無実の罪で謹慎中ですが、静かな暮らしが快適なので戻る気はありません

けろ

文字の大きさ
10 / 41

第10話 確信

第10話 確信

 その日、エレシアはふとした違和感に気づいた。

「……あら?」

 ベッドの上で身を起こしかけたまま、小さく首を傾げる。

 何かがおかしい。けれど、それは悪い意味ではなかった。

 しばらく考えて、ようやく分かる。

 自分の中に、不安がなかったのだ。

 目を覚ました瞬間から、心が静かだった。昨日と同じ。その前の日とも同じ。けれど今日は、その「同じ」がはっきりと意識できた。

(……慣れてきた、のかしら)

 そう思って、すぐに違うと気づく。

 これは、ただ慣れたのではない。

 受け入れたのだ。

 エレシアはベッドの上でゆっくり息を吐いた。

 前世では、「何も起きない日」は不安の塊だった。仕事がない。連絡が来ない。評価されない。そういう日は、まるで自分が必要とされていない証拠のように思えて、落ち着くどころか、かえって苦しかった。

 けれど今はどうだろう。

 誰にも呼ばれない。誰にも求められない。誰にも期待されない。

 それなのに、胸の奥は驚くほど穏やかだった。

(……必要とされていないのは、事実だけれど)

(それが、どうしたというの)

 必要とされなければ生きていてはいけない、そんな決まりがあるわけでもない。なのに前世の自分は、ずっとそう思い込んでいたのだろう。

 エレシアはベッドを降りると、窓辺に歩み寄ってカーテンを開けた。朝の空気が静かに流れ込んでくる。冷たすぎず、ぬるすぎず、ちょうどいい。

(……気持ちいい)

 窓の外では、今日も王城が動いている。遠くで人が行き交い、誰かが慌ただしく働いているのが見える。けれど、その輪の中に自分はいない。

 少し前までなら、そのことに居心地の悪さを覚えたかもしれない。取り残されたような気持ちになったかもしれない。

 でも、今は違う。

 そのとき、胸の内でひとつの言葉が、はっきりした形を持って浮かんだ。

(私は……何も起こらない世界が好きなのね)

 それは、逃げでもなかった。諦めでもなかった。

 ただの好みだ。

 人と関わるのが嫌いなわけではない。けれど、深く関われば期待が生まれる。期待が生まれれば、応えなければならなくなる。応えられなければ、失望が生まれる。

 そういう連なりを思うだけで、少し疲れてしまう。

(……もう、ああいうのはいいわ)

 朝食が運ばれてくる。

 使用人はいつも通り無言で盆を置き、必要以上の気配を残さず去っていった。

 エレシアはその様子を見送りながら、静かに思う。

(この距離感、ちょうどいい)

 踏み込まれない。詮索されない。励まされないし、責められない。

 ただ必要なものだけが届いて、それで終わる。

 それ以上、何を足す必要があるのだろう。

「……いただきます」

 小さく呟いて、スープに口をつける。温かさが喉を通っていく感覚が、妙にやさしく感じられた。

 前世では、「理想の生活」と呼ばれるものがたくさんあった。

 成功すること。評価されること。高い地位を得ること。周囲に認められること。

 けれど、そういうものはどれも、自分を満たすより先に疲れさせた。

 頑張っても終わりがない。求められるたびに応え続けなければならない。ようやくひとつ越えたと思ったら、また次が待っている。

 それを積み上げた先に、本当に欲しかったものがあったのかと言われれば、エレシアにはもう分からなかった。

 今はどうだろう。

 誰にも期待されない。
 誰にも評価されない。
 誰にも干渉されない。
 誰にも責任を負わされない。

 そんな状態を、普通なら不幸だと言うのかもしれない。

 けれどエレシアは、心の底から思った。

(……完璧じゃない)

 その瞬間、胸の奥がすとんと落ち着いた。

 もう、何かを足そうという気持ちが湧いてこない。

(これ以上、何もいらないわ)

 昼になっても、何も起こらなかった。

 午後になっても、何も起こらなかった。

 夕方になっても、やはり何も起こらなかった。

 以前なら、それを退屈だと思ったかもしれない。何かが足りないと感じたかもしれない。

 でも、今はまるで違う。

(静かね)

