シークレットベイビー~エルフとダークエルフの狭間の子~【完結】

白滝春菊

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弟子と母親編

使えない魔法

 大人になるにつれ、その理解は深まった。
 母は家を出て行った夫の血を引く娘と同じ屋根の下で暮らすことに嫌気が差していたのだろう。その心情は静かな波のように確実に彼女の中に浸透していた。

 初めは記憶を失っていたのは真実なのかもしれない。あの苦しみから逃れるために心が自己防衛を図ったのだろう。
 冒険者の男に保護され、新たな家族を得た母は過去の痛みを忘れ、第二の人生を歩み始めた。エルフである彼女は若く美しい姿を保ったまま、再出発を果たすことができた。

 エルフの夫婦の中には長い人生を重ねるうちに飽きてしまい、互いの縁を切って新しい相手とやり直す者も少なくないと耳にしたことがある。
 そうした話を聞くたび、胸に不安の影が落ちる。

(私はそうなりたくない……)

 突然、恐怖が心を襲った。アステルとシリウスは同じ長命の種族だ。死別ではなく、別れの可能性が待ち受けていることを考えると胸が締め付けられる。
 誰かが言っていた言葉が頭をよぎった。

『片方が短命の種族であれば美しい夫婦のまま終わりを迎えられる』

 その理由は嫌いになる前に一方が命を終えるからだ。病や寿命という自然の流れの中で多少の不満があったとしても、夫婦の絆だけはいつまでも維持されると。

 アステルはずっとシリウスやステラと共にいたいと願っている。しかし、その願いすら叶わないかもしれないと考えると恐怖は一層膨れ上がる。まるで冷たい霧が心を覆い、逃げ場を失ったような気持ちだった。
 恐れはしっかりとその根を下ろし、彼女の心を離さなかった。

 ◆

 シリウスはしばらくの間、遠征で国の外へ行くことになった。アステルに大量の薬を作って欲しいとの依頼が舞い込んできたのはそのためだろう。
 アステルの薬は騎士団の中でも重宝されており、彼女の薬が切れると周囲から困った声が多く上がるという。

 いつもの作業部屋でアステルは黙々と薬の調合に取り組んでいた。最後の仕上げに魔法を使おうとしたその瞬間、彼女の心の中に不穏な影が忍び寄った。魔法が発動できない。
 精神が不安定である時、魔力は満ちていても魔法の発動には支障をきたすことがあるのだ。

「どうしたんですか?」
「ごめんなさい、魔法が上手く使えなくなったみたいなの。最後だけお願いできる?」
 不審に思ったケルヴィンが調合用の鍋の中を覗き込むとアステルは申し訳なさそうに仕上げの魔法を彼にお願いした。

「……?いいですけど」

 ケルヴィンは不思議そうな顔で了承すると薬の仕上げを行なった。エルフの弟子をとっておいてよかったと、心から思った瞬間である。

 アステルの不調は明らかに母との再会が引き金になっていた。
 それ以来、彼女は心ここにあらずといった様子でどこか上の空になることが多くなった。
 今の自分が幸せだから大丈夫だと自らを励ましても心の奥底では両親に対する憎悪が芽生えているのかもしれない。
 あのクッキーの味は今も忘れられず、眠るたびに父が家を出た時や、母を探して森の中を彷徨う悪夢に苛まれる。

 その影響で、最近はほとんど眠れていなかった。心が弱っているのか、日常の簡単な家事ですら失敗が続く。

 大量の回復薬の作成は予想以上に時間がかかり、納期ギリギリまで引き延ばされてしまった。

「はい、確かに受け取りました」

 道具屋への薬を納品し終えたアステルはほっと一息つく。このまま魔法が使えない状態が続けば仕事のやり方を変えざるを得なくなるかもしれない。

「騎士の方たちは遠征に行きましたね」
「ええ、シリウス……騎士団はどこに行くのか聞いていますか?」
「重要任務だから誰も教えてくれませんでしたよ」
「そうですよね」

 アリサとのやり取りにアステルは苦笑を返した。騎士団の任務内容は極秘であり、外部に漏らすことは許されないため、彼らはただ「遠征に行く」と告げるだけで詳しいことは話さない。

「あの……」
「すみません!」

 魔法が使えなくなったことをアリサに伝えようと口を開きかけたその時、道具屋の扉が勢いよく開かれ、冒険者の男・リョウイチが慌てて飛び込んできた。

「どうしましたか?」

 息を切らせたリョウイチは、何かをアリサに伝えるために声を絞り出した。

「娘が急に苦しみだしてしまったんです!薬をお願いできますか!?」

 その彼の言葉が意味するのは、兎獣人の娘、コルルのことだった。

「落ち着いてください。症状を詳しく教えてください」
「はい、コルルの症状は……」

 アリサはリョウイチから詳しい話を聞き、素早く症状を紙にメモした。

「獣人用の医者はまだ隣国から帰って来ないんですか?」
「犬獣人専門ならいましたが……兎獣人も診られる医師は二日後には戻ってくる予定です」

 焦るリョウイチにアリサは首を振った。獣人の扱いは難しく、現在王都にいる医師団の大半は隣国での患者対応に追われているそうだ。

「アステルさん、申し訳ありませんが、彼の宿まで同行していただけないでしょうか?」
「お願いします!報酬はいくらでもお支払いしますので!」
「……わかりました。連れていきたい人がいるので、場所だけ教えてください」

 二人に深刻な顔で頼まれたアステルは、心の中で葛藤を抱えながらも、彼らのために手を差し伸べる決意を固めた。
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