学生探偵五反田の事件目録

たけのこ

文字の大きさ
上 下
1 / 4
1 夏

すずらんさんと黒いにゃんこ

しおりを挟む
 日が日がなあまり日光を浴びることのないわたしですが、そんな私でも、たまに向かう仕事場というものがあります。
 学生時代の頃からずっと借りているアパートを出てしばらく進み、小さな喫茶店の角を左に曲がりますと、わたしが週に二日通っている、とっても小さな事務所がございます。
 風が吹けば飛んでいきそうで、小さな地震でもすぐにぺしゃんと潰れてしまいそうな小さなプレハブ事務所。その窓には、「五反田探偵事務所」と白く殴り書いたように書かれております。そして窓の隅には赤い文字で、「土・日・祝のみ営業」とございます。あたりに人気はなく、閑古鳥が二、三羽集まっているようでございました。
 ここがわたしのアルバイト先。五反田探偵事務所でございます。


 さて。
 わたしが十時きっかりに事務所の扉を開けますと、スチール机と小さな本棚、そして本棚に収まりきれていない、足の踏み場もないほどの膨大な書籍に囲まれて、この事務所の持ち主はくるくると回転いすを回しておりました。
「おはようございます、五反田さん」
「おう」
 回転いすに腰掛ける探偵、こと五反田さんが、いすを回すのを止めて、ひらひらと手を振っておりました。猫のようにきゅっと吊り上った目に小さなあごの、あか抜けた子どものようなおとこの子です。背は高くなく、わたしと同じほどで、お年はわたしよりいくつか下のようです。
 五反田さんはさきほどまで本を読んでいらっしゃったようで、スチールの机には何冊か文庫本が積み上がっておりました。五反田さんはそのうちの一冊を手に取ると、ぞんざいに思える手つきでページを遊びだしました。
「鈴蘭、茶を淹れてくれ。あとポアロの水」
「はい。ミルクをお入れいたしますか?」
「いや、ストレートだ。冷蔵庫にスコーンとジャムが余ってるから、それも」
「かしこまりました」
 事務所とつながっている給湯室に向かい、お湯を沸かしてカップとティーポットを温めていると、本の合間から真っ黒の子猫が給湯室に入ってきました。しかし完全な黒猫ではなく、あんよの先っぽだけが白いのです。この子がポアロ、五反田さんが拾ってきた子猫です。浅いお皿にお水をそそぎポアロを呼ぶと、ポアロはよろこんでお水を飲み始めました。
 スコーンをオーブンで温めたりポットでお茶の葉を蒸らしたりしていると、とんとん、と事務所の扉をノックする音が聞こえました。どうやらお客さまのようです。もうひとつカップを温めて、お茶のお湯もおひとり分増やさなくてはならないようです。それと、スコーンももうひとつ温めないと。
「入れ」
「やあ五反田。昨日ぶりだな」
 五反田さんに促されて入ってきたのは、五反田さんと同い年くらいに見える、すらっとしたおとこの人でした。お客さんではなく、どうやら五反田さんのお友だちのようです。
 スチール机の、五反田さんと向かい合うところにパイプいすを置きますと、五反田さんのお友だちは「ありがとう」と会釈をなさいました。そしてどっかりといすに腰掛けますと、つんととがったお鼻をすぴすぴさせました。
「この匂い、さてはおまえ、紅茶を飲むな?」
「頻繁に飲むわけじゃねーけどな。おい鈴蘭、こいつの分も用意してくれ」
「はい。用意はできております」
 できたての紅茶とティーセットとスコーンをおふたり分お盆に載せて持って行きますと、五反田さんは満足なさったように、うんうんと何度か頷きなさいました。
 五反田さんのお友だちはわたしをそっと見上げますと、怪訝そうなお顔をなさいました。
「五反田、この麗しい女性は誰だい? 彼女を僕に紹介してくれるのかい?」
