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知らなかった横顔
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憧れは少しだけ遠くで見ている時が一番綺麗でいられた。手の届かない距離だからこそ、その存在は輝き続け、夢のように美しく感じられるものなのだと、今になって思う。
今の私はその憧れの隣に立っている……はずなのに心はどうしようもなく孤独だった。
夫になったセルジュを間近で見つめるたび、その完璧さがわたしの心を揺らす。銀色に輝く髪はいつも整えられ、厳しい日々の中でも彼の背筋は凛と伸びていて、その佇まいには威厳すら感じられていた。
国民や臣下に向けられる穏やかな微笑みや、丁寧な言葉遣いは人々を惹きつけてやまず。どこか近寄りがたい光をまとっていて、それが彼の美しさを際立たせてい。
それなのに私はどうだろう。誰よりも近くにいるはずなのにその距離が縮まったようには思えなかった。手を伸ばせば届く場所にいるのに心は何かに阻まれているような感覚がある。届かないのではなく、届かせることができない。その違いにふと気づく。
王女として、そして彼の妻として、私はふさわしい存在なのか。そう問いかけるたび、胸の奥に小さな痛みが広がる。周囲の目は私を「幸せな王女」と映しているのか。それとも、彼の隣にはもっと相応しい誰かがいると思われているのだろうか。考えるたびに心がざわつく。
いっそ、ウィリアムがわたしを連れ去ってくれたら。
そんな考えが頭をよぎった時、わたしは自分自身に驚いた。王女として、そしてセルジュの妻としての立場を忘れるような思考に心の奥底で嫌悪感が湧く。それでも、ふとした瞬間にその考えが浮かんでしまう。
もし彼が手を差し伸べて「ここではない場所へ行こう」と言ったなら、私は何と答えるのだろう。
◆
わたしは柔らかなシーツに身を沈め、隣に横たわるウィリアムの温もりを感じていた。ただ彼の穏やかな寝息だけが静かに響いている。その音に耳を傾けていると、時間が少しだけ止まったような錯覚に陥る。
けれど、彼がふいに身を起こし、静かに服を整えはじめた気配に声がこぼれた。
「……どこへ行くの?」
「用事があってね」
彼は振り向かず、シャツのボタンを留めながら、軽やかな声で応じる。その背中がなぜだか少し遠く感じて、わたしはもう一度問いかける。
「……どんな?」
今度は肩越しに振り返り、目が合う。その眼差しはどこか照れたようで、彼には珍しく、真面目な響きを含んでいた。
「孤児院だよ。ずっと支援してるんだ……まあ、誰に言うでもなく、ね」
「孤児院……?」
「食料や薬、衣服を届けてる。あとは話し相手になったり。貴族って肩書きだと、いろいろ煩わしいことも多いけど……あそこに行くと、少しだけ自由になれる気がするんだ」
その静かな語り口に鼓動が速くなるのを感じた。ウィリアムのそんな一面を、わたしは知らなかった。
いつも軽薄なほど冗談を飛ばし、掴みどころのない人だと思っていた。でも今、目の前にいるのは誰よりも真剣にこの国を見ている人だった。
「……この国は静かに傷ついてる。誰もが見ないふりをしてるだけだ。特に子どもたちはそんな大人たちの犠牲になってる……そんなの、あっていいはずがない」
彼は小さくため息をつき、窓の外に目を向ける。その横顔がどうしようもなく綺麗だった。声をかけるでもなく、ただシーツを胸元で握りながら、わたしは目を逸らせなかった。
「……わたしも、行ってもいいですか?」
ウィリアムは一瞬黙り、振り返って目を細める。わずかに驚いたようなその視線にわたしはまっすぐ応えた。
「王女様がそんなことをして、大丈夫なのか?」
くすりと笑う声にからかいの響きが混じっている。けれど、その奥にはどこか真剣な色があった。
「王女だからこそ、すべきことかもしれません」
それはただ、胸の奥から自然と出てきた想いだった。
ウィリアムの表情がわずかに揺れる。優しさと戸惑い、そして痛みが入り混じったような目をして、ぽつりとつぶやいた。
「……セルジュが許してくれるだろうか」
その名を聞いた瞬間、心が静かに波立つ。
でも、もう目を逸らすわけにはいかなかった。
「わたしが話してみます」
短く、けれど揺るぎなく答えた。
ウィリアムはしばらくの間、わたしを見つめ、それから目を細めて微笑んだ。その笑みにはわたしを試すような意地の悪さはない。ただ、どこかあたたかくて、安心するような光が宿っていた。
「セルジュも大変だな……こんな、強情な奥様を相手にしてるんだから」
