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ハんショク
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「どこへ行くつもり?」
ガスマスクの女の声。だけど顔が下に向けられているので確証はない。
「あんたは」
無防備な首筋に円柱状のなにかが押し当てられる。
「ここで」
ぷしゅ、となにかが首筋から注入される。
「生涯家畜になるって言ったでしょ!」
ようやく解放された。つんのめってリカルドとぶつかり、ふたりとも無様に転んでしまう。
「サトル!」
飛び出したタリアに引っ張られて立ち上がったサトルだが、すぐにうずくまってしまう。
「どうしたサトル?」
「か、からだ、が……っ!」
自身を抱きしめるように手を交差させ、呼吸は荒く、脂汗がだらだらと落ちていく。
「あんたのとこのポンコツに礼を言わなきゃね」
「な、にを……っ」
「物理的に干渉するなら、再現出来ない法術はないって言われたの。だから、試しにやってみたら成功したからね」
「ぼくに、なにを、打ち込んだ……っ!」
からだを、小さな虫のようなものが這いずり回り、筋肉が骨が血液が激しく脈動する。
「ないしょ。すぐ効果が出るからおとなしく待ってなさい」
「なにを言っているんだ、メルティ」
「ついさっきトカゲの親玉から連絡があったのよ。サヴロスの延命に関する研究は全て中止。捕獲したユヱネスとシルウェスを解放しろって」
「そうか。なら都合がいい」
「なにもよくないわよ? こっちは千年間ずーっと研究し続けてやっと解決の糸口掴んだってのに、一方的に中止とかふざけんじゃないわよ」
淡々とした口調は如実に憤怒を滲ませていた。
「クライアントが中止だっていうなら中止してやるけどさ、中止ならもうどうなってもいいってことでしょ? だから、好き勝手やっておこうって思って」
「なにを言っているんだ貴様は!」
タリアがメルティの襟首を掴み、喉ごと押さえつけるように壁に押し当て、威嚇する。
「なによこの手。やろうっての?」
「だとしたら、なんだ」
「できるわけないでしょ。ユヱネスと大差ないぐらいまで退化したあんたたちが!」
どしゅ、と鋭い音が薄暗い通路に響く。
うずくまり、悶絶するサトルの顔に、タリアの鮮血が、かかった。
「残念でもなんでもないんだけど、あんたはもう用済みなの。龍種の遺伝子が薄くなりすぎてて素材にも使えないしさ。ただ殺処分するぐらいなら四つん這いにして乗り物にでもしようかと思ったけど、そんなのあの鳥だけで十分だしさ。手間かけて連れてきた割に使ってあげなくてごめんねぇ」
「タリア……っ!」
叫ぼうとしたサトルのからだが徐々に変化していく。
まだ産毛の残っていたきめ細やかな肌は雄黄色《ゆうおういろ》の鱗に、艶やかな黒髪も一度全て抜け落ちて頭鱗が細く伸びて黄金色の短髪になるまで伸びる。
爪も鋭く伸びて一本一本がナイフのように鋭利に。
淡い光量の薄暗い通路でも、金属製の床はきれいに磨かれていて、ぼんやりとではあるがサトルは己が姿がどうなっているのか見えている。
なんだ、この姿は。
あの三人が無理矢理変質させられ、知性なく暴れたあの姿そのものではないか。
「成功みたいね」
「なにが、成功だ……っ!」
「成功よ。これでトカゲたちを延命できるようになったんだから」
「まさかメルティ、彼にサヴロス化させるナノマシンを打ち込んだとでも言うのかい?」
興奮した様子でリカルドが問いかける。
「そ。これで問題の半分は解決。あとは……」
懐から注射銃を取り出し、ひとつ息を吐く。そしてうずくまるサトルを見やる。
視線を向けられたサトルは、リカルドたちの会話など半分も届いていない。
「があああああっ!」
サトルの雄叫びは、ユヱネスのそれよりも先祖返りしたサヴロスに近い。
床に映る姿にユヱネスの面影は、いやサヴロスとしての特徴すらない。
いやだ。
自分が憧れるサヴロスは、雄々しくたくましく、強く潔いあの人のような高潔な存在。
集中しろ。
リカルドたちの言葉で、自分の体内を這いずり回っているのがナノマシンだと理解した。
そしてそのナノマシンは自分をサヴロスに変えるものだと言った。
ならば、いまの自分にならギア無しで法術が使える。
意識しろ。
自身を駆け巡る、ナノマシンがもたらしたサヴロスの血を。
あの女の思うようにはならない!