「アホ言うなら帰ってくれ。こいつは俺の助手だ」
「へえ! 助手をとるなんて、五反田も偉くなったものだねえ!」
 そう紹介されるととっても気恥ずかしいですね。わたしはすこし頭を下げただけで、あんまり恥ずかしくって、なにも言うことができませんでした。
 紅茶をおふたり分注ぎますと、さっそく五反田さんのお友だちがティーカップに手を伸ばしました。
「へえ、アールグレイか。五反田、君もなかなか俗っぽいの飲むなぁ」
「ほう」
「紅茶ならカンヤム・カンニャムが一番だよ。いいかい? 紅茶ってのはまず渋みがないといけない。フレーバーティーが悪いわけじゃないけど、香りづけをしてしまうと紅茶の良さがどうしても損なわれてしまう」
「おい鈴蘭。用意してくれたところで悪いが、こいつの茶を捨ててしまえ」
「いや待ってくれ五反田。彼女が淹れたお茶なら話は違う。紅茶ってのは綺麗な女の人が淹れるとより味や香りが魅力的になるんだ。そこにはアールグレイもカンヤム・カンニャムも関係ない。年上のお姉さんならさらにいい!」
「鈴蘭。やっぱりつまみ出せ」
「でも五反田さん、このお方はお友だちではないのですか?」
「そうだよ五反田。僕はね、今日は冷やかしに来たわけじゃないんだ。聞いてもらいたいことがあってね」
 そうおっしゃると、五反田さんのお友だち(でもあり、今日はお客さまでもあるようです)は咳払いののち、姿勢を正してにこっと微笑みました。
「じゃあ改めまして、五反田。客である僕を無下にはしないね?」
「……金城、言ってみろ」
 ご主人さまの言葉にあわせて、にゃんっ、とポアロがひと鳴きしました。
 金城さん、というお名前らしい五反田さんのお友だちは、さっそく、こんなお話をなさいました。
「最近、といってもここ数カ月くらいかな。家の前で妙にあるものが死んでるんだ」
「あるもの?」
「猫だよ、猫」
 そうおっしゃると、金城さんは紅茶を一口、おくちに含みなさいました。
「そりゃご苦労だな。で、俺にどうしろと言うんだ」
「家の前に動物の死体が転がってると外聞的にも悪いだろ? だからどうにか未然に防げるとこっちも楽なんだ。分かるだろ、五反田。これがもし誰かのいたずらなら、ぜひ犯人をひん剥いて縛り首にしてつるし上げたい」
「……犯人が女でも?」
「うふふ、それを聞くのは野暮だよ、五反田」
「鈴蘭、こいつをひん剥いて縛り首にしてつるし上げろ」
「嘘うそ! 冗談! ジョークだよ、五反田。僕はレディをひん剥く趣味はあってもその逆はないんだ!」
「そのけしからん趣味なら捨ててしまえ。……で、早い話おまえは俺に、猫が死ぬ原因を探ってもらいたいわけだ。そしてこれがもしいたずらなら、犯人をおまえにつき出せばいい」
「万一怪奇現象のなせる業だったら、ついでにお祓いも頼むよ」
「俺は陰陽師かビショップか。それともインチキ霊媒師か。アホ言う前に説明をしろ」
 五反田さんにそう促されて、金城さんはにこにこ顔でこう説明をなさいました。
「僕ん家の前って道路なんだけどさ、細い道路ながらなかなか交通量あるんだ。で、そこに猫のぺしゃんこ死体が転がってるわけ。もちろん中には綺麗な死に顔のヤツもいるけど、だいたいの死体は見るにたえない」
「ふうん」
「まったく困ったいやがらせだよね。参るよ」
 そうおっしゃいますと、金城さんはほとほと困ったお顔をされました。
 それにしても、たくさんの猫がおうちの前で亡くなっているなんて、なんと恐ろしいお話でしょうか。お話を聞いているだけで、めまいを起こしてしまいそうでした。
 五反田さんはスコーンをフォークで小さくちぎってお口に運びながら、目だけで金城さんに続きを促しました。
