【完】仕合わせの行く先 ~ウンメイノスレチガイ~

国府知里

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シリーズ6 ~ウンメイノスジチガイ~

Story-3 婚約者(2)

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 マリ―ブラン家のそり馬車は、フルーグラン夫妻の住む辺境の町サリアラへ向かった。昼前に出たそりが屋敷についたのは、もうすっかり日が落ちてからだった。
 馬車を降りると、コートを引き寄せてアリスが身震いした。
「ああ、屋敷の中でも身震いするなんてことがなければいいのだけど……」
 星の光の下で、屋敷はぼんやりと怪しく佇んでいる。周りの木々や庭も、手をかけられている様子がない。柵のあちこちは痛んでおり、冬枯れした植物はそのまま放置されていて、なんともみすぼらしかった。
 キューセランが体面を保つだけの手入れが必要だと言ったわけがわかる。
 ペンキの禿げかかったドアをノックすると、キキキ……と辛気臭い軋み音をたててドアが開いた。
 中から出てきたのは、十歳くらいの女の子だった。
「どちらさまでしょう」
「やあ、君はハンナだね。ジョーはいるかな? マリ―ブランが訪ねてきたと伝えてくれるかい?」
「マリ―ブランの叔父様!」
 ハンナと呼ばれた少女は、まるではしこい兎のように飛び上がった。
「どうぞ! 中へ、どうぞ!」
 ハンナの案内で屋敷にはいると、数少ないろうそくの向こうに暖炉が燃えていた。
 暖炉の周りに、人が集まっていた。
 その中から立ち上がり、驚きの顔を見せたのがジョーだった。
「キューセラン殿……、驚きました。こんな時間にどうされたのです。奥方も、サラまで……」
 レティはほっそりした頬に笑顔を浮かべて、サラとアリスの手を取った。
「まあ、今日はなんて嬉しい日なの! うちに珍しいお客様が二組も!」
 アリスが暖炉の方に目を凝らした。
「お客様? どなたなの、レティ?」
 暖炉の側に座っていた女性がゆっくりと立ち上がった。
 サラはその姿を見るや、思わず顔を伏せずにいられなかった。
「アリス、驚かないで。ミランダよ! ミランダ・F・グレンスミスが見えているの!」
「ええ、あの、ミランダ!?」
 とたんに緊張が走ったのは否めないが、それよりも、なぜ大女優ミランダがここにいるのか、それは大いに不思議に思われた。キューセランとアリスが戸惑っていると、ミランダがスカートをつまんで優雅に会釈した。
「まあ、まさかここでお会いできるとは思ってもみませんでした。大変光栄ですわ。マリ―ブランご夫妻様。そして、後にお見えになるのが、お噂のサラ嬢、そうなのですね?」
 キューセランはすぐに気を取り直した。
「どういうわけかは知らないが、ここにあのミランダがいると知っていたら、わたしたちはここへ来なかったよ。ジョー、レティ、出直すよ」


