境界標の彼と終わらない怪異を

りく太

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1章:祭囃子

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それは“山”というにはおこがましく、“丘”というには険しすぎる傾斜だった。

けれど、恐怖で体力を削られた私にとっては、この程度の坂道でさえ過酷だった。登るたびに息が上がり、肺の奥が熱を持って焼けるようだった。足が棒のように重い。

ようやく辿り着いた山頂には、古びた神社がぽつりと建っていた。

村の家々よりは建物の骨格がしっかりしていたせいか、かろうじて崩れ落ちはしていなかった。屋根の端がめくれ、手水舎には落ち葉が積もっている。拝殿の軒下には蜘蛛の巣が張り、木製の扉にはひび割れが走っていた。

空気が重い。息が詰まりそうなほど静かだった。

私は神社の静けさに圧倒されて動けなくなりそうだったが、冬馬くんは逆に足取りを軽くしながら一歩前へ出た。

「ごらんよ」

宝物を見つけた子供のように、冬馬くんはカラカラと笑った。

彼に誘導されるままに近づき、賽銭箱の上を覗き込んだ瞬間、呼吸が止まった。

白い、紙で折られた“ヒトガタ”が二枚。人の形をしたその紙の中央に、あり得ないものがあった。

――文字。

しかも、ここでは存在しないはずの、“私の世界の文字”。

一枚には「藤宮奈百合」、もう一枚には「冬馬」。

「……なんで……?」

震える声が自分のものだとわかるまで、少し時間がかかった。

困惑している私をよそに冬馬くんは無言でヒトガタを一瞥すると、まるでそこに置かれた飴玉でも拾うかのように、それをポケットに押し込んだ。

「……えっ……持って帰るんですか!?そ、そんなの……破ってしまいましょうよ!」

思わず声を荒げると、冬馬くんは呆れたように肩をすくめた。

「大胆だね。自分の名前の入った呪物を自分の手で破くなんて。……逆にどうなっても知らないけど」

ふざけてるのか、本気なのか。私には判断がつかなかった。
言い淀む私に満足したのか冬馬くんは、さも当然かのように拝殿の前へ歩いていく。

ガンッ!

木製の扉が鈍く響く音を立てて開いた。彼は容赦なくそれを蹴り開けたのだ。

「ば、罰当たりすぎますよ……!」

思わず後ずさりそうになる。だが彼は悪びれるどころか、小さく笑ってこう言った。

「残念。僕、無宗教だからね。特にこの世界の神様に敬意はないよ」

そう言って、土足のままズカズカと中へ入っていった。

その大胆すぎる行動に唖然としてしまった。
……私だって、べつにこの世界の宗教に信心深いわけじゃないしな……それに置いていかれる方が、もっと怖い。
そう思い直し、私は戸の外で一度だけ深呼吸をしてから、拝殿の中へ足を踏み入れた。


中は思ったよりも質素だった。床板の隙間から土が見える。木の匂いと、湿った紙のような、妙な臭いが鼻をかすめた。

中央に、木でできた箱がぽつんと置かれていた。祭壇だろうか。その奥に、奇妙な屏風が立てかけられていた。

私たちは吸い寄せられるように、その屏風へ近づいた。

描かれていたのは、“文字のない”物語だった。

水墨で描かれた連続的な絵が、まるで絵巻物のように、右から左へと流れていた。

最初の場面では、夜の闇の中、二人の人物が長い行列に連れられて、どこかの建物へと向かっている。

次に、その人物たちが拝殿の前で頭を下げている絵。神の姿らしきものは描かれていない。ただ、光のようなものが人物の上に注がれている。

さらに進むとその二人が、井戸のような場所で体を清められている場面。白い布をかけられ、髪を梳かれている。

最後の絵で、二人は黒く濁った沼の中へ沈められていた。周囲には灯籠が並び、異様なまでに笑っている面の行列が、静かに手を合わせている。

私は背中にぞわっと鳥肌が立つのを感じた。

「……なに、これ……」

呟くと、すぐそばに立っていた冬馬くんが、絵をじっと見ながら言った。

「“供物の儀”。僕たちの夜の予定、だね」

冬馬くんはくすっと笑った。

「君が“祭囃子だ”って言った感覚、正解だったよ。あれは神様に差し出す“供物”がやってきたお祝いだったんだね」

私は頭を抱えたくなった。これが全部悪い夢であってほしかった。寒気と吐き気が一度に押し寄せる。
唯一の現実である冬馬くんは少し困ったように見つめ私の前に立っていた。

「泣きそうなところ悪いけど――次、沼に行ってみようか」

「……え?」

「この最後の絵。“御霊池”ってやつだ。……見てみたいだろ?」

その言葉は今までに聞いたどの言葉より、ひどく軽く聞こえた。
けれど、同時に私にはもう彼しか頼れる人がことを痛感し頭の奥が痺れたように痛んだ。
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