「僕の家の周りじゃしょっちゅう猫集会やってたからね。普段から猫が集まりやすかったんだけど、思えばこんなことは一度もなかったよ」
「猫集会……って何だ?」
「読んで字のごとく。猫による集会だよ。野良猫が何匹か集まってるところ、五反田もどっかで見たことあるだろ?」
「ああ……あれか。あれ猫集会って言うのか」
 五反田さんは納得したようにしきりにうなずいて、
「で、その猫集会とやらはいつから?」
「ずいぶん前だよ。僕らがまだ中学生とか高校生とか、そのくらいの話」
「ほう。三、四年は前の話だな」
「そうなるね」
 それにしても、ほんの三、四年前まで五反田さんが中学生か高校生だったなんて、とっても不思議だと思いました。でも五反田さんの本業は探偵でなくあくまで学生ですので、よくよく考えれば、とくに不思議なこともないのですが。
「でもね五反田、そんなに長く猫にだべってもらっても、人間としてはちょっと困ることも多かったんだ。糞尿はまき散らすし、我が物顔で家に土足で入り込むし、ガーデニングは全滅だし。一時は本気で猫の駆除も考えられたそうだよ」
「ほう。お前はそいつらの仕業だと思ってるわけだ」
「そうは言わないけどね。でも事実として、猫を疎ましく思う連中ばかりだったというわけさ。僕を含めてね。だから正直のところ、僕は誰が犯人であっても驚かないよ。僕としては誰もが疑わしい。あ、だから犯人が見えてこないのかもしれない」
「ふん」
「お姉さん、お茶のおかわりくれるかな?」
「かしこまりました。すこしおまちくださいね」
 わたしは金城さんからティーカップを受け取りますと、いっしょにティーポットも持って給湯室へ向かいました。ポットの中身はすっかりぬるくなってしまい、とてもお客さまにお出しできるものではなかったのです。空にしたポットに新鮮なお湯を注ぎ、ふたたびお茶の葉を蒸らしておりますと、スチール机のほうから、五反田さんが手招きをしていらっしゃるのがうかがえました。ポットとカップといっしょにお部屋に戻りますと、五反田さんは満足なさったようにお鼻を鳴らしなさいました。
「ワトソン役のお前がどっか行ってどうするんだ。茶はここでも淹れられるだろ」
「そんな、五反田さん。わたしにワトソン役は力不足です」
「じゃあヘイスティングズでもいい。とにかく今は席を離れるな。そこでいいからお前も座れ」
 そう五反田さんが指を差されたのは、積みあがったハードカバーの本の上でした。本当におしりをつけてしまってよろしいのでしょうか。しかしまさか床におしりをつけるわけにはゆきませんので、言われたとおり、わたしは本の上に腰かけました。
「で、金城。続きを話してみろ」
「どこまで話したっけ?」
「野良猫を疎ましく思ってるヤツがいる、ってとこまでだ」
「そうだったね。例えばウチのお向かいさんも自慢の庭がめちゃめちゃになったとか、お隣さんもせっかくのセダンにおしっこ引っかけられたとか、そういう被害も表面化してきてるよ。ウチも神戸牛をとられたことがある」
「神戸牛がやられたのか……なんつーか、そりゃ災難だったな」
 五反田さんはお腹のそこから残念そうにおっしゃいました。
 でも、わたしも、お庭がめちゃめちゃにされるお気持ちは分かります。せっかくのお花が虫にかじられているのを見つけてしまうと、とってもがっくりくるものです。
「たしかに、せっかくお庭がだいなしになると悲しいですね。きっと……そうですね、この時期だと、たくさんきれいなお花も咲いていたでしょうに」
「そういえばあの家、ツツジやユリが全滅って言ってたなあ。それにしても鈴蘭さんって花について詳しいんだねえ! たしかに鈴蘭さんには綺麗な花が似合うよ」
「鈴蘭を口説くなら後にしろ色魔野郎。……結論だけ言うと、お前も猫には辟易してたと」
