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25 グロスター宰相閣下の揺さぶり
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レニス・グロスター宰相閣下が無言なので、此方から話しかける事など出来るわけもなく、私たちは黙ったまま王宮の奥へと歩いていた。
奥に進むにつれ、警備兵の数が明らかに増え、廊下も迷路のようにどんどんと複雑になって行く。
(今まで一度も足を踏み入れる事を許されていなかった場所へ進んでいる気がするけれど…これはまさか…)
ジワリと嫌な予感が脳裏を過ぎるが、辿り着いた場所は精緻な金の彫刻が施された真っ白で重厚な扉の前だった。
グロスター宰相閣下はノックもせずに扉を開けると、カールにも中へ入るよう促してくる。
そこは王太子殿下の執務室とは比べ物にならない程の広い豪奢な部屋であった。
大理石で作られた大きなマントルピースと、金の壁飾り、そして天井からはクリスタルで精巧に作られた眩いきらめきを放つシャンデリアがひときわ目を引く。
今は誰も座っていない、マホガニーの重厚な執務机が、此処が高貴な方の執務室なのだと無言で存在を主張している。
窓際に設えられたビロード張りの長椅子に対面で座ると、漸く視線を合わせたグロスター宰相閣下は口を開いた。
「随分と此処がどこだか気になるようだが、此処は君の想像通り、現アーデルハイド国王陛下の執務室だ」
その言葉に『やっぱり』とは思うが、出来るだけ顔に出さないように努めなくてはいけない。ここからは、何を聞かれるのか予想がつかないからだ。
「本来であれば、新米の…ましてやデビュタントしたての若造が入り込めるような場所ではない。今回は国王陛下直々の命だったため、やむなく此方への入室を許可頂いた」
グロスター宰相閣下に頷くと、部屋の中を見回す。
本来であれば傍仕えや、側近がいるべきこの豪奢な部屋は、完全に人払いがされているようで静寂に包まれていた。
「先ず、此度のエルベ領主の不正に気付いたことは、大いに王国の役に立ったと言える功績だ。これに関しては宰相の立場からも礼を言おう」
「…恐れ入ります…」
こんな睨みつけられながらお礼を言われたのは初めてなのだが…。
地顔が怖いのか? それとも私が気に入らないのか?
「今回、エルベ領の脱税に気づいたきっかけが、使用人との会話からだと小耳に挟んでいる。カールの口から、直接経緯を説明して貰えないだろうか」
そう言われれば、隠し立てする必要は無い。
私は離宮でお世話になっているルイスの傍仕えがエルベ領出身のミアだったことと、彼女が家族から受け取った手紙の内容などから現在のエルベ領主が悪政を行なっていると感じたことを詳細に説明した。
「成程…そうやって常日頃から王宮での情報収集をし、王太子殿下や我が息子に取り入ろうとする姿勢は見事なものだな。以前、ドルディーノ子爵に襲われたそうだが、それも王宮内で上手く立ち回る為にわざと起こした事件なのか?」
えええ~…あんなに恐ろしい目に遭った変態――ドルディーノ子爵に襲われた件まで私の自作自演だと思われているとは予想もしていなかった。
(最初から色眼鏡で見ておいて、公正に判断するつもりは無いって事か。それなら、遠慮して猫を被っていては、向こうの思惑に乗せられてしまうだけだわ…)
煽るような言い方に、生来の負けん気がむくむくと頭をもたげてくる。
このまま黙っていれば私だけではなく、ディミトリ殿下やシャルル様まで貶められるのだけは許せない。
「お言葉ですが、グロスター宰相閣下に置かれましては、その程度の情報収集能力で、国の中枢を取り仕切る立場だと豪語なさるのは些か恥ずかしいとお感じになりませんか?」
顔を上げ、真っすぐに顔を見上げると、グロスター宰相閣下はピクリと片眉を上げて私を睨んだ。
「今回、私がエルベ領の不正に気付いたのは偶々、使用人との会話が切っ掛けになったに過ぎません。それをディミトリ殿下にお伝えした時、不審だと即座に判断していただいたからこそ此度の事件発覚に繋がりました。それに、ドルディーノ子爵の件は王宮に招かれた初日の事であり、私と子爵との間に何の繋がりも無い事は明白な事実です。その程度は既にご承知でしょうに、私を揺さぶる為だけに持ち出すなど、若造に対して随分な洗礼をなさる方だと失望致しました」
そう、グロスター宰相閣下は私が他国の間諜だとは全く疑ってなどいないのだ。ただ、私を揺さぶる為だけに此処へ呼びつけ、冷静さを失わせるためだけにあのような言い方をしたのだろう。
(何の目的で、このような真似を…?)