(ただ、静かだわ)

 それが心地いい。

 世界は彼女を急かさない。役割を押しつけない。何かになれとも、何かを証明しろとも言わない。

 そのことに気づいたとき、エレシアはようやく完全に理解した。

 これは、罰ではない。

 祝福なのだ。

 もちろん、王太子はそんなつもりで命じたわけではないだろう。秩序を守るため、都合よく遠ざけるため、彼女に無期限謹慎を命じたに過ぎない。

 けれど結果としてエレシアに与えられたのは、前世でも今世でも一度も手に入れられなかったものだった。

 完全な静寂。
 完全な自由。

 夜になり、部屋に明かりがともる。

 エレシアはベッドに腰掛けたまま、静かに微笑んだ。

(……これ、理想の生活じゃないかしら)

 誰も来ない。
 何も起こらない。
 何も求められない。

 それでも世界は続いていく。

 エレシアが何もしなくても、朝は来て、昼が過ぎて、夜になる。

 だったら、もう無理に何かになろうとしなくていい。

(私は、このままでいい)

 いや、違う。

(……このままが、いい)

 そこまで思った瞬間、その確信はもう揺るがなかった。

 無期限謹慎。

 それは彼女を閉じ込めるための檻ではない。

 世界の騒がしさから、彼女を解放するための扉だったのだ。

 エレシアは灯りを落とし、静かに横になる。

 やわらかな闇の中で、胸の内に残るのは不安ではなく、穏やかな満足感だけだった。

(……何も起こらない世界)

(これこそ、最高ね)

 その言葉を心の中で繰り返しながら、エレシアは静かな眠りへと落ちていった。

感想 0

あなたにおすすめの小説

愛してくれない人たちを愛するのはやめました これからは自由に生きますのでもう私に構わないでください!

花々
恋愛
ベルニ公爵家の令嬢として生まれたエルシーリア。 エルシーリアには病弱な双子の妹がおり、家族はいつも妹ばかり優先していた。エルシーリアは八歳のとき、妹の代わりのように聖女として神殿に送られる。 それでも頑張っていればいつか愛してもらえると、聖女の仕事を頑張っていたエルシーリア。 十二歳になると、エルシーリアと第一王子ジルベルトの婚約が決まる。ジルベルトは家族から蔑ろにされていたエルシーリアにも優しく、エルシーリアはすっかり彼に依存するように。 しかし、それから五年が経ち、エルシーリアが十七歳になったある日、エルシーリアは王子と双子の妹が密会しているのを見てしまう。さらに、王家はエルシーリアを利用するために王子の婚約者にしたということまで知ってしまう。 何もかもがどうでもよくなったエルシーリアは、家も神殿も王子も捨てて家出することを決意。しかし、エルシーリアより妹の方がいいと言っていたはずの王子がなぜか追ってきて……。 〇カクヨムにも掲載しています

【完結】王妃はもうここにいられません

なか
恋愛
「受け入れろ、ラツィア。側妃となって僕をこれからも支えてくれればいいだろう?」  長年王妃として支え続け、貴方の立場を守ってきた。  だけど国王であり、私の伴侶であるクドスは、私ではない女性を王妃とする。  私––ラツィアは、貴方を心から愛していた。  だからずっと、支えてきたのだ。  貴方に被せられた汚名も、寝る間も惜しんで捧げてきた苦労も全て無視をして……  もう振り向いてくれない貴方のため、人生を捧げていたのに。 「君は王妃に相応しくはない」と一蹴して、貴方は私を捨てる。  胸を穿つ悲しみ、耐え切れぬ悔しさ。  周囲の貴族は私を嘲笑している中で……私は思い出す。  自らの前世と、感覚を。 「うそでしょ…………」  取り戻した感覚が、全力でクドスを拒否する。  ある強烈な苦痛が……前世の感覚によって感じるのだ。 「むしろ、廃妃にしてください!」  長年の愛さえ潰えて、耐え切れず、そう言ってしまう程に…………    ◇◇◇  強く、前世の知識を活かして成り上がっていく女性の物語です。  ぜひ読んでくださると嬉しいです!