「これだけ大人しければ別だけどね」
 そう金城さんは、足元で寝そべっていたポアロを足の指先でちょんちょんとつっつきなさりました。ポアロはとても嫌そうな顔をして金城さんから離れて、代わりにわたしのおひざでお昼寝を始めました。
「へえ、あの猫も分かってるじゃないか。やっぱり女性の膝で寝るなら年上のお姉さんに限るよ」
「お前の性癖は聞いてねえよ」
「とてもいい子じゃない。名前なんて言うの?」
「この子はポアロっていうんです」
「なるほど、エルキュール・ポアロか。いかにも五反田って感じの名づけだなあ!」
「るっせ。それで? 猫は実際どこで集会してたんだ?」
 すっかり完食してしまったスコーンのお皿をお盆に放り投げて、五反田さんはいかにも眠たそうに、あくびを噛みしめながらそうおっしゃいました。そんなようすをご覧になりながら、お客さまでもある金城さんはすっかり苦笑気味です。
「ねえ君、本当に仕事する気あるの? そこのお姉さんの方が熱心な気がするなあ!」
「わたし、ですか?」
「そそ。僕の目をじぃーっと見つめちゃってさ、あなたは僕を恋に落とす気なのかい? そうだ! あとで五反田にはナイショで僕んちに来るかい?」
「え、えっと……」
「おい。俺の目の前で内緒もクソもねーだろ」
 なんておっしゃる五反田さんはとっても機嫌が悪そうに見えます。いらいらしているのかもしれません。きっと紅茶が冷たくなっているのが原因でしょう。ちょうど蒸らし終わった紅茶をカップに注ぎますと、さっそく五反田さんの手が伸びました。やっぱり温かい紅茶をお待ちになっていたようです。
 金城さんのカップにも温かい紅茶を淹れますと、とっても嬉しそうににっこりとほほ笑みなさいました。
「ありがとう。大切に飲むよ。――集会ならだいたい僕んちの庭か、その隣のゴミ捨て場。でも最近はお向かいさんの庭に居座ってるみたいだね。あと寒い時はセダンの下」
 自動車の下はとても温かいですからね。車の下に集まる猫たちの気持ちはわたしにもわかります。わたしも小さいとき、車の下にもぐってたいへん怒られたことがありますので。
 五反田さんも「わかるわかる」といったごようすで、しきりにうなずいていらっしゃいました。五反田さんが小さなからだをもっと小さくまるめて、車の下でくうくうと眠っているのを想像しますと、ふふ、とってもしっくりきてしまいました。
「……鈴蘭、何を想像してるかしらねーが、にやにやしてんじゃねえ」
「う、ごめんなさい」
「で、金城。一つ確認したい」
「何だい?」
「綺麗な死体の猫もいたんだな?」
 五反田さんにとって、この質問はとっても大切なものだったのでしょう。五反田さんのおめめはとっても真剣で、きりりとまじめなものでした。おそらく、五反田さんのおなかの中にはすでに、この事件に関してなにか考えがあるのでしょう。
 金城さんはにやっと微笑んで、大きく頷いてみせました。
「その通りだ。毛並は汚いしがりがりに痩せてたけど、死体は綺麗なものだったさ」
「オーケー。おい鈴蘭」
「はい?」
「ついてこい。金城、一か所案内してほしい場所がある」


 五反田さんにひっぱられ、金城さんに案内されるままたどりついたのは、金城さんのご自宅でした。二階建ての一軒家。青い自動車が一台車庫にちんまりと停まっております。
 金城さんのご自宅に着いたというのに、五反田さんは金城さんのおうちには見向きもしません。きょろきょろとあたりを見渡したり、お向かいさんのご立派なお庭を興味しんしんに眺めたりしておりました。
 それから、五反田さんはこんなことをおっしゃいました。
「おい金城、鈴蘭連れてしばらく待機な」
「わお! これはお許しが出たと解釈していいのかな? 新しいパンツ穿いておけばよかった」