そう思っていたら、グロスター宰相閣下の肩が小刻みに震え出し、その唇がヒクヒクと引き攣っている。怒りに打ち震えているのかと身構えた私を襲ったのは、彼の大爆笑だった。
「アッハッハッハ…何と面白い人物なのだ。これでデビュタントしたてとは、流石“変わり者のティーセル男爵”だけあって、随分と子供の教育が行き届いているでは無いか」
国で一番の切れ者で、蛇のように執念深く、眼光鋭いグロスター宰相閣下は、笑顔さえ浮かべないと巷で噂であった。その人物が、目の前で目に涙を浮かべるほど、笑い転げている様を見るなんて、信じられずに思わず頬を抓ってしまう。…うん、痛い。
「いや、すまんな。確かに私たちは事前の調査により、君への嫌疑は既に晴れているのだ。私が個人的に君と話をしてみたかった為と、実際に国王陛下から命を受けたことで今回時間を取らせて貰ったのだ」
「はあ…それなら良かったです…」
マヌケな切り返しだけれど、それ以外に何が言える?
「それにしても、カールは十年近くティーセル領に籠っていたと聞いているが、その割に随分と社交界や、様々な話題に精通しているようだな。王太子殿下や私の息子はすっかり君に夢中なようだ」
…まだその話題を続けるんですか?全然仲良くないと思うんだけれど…?
「確かにディミトリ殿下には弟のルイスの事でもお世話になっていますし、ご恩返ししたい意向はあります。ですが、側近としてお傍に置いていただいている以上の関係もありませんし、必要以上に馴れ馴れしい態度を取ったつもりはなかったのですが…」
「王太子殿下が手作りの菓子に、薬を混入された事件については聞いたことがあるか?」
明らかにかみ合わない会話に、返事が出来ず頷くだけに留める。
すると、グロスター宰相閣下は私の反応に対し、微かに笑みを漏らした。
「あれ以来、王太子殿下は王宮での使用人が作った料理しか口にしなくなった。いくら毒物が効かない体とはいえ、混入されるのは気分の良いものでは無いからな。当然、招かれた舞踏会やサロンでの飲み物ですら口にしない徹底ぶりだ。――それが、君の作った菓子だけは口にするというのだから、国王陛下も驚いていらっしゃる」
待て待て待て‼ディミトリ殿下は最初から私のクッキーを平気で食べていたぞ?
あまつさえ、強請って作らされたぞ? どういう事なんだ…。
「ディミトリ殿下を懐柔することに成功した君の標的が、次は我が息子なのかと思ったのも、シャルルが我が家の侍女長に『カールから手作りのクッキーを貰ったのだ。お返しに何を贈ろうか』と楽し気に相談していたという事で知ったのだ。どちらが君の本命なのかは知らないが、シャルルには既に家格の釣り合う婚約者候補がいる事は知っておいて貰いたい」
(…何で良かれと思った行動が、こう次々と裏目に出るのよ‼別に二人にそんな感情は無いんですけど⁈)
「あの…誤解を受けているようですが、私はお二人に対して友人以上の感情を持ったことはありません。偶々ルイスの食が細っていたので、少しでも食事をさせようとクッキーを作ったのが最初ですし、レシピをくれたシェフにもお礼をと、余分に作ったクッキーを王太子殿下に見つかって食べられただけのお粗末な話なのです」
「…しかし、シャルルはカールの手作りの菓子だと、包みを持って帰って来たらしい。それも君から手渡されたと嬉しそうな顔をしていたと、侍女長が言っていたのに辻褄が会わないでは無いか」
「あー…それはディミトリ殿下に材料まで邸宅に届けられた日の話ですよね。しつこく強請られたので、せっかく作るのならついでにと、ディミトリ殿下の他にも、シャルル様、ジョゼル…それとルイスと王宮シェフにも作って渡したんです。単なる善意のつもりでしたが、そう受け取られたのなら軽率だったと今は認めるしかありませんね」
大きくため息を吐いて、グロスター宰相閣下に視線を合わせると、何故か微妙な顔をしているのが見えた。…私はまた余計な事を言ったのだろうか。
「…つまり、カールは王太子殿下に対しても、シャルルに対しても好意を持ってはいないという事で間違いは無いのだな?」
その言葉に大きく頷いて「私は男色家では無いので」と告げると、グロスター宰相閣下はまた肩を揺らして爆笑している。…本当に笑いの沸点が低い人だ。
しかし、後ろから聞こえた声に、私は思わず悲鳴を上げそうになった。
「ふっ…随分と楽しそうな会話が聞こえると思ったら。切れ者と名高いレニス宰相閣下が形無しでは無いか」