もう牙歯と呼べるまでに長くなった犬歯で親指を切って自身とタリアに振りかけ、トルアやサョリに法術をかけてもらった時の力の流れを思い出しながら自身で再現する。
「わああああっ!」
親指から流れる血と振りまいた血が淡く、次第に強く輝く。
血は法術を励起させるための素材。発動させるには自身の強い想い。
「なにをやったとしても、もうあんたは繁殖素材になるしかないのよ」
うるさい。
ぼくは、ぼくだ!
法術の輝きが爆発的に広がる。
光は腹部から血を流すタリアを、リカルドを、自身の首筋に注射銃を押し当てているメルティを、通路を呑み込み、それでも収まらず、施設を、サヴロスの城全てを包み込んだ。
* * *
「これは、法術の輝き?」
地下施設への直通エレベーターの中で、サョリたち四人は穏やかな光に包まれた。
元々が極秘の地下施設なので、当然エレベーターも狭く、四人は息苦しさも感じながら降下していた。
ここに来る途中でベスから預かっていたデバイスのひとつを設置してある。分身のベスはいまごろこの施設の掌握を最大の目標として働いているだろう。
「いえスズカさん。純粋な法術が放つ輝きとは少し違うように感じます。……その、機械が持つような無機質さのような感覚もあります」
「お前は、この中で一番機械に接してきたんだからな、そういう感覚が分かるのは信じるよ」
自らのつぶやきに、おぼろげではあるが回答をくれたサョリに、スズカは微笑んで返す。
「いえ。私も法術は苦手ですから。感覚が間違っている可能性はあります」
「それ、お嬢に言ったら拗ねるから言うなよ」
苦笑しながらのスズカにサョリは頷き、
「ですが、こんな輝きを放つ法術なんて私は知りません。主上はご存知ですか?」
トルアの問いにサングィスは静かに首を振る。
「我も法術は不得手だが、このような現象を起こす法術など……」
なにかに気付いたように言葉を切る。全員の耳朶を打ったのは、猛々しい咆哮。
瞬間、光が急速に収束し始める。エレベーター内も常設の照明に戻っただけなのに薄暗く感じてしまう。
「な、なんだいまの咆哮は。サングィス、この地下は先祖返りの研究もやっているのか?」
スズカが怯えたように問い詰める。
「いや。そのような研究を許可した覚えはない。無論、代々の王もだ」
答えるサングィスも表情は一層険しくなっている。
同時にエレベーターも停止。
ゆっくりと開くドアの先は薄暗い通路。
僅かに開いたドアの遙か先に、小指ほどの大きさの人影が四つ。
ひとつは壁にもたれ掛かってうずくまり、その手前に女。一番奥に白衣の男。そして女の手前には。
「サトル!」
開ききる数秒も惜しんでサョリが飛び出す。
「来ちゃだめだ母さん!」
母と呼ばれたことに喜びを感じたのも束の間。駆けつけたそこに居たのは、サヴロスの若いオスだった。
「サトル……?」
薄暗いから見間違えたのだ。
いまでもユヱネスだった頃のクセで視覚情報が判別の基準になっているせいだ。
だって視線の先に居る少年は間違いなく人族《ユヱネス》のナリヤ・サトルだ。
サトルの脇には、脇腹を押さえて立つタリア。彼らの奥には見知らぬ男女が佇んでいる。
おそらくは空調が起こした風に乗って漂ってきたにおいが、あの注射銃を持ってやや前傾姿勢になっている女が、サトルを攫ったガスマスクの女だと教えてくれる。
ならばあの四人はなにをしているのか、と思いながら駆け寄る。
「サトル、なにがあったの」
「あの、メルティってひとが」
それがガスマスクの女の名前だと察し、視線をやる。