 ジョーが慌て、レティが戸惑っていると、ミランダが人をひきつけてやまない深く響く声で言った。
「キューセラン様。こんな夜中にそりを走らせるなんて、危のうございましょう、それも女性連れでは特に。これも一重に神のお引き合わせと思って、どうか一晩だけ皆様とご一緒させてもらえませんか?」
 キューセランはしばし考えて、一同を見やった。
「確かに、こんな夜更けに無理をして外に出るものではないな。だが、あなたのような人と楽しく世間話に興じるなどできるわけがない。すまないが、ミランダさん、部屋を外してもらえないか。わたしたちは大切な話があってきたのだ」
「それは残念。でも、お邪魔は致しませんわ。失礼いたします」
 ミランダは雰囲気たっぷりに一礼すると、小さな燭台をハンナに持たせ、キューセランの脇を抜けた。
 サラは顔を背け、モリスの陰に隠れるようにしていた。
 ミランダに顔を見られないように注意していたが、そっと目を上げた瞬間、ミランダがこちらに目線を投げた。
 互いに、わずか目を見開いたのがわかった。
(ば、ばれた……!)
 直観的に、サラは感じ取った。思わず、モリスの袖を握ってしまったが、もはや隠れても意味をなさないように思われた。
 レティはひとりわかっていなかった。
「あ、あの……、キューセラン様、なにがあったのです? ミランダさんとなにか曰くでも?」
 ジョーが慌てて言った。
「レティ、君が知らないのも無理はないが……、い、いやその前にお前たちもう部屋に行きなさい」
 ジョーは興味津々の目を光らせている四人の子どもたちを追いやった。子どもたちが渋々部屋からいなくなったところで、ジョーが再び口を開いた。
「すみません、キューセラン殿。実は、ミランダとわたしは従姉弟同士なのです」
「いとこ?」
「従姉弟といっても、年が離れていますし、ミランダは十九の歳に実家を勘当同然に出ているので……。ミランダの名前に入っているFがフルーグランだということを知っている者はほとんどありません……」
「なんと、そうだったのか」
「うちには演劇祭を見に行く余裕どころか、新聞をとる余裕がありません。だから、ミランダがマルーセルやサラのことを劇場で演じようと画策していることを、レティや子どもたちは知らないんです。……その、わたしは知ってましたが……、つい、妻や子供たちに世界的な大女優がいとこだと自慢したいと思ってしまって。たまたまミランダの方でも、わたしのことを懐かしがって訪ねてくれたんです……。それに、まさか、今日キューセラン殿がうちにお見えになるとは思いもしなかったものですから。それも、皆さんを引き連れて……」
 ジョーは気まずそうに頭をかき、レティも、そうだったのか、というように顔を伏せた。
「確かに、マリ―ブラン家は、ミランダ・F・グレンスミスから今回のマルーセル事件について演じることへの許可依頼と取材の要求を再三受け取っている。もちろん、受ける気などみじんもない。ただでさえ人並み以上の悲しみや苦しみを背負ったサラに、これ以上苦労にかけたくないのだ。だが、まさか、ミランダがジョーの従姉だったとは、知る由もなければ、これっぽちも思いもしなかった」
 キューセランは少し落ち着きを見せ、続いてアリスも言った。
「ジョーを責めるつもりはありませんよ。あなたが故意にミランダとサラを引き合わせようとしたわけではないのですから。まあ、大変驚きましたけど……!」
 ジョーはあらためて面々に火の回りをすすめ、レティはお茶を用意した。
 それぞれの手にカップとソーサーがいきわたると、改めて五人はつつましい暖炉の前のソファに腰を落ち着けた。
「それで、こんな時間にお見えになるなんて、どんな御用でしょう」
 遠慮がちなジョーにキューセランは紅茶で喉を潤して口を割った。
「シーラの養子縁組のことだがね、あれはもう必要なくなったのだ」
「えっ……」
 ジョーとレティがやにわに顔色を変えた。
「シーラは別の形でしかるべき家から、城へあげる、そういうことになる。だから、ジョー殿にお願いしておいた法的な書類をこうして引き取りに来たというわけだ。サインをした後では、なにかと都合が良くないと思ったものでね」
「ああ……、ですけど……」
「どうかね、ジョー。もうサインはしてしまったのか、それともまだ空白のままかね」
 ジョーとレティが顔を見合わせ、気まずそうな雰囲気を出した。
 しばらくした後、ジョーが席を立ち、戻ってくるとその手には書類があった。
 キューセランが確認すると、そこにはまだジョー・フルーグランのサインはなかった。
「ああ、よかった。では、この話はなかったことに」
「それが、キューセラン殿」
 ジョーは請うような瞳でじりと詰め寄った。
「この通り、書類にはまだサインはしていません。じっくりと読んでからそうしようと思っていたからです。なのですが、その……つまり、資金の方は……。つまり、屋敷の修繕と、家畜、農場の整備、それから……、これまで溜まっていたつけの支払いに……」
 キューセランとため息をついた。
「支度金にはもう手を付けてしまったと、そういうことかね」
「は、はい」

