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15結成
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自然と目が開く。固い床に預けていた身体に痛みを感じる。どうやら、長いこと眠ってしまったみたいだ。
今は、いつだろう?この部屋からは月も太陽も見えないから、どれくらい眠ってしまったのか分からない。分かるのは、お腹が空いているのと、床が冷たいこと、やっぱりまだ眠いことくらいだ。この感覚、何だか懐かしい気がする。これだけ絶望的な状況に置かれているのに、ちょっとだけにやけてしまう。そして、胸が痛くなる。
あれは、月が見えない昏い夜だった。いつまでたっても忘れられない、体中にこびり付いた血の匂い。それから、草が肌に触れる感触。悲しそうな瞳。知っていたのは、家族のいるニンゲンの子供たちが勝手に付けた私の名前だけ。悪天使なんて、皆そんなもんだ。
痛イ。オ腹空イタ。眠イ。
私にだって、思うことは幾つかあった。
でも、それだけだった。
私を見て、子供たちは嗤った。大人たちは、怪訝そうな顔をした。
ある日の黄昏時、鋸を持った大人が私に近づいた。表情は窺えなかったが、私に危害を加えようとしているのは何となくわかった。だけど、悪い人ではないような気がした。
「大丈夫だ。お父さんが守ってやるからな」
何故って、その人の背中には小さな長いストレートの青髪の女の子がいて、その人は女の子を私から庇う様に震える腕を広げて立っていたから。それに気づいたとき、虚無の心に何かが刺さった。
痛イ。
月明かりの下で目が覚めた。
痛みに蹲っているといつの間にか二人はいなくなっていた。
上手ク守レタンダ。
大人と女の子の青ざめた顔を思い出した。ふっと気が抜けた。あの女の子はきっと、温かい家の中にいる。私は決して入ることのできない、暖炉のある温かい家に。あの女の子を覆っている暖色のベールが、私にはなかった。
寒イ。
普段何も考えない頭を使ったせいか、急に体がだるくなった。それから私は、深い眠りについた。
「おい、やっぱりやめたほうがいいんじゃねぇか?」
「大丈夫だよ。君は怖がりだね。どうしてついてきたの」
目が覚めると、少し離れたところから二人の少年の声が聞こえた。私は、身体を起こさないで息をひそめて少年たちの会話を聞いた。
「別に怖がってねぇよ!俺はお前が心配だからついてきたんだよ!父さんが、危ないから近づくなって言ってたぞ?奴の身体は弱い子供の返り血まみれだって」
条件反射で自分の身体を見た。気が付けばいつも体の至る所に付いている血。
ソウイウコトダッタノカ。
「はぁ、君は大人を信じすぎているよ。まぁ、それが君のいいところでもあるんだけどね。いいかい?僕は毎日こっそりここにきて彼女を見ているが、彼女が僕らニンゲンに危害を加えているところを見たことがない。本に書いてあったんだ。悪天使は驚異の戦闘能力を持っているが、命令をされなければ何もしてこない。彼らには感情がないからね」
「じゃあ……」
「そう。彼女の身体に付いている血は全て、ニンゲン達に殴られ蹴られてできた彼女の傷から流れたものなんだよ」
それを聞いて、私はほっとした。
ヨカッタ。私ハ何モ酷イコトヲシテイナインダ。
少年の声も、心なしか明るくなった。
「僕は今まで、その場にいたにもかかわらず、彼女に何もしてあげられなかった。だけど今夜、やっと彼女を助けられるんだ」
私は少年の顔が見たくなり、叢からひょこっと顔を出した。彼は黒髪で背が低く、よくここに来るような子供のものとは似つかない、高価な服を着ていた。すると、丁度こちらを見ていた少年と目が合った。少年は大きく目を見開いて私の方へ駆け寄ると、ぎゅっと私を抱き締めた。手を回された背中に違和感を感じて背中を触ると、そこには羽がなく、代わりにべっとりとした赤黒い液体がこびりついていた。少年の瞳に映る私の頭上に、輪は浮かんでいなかった。その時私は、自分はもう悪天使ではないこと、天使にはなれないことを悟った。
「ニンゲンは皆、多様性を恐れすぎて変な錯覚を起こしているよ。背中に羽が生えているから何だっていうんだ。頭の上に輪が浮かんでいて、何が恐ろしい?この子がただの可愛い女の子だということに変わりはないじゃないか」
少年は、私の背中をさすりながら、吐き出すように言った。全てを吐き出しながらも、ぐっと何かをこらえているような、そんな声だった。
少年は暫く私を抱き締めた後、私の目をじっと見つめて言った。
「僕たちと一緒に、君のような悪天使が幸せになれる世界を作らない?こんなところに君を一人にしておくなんて心配だ。僕は君のことを、心から守りたいと思ってるんだ」
守ル?