いつの間にそこに立っていたのか、マントルピースに凭れ掛かりこちらの様子を伺っていたのは、現アーデルハイド国王陛下その人だったのだから。
奥に進むにつれ、警備兵の数が明らかに増え、廊下も迷路のようにどんどんと複雑になって行く。
(今まで一度も足を踏み入れる事を許されていなかった場所へ進んでいる気がするけれど…これはまさか…)
ジワリと嫌な予感が脳裏を過ぎるが、辿り着いた場所は精緻な金の彫刻が施された真っ白で重厚な扉の前だった。
グロスター宰相閣下はノックもせずに扉を開けると、カールにも中へ入るよう促してくる。
そこは王太子殿下の執務室とは比べ物にならない程の広い豪奢な部屋であった。
大理石で作られた大きなマントルピースと、金の壁飾り、そして天井からはクリスタルで精巧に作られた眩いきらめきを放つシャンデリアがひときわ目を引く。
今は誰も座っていない、マホガニーの重厚な執務机が、此処が高貴な方の執務室なのだと無言で存在を主張している。
窓際に設えられたビロード張りの長椅子に対面で座ると、漸く視線を合わせたグロスター宰相閣下は口を開いた。
「随分と此処がどこだか気になるようだが、此処は君の想像通り、現アーデルハイド国王陛下の執務室だ」
その言葉に『やっぱり』とは思うが、出来るだけ顔に出さないように努めなくてはいけない。ここからは、何を聞かれるのか予想がつかないからだ。
「本来であれば、新米の…ましてやデビュタントしたての若造が入り込めるような場所ではない。今回は国王陛下直々の命だったため、やむなく此方への入室を許可頂いた」
グロスター宰相閣下に頷くと、部屋の中を見回す。
本来であれば傍仕えや、側近がいるべきこの豪奢な部屋は、完全に人払いがされているようで静寂に包まれていた。
「先ず、此度のエルベ領主の不正に気付いたことは、大いに王国の役に立ったと言える功績だ。これに関しては宰相の立場からも礼を言おう」
「…恐れ入ります…」
こんな睨みつけられながらお礼を言われたのは初めてなのだが…。
地顔が怖いのか? それとも私が気に入らないのか?
「今回、エルベ領の脱税に気づいたきっかけが、使用人との会話からだと小耳に挟んでいる。カールの口から、直接経緯を説明して貰えないだろうか」
そう言われれば、隠し立てする必要は無い。
私は離宮でお世話になっているルイスの傍仕えがエルベ領出身のミアだったことと、彼女が家族から受け取った手紙の内容などから現在のエルベ領主が悪政を行なっていると感じたことを詳細に説明した。
「成程…そうやって常日頃から王宮での情報収集をし、王太子殿下や我が息子に取り入ろうとする姿勢は見事なものだな。以前、ドルディーノ子爵に襲われたそうだが、それも王宮内で上手く立ち回る為にわざと起こした事件なのか?」
えええ~…あんなに恐ろしい目に遭った変態――ドルディーノ子爵に襲われた件まで私の自作自演だと思われているとは予想もしていなかった。
(最初から色眼鏡で見ておいて、公正に判断するつもりは無いって事か。それなら、遠慮して猫を被っていては、向こうの思惑に乗せられてしまうだけだわ…)
煽るような言い方に、生来の負けん気がむくむくと頭をもたげてくる。
このまま黙っていれば私だけではなく、ディミトリ殿下やシャルル様まで貶められるのだけは許せない。
「お言葉ですが、グロスター宰相閣下に置かれましては、その程度の情報収集能力で、国の中枢を取り仕切る立場だと豪語なさるのは些か恥ずかしいとお感じになりませんか?」
顔を上げ、真っすぐに顔を見上げると、グロスター宰相閣下はピクリと片眉を上げて私を睨んだ。
「今回、私がエルベ領の不正に気付いたのは偶々、使用人との会話が切っ掛けになったに過ぎません。それをディミトリ殿下にお伝えした時、不審だと即座に判断していただいたからこそ此度の事件発覚に繋がりました。それに、ドルディーノ子爵の件は王宮に招かれた初日の事であり、私と子爵との間に何の繋がりも無い事は明白な事実です。その程度は既にご承知でしょうに、私を揺さぶる為だけに持ち出すなど、若造に対して随分な洗礼をなさる方だと失望致しました」
そう、グロスター宰相閣下は私が他国の間諜だとは全く疑ってなどいないのだ。ただ、私を揺さぶる為だけに此処へ呼びつけ、冷静さを失わせるためだけにあのような言い方をしたのだろう。
(何の目的で、このような真似を…?)