 ジョーとレティはそろって肩をすぼめている。
「今年の収穫はどの畑も芳しくなかったので、その、来年の収穫まで返済を待っていただけないでしょうか」
「それは、仕方ないな」
 アリスもため息交じりに同調した。
「そうですね、それは仕方ありませんね。サラ、それでいいかしら? ……サラ?」
 何度目かに呼ばれてねサラは、はっとした。
「えっ、ええ……」
 モリスがスランに目を向けて、心配げに表情を浮かべた。
「どうしたのだ、サラ」
「ううん……。あの、ええと……。レティ叔母様に、今日は報告があってきたのよ」
 レティは気を取り直して、明るい瞳を姪に向けた。
「あら、なにかしら?」
「わたし、この人と結婚するの」
 サラはモリスの腕をとって、微笑みを浮かべた。
「まあ、そうだったの!? あなたは確か、リバエル国の」
「モリス・カーサモーデです。改めて、お見知りおきを」
 レティはとたんに目を輝かせた。
「まあ、まあ! 今日はなんていい日かしら! ああ、おめでとうサラ!」
「ありがとう、レティ叔母様」
「それで、式はいつ? ああ、せっかく八年ぶりにあなたに会えたのに、結婚したら、今度はリバエルに行ってしまうのね? さみしいわ、うれしいけれど、やっぱりさみしいわ、ああ、サラ顔をよく見せてちょうだい」
 レティは興奮のままにはしゃいだ。ジョーもおめでとうを口にして続けた。
「そうでしたか、ファースラン殿もこれで安心するでしょうね。サラはリバエル国の立派な紳士のもとに、シーラはレイン様の皇太子妃に。さすがは、マリ―ブラン家ですね、キューセラン殿」
「……まあまあ、シーラのことはまだレイン様からはっきりとした処遇について伺ってはいないのだが、それでも生まれた子どもが男なら、王宮でのシーラの立場もそう悪くはならないだろうと思うがね」
 ジョーはうんうんと愛想よくうなづいた後、モリスを見た。
「それで、わたしはこんな辺境暮らしでリバエルの貴族社会にはとんと疎いのですが、モリス殿はリバエルではどういうお立場なのですか。見たところ、まだお若いようだが」
「はい、わたしは現在リバエル王立士官学校に属しておりますが、将来は陛下と王弟殿下に仕え、忠誠を尽くすつもりでおります。士官学校では監督生として、後輩の育成に励んでおります。わたし自身はまだなんの官位にもついていない若輩者ですが、カーサモーデ家は代々、王家の近衛兵長やその部隊でその安全を守ってまいりました。わたしも父や祖父に習い、国の発展と安定にこの身を尽くしたいと思っております」
 ジョーとレティは、感心したようにうなづいた。だが、モリスのきびきびとした口ぶりに、一番驚いたのはサラだった。キューセランやアリスは、モリスとベンジーがマリ―ブラン家にやってきたときに、すでにモリスの所属や立場を聞いていたらしい。一番近くで長い時間を過ごしてきたはずなのに、サラはモリスのことをよく知らなかったことを改めて気づかされた。
「そうでしたか、モリス殿。文武に名高いリバエルの士官学校の、それも監督生となれば、家柄も申し分ないし、将来の安泰を約束されたも同然。それに加えて、この美丈夫。サラ、君は王家の盟約にも勝る素晴らしい伴侶と出会ったというわけだね」
 ジョーに言われて、サラは改めてモリスを見た。
 そういう視点でモリスを見たことはなかったが、世間的に見ると、そういうことになるらしいことを初めて知るサラだった。そう思いいたったところで、サラはとんでもない間違いを犯しているのではないかと思えてきた。
(わたしの都合ばかり考えていたけど、そうよ、モリスのことをなにも知らない。モリスのことを考えたら、シーラを養女にする代わりに結婚するなんて、とんでもないお願いだわ)
 サラの心の動揺を知ってか知らずか、モリスが心配そうに見つめていた。
「サラ、どうしたんだ。具合でも悪いのか」
「う、ううん、あの……。わたし、少し疲れたみたい」
 レティがたちあがり、寝室を用意するわねといって席を外した。
「大丈夫か」
「え、ええ……」
 モリスの瞳を見上げると、サラはその奥をじっと見つめた。
 レティが呼びに来たので、サラは立ち上がり、部屋に向かった。心配したモリスがそれに付き添った。
 サラは部屋まで来ると、サラの支度を手伝おうと残ってくれたレティに少しの間ふたりにしてくれと頼んだ。部屋に入るなり、モリスはサラの様子がおかしいことを聞かずにはいられなかった。
「どうしたんだ、サラ。さっきから様子が変だぞ。本当に大丈夫か」
「モリス、わたし……」
 所在なさげなサラに、モリスが近づき、そっと腕に手をやった。見つめあうと、サラは白状するようにモリスを見た。
「わたし、とんでもないことをしてるんだわ、そうでしょう?」
「とんでもないこと?」
「わたし、あなたのことなにも知らないのに、勝手なことばかり言ったわ。わたしの都合ばっかりで、シーラを養女にしてくれたら、あなたと結婚するだなんて、あなたやカーサモーデ家にとったら、とんでもないお願いだったわ。わたし、あなたがいつもそばにいてくれているから、すっかりあなたのことを知っているつもりになっていたけど、あなたのことも、あなたの将来のことも、家族のことも、全然知らなかったんだわ。あなたのように立派で将来のある人に、こんなお願い、普通ならとてもできないことなのに、わたしったら、自分のことばっかり……」


