こんな状況を予想しなかったわけではなかった。
声を上げようと口を開きかけたそのときだ。
「わたしたちは、笑われているの?」
サラははっきりとした声でいった。
マチルがふわふわと扇子を振った。
「いいえ、サラ様のことではありませんわ。
そのすこしばかり出過ぎている侍女のことを、みなさんかわいそうだと思っているだけですわ」
サラはノエルを見据えた。
「わたしは少しも面白くないわ。
ここにいるシーラは、私にとって本当の姉妹以上なの。
お姉さんのことを笑われだらどう?
妹さんをお金で譲ってくれと言われたらどんな気がする?」
サラの言葉に、あたりが静まり返った。
サラはシーラに手を伸ばすと、即座にシーラもその手を取った。
「私たち、これで失礼します」
モリスは二人を出口に案内した。
「失礼」
ハリーはロイスに詫びを入れ、すぐそのあとを追った。
廊下へ出たところで、サラとシーラは互いにしっかりと抱き合っていた
「わたくしは気にしていません、サラ様」
「私だって気にしないわ、あんな失礼な人」
サラはそういいながらも、シーラを離そうとはしない。
ハリーとモリスがその様子を見守っていると、大広間からベンジーが駆けてやってきた。
「あの……僕の姉と妹が、失礼をしました……」
サラとシーラは抱き合ったまま、モリスを見た。
「あの、いつもはあんなことを言う二人じゃないんです。
きっと、競りに負けて気が立っていたからだと思うんです……。
本当に申し訳ありません」
ベンジーはまったくなぜこんなことになったのかわからなかった。
普段のノエルとマチルは、ただただ一緒にドレスを選んだり、鏡の前で髪型を試し合ったり、ピアノの連弾や歌の輪唱などをして、それは花のように、蝶のようにかわいくて優雅な姉妹なのだ。
それが今日はどうしたことか、あのようなことを口にするとは。
ハリーが代わりに応えた。
「このようなことは想定していた。
それがたまたまあの二人だったというだけだ。
あとのことは俺に任せてくれ」
困り顔のベンジーを置いて、ハリーとモリスはサラとシーラを部屋に連れて帰った。
今日はもう二人でいたいというので、ハリーはすぐに部屋を出ることになった。
部屋の外まで送るモリスに、ハリーはため息をつく。
「ああなる前に、止められれば良かったのだが……。
ザルマータに帰ると言い出したりはしないだろうか」
「それはどうでしょうね……」
「様子を知らせてくれるか」
「はい、わかりました」
ハリーが去るのを見送った後、モリスが部屋に入ると、ふたりはちょうど向き合って話し合いをしていた。
「だって、今までそうしなかったのがおかしいくらいだわ」
「そんなこと、できっこありません。
それに、そんなことにしていただかなくても、私はサラ様のおそばを離れたりしません」
「今度は何の話をしている?」
モリスが割って入ると、サラは立ち上がった。
「シーラを私の本当の姉妹にするの。
叔父さまに手紙を書くわ。
それに、クリット家にも」
サラは今回のことがかなり頭にきたらしい。
「どうして見ず知らずの人に、シーラを譲ってくれなんて言われなきゃいけないの?
本当の姉妹だったらあんなこと言われたりしないのに。
私はシーラとずっと一緒にいたいわ。
ずっと本当の姉妹のように一緒にいたいの。
だから、それを本当にするだけよ」
「わたくしもおんなじ気持ちです。
サラ様のそのお気持ちだけで十分です」
「十分じゃないって今日初めて分かったのよ!
今日から、シーラは私の本当の姉妹よ。
だから、その敬語もやめて。
私の世話は一切しないで。
全部使用人にやらせるの。
シーラの世話も全部よ」
「サラ様……」
モリスは興奮するサラに静かな視線を送った。
「シーラをが本当の姉妹になるというのなら、シーラもファースラン殿の遺産を引き継ぎ、そしてサラと同じようにその遺産を狙われてもおかしくない立場に置かれるということだな」
そこでサラはようやくはっとした。
「いまだ真犯人が捕まっていない状況で、それはシーラにとって得か? 損か?
冷静に考えてみろ」
サラはしばらく立ち尽くした後、シーラのそばへ行き、シーラを抱きしめた。
「なら、すべてが終わった後よ。
だって、私今日初めて気づいたの。
今日みたいな社交界で、誰かがシーラを見初めて、お嫁にくださいって言ってくる日が来るんだわ。
姉妹ならそれでも交流を続けられるでしょうけど、ただの主人と使用人だったら?
シーラと私の縁はそれで切れてしまうじゃないの」
「わかりました。私はお嫁に行きません。
ずっと、シーラ様のおそばにいると約束します」
「そんなの無理よ。
だって、シーラに好きな人ができたらどうするの?
