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記録 Ⅳ:トレィス
★Aldonaj noto: 雲隠
しおりを挟む「光見せねば届かぬ一生」と間違って読んでしまった一句に、私は忘れがたい二人の少年の面影を見る。
──────────────
新卒で教師になって二十五年。
うっすらと定年が他人事ではない年になってきた。
幸いにもニュースを賑わすような案件に出くわすことはなく、心身ともに至って健康に過ごすことが出来ている。
……いや。
一度だけ――私の教師生活において暗い影となる出来事に遭遇した。
彼の訃報を知ったのは、彼が卒業して数年経っていた。
彼は、私が副担任を務めていたクラスの生徒ではあったが、授業以外で関わる機会はほとんどなかった。
彼は、普通の優等生だった。
私は、自分の中にあった情熱は蓋をして、現実との折り合いをつけた気になっていた頃だった。
教師とは薄情なもので、普通以上の生徒のことは、往々にして記憶に残らないものだ。
けれど、いつもなら手繰り寄せて漸く思い出す存在ほどの彼は、私の中でひっそりと主張していた。
彼の、静かに自分の居場所を見いだそうとしているかのような目に気づいたからかもしれない。
周りに馴染めない子というのは、いつでも存在する。
ぽっかりとその子の存在だけが抜け落ちているかのように、大勢に打ち解けることが出来ない――しない子。
群れに入ることも、作ることも出来ない子。
それでもきっと、高校生活の内に馴染み方ぐらい身に付けるだろう、そんなものだと高をくくっていた。
何かの折に話す機会があり、それは仄かな情熱を秘めていて、それが折れることは想像していなかった。
けれど、彼は社会に於いて、枠を作ることは出来なかった。
報道で公開された、走り書きのようなメモに残された、かきくらす涙か雲かしらねどもひかり見せねばかかぬいっしょう――――わざわざ手書きで書き留められた文章は彼の叫びに見えた。
――――
それでも、薄情なのは人なのか、教師なのか…痛みはやがて厚い瘡蓋に覆われる。
見えていて、邪魔なのに無視できる存在へと変わる。
彼を彷彿とさせる少年に出会ったとき、私は今度はこの子か…と、落胆に似た溜め息を吐いた。
――――のは束の間だった。
頭の良い子は、まあ毎年いる。
生意気で、狭い世界の知ったかぶった知識で、全てを悟ったかの顔をして、数年経って黒歴史と命名することで溜飲を下げる。
そんな子を余所目に、彼は飄々と我を行く。
破天荒と云えばそうなのだろう。
彼はよくある、親や教師、クラスメイトに不満があるわけではなく、地球上全てのものを嫌悪しているように見えた。
「宇宙船地球号?ああ、フラーの提唱した概念だね」
進路相談の時だったと思う。
問われたから答えはしたが、彼は続けた。
宇宙船に例えたら、地球を人が運転してるみたいで気に入らない、と。
まあ、よくある反応ではある。
人って、地球に間借りしてる店子だよね。
と言い出した。
「店子って…自分の土地を持ってる人だっているだろう?」
金出しただけで?自分のもの?ま、それはどうでも良いんだけど、そんな勝手ばっかりされても、そりゃ大家は怒っても仕方無いよね?が到着点。
変わった話し方をする子だと思った。
持論だろうに他人事のように話す。
達観と言うのだろうか?
「まるで宗教家のようだね。教祖にでもなる気なのかい?」
そう聞くと、思いっきり顔をしかめて、そんなめんどくさいことはやらないと。
「今のは思想ではないのか?」
と聞くと、んーと小首を傾げて考えて何となくそう思っただけとだけ告げる。
「君は一体、何になりたいんだい?」
するとまた、んーと小首を傾げる。
幸せになりたいかなあ……そういう彼は、少し照れ臭そうにも見えた。
「そうか…頑張れ」
何故か私はそう答えていた。
彼は少し驚いて、それから年相応の…いやまるでアイドル雑誌の表紙のような屈託のない笑顔を覗かせた。
──────────────
期末考査が終わった日、職員室は珍しくざわついた空気があった。
声を荒げる者、笑う者、呆れたようにため息をつく者もいる。
中には、答案を握りしめて本気で泣き出している女性教師までいた。
何かあったのかと訊くと、隣の教師が他人事のように、ある生徒が、全教科の設問に答えた上で、“問題点”を書き込んでいた、と。
オレの受け持ちでなくて良かったよ、と。
私は、ああ、きっと――アイツだ、と察した。
そう思う程度には、彼は入学して三ヶ月の間に、静かに目立っていた。
英語の答案には整然とした”筆記体”で、論評のごとく授業への感想が綴られていた。
他の教科も、設問の構造や文法上の矛盾、主観の混入について淡々と指摘されている。
誰もが困惑し、動揺を隠せない中、私は――言い出せなかった。
自分の教科、倫理の答案が“満点”だったことを。
あれほど抽象的にしたつもりの設問に、
彼は、まるで論文のように、無駄も破綻のない構成で応えていた。
まるで――議論ではなく、観察対象を眺めているような静けさで。
彼にとって、“問い”とは答えるものではなく、測るものなのかもしれない。
机上ではなく、彼の思考で。
それでも解答は、英語教諭のこじつけのような減点を除けば、満点を叩き出しているから、全く癖が悪い。
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きっとこうして、彼は必要のない敵をつくってしまうのだろう。
それが無邪気なのか、無関心なのか――。
彼は私の答案に答え”だけ”を書いてくれていた。
もしかして彼は私に心を開いてくれているのだろうか。
いや、…単なる恩情なのかもしれない。
──────────────
彼が一冊のノートを提出してきたのは、七月の終業式の前日だった。
特に課題を出した憶えもないのだが――?