 思わずモリスは苦笑を浮かべた。
「いまさら、お前に立派だの将来があるだのと言われるとは思わなかった」
「だって、あなたのことを考えたら……」
「まあ、どうあれ、俺のことをお前が思ってくれるのはうれしいが」
「モリス」
「サラ、お前が自分勝手なことぐらい、もうとっくに承知だ」
「モリス、あなたは、それでいいの?」
「いいもなにも」
 モリスはサラの頬に手をやった。頬にはわずかにまだ傷跡が残っている。
「わたし、あなたのことよく知らないわ」
「なにを知りたい」
「モリスはわたしと一緒にいて幸せなの? あなたのご両親はこんなわたしとの結婚を許してくれるかしら? ハリー様を差し置いても、あなたはハリー様のお側でお役目を続けられるの? わたし、あなたのこと考えもしないで……」
「なんとかするさ、心配するな、サラ」
 揺れるサラの瞳を、モリスは深く受け止めたが、サラの不安は解消しないようだった。
「それとも、なにか? 俺と結婚するのがいやになったのか」
 サラはすぐに首を左右に振った。
「モリス、あなたがいて、わたし本当に心強いのよ。叔父様がお父様の遺産を使ってしまったときだって、あなたが今の資産でも十分にシーラを守れるといってくれたから、わたしは安心できたの。あなたが一緒だから、わたしはわたしのすべきことができるんだわ。だから感謝しているの、本当よ。わたしも、あなたが必要な時には、あなたの力になりたいわ。だけど、それがわたしにできるかしら……」
 モリスはサラをやさしく引き寄せた。
「お前は俺の力になっている」
 モリスはサラの手を取ると、自分の頬に寄せた。
「サラ、キスして」
 サラは瞳を揺らしながらも、促されるままにモリスにキスをした。モリスはサラを抱き寄せ、その淡く甘い唇をゆっくりと味わった。腕を緩めると、サラはなにかを見出し確認するかようにモリスを見つめていた。
「帰る家にお前がいて、こうしてキスしてくれるなら、俺にどんなにか力を与えてくれるだろう」 
「モリス……」
 サラはモリスの胸に頬を寄せ、その背に手を回した。
「約束するわ。以前あなたに、信頼をあげると言ったけれど、あなたが必要とするなら、どんなことでもどんなものも、あなたにあげる。それくらい、あなたに感謝しているの」
「サラ」
「本当よ、この気持ち、つたわってる?」 
 モリスの腕の中で、首を伸ばし、真剣なサラに、モリスも頬が緩んだ。
「だったら、今欲しいものがあるんだが」
「なに?」
「キスでとろけたお前の顔」
 その言葉に思わず頬を染めたサラだったが、キスをする前に、サラはもう一つ言わなければいけないことがあった。
「その前に、モリス、実はもうひとつ問題があるの……」
 サラは、シーラ・パンプキンソンとしてミランダと接触したことがあると打ち明けた。
「ミランダはその職業柄、人を観察するのに長けているの。多分、向こうも気がついたと思う……」
 モリスはため息を隠さなかった。
「本当に、お前は勝手が過ぎるぞ」
「反省してるわ……」
「キューセラン殿が聞いたらまた頭痛を引き起こすだろうな」
「でも、ミランダに会ってみて良かったと思っているの。それでわたし気持ちが決まったんだもの」
「とんでもないこの結婚と養子縁組を思いついたのは、ミランダのおかげというわけか」
「そうでなければ、わたし、本当にどうしていいかわからなかったわ」
「しかし、問題はミランダがどう出てくるかだ。それに気づいたとしても証拠がない。しらを切りとおせばやりすごせるのではないか」