わたし、それを邪魔なんてできない」
「わたくしにサラ様以上に好きな方ができると思いますか?」
「それは」
サラにはわからなかった。
その代わりに、モリスが二人に向かっていった。
「シーラ、それはまたお前が恋を知らないからだ。
サラはいずれ誰かに恋をするだろう。
そして、シーラもだ」
シーラは以外すぎるモリスの言葉に反論した。
「まさか、モリス様からそんな言葉を聞くとは思いませんでした。
モリス様はわたくしと同じ、主人への愛のみに生きる方だと思っていましたのに」
「私だって、恋ぐらいする」
「まさか」
そういえば、とサラは思い出した。
「たしか、私を月夜の君と言ってたわよね。あのこと?」
「はあっ? 違う!」
モリスは思わず、そしてなぜか全力で否定してしまった。
モリスの過剰な反応はサラとシーラを驚少々かせたが、深堀りもせずに二人は次の話題を始めた。
狩猟大会が終わるまでは、と思っていた。
モリスがハリーに、サラが記憶を失っていなかったということと話すことは、そのほうが無難だろうと思ったのだが、はたして、それが本心だろうか、とも思うモリスだった。
確かに、モリスはサラとシーラがマルーセルへの復讐を計画していることを知らされ、しかもその協力者として二人に請われ求められて今に至る。
その優位な立場を保っていたいがために、ハリーに真実をつたえないことを決めているのではなかろうか。
まさか、と言いながら、絶対に、と言い切れない自分がいることを、モリスは気がついていた。
そのバランスの中で、モリスがサラに思いを打ち上げるのは不公平というものだ。
いやしかし、そう言い訳をして、サラに拒否されるのを恐れている自分もまた確かにいる。
今は復讐に心を燃やすサラに、余計なことで悩ませたくない気もする。
ハリーと何かを競い合うことは初めてではない。
士官学校で馬術や剣術、銃術や兵法など、とかく学校では競い合わせる。
馬術ではハリーが上、銃術ではモリスが上、兵法はベンジーが得意だった。
拮抗していたのは剣術で、勝ったり負けたりを繰り返したが、それでなにか気まずい思いなどになったためしはない。
ハリーはいつも勝っても負けても気持ちよく笑って健闘を称えあう男だ。
だが、サラのことに関して、果たしてどちらが勝っても健闘を称えあうことなどできるのだろうか。
いっそ、ハリーに譲るということも考えた。
だが、それができたとして、モリスは今まで通りの忠誠心をもってハリーに使え続けることができるだろうか。
それを考えると、譲るという選択肢はありえなかった。
モリスはそんなふうに今思いを打ち明けるべきではない理由を連ねている。
それが自分でも言い訳がましいとわかっているから、さきほどのように過敏な反応をしてしまったのだろうと内省する。
「そうだわ……。
考えてみたら、シーラはゼルビアから出たことがなかったんだもの、今まで誰も気になるような人がいなくても当然よ。
だって、あの町には、お屋敷は一つだけだったんだもの。
町のみんなだって、家族みたいだったじゃない」
「それはそうかもしれませんが……。
でしたら、サラ様は素敵だなって思う殿方が今までにいらっしゃったのですか?」
モリスは体を動かすことなく、耳だけをそちらに向けていた。
「そうね、いたわ、多分。
旅の間に仲良くなった人や、助けてくれた人、時には好意を寄せてくれる人もいた。
だけど、私には目的があったし、それにね、シーラ」
「はい」
「お父様ほど素敵な人は誰もいなかったのよ」
「ああ、そうですよね……」
サラはシーラの手を取って、ふたりは並んでベッドに腰かけた。
「でもね、シーラ。
やっぱり、私たちはきっと恋をするんだわ。
だって、マハリクマリックのおじさんだって、最後は娘と結婚するのよ」
「ああ、そうですけれど。
わたくし、サラ様がどこのだれともしれない殿方のものになるのを想像しただけで、悲しくて泣けてきます。
きっと、わたくしのことなんて、二の次三の次になってしまうのが瞼に浮かびます」
「まあ、それをいうなら、わたしだってそうよ。
シーラがいなくなったら、一体誰とおしゃべりすればいいのかわからない。
五年ぶり会えたからこそ、本当にそうだと分かったわ。
私たちははなれていたときもいつもおしゃべりをしていたのよ。
そうでしょ?」
「はい、私も、いつもサラ様ならなんというか、なにをするか、どんなふうに笑うか。
そればかり考えていました」
「ああ、わたしたち、やっぱり恋はしないのかも。
それとも、男性に興味が持てないのかしら。
シーラよりも誰かを大切に思うことなんてあるのかしら?
いっそシーラと結婚できればいいのに!」
「わたくしもわたくしの手でサラ様を幸せにして差し上げられるなら、そういたしますのに」
モリスはひとり、ため息をついていた。
サラとシーラを引き離さない限り、思いを伝えるのは無理だと思ったモリスであった。
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