【ショック!!蜻蛉さん、大人になったら何も食べない!】
何だろう?これは??
表紙の巫山戯た文言とは打って変わって、中身は相変わらず、黒いインクで整然と書かれた文章。
要点を捉えたスケッチ、ホルモン曲線の手描きチャート。
正直なところ、私には殆んど意味が分からなかった。
三度読んでもなお分からない部分があり、埒が明かないのでAIに読ませてみた。
そうやって四度目にようやく気づいた――これは彼の目線での、思考の“痕跡”なのだと。
──────────────
それから数週間。二学期が始まる頃。
物理教諭に呼び出された。
君の机にあったノートね? あれ、アイツが書いたんだろう?独特だけど、目のつけどころが良い――と人の机にあったものに勝手に手を付けておいて、まず謝罪が無いことが癇に障る。
でね、少しだけ整理してみたんだ。こういうの、学会に出せたら面白いかなと思ってさ。君の目で一度見てくれない?と、悪びれもせず手渡された原稿は、明らかに彼のノートの“内容”を真似ていた。
けれど、文体が違った。
文章の呼吸が違う。
なによりも、この物理教諭の“我”が煤けて見える。
「どういうつもりで、これを?」
と聞いたら、目の前の教師は目を反らして、もちろん、論文として成立するようにはした、と言いきった。
他人の褌で相撲を取る…まさか生徒の功績で教師が業績を刻むなんてことが、私の目の前で起こるなんて思ってもいなかった。
――――その後の顛末は、思い返すまでもない。
物理教諭が“論文”として持ち込んだものは酷評された。
「仮説の根拠が示されていない」
「再現性が不明確」
「参考文献と照応していない」
当然だ。
あれはそもそも論文ではない。
可能性のスケッチだ。
彼の言葉を借りるなら、単なる思い付きのメモなのだから。
──────────────
「すまない。私の不手際だ」
ノートを机の上に置いたままにしていたことを彼に謝ると、首をかしげて、ただの未来予想図をさも完成図の如く扱うから、バチが当たったんでしょ?ざまぁ、だよ、とまるで気にする様子はない。
「それで不思議だったんだけど、なぜ私に渡したんだ?」
口に出た疑問に、生き物をどうこうするなら、まず倫理かなって。だから、先に先生に見せて、いけそうなら次に進もうかと?と、きょとんとした顔で言ってのけた。
「全く…君には欲は無いのかね?」
店子の分際で?っていうのは冗談だけど、ちゃんとあるよ、起きて半畳寝て一畳って言うじゃない?暮らせていければいいんじゃない?と言うので、
「君の身長で一畳は足りなくないか?」
と、茶々を入れる。
やっぱり?まだ伸びそうなんだよねー困った。と、少しも困ってない笑顔を見せた。
この子には欲ではなく、そう――余白というのが相応しいのかもしれないと感じた。
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「美大?理系の大学ではなく?君を生かすなら理系の大学に行くほうが将来のためにもなるんじゃないか?」
私はこのときばかりは彼の決意に反論してみた。すると相変わらずとぼけた調子で数字ばかり見ていてもつまらないじゃない、と言ったあと、実はね…と、続けた。おれ、色弱なんだよ、と。ならば余計、美大は不利じゃないのかと思うけど、だからこそ挑戦したいのだ、と。ある日、突然プツリとなくなった色情報を、彼は近似値の差で読み取っていたと言う。そんなことが可能なのか?と思うがやっていたらしいので信じるしかないだろう。何せ、彼が告白してくれるまで、わたしはそのことに気付くことはなかったのだから。
「君が決めたのだから、どうせ変えることはないのだろう?けど、理系であればきっと君の能力は生かせると思うよ、とだけは、教師として言わせておくれ」
彼は一寸だけ苦い顔をしたけれど、ありがとうと告げてくれた。
──────────────
そんな彼から数年振りに連絡があった。
結婚すると言う。
彼が??結婚?
何とも結び付かない気もするが、あの極楽蜻蛉な彼を射止める女性は、どんな奇特な人なのかと興味は湧く。
かくして極めて普通の可愛らしい女性の横に立つ彼は、なんだ昔と変わっていない。
彼はちゃんと群れを作ることが出来たのだと胸を撫で下ろす。
「普通の…お嬢さんじゃないか…どう騙したんだ?」
と、軽口を叩くと、失礼だなあ…、ちゃんと口説いたさ、と、返ってくる。
お嬢さんの顔を見ると渋い顔を見せている。
友人と云う、彼よりも背の高い涼しげな目をした青年も同様に渋い顔。
口説いた?丸め込んだの間違いだろ?と聞こえてくるようだ。
なるほど、彼は彼のままでいられる場所を見いだしたのか。
それは何よりだ。
かきくらす涙か雲かしらねどもひかり見せねばかかぬいっしょう――彼の一章は始まりを見せたのだろう。
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