境界標の彼と終わらない怪異を

りく太

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2章:御霊様

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名前を捧げる、なんて突拍子もないことを言い出した冬馬くんに、私は目を見開いたまま、口をぱくぱくと開け閉めするしかできなかった。

まさか、そんな。
いや、そもそも何を言っているのか理解が追いつかない。

私が反応できずに固まっていると、村人たちがざわつき、すぐに怒声が上がった。

「このねぇちゃんは関係ねぇだろが!」
「そうだ!壊したのはお前だろう!お前が責任持って名前を捧げるべきだろ!」

怒りを孕んだ男たちの怒鳴り声に、冬馬くんは耳をすぼめたように顔をしかめただけだった。

「耳元で大きな声を出さないでくれ」

その返しに誰一人として満足する者はいない。当然だ。むしろ火に油を注ぐかのような愚行である。
それでも冬馬くんは彼らに目もくれず、私に向かってだけ言葉を投げた。

「関係ないって言うけどね、ここに来た時点で……いや、僕に返事した時点で、君はもう関係者になってしまっているんだよ」

冬馬くんはうっすらと笑った。
私はその言葉の君の悪さに無言のまま車に乗り込んだ。

「帰るのかい?」

「……帰る」

私はそう呟くように小さな声で返答すると。車の鍵を回した。静寂な村の中、エンジンをかける音だけが響く。

「お勧めはしないけどねぇ……まぁ、試してみなよ」

冬馬くんの予言じみた嫌な言い回しを聞きたくなくて窓ガラスを閉める。
だが、私の気持ちもお構いなしに、冬馬くんの最後の一言が閉じかけたガラス越しに滑り込んだ。

「そうそう、戻ってきたくなったら連絡をちょうだいよ。そしたら君はここに来れるから」

冗談じゃない。急に呼び出せたと思ったら名前をよこせだのなんだの!戻るわけがない。馬鹿じゃないの。
そう心の中で毒づきながら、私は山道を下り始めた。

けれど、すぐに違和感を覚える。
行きと帰りでは景色がまるで違って見えるせいか?いや、ただ暗いだけだ。
間違いなく一本道であった。
街灯もなく、車のハイビームだけが頼りで、視界は真っ黒に沈んでいるがそれだけは間違いない。このまま進めばいずれ国道に出るはずだ。そう信じて運転を続けた。

だが……どうもおかしい。やっぱりおかしい。この道、こんなに長かっただろうか。
それに、上ったり下ったりを繰り返している。来た時はずっと上り道だったはずなのに……。

まさか、道を間違えた?
焦りが喉元までせり上がってくる。

そんな時こそ冷静にならなくてはと車を一時停止させ、スマホを手に取った。
なにか音楽でもかければ気も紛れる。

いや、それよりも……
一瞬だけ、冬馬くんに連絡しようかなと思った。だけど、私は首を振ってスマホを元に戻した。

そんな時だった。
運転席の窓が、コンコンと叩かれた。

なんの音だろうか?いや、気のせい?風の音?それとも……いやいや、私は関係ないし、そんなわけあるわけ……

……コンコン。

まただ!今度は明らかにノック音。
何が起こっているのかわからず、ただただ固まってしまった。車内には私の震える息の音だけが聞こえる。

3度目のノックの音が聞こえてきた。
そしてそれに続くように声が聞こえる。

「開けておくれよ」

冬馬くんの声だ。
間違いなく、彼の声だった。

なんだ!冬馬くんか!
こんな嫌がらせじみたことをしてと、ほっとして手を伸ばしかける。

けれど、違和感に手が止まる。
待って。冬馬くん、村で縄で縛られてたよね?なのに、なんでここに?どうやって?
ぐるぐると疑問が渦巻く中、また声が聞こえてきた。

「君、来てくれたんだね」

コンコン……

「やぁ」

……コン、コンコン、コン……

「開けておくれよ」

コンコンコン、コンコン…コン……

違う。確かに冬馬くんの声だけど、冬馬くんじゃない。
なら何がいるかと聞かれたら答えられないけれど、これは冬馬くんの声を真似ているだけの何かの声だと本能的に気がついてしまった。
耳を塞ぎたいけれど、体がこわばり言うことを聞かない。息が荒くなる。

一体どのくらいの間、外から聞こえる音に耐えたのかわからない。一瞬だったのかもしれない。
急に音がなくなった。

終わった……?
そう安堵しかけた時

バンッ!!!!!

車が揺れるほどの衝撃音が窓を叩いた。

「っ――!!」

あまりの恐怖に声にならない声を叫び、反射的にアクセルを踏み込んだ。
もし本当に冬馬くんがそこにいたとしても、巻き込んでいたとしても、知ったことじゃない!

車は猛スピードで山道を駆け巡る。
なのに、道はまだ終わらない。曲がり、登り、曲がり……有り得ないくらい続いていく。

涙が出そうだった。いや、もう出ていたかもしれない。
私が何をしたの?頼まれてた書類を今日やらず来週に回したこと?それとも今年のお盆は実家に帰らないと言ったこと?
視界が滲む。溢れる涙で前が見えにくい。これ以上、涙が出たら事故ってしまうと私は無理やりに目を見開いた。

そして、震える手でスマホを取り、運転中にもかかわらず文字を打った。

『戻る』

私は冬馬くんの言葉に敗北した。



しばらく走ると、ハイビームに照らされた農村の姿が再び現れた。
道の真ん中に、あの男がいた。

アイツは村人に縛られたまま、どこからか手に入れたタバコをふかしている。白い煙がゆっくりと吐き出され、月明かりの中に薄く漂う。

戻ってきたら私に気がついたのか彼はこちらを振り返り、縛られた腕を器用に持ち上げて手を振った。

その姿を見つけた私は車から飛び出した。
涙が止まらなかった。全身が震えていた。息が乱れて、思考が定まらない。

「戻ってきたのか……」

冬馬くんの言葉を最後まで聞く前に、私は彼の頬を思いきり平手打ちした。
乾いた音が、夜の村に響く。
この男の頭は、多分殴ったとしてもどうしようもない状態である!間違いない。
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