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2章:御霊様
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「誰も……いない……?」
開けられた雨戸からは静かに草が揺れ、頭上には星が瞬き、あのむせ混みそうなほどの獣臭は消えていた。
「どうして?さっきまで絶対に何かがいたのに……」
「あんなただ古いだけの鏡如きに僕らを襲えるほどの力があるとは考えられないね。こっちが招き入れなきゃ、さっきみたいに人間のフリをするのが関の山さ」
冬馬くんは興味もなさそうにそう言うと、軒下にあったつっかけを足に引っ掛けて外に出た。
「なにボーッとしてるんだい?そんなんじゃ御霊様の正体を暴く前に、夜が明けちまうよ」
冬馬くんは首だけ後ろにいる私に振り返り手を差し出した。
この手を取ってしまえば今度こそ本当に現実に戻れなくなる気がしたが、この理不尽な怪異を見破ってやりたいという怒りにも似た気持ちが沸々と湧いてきて冬馬くんの手を掴んだ。
彼はそんな私の手を少し強く握り返した。
この前の事件の際、駅舎から私を連れ出す時も彼は私の手を握ってくれていた。
その時には気が付かなかったが、冬馬くんの手は細く少しカサついていた。そして私の手より少し熱く驚いた。
寺の境内を抜ける。夜風に揺れる竹林の匂いがほのかに漂っていた。
私が投げつけたスマホをライト代わりに、冬馬くんが歩きながら周囲を照らす。
その光の先に、時折キラリと光る何かがある。
見間違いかと思ったが、ひとつではなかった。何度も、何度も、視界の端でそれは瞬く。
だがそれを声に出すと高橋さんに気づかれるような気がして私は口をぎゅっとつぐんだ。
寺門を抜けると、月明かりに照らされた田舎道が広がっていた。
どの家も静まり返り、眠っているようだった。外灯も少なく、景色は闇に沈んでいる。
それでも、小さな虫の声だけは確かに響いていた。湿った夏の空気。蒸し暑さと、夜の土の匂い。私の心中とは反対なほどに、どこまでものんびりとした農村だった。
「あれって……」
私はふと、あるものに気がついた。家々の玄関、門の上、軒下——どこかしらに、小さな金属の板のようなものが設置されている。スマホの光がそこに反射して一瞬だけ鋭く光った。
「もしかして……鏡?」
「そうだね。キラキラと、チカチカと、さっきから目障りだ」
「飾りじゃ……ないよね。鳥よけとか……?」
「御霊様だろうね」
「……え?」
冬馬くんは皮肉げに鼻で笑った。
「信仰深いことだ。とても、とてもね」
その言葉の裏にある感情を読み取ることはできなかった。ただ、吐き捨てるようなその言い方に、何か含みを感じた。
曇った手鏡。小さな姿見。時に歪み、時に新品。
それらはまるで人の視線を避けるように、ひっそりと家の各所に吊るされていた。
何かから家を守るように。あるいは、何かを家に入れないために。
私は無意識に冬馬くんに近づいていた。反射する光が、まるで誰かがこちらを見ているようで落ち着かなかった。
しばらく歩くと、田んぼ道を外れた。御霊様が祀られているという社へと続く道に入る。
両脇の林の中、足元にまで、破片のような反射光がある。誰かが意図的に鏡を撒いたかのように見える。
やがて、滝の音が遠くから聞こえ始めた。夜の静寂の中に、その水音だけがぼうっと響いてくる。
滝壺の前にある社へたどり着いたとき、私は思わず息を呑んだ。
月明かりの下、滝の音はどこかへ吸い込まれてしまったように静まり返っていた。夏の夜だというのに空気は冷たく、滝壺のまわりだけ異様にひんやりしている。
水面には月がゆらゆらと揺れていた。風はないのに、どこかざわめいていた。
社は、想像よりも大きく、綺麗だった。
参道は整えられ、草は刈られ、供え物の形跡すらある。誰かがきちんと手入れしている証だった。
けれど、その扉は大きく開かれていた。そして、中心に祀られている古い銅鏡。
その鏡には、明らかに硬いもので打ちつけられたような大きなひびが入っていた。
ひび割れから、どこか焦げたような臭いがほんのり立ち上っている。滝のまわりだけ、虫も草も、まるで息を潜めているようだった。
「……え……」
祀られているのに、壊れている。それも、一目で意図的にだとわかる壊れ方だった。
私は思わず冬馬くんの顔を見た。こんなものを壊すなんて、いくら何でも罰当たりすぎる。だけど彼は、どこ吹く風で、飄々とした声で言った。
「ただの鏡さ。割れたら終わり。信仰っていうのは、たいていそんなもんさ」
