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7私の感情教室
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次の晩、私はこっそりと悪天使のいる牢へ向かった。蝋燭を片手に、冷たい廊下を感覚を研ぎ澄ませながら歩く。腐乱臭が鼻を衝く。ここで食べるご飯は、例え高級ディナーでも不味い気がする。一歩踏み出すごとに揺れる炎が、鼠や虫が這っていても可笑しくないような気色の悪い鉄の床を照らした。天井からは結露が滴り、凹んだ床に水が溜まっている。引き寄せられるように蝋燭を近づけてみると、そこには何やら緑色のものが生えていた。嫌な気分になったので、それ以降は周囲をなるべく照らさないよう細心の注意を払い、結露で蝋燭の火が消えないようにすることだけを考えた。
無駄に曲がり角が多いこのエリアを歩くには、足音を気にする必要があった。角でうっかり軍の見張りと鉢合わせてしまう可能性も十分にあるからだ。私も悪天使もようやく信用されるようになり、この時間帯は見張りなど殆どいないはずだが、この不気味な空間で、何が起こるかなどもはや何も分からない。
大丈夫。万が一見つかっても、ケアだと偽ればいい。そのために得た信頼なのだから。
それにしても。ある意味、悪天使に感情が無くてよかったのかもしれない。こんな空間でまともに感情をもって過ごしていたら、間違いなく気が狂うだろう。毎日のように殺戮を命じられ、こんな湿っぽいところで自由を封じられていたら、ほんの少しの負の感情があるだけで命取りになる。
一瞬、顔に何かかかったような気がしたが、気のせいだと思いたい。
そうこうしているうちに、とうとう悪天使の牢に辿り着いた。
「ミリア、マリア、ユノン。まだ起きてる?」
私が空虚の部屋に呼びかけると、三人は感情のない淡々とした声で返事をした。
「ハイ、起キテイマス。用件ハ、何デショウカ」
私は、悪天使がまだ起きていたことに安心して、話を始めた。
「大切な話があって来たの。話す前に、一つだけ約束してくれる?今から話すことは、他の人……特に、アリス兵長とクーデ副兵長には、絶対に話さないでくれる?」
これは正直不安だった。アリス兵長の方が悪天使をよく従えているからだ。
だが、私の不安を裏切って、悪天使は頷いた。
「承知シマシタ」
「え?」
耳を疑った。ここまで簡単に了承されるとは、夢にも思わなかったのだ。
「承知してくれるのはありがたいんだけど、どうして私のことを信用してくれるの?」
アリスは自分とクーデの言うことだけを聞くように悪天使をしつけている筈だった。
不思議に思っていると、ミリアが意外な質問をした。
「『あなた達は、それでいいの?』トハ、ドノヨウナ意味ナノデショウカ」
「え?」
マリアが続ける。
「悪天使保護施設に行ッタ時、甲高イ声ノ人ガ私タチニ言ッタ言葉デス」
甲高い声の人……ルナのことか。
「私達ハ、ソノ意味ガワカラナイ。ダケド、貴女ナラ知ッテイルト思イマシタ」
何かが、動いている気がした。悪天使が口々に言う。
「ソレガ彼女ノ最期ノ言葉デシタ」
「眼帯ノ人ハ何故私タチヲ殺サナカッタノデスカ」
「死ニ際ノ彼女ハ何故口角ヲ上ゲテイタノデショウカ」
「彼女ハ何ヲ思ッテ死ンダノデショウカ」
「ソモソモ、アノ人タチハドウシテ、暖カイノデスカ」
「私達ノコトガ怖クナイノデショウカ」
そして、皆口を揃えて言う。
「教エテクダサイ」
と。
それを聞いて私は、心に引っかかっていた何かがすーっと溶けていくのを感じた。
ルナもイアンも、一度死んでしまった。天使は、二人を思っていたがために犠牲になってしまった。だけど、悪天使は僅かだが心を開いてくれた。そう考えると、昨日起こった悲劇の連鎖も、無駄ではなかったように思える。
悪天使は、感情に関する疑問を抱いた。だったら、教えるしかないじゃない!
「いいよ。全部教えてあげる。私はね、虚無の心を持つ悪天使である貴方たちに、感情を教えに来たの!」
無駄に曲がり角が多いこのエリアを歩くには、足音を気にする必要があった。角でうっかり軍の見張りと鉢合わせてしまう可能性も十分にあるからだ。私も悪天使もようやく信用されるようになり、この時間帯は見張りなど殆どいないはずだが、この不気味な空間で、何が起こるかなどもはや何も分からない。
大丈夫。万が一見つかっても、ケアだと偽ればいい。そのために得た信頼なのだから。
それにしても。ある意味、悪天使に感情が無くてよかったのかもしれない。こんな空間でまともに感情をもって過ごしていたら、間違いなく気が狂うだろう。毎日のように殺戮を命じられ、こんな湿っぽいところで自由を封じられていたら、ほんの少しの負の感情があるだけで命取りになる。
一瞬、顔に何かかかったような気がしたが、気のせいだと思いたい。
そうこうしているうちに、とうとう悪天使の牢に辿り着いた。
「ミリア、マリア、ユノン。まだ起きてる?」
私が空虚の部屋に呼びかけると、三人は感情のない淡々とした声で返事をした。
「ハイ、起キテイマス。用件ハ、何デショウカ」
私は、悪天使がまだ起きていたことに安心して、話を始めた。
「大切な話があって来たの。話す前に、一つだけ約束してくれる?今から話すことは、他の人……特に、アリス兵長とクーデ副兵長には、絶対に話さないでくれる?」
これは正直不安だった。アリス兵長の方が悪天使をよく従えているからだ。
だが、私の不安を裏切って、悪天使は頷いた。
「承知シマシタ」
「え?」
耳を疑った。ここまで簡単に了承されるとは、夢にも思わなかったのだ。
「承知してくれるのはありがたいんだけど、どうして私のことを信用してくれるの?」
アリスは自分とクーデの言うことだけを聞くように悪天使をしつけている筈だった。
不思議に思っていると、ミリアが意外な質問をした。
「『あなた達は、それでいいの?』トハ、ドノヨウナ意味ナノデショウカ」
「え?」
マリアが続ける。
「悪天使保護施設に行ッタ時、甲高イ声ノ人ガ私タチニ言ッタ言葉デス」
甲高い声の人……ルナのことか。
「私達ハ、ソノ意味ガワカラナイ。ダケド、貴女ナラ知ッテイルト思イマシタ」
何かが、動いている気がした。悪天使が口々に言う。
「ソレガ彼女ノ最期ノ言葉デシタ」
「眼帯ノ人ハ何故私タチヲ殺サナカッタノデスカ」
「死ニ際ノ彼女ハ何故口角ヲ上ゲテイタノデショウカ」
「彼女ハ何ヲ思ッテ死ンダノデショウカ」
「ソモソモ、アノ人タチハドウシテ、暖カイノデスカ」
「私達ノコトガ怖クナイノデショウカ」
そして、皆口を揃えて言う。
「教エテクダサイ」
と。
それを聞いて私は、心に引っかかっていた何かがすーっと溶けていくのを感じた。
ルナもイアンも、一度死んでしまった。天使は、二人を思っていたがために犠牲になってしまった。だけど、悪天使は僅かだが心を開いてくれた。そう考えると、昨日起こった悲劇の連鎖も、無駄ではなかったように思える。
悪天使は、感情に関する疑問を抱いた。だったら、教えるしかないじゃない!
「いいよ。全部教えてあげる。私はね、虚無の心を持つ悪天使である貴方たちに、感情を教えに来たの!」
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