「馬鹿か! もしくは変態か! もうお前ら車庫で待ってろ! 鈴蘭に変なことしたら通報するからな!」
 と、五反田さんはぷりぷりと怒りながら、わたしたちをおいてどこかに行ってしまいました。わたしたちは五反田さんに言われた通り、自動車の隣で五反田さんの帰りを待ちました。
 この車の下にも猫がいないか気になってのぞいてみましたが、あいにく、そこにはなにもありませんでした。ちょっと残念です。
 そんなことをしていると、お向かいさんの方から、女性の方の大きな声が聞こえてきました。どうやらとっても怒っていらっしゃるようです。あとはばたばたと子どもが走り回る音も一緒に聞こえてきます。あんまり大きな声だったので、わたしはとってもびっくりしてしまいました。
 しかし金城さんはちっともびっくりなさらず、むしろのほほんとしていらっしゃいました。
「さてはまた悪ガキでも入ってきたのかな? それにしてもいつもに増して激しいなあ!」
「い、いつものことなんですか?」
「そうだよ。あの庭アンズの木があって、この時期になるとたっぷり実をつけるからね。悪い子どもが忍び込んで実をちょろまかすの、さ……!?」
 その時、車庫に入ってくる一人の、泥んこなおとこの子がございました。両手いっぱいに、アンズの実や色とりどりのお花を抱えております。その子を見て、さっきは動じなかった金城さんも、とってもびっくりしていらっしゃいました。
 とはいえ、びっくりしたのはわたしも一緒です。
「……帰ったぞ」
 そのおとこの子とは、なんと、五反田さんでした。


「信じられないな。五反田がそんな人間だったなんて!」
「いや違う! 誤解だ! これはどうしても必要だったんだ!」
「だからって、勝手に他人の家に侵入して花を手折ってくるなんて、探偵はもちろん、まともな大学生ならまずしないよ」
 さて、ここは金城さんのご自宅のリビング。金城さんからお借りしたティーセットで作らせていただいたお茶を、おふたりのカップに注ぎながら、わたしはおふたりのやりとりを聞いておりました。
 五反田さんはむっつりとほっぺたをふくらませ、すっかりむくれてしまいました。
「元はといえばお前の依頼のためなんだぞ。これは調査の一環で、これがあればたちどころにこんなしょぼい事件解決できるんだぞ。文句言われる筋合いはねーよ」
「……鈴蘭さん、こいつの調査っていつもこんな感じなのかい?」
 ええ。残念ながら。
 わたしはすっかり慣れてしまいましたが、五反田さんはちょっと……いいえ、かなり、無茶をなさるときがたまにあるのです。ああ、それにしても、お向かいの奥さまになんと言いわけをしましょうか!
 テーブルの上にはティーセットの他に、五反田さんがお向かいの庭から持ってきたさまざまなお花や草がこんもりとあります。アンズの他に、ツツジ、アジサイ、ユリ……まあ! カルミアまでございます! あとカサブランカやシクラメン、キキョウ、イエロージャスミン、サフラン、トマトの葉っぱ、チューリップの球根、ナスのまだ小さいもの。こちらは、ええっと……たぶん、ヘレボルス、でしたっけ。それにしてもユリ科の葉っぱだけ、とっても多いような気がします。
「おい鈴蘭。ずいぶんこいつらに食いつくな」
「え、あ、ごめんなさい。あの、わたしも一時、ガーデニングをたしなんでいたときがございましたので……」
「へえ! 詳しいなとは思ってたけど、やっぱり美しい女性は趣味もおしゃれなんだねえ!」
「そ、そんなことは……」
 とはいえ、せっかくたくさん買ってきたお花をすべて枯らしてしまって以来、一度も花壇をいじっていないのですが……なんて、そんなこと、どうして言えましょうか!