「それで済めばいいけど……。ミランダはそう簡単にあきらめる人とは思えなくて」
「ともかく、極力顔を合わせないことだ。キューセラン殿もここに長居するつもりはないだろうし、明日は早々にここを発つようにしよう」
「わかったわ……」
「とにかく、今日はもう休め」
 モリスがサラの肩に手をやると、サラがその手に手を重ねた。
「ありがとう、モリス。あなたが話を聞いてくれて、少し気が楽になったわ」
「お前の突拍子のなさには慣れたつもりだが、できれば、これからはもう少し分別ある行動を心がけてもらえると助かる」
「うん、気を付ける。叔父様や叔母様にも心配かけないようにするわ。貴女の婚約者としても恥ずかしくないように」
「そうだな。俺が必要とするとき、そばにいないのは困る」
 サラの耳の下に優しく触れると、モリスはゆっくりと顔を近づけた。サラもそれを受け入れ、ふたりはキスを重ねた。
「いずれ、俺の子を産んでもらう。この家よりもたくさんのな」
 サラは、ぼうとなった意識のまま、モリスを見つめた。
「覚悟しておけ。式を挙げたら、一晩だって俺の側から離さない」
 そう言うと、モリスはサラの熱い唇に再び吸い付いた。

 ・・・・・・

 翌朝、レティと子どもたちは客人たちのための朝食づくりに精を出していた。
 客人たちの中ではサラは早起きをしたらしい。にぎやかな音がする方へむかうと、台所だった。
「レティ叔母様、おはようございます」
「あら、サラ」
 レティは鍋から顔を上げると、子どもたちを紹介した。 
 一番年上のクランは十四歳。十歳のハンナと、コーンブレッドをつくっている。
 八歳のパスカルと五歳のバックは乳しぼりを、十二歳のサムエルは飼葉をやったあとに鶏の卵を集めて台所に戻ってきた。
 こどもたちは目を丸くしながらサラを見つめている。
「みんなお手伝いして偉いのね」
 サラがそういったが、その暮らしぶりはとても爵位を持った一族とは思われなかった。来てみて初めてわかるフルーグラン家の貧窮ぶりだった。
「今年の冬は、使用人たちを帰したの……。その、つまり、春種まきが始まるまではね……」
 レティの苦労がにじむ笑顔に、サラは微笑みを返した。
 子どもたちはまだ幼いが、歳で行けばクランはそろそろ社交界へデビューする準備を整えなければならない。そして、下の子どもたちのためにフルーグラン家を助けてくれるだけの経済力を持った男性を見つける役目を負うのだろう。自分の気持ちに関わらず、年恰好に合わないような縁組を薦められるかもしれない。
「クラン、わたしにも手伝わせて?」
「あの、サラ様、ドレスが汚れます」
「サラよ。従姉妹同士じゃないの」
 クランとハンナは目配せしあった。
「サラのドレスとってもきれい」
「本当、きれいね」
「クランもハンナも、もう少ししたらこういうドレスを着るのよ」
 ハンナは素直に、着れるといいな、といったが、クランは諦めのような表情を浮かべて視線を下げた。サラはキューセランとアリスが起きてきたら、支度金の返済は必要ないことを相談しようと心に決めた。
 朝食がテーブルに並ぶと、レティが子どもたちに客人たちを呼んでくるようにいい付けた。

 長テーブルに各人がつくと、最後にミランダがやってきた。
 ジョーは慌てた。
「ミランダ、その、食事は部屋に持っていくと言っておいたはずですが」
「ええ、お食事は部屋でいただきますわ。マリ―ブラン家のみな様のご心象を悪くしたくありませんもの。でも、朝のご挨拶だけはしなくてはと思って、おりてきたんですの。皆さん、おはようございます。いい朝ですわね」
 まるで、小劇場のようだ。ミランダにかかると、人々はすべて観客になってしまうらしい。
 それぞれが挨拶を返し、キューセランは不満そうに顔をしかめただけだったが、アリスに至っては子どもたちにつられて挨拶を返してしまうほどだった。サラはできるだけ視線を外していたが、それでもミランダの様子が気になって仕方がなかった。
 ミランダが部屋を去った後、食事が始まった。

