境界標の彼と終わらない怪異を

りく太

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2章:御霊様

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パチン、パチン。
何度スイッチを押しても、部屋の明かりはつかなかった。私は震える指先をそっとして壁から離し、自分の腕に添えた。
わたしの腕はどこかじっとりとしていながらも、やけに冷たくなっていた。

「……御霊様が来たって、どういうこと?」

暗くて視界が狭まる。
冬馬くんがいるであろう方向に向かって声をかけた。

「この状況でそれ以外に考えられるかい?」

冬馬くんはそう答えた。
スマホのライトを点け、私は天井の電灯をもう一度見上げた。何も壊れていない。だけど、部屋はずっと暗いままだ。

先ほどまで外にいたコオロギや牛蛙の声も、今はまるで嘘のように消えていた。
しん、と静まり返った空気の中、かすかに自分の震えた呼吸音が聞こえる。

ふいに畳の隙間から、どこかすえたような油のにおいが立ち上ってきた。
何のにおいかとあたりを見渡した途端。

――ガタン。

突然、部屋の奥で音がした。雨戸が何かに小さく揺さぶられたようだった。

「……今の、何?」

冬馬くんは何も言わず、揺れた方をじっと見つめている。

「おーい、大丈夫かぁ」

声がした。今井さんの声だった。だが、彼は冬馬くんをあれだけ嫌っていた。こんな夜中に様子を見に来るだろうか。

「開けてくれヨォ」

――ガタガタ。ガタガタ。

不気味なほど無機質に繰り返されるノック音。私は昼間の山中での出来事を思い出した。あの車の窓を叩いてきたあれと同じ気配がした。

「ナァ、もう大丈夫だから、ナァ」

今度は後ろから声がした。高橋さんの声だった。まるで壊れかけの録音機のように、語尾だけ音割れして聞こえた。言葉がかすかに引きつれている。

ガタガタ……バン、バンッ……ガタガタ、バン!!

気がつけば、部屋の四方すべてから雨戸を揺する音がしていた。声も混ざっている。人の声に似ているが、どこかおかしい。
それに先ほど感じた油の匂いが強くなった。先ほどまではわからなかったが、それはどことなく腐った獣のような匂いだった。

「ちょっと、藤宮さん」

冬馬くんが静かに言った。

「あそこの窓を、その携帯で照らしてくれないか?」

「……は?なんで私が……!?」

会話の最中にも、異臭はどんどん強くなっていく。畳の奥から、壁の裏から、空気の隙間から……。
怖い。怖くて、悔しくて、泣きたくなる。
なぜ私がこんな目に。この部屋に入ろうとしている何かから身を守るように、私はぞっと背中を丸めた。

「僕が見たいからに決まっているだろう」

そんな私に気をかけず、まるで当然のように言う彼に、私はついに堪忍袋の緒が切れた。

「なんで貴方は、前回も今回もそんな態度なんですか!!」

怒鳴った声が反響し、部屋にびりびりと残った。

「今回だって!冬馬くんが呼び出さなければ、私、今ごろテレビ見ながらお風呂入って……ふかふかの布団で寝てたんですよ!?ありえない!冬馬くんの常識知らず!」

泣きながら、わけもわからず怒りをぶつけた。恐怖と疲労、そして感情の整理が追いつかないことで、私の声は少しずつ震え始めた。

そんな私の怒りに、冬馬くんはムッとした顔を浮かべた。

「……急に怒り出してなんなんだい。それに、君が僕に常識なんて説けるのかい?」

「は?」

「初対面の僕に“くん”付けなんて。僕の方が年上なんだけどなぁ」

「それ、今関係あります!?」

私は半ば悲鳴のような声で言い返した。

「あの時はパニックだったんです!……でも、どうせ偽名なんでしょう?だったら、なんて呼んだっていいじゃないですか!」

手に持っていたスマホを思わず冬馬くんに投げつけた。暗くて見えなかったが、どこかに当たったらしく「いてっ」と低く小さく声が聞こえた。

しばらく沈黙が落ちた。どちらも、言葉を継げなかった。
冬馬くんは大きなため息をつきなが、私にぶつけられたスマホを畳の上から拾いライトをつけた。パッと明るくなり冬馬くんの表情がよく見える。

「……こんな紛い物、放っておいてもいいのだけど」

冬馬くんが何を考えているのかわからない黒々とした瞳でぽつりと呟いた。

「まぁ、君がそんなに怖がるなら。行くとするか」

「行くって……どこに?」

「御霊様の正体を見に、だよ」

そう言って、彼はにやりと笑った。その笑みがこの状況にまるで似つかわしくなく、私は一瞬だけ言葉を失った。

「ちょ、ちょっと待って……!」

言いかけた私の声を遮るように、冬馬くんはスライド式の雨戸に手をかけた。

――ガタッ。

迷いもなく、そして恐怖も感じさせず、彼は勢いよくそれを開けた。

夜の風が、ぱあっと部屋の中に吹き込んだ。
その風はひどく生ぬるく、どこか湿った土の匂いを運んできた。遠くの方で、ふたたび虫の声が小さく聞こえ始めていた。
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