「お前が死ねばよかった」と言われた夜【新章スタート】

白滝春菊

文字の大きさ
103 / 143
再婚編

14

 数日後、予定よりも早く、ヴィクトル様が屋敷へ戻ってきた。
 朝からの雨がまだ降り続き、玄関扉を開けた瞬間、濡れた外套から冷たい空気がふわりと漂う。

「お帰りなさいませ、ヴィクトル様」
「ああ」

 私が出迎えると、ヴィクトル様は一言返事をして、手にしていた小さな包みを差し出した。
 
「…………」

 言葉は無く、ただ視線だけが私に向けられている。そこに「受け取れ」という無言の圧を感じ取れた。

「あ、ありがとうございます」

 礼を言ってから包みを両手で受け取り、しばし見つめた。再婚する前にヴィクトル様から何度か花をもらったけど、こうしてまた妻になってから、何かを贈られたのはこれが初めてだった。
 視線を上げると、無言で立つヴィクトル様と目が合う。

「あの、この中を見てもいいですか?」

 問いかけると、彼はほんの僅かに顎を引き、承諾の仕草を見せたので布をそっと解く。

「失礼します……わぁ……」

 中から現れたのは小さな銀細工の髪留め。花を象った繊細な彫りが施されている。指先で触れると、ひんやりと冷たい。

「試してくれ」

 そう言って、顔を上げればヴィクトル様は私の手から髪留めを取った。
 大きくて、硬くて、武人の手。その手が驚くほど丁寧に私の髪をすくい上げる。痛みはまるでなく、くすぐったくて、気恥ずかしい。

 髪留めがぱちん、と留まった小さな音がやけに大きく響いた気がした。
 顔を上げると、ヴィクトル様はいつもの無表情のまま、じっと私を見ていた。ここに鏡が無いから似合っているのかどうかわからないけど……

「……すごく、嬉しいです」
「似合っている」

 ぽつりと落ちたその一言は、まるで思いがけず触れた熱のように胸の奥まで響いた。
 褒められた。それも、ヴィクトル様に。頬だけじゃなく、耳の後ろまで火がついたみたいに熱くなる。

「え、あ……っ、その……」

 言葉がうまく続かない。褒められること自体に慣れていないし、ましてやこの人に穏やかな声音で言われるなんて、心の準備なんてできているはずがなかった。

 視線が自然と床に落ちてしまい、指先がぎゅっと布をつかむ。
 嬉しい。でもどうしていいかわからない。その二つが胸の中でぐるぐる混ざって、呼吸まで少しだけ落ち着かなくなる。

「…………」
「…………」

 しばらくの静けさが続き、私は急に息をする方法を忘れてしまったような心地になってしまう。

「あ……すみません。疲れてましたよね。ゆっくり休んでください」

 そう言うと私は、はっと自分の中の役目を思い出した。休ませなきゃ。ちゃんと迎えなきゃ。
 そして、私は執事を呼び、軍服を預けるよう指示し、湯浴みと食事の準備を命じる。

 数日前に「帰ってくるかもしれない」とだけ知らされていたから、心のどこかでずっと準備の手順を組み立てていた。
 落ち込んだり、考え込んだりする時間の合間にも何度も何度も頭の中で繰り返した。
 ヴィクトル様が帰ったら、まず外套と軍服を預けて、湯浴みを用意して……その間に食事……次に……

「帰りが遅くなると、知らせていたはずだが……ずいぶん手際が良かったな」

 考え事をしている時に声を掛けられて、胸の奥がどきりと跳ねた。

「その……ヴィクトル様が疲れていると思って……すぐ休んでもらえるように……そういうのは……妻の、役目ですから……」

 言っている途中で、自分の声がだんだん小さくなるのがわかった。妻としてできて当然のことなのに、前の私はそれすらまともにできなかった。

「見ない間に随分と成長したな」
「そ、そんなこと……」

 反射的に否定して、胸がきゅっと締まり、指先が落ち着かなくなる。
 ちゃんとできているのか、怖かった。
 ミーティアお姉様なら、こんなふうに慌てたりせず、優雅に笑って出迎えただろう。
 エレノアお姉様なら、もっと完璧に立ち回れただろう。
 私はどうしても、あの二人のようにはできない。
 それでも、今度こそはこの人を迎える妻として、できる限りのことをしたかった。

   ◆

 夜も遅くなり、寝支度を整えていた頃だった。
 寝室の扉が静かに、けれどためらいなくノックされる。

「ユミル」

 ヴィクトル様の声。胸の奥がびくりと跳ねた。
 扉を開けると、廊下の灯りに照らされた彼が立っていた。無表情なのに、視線だけが強くて、拒むことなんてできるはずもなくて。

「少し話がある」

 話。この時間にわざわざ来る理由なんて……きっと……
 ヴィクトル様が帰ってきたら今度こそ応えなければいけないのだと思った。
 拒んでしまったら、今度は本当に嫌われてしまう。でも、怖い……

「……はい。あの……その、お入りになりますか?」

 声が震えてしまう。彼は部屋に入ると、私を見下ろすように立ち止まり、ほんの少しだけ息を吸い込んだ。
 そして予想していた言葉とはまるで違うものが降ってきた。

「休みができた。どこか、行きたい場所はあるのか?」
「……え?」

 思わず間の抜けた声が漏れた。
 夜伽ではなくて。ただ、行きたい場所の話?
 緊張がほどけるどころか、何かを言おうとして、躊躇う。
 行きたい所……会いたい人。
 唇が動く。浮かんでしまったものを隠すことなんてできなかった。
感想 325

あなたにおすすめの小説

愛される日は来ないので

豆狸
恋愛
だけど体調を崩して寝込んだ途端、女主人の部屋から物置部屋へ移され、満足に食事ももらえずに死んでいったとき、私は悟ったのです。 ──なにをどんなに頑張ろうと、私がラミレス様に愛される日は来ないのだと。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

余命1年の侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
余命を宣告されたその日に、主人に離婚を言い渡されました

私の知らぬ間に

豆狸
恋愛
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。 背中が痛い。 私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。