「でも五反田さん、なぜユリの葉っぱがこんなにあるのですか? ほら、球根もいっぱい」
 そう聞きますと、五反田さんはとっても嬉しそうなお顔をなさいました。
「さすが俺のワトソンだ。目のつけどころがいい」
「えっ、では、やっぱりとっても大切な手がかりなんですか?」
「当たり前だろ。ほら、見てみろ」
 そう五反田さんは、二枚のユリの葉っぱを手にとって、それをわたし、金城さんにそれぞれ手渡しました。へんなところはなにもない葉っぱです。変わったところといえば、すこしだけ、先っぽのほうに、虫にかじられたあとがあることくらいでしょうか。
 金城さんも葉っぱをしげしげと眺めていらっしゃいましたが、しばらくして、変なお顔で「うーん」と唸っていらっしゃいました。
「虫食いの痕があるくらいで、とくに変なところもないんじゃないかなあ」
「ちげーよ。それ、猫の噛み痕。中学生の野球部並みに食欲旺盛な虫なら別だが、歯型が虫にしちゃでかすぎだろ」
 言われてみればそんな気はしますが、わたしにはよくわかりません。金城さんも同じのようで、難しいお顔でじっくり葉っぱを観察なさっていました。
 葉っぱのほかに、五反田さんは球根やお花もそれぞれ並べてみせました。
「葉じゃ分かりにくかったかもしれねーけど、球根のここ、これは確実に猫の歯型だ。あとこれアジサイのつぼみんとこ。千切られた痕があるだろ?」
「あ、ホントだ」
とくに球根の歯型はくっきりと、まあるくのこっておりました。ちょこっとかじって、まずかったので食べるのをやめました、みたいな、そんなあとです。
「これだけじゃない。こいつら全部齧られてんだぞ」
「でも、それが事件とどう関係があるんだい?」
「面倒だから結論から言うぞ。猫の死因はこれだ」
 そう五反田さんは、草花のお山を指差しました。


 五反田さんは詳しい説明をなさるまえに、紅茶を一杯、おくちに運びまして……ぷほっ、と小さくむせてしまいました。
「うわっなんだこれ! 苦っ、つーか渋い! おい鈴蘭! 砂糖くれ!」
「かしこまりました」
「何言うんだよ五反田。これがカンヤム・カンニャムだよ。ていうかね、紅茶っていうのは本来渋いもので――ああ! そんなに砂糖を入れたら風味が損なわれてしまうじゃないか!」
 とっても悲しそうな金城さんのお言葉を、つんとすましたお顔で無視して、五反田さんは角砂糖をみっつ、ぽちゃんぽちゃんと紅茶へお入れになりました。
 すっかり甘くなった紅茶をくるくるかきまぜて、五反田さんはこれをおいしそうにお飲みになりました。
「んー、どこから説明するかな。これ全部、猫にとっちゃ毒物なんだよ。それもかなりやばいやつ」
「あの、トマトや、ナスもですか? ユリ根だって、おみそで和えるととってもおいしいのに」
「当たり前だろ。ユリ科なんてのは猫にとって一番やばい花の代表だぞ。体についた花粉を舐めて死んだ……つー事例もある」
「まあ……!」
 それは知りませんでした。ユリが綺麗な季節なので、花びんにいけて飾ろうと思っていたのですが、ポアロもいますし、止めておいた方がいいかもしれません。
 紅茶で一息ついて、五反田さんがお次に手にとったのはアンズでした。
「これもそうだな。下手に種呑みこんだら最悪死ぬ。そうじゃなくても衰弱する」
「じゃあ五反田は、私利私欲のためにアンズをちょろまかしたわけじゃあなかったわけだ」
「俺がそんなことする男に見えたのか、馬鹿野郎。――まあそういうことで、うっかり毒物を食った猫は哀れにもぽっくり、たまたま花屋敷の前に建ってたおまえんちの前に猫の死体が集まった、と。もしくは衰弱してるところを車か自転車にやられた。だから綺麗な死体といかにもな轢死体の二種類が転がってた」
「なるほどね」
「ユリやツツジの咲いてる庭が猫に荒らされた、って聞いてピンときたんだ。どっちも猫にとっちゃ劇物だからな。普通そんなの食ったら死んじまう。俺らが森に自生してるキノコを片っ端から食ってくのと同じだ」