「お前の看病は必要ない」と追放された令嬢——3日後、王子の熱が40度を超えても、誰も下げ方を知らなかった

歩人
ファンタジー
「お前の看病などいらない。薬師がいれば十分だ」 王太子カールにそう告げられ、侯爵令嬢リーゼは静かに宮廷を去った。 誰も知らなかった。夜ごとの見回り、薬の飲み合わせの管理、感染症の予防措置——宮廷の健康を守っていたのは薬師ではなくリーゼだったことを。 前世で救急看護師だった記憶を持つ彼女は、辺境の診療所で第二の人生を始める。 一方、リーゼが去った宮廷では原因不明の発熱が蔓延し、王太子自身も倒れる。 迎えに来た使者にリーゼは告げる——「お薬は出せます。でも、看護は致しません」

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

【完結】離縁王妃アデリアは故郷で聖姫と崇められています ~冤罪で捨てられた王妃、地元に戻ったら領民に愛され「聖姫」と呼ばれていました~

猫燕
恋愛
「――そなたとの婚姻を破棄する。即刻、王宮を去れ」 王妃としての5年間、私はただ国を支えていただけだった。 王妃アデリアは、側妃ラウラの嘘と王の独断により、「毒を盛った」という冤罪で突然の離縁を言い渡された。「ただちに城を去れ」と宣告されたアデリアは静かに王宮を去り、生まれ故郷・ターヴァへと向かう。 しかし、領地の国境を越えた彼女を待っていたのは、驚くべき光景だった。 迎えに来たのは何百もの領民、兄、彼女の帰還に歓喜する侍女たち。 かつて王宮で軽んじられ続けたアデリアの政策は、故郷では“奇跡”として受け継がれ、領地を繁栄へ導いていたのだ。実際は薬学・医療・農政・内政の天才で、治癒魔法まで操る超有能王妃だった。 故郷の温かさに癒やされ、彼女の有能さが改めて証明されると、その評判は瞬く間に近隣諸国へ広がり── “冷徹の皇帝”と恐れられる隣国の若き皇帝・カリオンが現れる。 皇帝は彼女の才覚と優しさに心を奪われ、「私はあなたを守りたい」と静かに誓う。 冷徹と恐れられる彼が、なぜかターヴァ領に何度も通うようになり――「君の価値を、誰よりも私が知っている」「アデリア・ターヴァ。君の全てを、私のものにしたい」 一方その頃――アデリアを失った王国は急速に荒れ、疫病、飢饉、魔物被害が連鎖し、内政は崩壊。国王はようやく“失ったものの価値”を理解し始めるが、もう遅い。 追放された王妃は、故郷で神と崇められ、最強の溺愛皇帝に娶られる!「あなたが望むなら、帝国も全部君のものだ」――これは、誰からも理解されなかった“本物の聖女”が、 ようやく正当に愛され、報われる物語。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

婚約者と義妹に裏切られたので、ざまぁして逃げてみた

せいめ
恋愛
 伯爵令嬢のフローラは、夜会で婚約者のレイモンドと義妹のリリアンが抱き合う姿を見てしまった。  大好きだったレイモンドの裏切りを知りショックを受けるフローラ。  三ヶ月後には結婚式なのに、このままあの方と結婚していいの?  深く傷付いたフローラは散々悩んだ挙句、その場に偶然居合わせた公爵令息や親友の力を借り、ざまぁして逃げ出すことにしたのであった。  ご都合主義です。  誤字脱字、申し訳ありません。

婚約者から「君のことを好きになれなかった」と婚約解消されました。えっ、あなたから告白してきたのに? 

四折 柊
恋愛
 結婚式を三か月後に控えたある日、婚約者である侯爵子息スコットに「セシル……君のことを好きになれなかった」と言われた。私は驚きそして耳を疑った。(だってあなたが私に告白をして婚約を申し込んだのですよ?)  スコットに理由を問えば告白は人違いだったらしい。ショックを受けながらも新しい婚約者を探そうと気持ちを切り替えたセシルに、美貌の公爵子息から縁談の申し込みが来た。引く手数多な人がなぜ私にと思いながら会ってみると、どうやら彼はシスコンのようだ。でも嫌な感じはしない。セシルは彼と婚約することにした――。全40話。

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろう、カクヨムにも掲載中です)