境界標の彼と終わらない怪異を

りく太

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1章:祭囃子

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線路沿いの道を外れて、私たちは鬱蒼とした獣道を歩き続けていた。背丈を超える草に足を取られ、思ったように前に進めなく気だけが焦る。
冬馬くんは何故かそんな様子も見せずサッサと進んでいく。自然と嫌いですなんていいそうな顔をしているのに。もしかしたらあの脚の長さが草根をうまいことかき分けているのかもしれない。

太陽は山に隠れ、頭上を覆い茂る木の枝から微かに星々が揺れるのが見える。今日は新月らしく辺りがさらに暗く感じる。
暫く歩いていると崩れかけの岩垣の隙間から、廃村が姿を現した。

朽ちた屋根、斜めに傾いた柱、崩れた縁側。手のひらでなぞれば簡単に崩れてしまいそうな、小さな家がいくつも並んでいた。

あまり広くない村のようだ。
少し開けた人間の営みを感じさせるその空気に安堵とも似た気持ちが湧いてくる。

私はそのことが嬉しくなり、一番手前にある家を割れ果てた窓から覗き込んだ。
屋根は半分崩れており、畳もめくれ、雨水に濡れてふやけている。長年放置されていたようだ。
だが、その中央にだけ、丸い卓袱台がぽつんと置かれていた。決めてきた質素な卓袱台に乗った白磁の皿と黒光りする箸は、異様なほど清潔であった。

「今さっきまで使ってたみたい……」

思わず声が漏れる。
冬馬くんは私の呟きにハッとしたような顔をし、次々と家の中を覗き込んでいった。

私も釣られて覗き込んだが、他の家も同じだった。
どこもボロボロに崩れているのに、皿と箸だけは誰かが拭き上げたように汚れひとつない。

その異質さに、村に着いた際の安堵感はもうすでになくなっていた。
私は冬馬くんを見失わないように必死に彼に着いて回った。

暫くすると村の中央にある井戸で彼は立ち止まった。
井戸には蔦が絡まっていた。覗き込もうかとも考えたが、中は暗くどこに繋がっているかわからなかったのと、体重をかけた瞬間井戸が崩れてしまいそうだった。
冬馬くんは真剣な顔をしてなにかを考えている。

私はパンパンになった足を休ませようとその場でしゃがみ込んだ。
今のうちに休憩しておかないと、そう思い鞄から水筒を取り出した。瞬間、冬馬くんが私の手を強く掴んだ。

「……欲しいんですか?……別に全部飲んだりしませんよ。ちゃんと一口だけなら、あげても……」

口を尖らせてそう言うと、冬馬くんは見下すように目を細めて言った。

「異界で物を口にするのはよした方がいい。ただでさえ君は染まりやすいんだから」

意味はわからなかった。でも、その言葉の奥にある切迫感が妙にリアルで、私は黙って水筒を鞄にしまった。
お預けを食らったせいか余計喉が乾いた気がした。

「水、飲みたい……」

ぽつりと呟いたその瞬間だった。

風が変わった。ふわりと鼻腔をくすぐる、鉄と腐臭の混ざった生臭い匂い。思わず鼻を手で覆ったその瞬間、冬馬くんが素早く私の口を塞ぎ、井戸の影へと押し込んだ。

「しゃがんで。息を止めて」

掠れた小声が耳元に届く。肩と肩が触れるほどの距離に、私は胸の鼓動が跳ね上がるのを感じていた。

ザッ……ザッ……

乾いた音が、砂利を踏みしめるように近づいてくる。

息が、喉に詰まった。

口を開けていたら、あの匂いが肺の奥まで入り込みそうだった。だから、必死に口を閉じていた。唾を飲む音すら相手に伝わりそうで顔がこわばる。

近い。

何かが歩いている。こちらに背を向けているというのに、何かの視線が突き刺さる。

……ぴちゃっ。

一滴、水か何かが地面に落ちる音がした。目を閉じていても、涙がこぼれた。

だが、次の瞬間――音が、消えた。匂いも、消えた。

冬馬くんがそっと手を離した。

「……あれは、なんだったの?」

私はかすれる声で尋ねた。息を吸い込みすぎて、肺が痛む。
冬馬くんは眉を寄せたまま、ぽつりと言った。

「……ガキ、だね」

「……バカにしてます?今のですら怖がったらいけないんですか……?」

「違うよ。子供の“ガキ”じゃない。“餓鬼”だ」

その単語に、私は首筋が凍るような感覚を覚えた。

「飢えで死んだ人間が、渇望のままに鬼になった存在だよ。……この村、飢餓に苦しんでいたみたいだね」

冬馬くんは何事もなかったかのように立ち上がり、膝についた土を払った。

「そろそろ行こうか」

「……行くって、どこに?」

冬馬くんは無言で指差した。
見上げた先、小高い山の上に、やけにくっきりと赤い鳥居が浮かび上がっていた。

「あそこにだよ」

そう言った彼の口が鳥居の色と被って見えた。
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