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1章:祭囃子
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沼に行くよと言って歩き始めた冬馬くんを追いかけていくと神社の裏手に、細くうねる獣道のようなものが続いていた。
その道は暗く一寸先まで見えなかったが彼はためらいなく進んでいくので、私もそれに従うしかなかった。
道なき道をかき分けていくと、草むらの隙間から、ゆらりと水面が見えた。
「……あれが、沼……?」
私は思わず足を止めた。
辺りは静まり返っているはずなのに、どこからともなく地鳴りのような低い太鼓の音が響いてくる。
耳を塞ぎたくなるほどではない。けれど、頭の奥を鈍く打ちつけるような、身体の芯を揺らす音であった。
いつの間にかに聞こえていた祭囃子は止まっていた。
わたしは草をかき分け、ぬめるような光を放つ“沼”にゆっくり近づいた。
広くはないが、水は黒に近い緑色で得体の知れない深さがありそうだった。水面は不気味なほどにぴくりとも動かず、まるで鏡のようだ。
沼の周囲には、なにかの神具の残骸が散らばっていた。朽ちた注連縄、折れた御幣、赤黒く錆びた包丁。
地面には、風に煽られてひらひらと舞う白装束の切れ端も見える。
……なんで、こんなにいっぱい……?
私は沼の縁まで行き、覗き込んだ。
その瞬間だった。
「やめろ!!!」
冬馬くんの叫びが、頭の奥に響く。
けれどもう、私は水面を覗いてしまっていた。
――視界が、反転した。
頭が沼に引きずられるようにぐらりと傾き、膝が抜けたように地面へと崩れ落ちる。
水面に映る自分の顔が歪み、黒いものに飲み込まれるように消えていった。
太鼓の音が最後に大きく鳴った。
……冷たい。
頭から何かをかけられた感覚で、私は跳ね起きた。
視界が滲んで、呼吸が上手くできない。けれど、服の感触が違うのだけははっきり分かった。それは白い簡素な衣服であった。
「……どこ……ここ……?」
呟いた声が、自分の喉の奥からかすれるように出た。
私の周囲は、先ほどまでの神社の拝殿のようでいて、どこか違っていた。
人の気配はないのに、まるで何かがこちらを見ているような視線が、肌の上を這っていく。
村で嗅いだような生臭い臭いが充満していた。
私が辺りを見回していると神社の奥、祭壇の前に、足を組んでふてくされたように彼が座っていた。
「……勝手なことをしてくれたね」
低く、ぶっきらぼうな声。
冬馬くんだった。こちらを見もせず眉を顰めたままどこか遠くを見ていた。
「冬馬くん……!」
駆け寄ろうとするが、足が思うように動かない。濡れた身体は冷え切っていて、力が入らなかった。
「……なにが、どうなってるの……? 私……なんでこんな格好で……」
必死に問いかけると、冬馬くんは明らかに不機嫌そうな声で言った。
「君が沼を覗いたことで、“供物”として確定されちゃったんだよ。
本来なら、まだタイムリミットまでは時間があったのに……覗くなんて、普通しないけどね」
「……え……」
「そういうの、僕に確認してからにしてくれない? 勝手にやられると、予定が狂う」
冬馬くんの拗ね方は、怒っているというよりも、子どもが遊びを取られた時のような、すねた悔しさに満ちていた。
「……じゃあ、もう……どうにもならないの……?」
泣きそうになりながら問いかけると、彼はそっぽを向いて言った。
「うん。どうにもならないよ。
君が勝手にやったことだからね」
その意地の悪い口ぶりに、私は何も返せず俯いた。
外から祭囃子が聞こえる。笛と太鼓、鈴の音。
それに続くかのように、室内からはまるでお経のような不気味な呟き声が重なり始めていた。
その音は最初は漣のような小さな音でしかなかったのに、今は耳を塞ぎたくなるほどの音量であった。
騒音とも叫び声とも取れるような木魚の音が鳴った瞬間、音が止んだ。
それに合わせるかのように、祭壇の上座に置かれていた木箱が、カタンと開いた。
「……なに、あれ……」
私は自然と、祭壇の奥に目を向けていた。
それはそこに、“いた”。
それは「神像」と呼ぶにはあまりにも、歪だった。
一見、人のような形をしている。けれど顔が二つある。
片方は人間の顔、もう片方は獣のような顔。目が八方に広がり、舌が引きちぎられたように裂けていた。
目が合った。そう思った瞬間、吐き気がこみ上げてきて、私は口を手で覆った。
「なに、あれ……冬馬くん……」
震える声で問うと、ようやく彼は顔を上げた。
冬馬くんの目を少しずつ見開いていくのがわかる。
ふてくされたような顔から、それは次第に、真底嬉しそうな高揚した顔に変わっていった。
「見つけた。あれがこの神だよ。
供物を与え続けることでしか村が保つことしかできなかった、全ての元凶さ」
あの異質なものが神?
そんなことあり得るのか?