そう思っていたら、グロスター宰相閣下の肩が小刻みに震え出し、その唇がヒクヒクと引き攣っている。怒りに打ち震えているのかと身構えた私を襲ったのは、彼の大爆笑だった。
「アッハッハッハ…何と面白い人物なのだ。これでデビュタントしたてとは、流石“変わり者のティーセル男爵”だけあって、随分と子供の教育が行き届いているでは無いか」
国で一番の切れ者で、蛇のように執念深く、眼光鋭いグロスター宰相閣下は、笑顔さえ浮かべないと巷で噂であった。その人物が、目の前で目に涙を浮かべるほど、笑い転げている様を見るなんて、信じられずに思わず頬を抓ってしまう。…うん、痛い。
「いや、すまんな。確かに私たちは事前の調査により、君への嫌疑は既に晴れているのだ。私が個人的に君と話をしてみたかった為と、実際に国王陛下から命を受けたことで今回時間を取らせて貰ったのだ」
「はあ…それなら良かったです…」
マヌケな切り返しだけれど、それ以外に何が言える?
「それにしても、カールは十年近くティーセル領に籠っていたと聞いているが、その割に随分と社交界や、様々な話題に精通しているようだな。王太子殿下や私の息子はすっかり君に夢中なようだ」
…まだその話題を続けるんですか?全然仲良くないと思うんだけれど…?
「確かにディミトリ殿下には弟のルイスの事でもお世話になっていますし、ご恩返ししたい意向はあります。ですが、側近としてお傍に置いていただいている以上の関係もありませんし、必要以上に馴れ馴れしい態度を取ったつもりはなかったのですが…」
「王太子殿下が手作りの菓子に、薬を混入された事件については聞いたことがあるか?」
明らかにかみ合わない会話に、返事が出来ず頷くだけに留める。
すると、グロスター宰相閣下は私の反応に対し、微かに笑みを漏らした。
「あれ以来、王太子殿下は王宮での使用人が作った料理しか口にしなくなった。いくら毒物が効かない体とはいえ、混入されるのは気分の良いものでは無いからな。当然、招かれた舞踏会やサロンでの飲み物ですら口にしない徹底ぶりだ。――それが、君の作った菓子だけは口にするというのだから、国王陛下も驚いていらっしゃる」
待て待て待て‼ディミトリ殿下は最初から私のクッキーを平気で食べていたぞ?
あまつさえ、強請って作らされたぞ? どういう事なんだ…。
「ディミトリ殿下を懐柔することに成功した君の標的が、次は我が息子なのかと思ったのも、シャルルが我が家の侍女長に『カールから手作りのクッキーを貰ったのだ。お返しに何を贈ろうか』と楽し気に相談していたという事で知ったのだ。どちらが君の本命なのかは知らないが、シャルルには既に家格の釣り合う婚約者候補がいる事は知っておいて貰いたい」
(…何で良かれと思った行動が、こう次々と裏目に出るのよ‼別に二人にそんな感情は無いんですけど⁈)
「あの…誤解を受けているようですが、私はお二人に対して友人以上の感情を持ったことはありません。偶々ルイスの食が細っていたので、少しでも食事をさせようとクッキーを作ったのが最初ですし、レシピをくれたシェフにもお礼をと、余分に作ったクッキーを王太子殿下に見つかって食べられただけのお粗末な話なのです」
「…しかし、シャルルはカールの手作りの菓子だと、包みを持って帰って来たらしい。それも君から手渡されたと嬉しそうな顔をしていたと、侍女長が言っていたのに辻褄が会わないでは無いか」
「あー…それはディミトリ殿下に材料まで邸宅に届けられた日の話ですよね。しつこく強請られたので、せっかく作るのならついでにと、ディミトリ殿下の他にも、シャルル様、ジョゼル…それとルイスと王宮シェフにも作って渡したんです。単なる善意のつもりでしたが、そう受け取られたのなら軽率だったと今は認めるしかありませんね」
大きくため息を吐いて、グロスター宰相閣下に視線を合わせると、何故か微妙な顔をしているのが見えた。…私はまた余計な事を言ったのだろうか。
「…つまり、カールは王太子殿下に対しても、シャルルに対しても好意を持ってはいないという事で間違いは無いのだな?」
その言葉に大きく頷いて「私は男色家では無いので」と告げると、グロスター宰相閣下はまた肩を揺らして爆笑している。…本当に笑いの沸点が低い人だ。
しかし、後ろから聞こえた声に、私は思わず悲鳴を上げそうになった。
「ふっ…随分と楽しそうな会話が聞こえると思ったら。切れ者と名高いレニス宰相閣下が形無しでは無いか」
いつの間にそこに立っていたのか、マントルピースに凭れ掛かりこちらの様子を伺っていたのは、現アーデルハイド国王陛下その人だったのだから。
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