 五反田さんのたとえ話はとってもむずかしいですが、この草花が、たくさんの猫の命をうばったということは、ひしひしと伝わってきました。見なれた植物ばかりでしたが、それらがとっても恐ろしい、えたいの知れないものに見えてきます。ああ、トマトもナスも、おいしいお野菜としか思っていませんでした。
 金城さんはむずかしいお顔で、こんもりしている草花のお山を、なにも言わずにじっと見つめていらっしゃいました。そばらくして、ふー、ととても長く息をはきだしました。
「言わずもがなだろうけどさ、五反田。犯人は?」
「お前の向かいんちの、ガーデニングだよ」
 すましたお顔で、五反田さんはお約束どおり、犯人を金城さんにつきだしたのでした。



 金城さんのご自宅からおいとまするとき、わたしお向かいさんのお宅の庭をのぞいてみました。
 きれいに咲いたまっしろなユリの花、こんもり茂ったツツジやアジサイの株。どれも細かいところまで手入れをされていて、とっても大事にされていることが分かります。
「なんだか、報われませんね……」
「何がだ?」
「だって、このお宅の人が大事に育てているお花が、たくさんの猫を殺しているのでしょう? このお宅の人が悪いわけではありませんのに、結果として、猫を死なせてしまっているのでしょう。……そう思うと、報われません」
「ふうん」
 いかにも興味なんかない、なんてお顔をされて、五反田さんはくるりときびすを返してしまいました。そうですね、猫を殺している犯人も分かって、金城さんからお礼もいただいて、五反田さんのお仕事はもうおしまいです。わたしも、はやく気持ちを切りかえないといけませんね……
「あのな、鈴蘭。お前本気でそう思うか?」
「え?」
「お前の脳みそはすっからかんか! それとも紅茶を淹れるためだけにあるのか! そんなわけねーだろバカタレ!」
 大股でずかずかと歩きながら、五反田さんは乱暴に怒鳴りました。あんまり大きな声だったので、わたしはとってもびっくりしてしまいました。
 ご機嫌がたいそう悪いごようすで、五反田さんは大きなため息をはき出しました。
「あのなあ、お前、ガーデニングやってたんだろ? なんであの庭が変だって気づかねーんだ」
「変、ですか?」
「トマトとナスとユリとカサブランカが一緒くたに植えられてんだぞ。庭園か菜園かどっちなんだっつー話になるだろ!」
「ですが……あれだけ広いお庭ですもの。お野菜専用のスペースがあっても変ではないと思います」
「もうちょっと頭を使え、鈴蘭。俺はあの庭に忍び込んで帰ってくるまで、一体どのくらいかかった?」
「ええっと……」
 たしか、わたしが車の下をのぞいて、そしたらすぐにお向かいの奥さまの声が聞こえてきて(きっと忍び込んできた五反田さんをお叱りしていたのでしょう)、それからすぐに五反田さんは戻ってきたのだと思います。ですので、ええっと……五分もかからなかった、ような気がします。ああ、たしかに、たったの五分ではあんなに広いお庭をうろうろできません。そうなりますと、お野菜とお花はすぐ近くに植えられていたのでしょう。
「もっと言うなら、見たところあの庭全体そんな感じだった。猫が集まる庭に、猫の劇物がずらっと揃ってる……果たしてこれは偶然か?」
「待ってください! では、五反田さん、まさか……」
「そのまさかだ。あそこの家の奥さんが、わざとそうやって揃えたんだ」
 五反田さんの歩調はすこし速めで、わたしはついていくのにやっとでした。事務所に向かう、ちいさな喫茶店の角は、とっくに通りすぎております。それでも五反田さんは、あの角まで戻ろうとはしませんでした。
「なにより野菜とイヌサフランを一緒に植えてたこと自体、ガーデナーとして不自然だったんだ。人間にとっても猛毒だから、厚生労働省も食いモンと一緒に植えんなって注意喚起してんだぞ。お前も知ってるだろ、イヌサフラン」
 どうやら、わたしがサフランだと思っていたものは、本当はイヌサフランだったようです。イヌサフランの毒がとっても強いことは、わたしも小耳にはさんだことがございました。五反田さんのおっしゃるとおり、下手をすれば人間も死んでしまう毒物です。そんなものがお庭に生えて、お手入れもされているなんて……