この禍々しい気配、重苦しいものが……
「……私たちの代わりに、こいつが沈めばいいのに……」
私がそう呟くと、冬馬くんの笑みがさらに深まった。
「……なら――」
冬馬くんはゆっくり立ち上がると、口角を上げた。
「二人で沈めてしまおうか」
その目は、焚き火のように揺れていた。
その道は暗く一寸先まで見えなかったが彼はためらいなく進んでいくので、私もそれに従うしかなかった。
道なき道をかき分けていくと、草むらの隙間から、ゆらりと水面が見えた。
「……あれが、沼……?」
私は思わず足を止めた。
辺りは静まり返っているはずなのに、どこからともなく地鳴りのような低い太鼓の音が響いてくる。
耳を塞ぎたくなるほどではない。けれど、頭の奥を鈍く打ちつけるような、身体の芯を揺らす音であった。
いつの間にかに聞こえていた祭囃子は止まっていた。
わたしは草をかき分け、ぬめるような光を放つ“沼”にゆっくり近づいた。
広くはないが、水は黒に近い緑色で得体の知れない深さがありそうだった。水面は不気味なほどにぴくりとも動かず、まるで鏡のようだ。
沼の周囲には、なにかの神具の残骸が散らばっていた。朽ちた注連縄、折れた御幣、赤黒く錆びた包丁。
地面には、風に煽られてひらひらと舞う白装束の切れ端も見える。
……なんで、こんなにいっぱい……?
私は沼の縁まで行き、覗き込んだ。
その瞬間だった。
「やめろ!!!」
冬馬くんの叫びが、頭の奥に響く。
けれどもう、私は水面を覗いてしまっていた。
――視界が、反転した。
頭が沼に引きずられるようにぐらりと傾き、膝が抜けたように地面へと崩れ落ちる。
水面に映る自分の顔が歪み、黒いものに飲み込まれるように消えていった。
太鼓の音が最後に大きく鳴った。
……冷たい。
頭から何かをかけられた感覚で、私は跳ね起きた。
視界が滲んで、呼吸が上手くできない。けれど、服の感触が違うのだけははっきり分かった。それは白い簡素な衣服であった。
「……どこ……ここ……?」
呟いた声が、自分の喉の奥からかすれるように出た。
私の周囲は、先ほどまでの神社の拝殿のようでいて、どこか違っていた。
人の気配はないのに、まるで何かがこちらを見ているような視線が、肌の上を這っていく。
村で嗅いだような生臭い臭いが充満していた。
私が辺りを見回していると神社の奥、祭壇の前に、足を組んでふてくされたように彼が座っていた。
「……勝手なことをしてくれたね」
低く、ぶっきらぼうな声。
冬馬くんだった。こちらを見もせず眉を顰めたままどこか遠くを見ていた。
「冬馬くん……!」
駆け寄ろうとするが、足が思うように動かない。濡れた身体は冷え切っていて、力が入らなかった。
「……なにが、どうなってるの……? 私……なんでこんな格好で……」
必死に問いかけると、冬馬くんは明らかに不機嫌そうな声で言った。
「君が沼を覗いたことで、“供物”として確定されちゃったんだよ。
本来なら、まだタイムリミットまでは時間があったのに……覗くなんて、普通しないけどね」
「……え……」
「そういうの、僕に確認してからにしてくれない? 勝手にやられると、予定が狂う」
冬馬くんの拗ね方は、怒っているというよりも、子どもが遊びを取られた時のような、すねた悔しさに満ちていた。
「……じゃあ、もう……どうにもならないの……?」
泣きそうになりながら問いかけると、彼はそっぽを向いて言った。
「うん。どうにもならないよ。
君が勝手にやったことだからね」
その意地の悪い口ぶりに、私は何も返せず俯いた。
外から祭囃子が聞こえる。笛と太鼓、鈴の音。
それに続くかのように、室内からはまるでお経のような不気味な呟き声が重なり始めていた。
その音は最初は漣のような小さな音でしかなかったのに、今は耳を塞ぎたくなるほどの音量であった。
騒音とも叫び声とも取れるような木魚の音が鳴った瞬間、音が止んだ。
それに合わせるかのように、祭壇の上座に置かれていた木箱が、カタンと開いた。
「……なに、あれ……」
私は自然と、祭壇の奥に目を向けていた。
それはそこに、“いた”。
それは「神像」と呼ぶにはあまりにも、歪だった。
一見、人のような形をしている。けれど顔が二つある。
片方は人間の顔、もう片方は獣のような顔。目が八方に広がり、舌が引きちぎられたように裂けていた。
目が合った。そう思った瞬間、吐き気がこみ上げてきて、私は口を手で覆った。
「なに、あれ……冬馬くん……」
震える声で問うと、ようやく彼は顔を上げた。
冬馬くんの目を少しずつ見開いていくのがわかる。
ふてくされたような顔から、それは次第に、真底嬉しそうな高揚した顔に変わっていった。
「見つけた。あれがこの神だよ。
供物を与え続けることでしか村が保つことしかできなかった、全ての元凶さ」
あの異質なものが神?
そんなことあり得るのか?
この禍々しい気配、重苦しいものが……
「……私たちの代わりに、こいつが沈めばいいのに……」
私がそう呟くと、冬馬くんの笑みがさらに深まった。
「……なら――」
冬馬くんはゆっくり立ち上がると、口角を上げた。
「二人で沈めてしまおうか」
その目は、焚き火のように揺れていた。
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