赤月の夜の生贄

喜島 塔

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「私は地図には載っていない北方の小さな集落に生まれ育ちました。寒さが厳しい所為か、そこに暮らす人々は陰気で、外者を拒絶し、閉鎖的なコミュニティーが形成されていました。物心がついた頃、私は母に、この地に生まれてきた人間は、死ぬまで、此処から出ることが赦されない、と言われました。好奇心旺盛だった私は、母にその理由を訊きました。母は『眞方呂が、もう少し大きくなってから話そうと思っていたのだけれど』と言い訳を挟んでから、この地に古くから脈々と受け継がれている風習について話し始めました。私は、幼いながらに懸命に母が紡ぎ出す言葉に耳を傾けました。

 この集落はね、“赤月之命あかつきのみこと様”という神様によって護られているのよ。“赤月之命様”は戦国時代の武士で、生前の名は、依田赤之介よだ あかのすけといって、それは、もう、素晴らしい御方だったのよ。でもね、赤之介様の主君は、とても気性が荒い御方で、少しでも気に入らないことがあると、村人はもちろんのこと、長年仕えた家臣だろうが家族だろうが、躊躇なく手討ちにしていたのよ。あ、“手討ち”っていうのはね、刀などを使って斬り殺すっていうことなの。それを見兼ねた赤之介様は、手討ちにされることを覚悟で主君を諫めたの。すると、主君は、にやりと下卑た笑みを浮かべ、赤之介様を、村の外れにある小さな洞窟へ閉じ込めてしまったの。赤之介様は、洞窟から湧き出る僅かな水で数週間生き延びたのだけれど、気が狂って死んでしまったの。その夜、真っ黒な空には赤黒い血のような月が禍々しい光を放ちながら浮かんでいて、

 ――ミナゴロシ、ミナゴロシ、ミナゴロシ、ミナゴロシ、ミナゴロシ……

 という、赤之介様の恨みの声がこの集落全体に響き渡ったそうよ。

『赤之介様は、とても悔しい思いをして死んでいったのね。でも、赤之介様はとてもご立派な武士だったのでしょう? なのに、どうして、ここに暮らす人が外に出ることを許してくれないの?』

 私は、母に訊きました。
『赤之介様は、真っ暗な洞窟に閉じ込められてしまった所為で、以前の心優しい御方ではなくなってしまったの。赤之介様は、この地の人々たちのために命を懸けて主君を諫めたのに、洞窟に閉じ込められた赤之介様のことを誰ひとりとして助けてはくれなかった。赤之介様は、主君はもちろんのこと、それ以外の人たちも主君と同罪だと考えるようになったの。そして、赤之介様がお亡くなりになった後、この地では、災害、流行り病でたくさんの人たちが命を落とし、生き残った人たちも気がおかしくなってしまって、些細なことで人々が殺し合いをするようになってしまったの。何人かの人たちは、この地から逃げ出そうとしたのだけれど、集落の外に出た瞬間、得体の知れない何者かに八つ裂きにされたの。皆、うわ言のように“赤之介……”“呪い”と言いながら絶命したそうよ。そこで、残された人たちは、赤之介様の怒りを鎮めるために、赤之介様がこの世を呪いながら息を引き取った洞窟に祠をつくり、赤之介様が赤い月の夜にお亡くなりになったことから“赤月之命(あかつきのみこと)”という諡(おくりな)をつけて祀ったの。それ以降、この集落で不幸な出来事は殆どなくなったのだけれど、赤い月の夜だけは、赤月之命様の呪いを解く術がなくて……人々は、この集落に生まれ育ったいちばん美しい娘を赤月の夜に生贄として捧げる儀式を行うようになって、やっとのことで、赤月之命様の怒りを鎮め平穏に暮らすことができるようになったのよ』

『お母さん、”いけにえ”ってなあに?』

『そうね。神様にお願いごとをする代わりに、お願いごとに見合う”贈り物”を差し上げるっていったら、眞方呂にも分かるかしら?』

『そっか。優しくなくなってしまった赤月之命様は、ご褒美がないと、みんなのお願いをきいてくれなかったんだね』

 私が、そう言うと、母は、諤々と震え、そんな罰当たりなことを言うもんじゃない、と言って私を叱りました。私は、本を読むことが好きな子どもでしたので、母の話もどうせ作り話だろうと思い、興味本位で母の話を聞いていました」
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