その言葉は当時、私の中で偽善者の台詞として記憶されていた。その言葉を発して私に襲い掛かったニンゲンが何人いたことか。
「守ルッテ何?」
私は少年に尋ねた。彼なら教えてくれると思った。
少年は少し考えた後、教えてくれた。
「守るっていうのはね、大切な人を自分が犠牲になる覚悟で助けることだよ」
胸の中がじわりと熱くなった。脳裏で煩く反芻していた偽善の言葉が、すーっと浄化されたような気がした。
「さぁ、一緒に行こうよ」
少年は私に向かって手を差し伸べた。私には、この手に引かれれば温かいところに行けるという確信があった。だってもう、既に心臓が熱かったから。
その少年こそが、私に「守る」という言葉の本当の意味と、初めての感情を与えてくれた人物だった。
「ウン!」
私は、少年の手を握って立ち上がった。
嗚呼、その手を、そのまま握ったままでいたかったのに。
今は、いつだろう?この部屋からは月も太陽も見えないから、どれくらい眠ってしまったのか分からない。分かるのは、お腹が空いているのと、床が冷たいこと、やっぱりまだ眠いことくらいだ。この感覚、何だか懐かしい気がする。これだけ絶望的な状況に置かれているのに、ちょっとだけにやけてしまう。そして、胸が痛くなる。
あれは、月が見えない昏い夜だった。いつまでたっても忘れられない、体中にこびり付いた血の匂い。それから、草が肌に触れる感触。悲しそうな瞳。知っていたのは、家族のいるニンゲンの子供たちが勝手に付けた私の名前だけ。悪天使なんて、皆そんなもんだ。
痛イ。オ腹空イタ。眠イ。
私にだって、思うことは幾つかあった。
でも、それだけだった。
私を見て、子供たちは嗤った。大人たちは、怪訝そうな顔をした。
ある日の黄昏時、鋸を持った大人が私に近づいた。表情は窺えなかったが、私に危害を加えようとしているのは何となくわかった。だけど、悪い人ではないような気がした。
「大丈夫だ。お父さんが守ってやるからな」
何故って、その人の背中には小さな長いストレートの青髪の女の子がいて、その人は女の子を私から庇う様に震える腕を広げて立っていたから。それに気づいたとき、虚無の心に何かが刺さった。
痛イ。
月明かりの下で目が覚めた。
痛みに蹲っているといつの間にか二人はいなくなっていた。
上手ク守レタンダ。
大人と女の子の青ざめた顔を思い出した。ふっと気が抜けた。あの女の子はきっと、温かい家の中にいる。私は決して入ることのできない、暖炉のある温かい家に。あの女の子を覆っている暖色のベールが、私にはなかった。
寒イ。
普段何も考えない頭を使ったせいか、急に体がだるくなった。それから私は、深い眠りについた。
「おい、やっぱりやめたほうがいいんじゃねぇか?」
「大丈夫だよ。君は怖がりだね。どうしてついてきたの」
目が覚めると、少し離れたところから二人の少年の声が聞こえた。私は、身体を起こさないで息をひそめて少年たちの会話を聞いた。
「別に怖がってねぇよ!俺はお前が心配だからついてきたんだよ!父さんが、危ないから近づくなって言ってたぞ?奴の身体は弱い子供の返り血まみれだって」
条件反射で自分の身体を見た。気が付けばいつも体の至る所に付いている血。
ソウイウコトダッタノカ。
「はぁ、君は大人を信じすぎているよ。まぁ、それが君のいいところでもあるんだけどね。いいかい?僕は毎日こっそりここにきて彼女を見ているが、彼女が僕らニンゲンに危害を加えているところを見たことがない。本に書いてあったんだ。悪天使は驚異の戦闘能力を持っているが、命令をされなければ何もしてこない。彼らには感情がないからね」
「じゃあ……」
「そう。彼女の身体に付いている血は全て、ニンゲン達に殴られ蹴られてできた彼女の傷から流れたものなんだよ」
それを聞いて、私はほっとした。
ヨカッタ。私ハ何モ酷イコトヲシテイナインダ。
少年の声も、心なしか明るくなった。
「僕は今まで、その場にいたにもかかわらず、彼女に何もしてあげられなかった。だけど今夜、やっと彼女を助けられるんだ」
私は少年の顔が見たくなり、叢からひょこっと顔を出した。彼は黒髪で背が低く、よくここに来るような子供のものとは似つかない、高価な服を着ていた。すると、丁度こちらを見ていた少年と目が合った。少年は大きく目を見開いて私の方へ駆け寄ると、ぎゅっと私を抱き締めた。手を回された背中に違和感を感じて背中を触ると、そこには羽がなく、代わりにべっとりとした赤黒い液体がこびりついていた。少年の瞳に映る私の頭上に、輪は浮かんでいなかった。その時私は、自分はもう悪天使ではないこと、天使にはなれないことを悟った。
「ニンゲンは皆、多様性を恐れすぎて変な錯覚を起こしているよ。背中に羽が生えているから何だっていうんだ。頭の上に輪が浮かんでいて、何が恐ろしい?この子がただの可愛い女の子だということに変わりはないじゃないか」
少年は、私の背中をさすりながら、吐き出すように言った。全てを吐き出しながらも、ぐっと何かをこらえているような、そんな声だった。
少年は暫く私を抱き締めた後、私の目をじっと見つめて言った。
「僕たちと一緒に、君のような悪天使が幸せになれる世界を作らない?こんなところに君を一人にしておくなんて心配だ。僕は君のことを、心から守りたいと思ってるんだ」
守ル?
その言葉は当時、私の中で偽善者の台詞として記憶されていた。その言葉を発して私に襲い掛かったニンゲンが何人いたことか。
「守ルッテ何?」
私は少年に尋ねた。彼なら教えてくれると思った。
少年は少し考えた後、教えてくれた。
「守るっていうのはね、大切な人を自分が犠牲になる覚悟で助けることだよ」
胸の中がじわりと熱くなった。脳裏で煩く反芻していた偽善の言葉が、すーっと浄化されたような気がした。
「さぁ、一緒に行こうよ」
少年は私に向かって手を差し伸べた。私には、この手に引かれれば温かいところに行けるという確信があった。だってもう、既に心臓が熱かったから。
その少年こそが、私に「守る」という言葉の本当の意味と、初めての感情を与えてくれた人物だった。
「ウン!」
私は、少年の手を握って立ち上がった。
嗚呼、その手を、そのまま握ったままでいたかったのに。
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