私は御霊様に襲われても仕方がない気がするほど、少し、ほんの少し御霊様に同情してしまった。
開けられた雨戸からは静かに草が揺れ、頭上には星が瞬き、あのむせ混みそうなほどの獣臭は消えていた。
「どうして?さっきまで絶対に何かがいたのに……」
「あんなただ古いだけの鏡如きに僕らを襲えるほどの力があるとは考えられないね。こっちが招き入れなきゃ、さっきみたいに人間のフリをするのが関の山さ」
冬馬くんは興味もなさそうにそう言うと、軒下にあったつっかけを足に引っ掛けて外に出た。
「なにボーッとしてるんだい?そんなんじゃ御霊様の正体を暴く前に、夜が明けちまうよ」
冬馬くんは首だけ後ろにいる私に振り返り手を差し出した。
この手を取ってしまえば今度こそ本当に現実に戻れなくなる気がしたが、この理不尽な怪異を見破ってやりたいという怒りにも似た気持ちが沸々と湧いてきて冬馬くんの手を掴んだ。
彼はそんな私の手を少し強く握り返した。
この前の事件の際、駅舎から私を連れ出す時も彼は私の手を握ってくれていた。
その時には気が付かなかったが、冬馬くんの手は細く少しカサついていた。そして私の手より少し熱く驚いた。
寺の境内を抜ける。夜風に揺れる竹林の匂いがほのかに漂っていた。
私が投げつけたスマホをライト代わりに、冬馬くんが歩きながら周囲を照らす。
その光の先に、時折キラリと光る何かがある。
見間違いかと思ったが、ひとつではなかった。何度も、何度も、視界の端でそれは瞬く。
だがそれを声に出すと高橋さんに気づかれるような気がして私は口をぎゅっとつぐんだ。
寺門を抜けると、月明かりに照らされた田舎道が広がっていた。
どの家も静まり返り、眠っているようだった。外灯も少なく、景色は闇に沈んでいる。
それでも、小さな虫の声だけは確かに響いていた。湿った夏の空気。蒸し暑さと、夜の土の匂い。私の心中とは反対なほどに、どこまでものんびりとした農村だった。
「あれって……」
私はふと、あるものに気がついた。家々の玄関、門の上、軒下——どこかしらに、小さな金属の板のようなものが設置されている。スマホの光がそこに反射して一瞬だけ鋭く光った。
「もしかして……鏡?」
「そうだね。キラキラと、チカチカと、さっきから目障りだ」
「飾りじゃ……ないよね。鳥よけとか……?」
「御霊様だろうね」
「……え?」
冬馬くんは皮肉げに鼻で笑った。
「信仰深いことだ。とても、とてもね」
その言葉の裏にある感情を読み取ることはできなかった。ただ、吐き捨てるようなその言い方に、何か含みを感じた。
曇った手鏡。小さな姿見。時に歪み、時に新品。
それらはまるで人の視線を避けるように、ひっそりと家の各所に吊るされていた。
何かから家を守るように。あるいは、何かを家に入れないために。
私は無意識に冬馬くんに近づいていた。反射する光が、まるで誰かがこちらを見ているようで落ち着かなかった。
しばらく歩くと、田んぼ道を外れた。御霊様が祀られているという社へと続く道に入る。
両脇の林の中、足元にまで、破片のような反射光がある。誰かが意図的に鏡を撒いたかのように見える。
やがて、滝の音が遠くから聞こえ始めた。夜の静寂の中に、その水音だけがぼうっと響いてくる。
滝壺の前にある社へたどり着いたとき、私は思わず息を呑んだ。
月明かりの下、滝の音はどこかへ吸い込まれてしまったように静まり返っていた。夏の夜だというのに空気は冷たく、滝壺のまわりだけ異様にひんやりしている。
水面には月がゆらゆらと揺れていた。風はないのに、どこかざわめいていた。
社は、想像よりも大きく、綺麗だった。
参道は整えられ、草は刈られ、供え物の形跡すらある。誰かがきちんと手入れしている証だった。
けれど、その扉は大きく開かれていた。そして、中心に祀られている古い銅鏡。
その鏡には、明らかに硬いもので打ちつけられたような大きなひびが入っていた。
ひび割れから、どこか焦げたような臭いがほんのり立ち上っている。滝のまわりだけ、虫も草も、まるで息を潜めているようだった。
「……え……」
祀られているのに、壊れている。それも、一目で意図的にだとわかる壊れ方だった。
私は思わず冬馬くんの顔を見た。こんなものを壊すなんて、いくら何でも罰当たりすぎる。だけど彼は、どこ吹く風で、飄々とした声で言った。
「ただの鏡さ。割れたら終わり。信仰っていうのは、たいていそんなもんさ」
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