 コーンブレッドとじゃがいものスープ。ミルクにスクランブルエッグ。質素な食卓ながらも、子どもたちが食べる姿を、ジョーとレティは幸福そうに見つめている。サラには家族の温かさを感じる微笑ましい光景に見えた。
 食事が終わると、キューセランは口を拭いた。
「さて、それでは我々はこれでお暇するよ。ジョー、レティ、突然の訪問にもかかわらず、もてなしをありがとう」
「まあ、そんなに急ぐの?」
 レティは残念がったが、ジョーはどこかほっとした表情を見せた。
「すみません、キューセラン殿、アリス、それにサラ。ミランダにはわたしからも釘を刺してみますが、その、わたしの言葉にどれほどの効果があるかは……」
「わかっている。ジョー、気を遣わせたな。落ち着いたら、またうちを訪ねてきてくれ」
「は、あ、それは、……ぜひ!」
 マリ―ブラン家の従者たちがそり馬車を整えて屋敷の外で待っていた。
 おのおのは支度をととのえ、外へ出た。
 サラはすばやくキューセランとアリスを捕まえて、支度金のことを相談した。
「まあ、サラ……。気持ちはわかりますけどね、ジョーとレティは、この土地をうまく回していくことが役目なんですよ。それを怠ってうちからの支援をあてにするようでは、そのときはよくても、本質的には一向によくならないのよ」
「だけど、叔母様、あのようすじゃあ、クランの社交界デビューもままならないのでは?」
「そのときはそのときで、レティからわたしに相談があるでしょうよ。だいたい、あなた自体社交界に出てもいないのに、あなたがクランの心配まですることはありませんよ」
 アリスの態度はキッパリとしたものだったが、キューセランは軟化して見せた。
「いや、今はザルマータの名門といわれる伯爵公爵家も軒並みに苦しんでいる。サラがそういうのなら、時期を見てわたしからジョーに話してみよう。だが、アリスのいう通り、ジョーはジョーで国家の辺境を守るだけの役目を果たさねばならない。支給される金の使い道、使い方については、もっとわたしや会計士から指導を受けさせるよ。それでどうだろうね、サラ」
「わかったわ! クランを安心させてあげてもいい? 社交界に出るときには、うちでドレスをつくってあげるって言ってもいいわね?」
 アリスは少し顔を止めて、うなづいたが、慎重に口ぶりを崩さなかった。
「いいわ、でもこういってちょうだい。サラ、あなたのドレスを貸してあげると」
「わかったわ!」
 サラは笑顔を浮かべると、屋敷の方へ引き返した。
 屋敷の前で見送りに立っていたクランの手を取ると、その旨を伝えた。クランは目を輝かせた。
「わたしもサラのように、素敵な男性と婚約できるかしら!」
「あら……、どうしてその話を知っているの?」
「ごめんなさい……! 昨日サラとモリス様がお話しているのを、聞いてしまったの」
「まあ……!」
「怒らないで! だって、サラとモリス様って、ふたりとも美男美女で、とっても素敵なんですもの……!」
 クランがうきうきと言うので、サラが見渡すと、もはや子どもたちはみな盗み聞きの共謀者だったようだ。
 昨日のモリスとの睦言が聞かれていたかと思うと、とっさに頬を赤らめたが、サラはそれ以上は口にしなかった。とすると、ミランダとの曰くについても子どもたちは聞いていたことになる。
 そのとき、まるで気を見計らったかのように、ミランダが屋敷から出てきた。
 ミランダは、じっとサラを見つめ。そして口元に麗しいとしかいいようのない笑みを浮かべた。
 ぎくりと身を固くしたサラに、ミランダは言った。
「ぜひまたお会いしましょうね、サラ様。台本ができたら、ぜひ……」
 サラは答えに窮し、目配せをしただけでその場を後にした。

 足早にモリスの元に戻ったサラは、不安を口にした。
「ミランダはやっぱり気づいてる。台本ができたら、ぜひまた会いましょうと言われたわ」
 モリスは肩越しにミランダを見た。
 まるで、ひとりだけ舞台の上に立っているかのように姿勢を崩さず、微笑みを浮かべているミランダがそこにいた。
「なるほど、確かに一筋縄でいかなそうな人物だな」
 モリスはサラを馬車にうながした。
 不安も一緒に乗せて、馬車は王都シリネラに向けて走り出した。

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