「他にもイエロージャスミンが混ざってたろ。あれも毒性が強い植物だ。そんな物騒なモンと食い物、お前なら一緒に植えるか?」
「いえ。イエロージャスミンは可愛いお花ですが、お野菜と一緒に植えるのはちょっと……」
「そういうこった。つまり、あのガーデニングはな、猫を中毒死させるための罠だったんだよ」
 なんて……なんてこと。
 五反田さんの淡々とした声色が、いっそうおそろしく聞こえます。あまりのおそろしさに、思わず足がすくんでしまいそうになります。
「こっからは俺の想像でしかねーけど、あの奥さん、猫が集まり始めた当初から、ご自慢のガーデニングを台無しにする害獣に頭を悩ませてたんだろう。で、たまたまかどうかは知らねーが、ある日庭で死んでる猫を見つけた。原因はどうやら庭に植えてたツツジかユリか、らしい。そいつを植えれば害獣を、それも近所に怪しまれずに駆除できると知った奥さん、この手を使わないわけにはいかないと考えた。で、ネットで調べるなりして、猫に有害な毒物を着実に集めていった」
「最初から……猫を、殺すために」
「いや、最初はきっと、猫の天敵を植えれば寄り付かなくなるとでも思ったのだろう。しかし意に反して猫は居座り続けた。子猫も生みやがった。そんな時、近所の住民も猫のことで困っていると小耳にはさむ。さらに本格的な猫の駆除案も浮かんできた。再び考える奥さん。どうにかして、安全に猫を駆除できないか? 保健所に連絡するか? いいや、コトを大きくしたくない。そうだ、庭を有効活用しよう、そう考えたわけだ」
 ぴたり、と五反田さんは歩くのをお止めになりました。わたしも五反田さんにならって立ち止まりました。
「猫を一か所に固めておくのは簡単だ。餌を継続的に与えてやればいい。常日頃から飢えた野良猫は、そんだけで簡単に庭に住みつくようになる。その内の何匹かは戯れに手頃の葉を食い、毒に当たって死ぬ。庭に転がる死体は生ごみと一緒に捨てちまえばバレやしない。道路で死んだ猫は放っておけば車がぺしゃんこにしてくれる。そうすりゃ事故死と見分けがつかねーしな」
「そんな……」
「数か月前から猫の死体が急増したのは、おそらく冬か春くらいに毒草の株を増やしたんだろうな。あの庭の咲いてた花が多かったのはそういうこった。奥さんが本腰を入れたんだろ」
 わたしは、五反田さんのお話を聞きながら、あのお庭に咲いていたたくさんのユリを思い出しておりました。生まれたばかりのようにまっしろな花弁に、生き生きと伸びたまっすぐな茎。いかにも健康そうにつやつやした葉っぱ。とても毒々しいものには見えない、とってもきれいなお花でしたのに。どれだけの猫が、あの葉っぱを、茎を、お花を、かじって死んでしまったのでしょうか。それを見て、奥さまは何も思われなかったのでしょうか。
 そして、金城さんは、このことをご存じなのでしょうか。
 思い切って五反田さんにそう聞いてみますと、意外なお返事をくださいました。
「知らないんじゃねーの? 俺あいつに一言もそんな話してねーし。俺の仕事は猫の大量死の原因を突き止めて、あいつに犯人を突き出すことまでだ。そのバックにどんな事情があったか、あいつの知ったことじゃねーだろ。ま、変だな、くらいには思ってんじゃねーの?」
 と、五反田さんはとてもさばさばしておりました。お相手がいくら五反田さんのお友だちでいらっしゃっても、あくまでこれはお仕事で、金城さんはお客さまでした。そんなものかもしれません。
 ちいさな体をぐーっといっぱいに伸びをして、五反田さんは「やれやれ」と一息つきました。
「俺らもさっさと花屋敷のことは忘れよーぜ。あんな胸糞悪ぃことにいちいち首突っ込んでられっか」
「……そうですね」
「腹も減ったし、美味いモン食ってすっきりするか。金城の野郎も奮発してくれたし、いい店奢ってやるよ」
 本当にユリのことをお忘れになったような明るいお顔で、ぱたぱたと五反田さんは足早に歩き出しました。
 その脇で、こんもり茂ったツツジが、ふんわりと揺れておりました。
しおりを挟む

処理中です...