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再婚編
22
しおりを挟む馬車がゆっくりと城門をくぐり抜け、大きく弧を描くような石畳の広場で止まった。
車輪が静止すると同時に扉が開き、外の光が流れ込んでくる。
先に降りたヴィクトル様が、迷いなく私へ手を差し伸べていた。
その仕草は何度も見てきたはずなのに触れてもいいのかとためらう私よりも先に彼の手がそっと私の指先を包む。
「……足元に気をつけろ」
「あ、ありがとうございます……」
私はスカートの裾を整えながら、ゆっくりと馬車の段を降りた。
支える手は強すぎず、離れることもなく、まるで本当に私を守ろうとしてくれているかのように感じられる。
こんなふうに手を引かれるのが、どうしてこんなにくすぐったいのだろう。どうして、離さないでほしいと思ってしまうのだろう。
「ユミル!」
軽やかな声とともに鮮やかなドレスを翻して走ってきたのはリディア様だった。陽の光を受けてキラキラと輝くその笑顔は眩しいほどに真っ直ぐで。
「久しぶり!」
その勢いのまま、彼女は私の手を取って力強く握りしめた。まるで再会を待ち望んでいたかのように。その少し後ろから、小さな影が遠慮がちに近づいてくる。
「……ユミルさま」
控えめな声で名を呼んだのはマリィ。小さな靴の音がぱたぱたと石畳の上を駆けてくるマリィがまっすぐに私へと飛び込んできて、細い腕が腰に回され、ぎゅっと抱きしめられる。
「マリィ……元気にしてた?」
問いかけると、マリィは私の服を握ったまま、小さく、けれど迷いなく頷いた。
その仕草を見た瞬間、膝が抜けそうになるほどの安堵が胸に満ちた。
ああ……よかった……嫌われていなかった。
「リディア様。お忙しい中お迎えいただき恐れ入ります」
ヴィクトル様はリディア様へと歩み寄った。いつもの鋭さを抑え、ほんのわずかに頭を下げる。
「……ユミルはお前たちに任せる。俺は仕事がある」
ヴィクトル様は短くそう告げると、部下に視線を送って足早に去っていってしまった。
「ほんっとうにあの人は相変わらず何も変わらないのね。ユミルに対しては別人みたいに甘くなったくせに他の人にはいつだってああなんだから」
ヴィクトル様の姿が見えなくなるとリディア様がすぐ横で大きくため息をついた。
私には優しい、か。
さっきの視線。ほんの少しだけ、何かを含んでいたように思えた。
私がリディア様やマリィに笑顔を見せることさえ、彼には面白くなかったのかもしれない。
その不器用さが愛しくて、同時に切なくも感じる。
ヴィクトル様の心を私だけでなく、もっと多くの人に向けられたらいいのに。
◆
午後の柔らかな日差しが差し込む中庭で私たちはお茶を囲んでいた。
リディア様は背筋を伸ばし、明るい声で話を進めてくれる。
その隣でマリィは私の腕に小さな体を預けて、静かにカップを見つめていた。飲もうとしないのはただ私のそばにいたいからだろう。
つい愛おしくなって髪を撫でると、彼女は小さく頷くだけで、さらにこちらに寄り添ってくる。
離れていてもこの子は変わらない。控えめで、確かに人を慕う温かさを持っている。
「あの……お城の方は大丈夫でしょうか」
私はカップを両手で持ちながら、聞きたかったことを恐る恐る尋ねた。リディア様ははあ、と息をついて肩をすくめる。
「前よりはね。あの人、ヴィクトルがいないとやっぱり締まらないのよ。私、彼のことは正直ちょっと……ごめん、かなり苦手なんだけど……でも認めざるを得ないの。彼がいるだけで周囲が勝手に背筋を伸ばすんだから」
「そんなに影響力が……」
私は驚いて瞬きをするとリディア様は続ける。
「みんな、お兄様のことを侮っているのよ。優しくて温厚だから、どうしても軽んじられがちでね。でも、ヴィクトルが隣にいるだけで、誰も軽口を叩けなくなる。あの冷たい視線一つで、場が引き締まるの」
カップを持つリディア様の指先が、少しだけ震えていた。それは恐怖ではなく、責任を知っている人の重みだった。
「戦争でヴィクトルが国を離れた時……お兄様の周りはもう大変で。取り巻きたちが好き勝手に動いて、混乱が広がる一歩手前だった。だから余計にわかったの。あの人はこの国にとって必要な存在なのだって」
リディア様の言葉を聞きながら、私はそっと視線を落とした。
知らなかった。私はただ、屋敷の片隅で静かに暮らしていただけで。政治にも、国の動きにも、誰が何を支えているかなんて、考えたことすらなかった。
政治や国の仕組みのことなんて、私は何も知らなかった。ただ流されるように毎日を過ごして、気づけば周りの状況にも目を向けられずにいたのだ。
でも、リディア様は違う。私よりも年下なのに王家としての責任や国の姿をしっかり見つめている。
「……あ、そうだ!」
突然、マリィが小さく声を上げた。びくっとしてそちらを見ると、彼女は慌てて腰の小さなポーチをごそごそと探り始める。
「ユミル様に、お返ししなきゃ、って……忘れてなくて……よかった」
そう呟きながら、両手で大事そうに持った小さな箱を私に差し出してくる。
「これ……ユミル様の、だと思って……」
私はそっと受け取り、蓋を開けると、青い薔薇が、息を潜めるようにそこにあった。
胸が一度、強く波打つ。ヴィクトル様から贈られた。最後に別れたあの日に貰った大切なブローチ。
きちんと触れるのも久しぶりで、指先がかすかに震えてしまう。
「どうして、これを?」
問いかけると、マリィは胸の前で手をぎゅっと握りしめ、伏し目がちに答えた。
「……ユミル様がいなくなった後、お部屋をお掃除してたら……机の引き出しの中に置きっぱなしになっていて……これを見たら……ユミル様、絶対に泣くって思ったから……持ってきたの。返したかった……」
戦争に行って、ヴィクトル様が遠くへ行ってしまって。二度と戻らないかもしれない恐怖に押しつぶされそうで。毎日、このブローチだけが私の支えだった。
それをつけていると、隣で叱ってくれる気がした。姿が見えなくても、声が聞こえなくても、胸に手を当てれば彼の存在を感じられるような気がして、必死に、必死にしがみつくように身につけ続けていた。
それが、帰ってきた途端、いざ本物の彼を目の前にしたら、急に恥ずかしくなってしまって。
だから、つけなくなった。そして、手元に無かったことを忘れてしまった。あんなに大切にしていたのに。
ブローチを見つめながら、私はゆっくりと息を吸う。
「あら、ごきげんよう」
高い声がして振り向くと、鮮やかな深紅のドレスを揺らしながらセラフィーナ様がこちらへ歩いてくる。完璧な笑みを浮かべているのにどこか冷えたものが滲んでいる。
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