その軽口に少しだけ緊張が和らぎ、わたしの胸には決意がしっかりと根を張っていた。この一歩を踏み出せた自分に少しだけ誇りを感じながら。
今の私はその憧れの隣に立っている……はずなのに心はどうしようもなく孤独だった。
夫になったセルジュを間近で見つめるたび、その完璧さがわたしの心を揺らす。銀色に輝く髪はいつも整えられ、厳しい日々の中でも彼の背筋は凛と伸びていて、その佇まいには威厳すら感じられていた。
国民や臣下に向けられる穏やかな微笑みや、丁寧な言葉遣いは人々を惹きつけてやまず。どこか近寄りがたい光をまとっていて、それが彼の美しさを際立たせてい。
それなのに私はどうだろう。誰よりも近くにいるはずなのにその距離が縮まったようには思えなかった。手を伸ばせば届く場所にいるのに心は何かに阻まれているような感覚がある。届かないのではなく、届かせることができない。その違いにふと気づく。
王女として、そして彼の妻として、私はふさわしい存在なのか。そう問いかけるたび、胸の奥に小さな痛みが広がる。周囲の目は私を「幸せな王女」と映しているのか。それとも、彼の隣にはもっと相応しい誰かがいると思われているのだろうか。考えるたびに心がざわつく。
いっそ、ウィリアムがわたしを連れ去ってくれたら。
そんな考えが頭をよぎった時、わたしは自分自身に驚いた。王女として、そしてセルジュの妻としての立場を忘れるような思考に心の奥底で嫌悪感が湧く。それでも、ふとした瞬間にその考えが浮かんでしまう。
もし彼が手を差し伸べて「ここではない場所へ行こう」と言ったなら、私は何と答えるのだろう。
◆
わたしは柔らかなシーツに身を沈め、隣に横たわるウィリアムの温もりを感じていた。ただ彼の穏やかな寝息だけが静かに響いている。その音に耳を傾けていると、時間が少しだけ止まったような錯覚に陥る。
けれど、彼がふいに身を起こし、静かに服を整えはじめた気配に声がこぼれた。
「……どこへ行くの?」
「用事があってね」
彼は振り向かず、シャツのボタンを留めながら、軽やかな声で応じる。その背中がなぜだか少し遠く感じて、わたしはもう一度問いかける。
「……どんな?」
今度は肩越しに振り返り、目が合う。その眼差しはどこか照れたようで、彼には珍しく、真面目な響きを含んでいた。
「孤児院だよ。ずっと支援してるんだ……まあ、誰に言うでもなく、ね」
「孤児院……?」
「食料や薬、衣服を届けてる。あとは話し相手になったり。貴族って肩書きだと、いろいろ煩わしいことも多いけど……あそこに行くと、少しだけ自由になれる気がするんだ」
その静かな語り口に鼓動が速くなるのを感じた。ウィリアムのそんな一面を、わたしは知らなかった。
いつも軽薄なほど冗談を飛ばし、掴みどころのない人だと思っていた。でも今、目の前にいるのは誰よりも真剣にこの国を見ている人だった。
「……この国は静かに傷ついてる。誰もが見ないふりをしてるだけだ。特に子どもたちはそんな大人たちの犠牲になってる……そんなの、あっていいはずがない」
彼は小さくため息をつき、窓の外に目を向ける。その横顔がどうしようもなく綺麗だった。声をかけるでもなく、ただシーツを胸元で握りながら、わたしは目を逸らせなかった。
「……わたしも、行ってもいいですか?」
ウィリアムは一瞬黙り、振り返って目を細める。わずかに驚いたようなその視線にわたしはまっすぐ応えた。
「王女様がそんなことをして、大丈夫なのか?」
くすりと笑う声にからかいの響きが混じっている。けれど、その奥にはどこか真剣な色があった。
「王女だからこそ、すべきことかもしれません」
それはただ、胸の奥から自然と出てきた想いだった。
ウィリアムの表情がわずかに揺れる。優しさと戸惑い、そして痛みが入り混じったような目をして、ぽつりとつぶやいた。
「……セルジュが許してくれるだろうか」
その名を聞いた瞬間、心が静かに波立つ。
でも、もう目を逸らすわけにはいかなかった。
「わたしが話してみます」
短く、けれど揺るぎなく答えた。
ウィリアムはしばらくの間、わたしを見つめ、それから目を細めて微笑んだ。その笑みにはわたしを試すような意地の悪さはない。ただ、どこかあたたかくて、安心するような光が宿っていた。
「セルジュも大変だな……こんな、強情な奥様を相手にしてるんだから」
その軽口に少しだけ緊張が和らぎ、わたしの胸には決意がしっかりと根を張っていた。この一歩を踏み出せた自分に少しだけ誇りを感じながら。
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