だらりと、前傾姿勢になりながら、手にしていた注射銃をがちゃりと落とす。
「なぁに? 自分から家畜になりに来たの?」
ふひひひ、と不気味に笑い、首をぐるりと不気味に回す。
「メルティ?」
リカルドが小首を傾げながら問いかける。
同時に、前のめりなメルティの肩甲骨あたりが大きく膨らみ、衣服を破ってなにかが突き出てきた。腕だ。
「ああ、これはいけない。失敗したようだね。メルティ」
「シっパイ? しッぱいってナになニなに」
口から発せられる言語はもはや不明瞭。くぐもり、音程もめちゃくちゃだ。
顔を上にして哄笑するメルティの顔が口から裂け、中から新しい顔がぼこりと突き破って出てくる。
「ひあっははははあはははははは! ハんショク! はんしょク!」
ぼこぼこと異常な膨らみを腕と言わず足と言わず発生させ、ヒトの形すらまともに維持できていない。
「下がれふたりとも!」
ふたりの間を豪風が駆け抜ける。ふたりが振り返ったのと、メルティだったものが両断されたのは同時だった。
「くっ?!」
困惑したのはサングィス。
「きゅははははっ! そんなノ、きくわケないでシょぉぉォっ!」
一度は股間から頭頂部だったものまですっぱりと切り裂かれたはずのからだは、何本も生えた腕が自身を抱きしめるようにしてぴたりと合わさり、瞬く間にひとつにくっついてしまう。
「びゃははは! ハンしョク! はんシょく!」
なんだ、これは。
一同が戦慄する。
「さっき、あの女の人が自分に注射銃を撃ったんだ。それからおかしくなった」
サトルの説明を何人が飲み込めただろうか。
身につけていた白衣やらはすでに自らの肉圧で無残に破り千切れ、かろうじて肉塊に端々が引っかかっていたり張り付いている。むしろそれらがこの蠢く肉塊が人間だったことを物語り、不憫さと不気味さを醸し出している。
なんなんだ、これは。
全身を悪寒がはしる。
逃げなければ。
「そうか、きみはガン細胞を使って延命していたね。そしていまきみに起こっているのは、さっき採り入れたユヱネスの遺伝子が原因だね。もしそのまま、」
「なにのんびり観察してるんですか! 逃げますよ!」
あごに手を当ててじっくりと観察していたリカルドの脇腹を抱えるようにして、サトルはいまだぼこぼこと異音を立てながら膨張していく肉塊の脇を走り抜ける。
「スズカさん! タリアをお願いします!」
リカルドを抱えながらサトルが振り返って叫ぶ。
「サングィスさまたちもはやく逃げてください! ここは危険です!」
分かった、と頷きながらサングィスはサョリを抱き上げ、来た道を猛然と走り去る。トルアも慌てた様子で主人を追い、スズカはタリアを背負ってサトルの後を追う。
「あ、待ってくれ。きみたちの武器を部屋の入り口に立て掛けてある。回収しておいたほうが、」
ああもう、と悪態を吐きつつきびすを返す。ぼこぼこと、もはや生き物と呼ぶことも不可能なほどに膨らみ、いままさに廊下の両端に肉が届こうという隙間から手を伸ばし、二刀とマスケット銃をひったくって走り出す。
隙間から見えた向こう側では、サングィスたち三人がエレベーターへと走っている後ろ姿がある。
こちらも、急がなければ。
ガスマスクの女の声。だけど顔が下に向けられているので確証はない。
「あんたは」
無防備な首筋に円柱状のなにかが押し当てられる。
「ここで」
ぷしゅ、となにかが首筋から注入される。
「生涯家畜になるって言ったでしょ!」
ようやく解放された。つんのめってリカルドとぶつかり、ふたりとも無様に転んでしまう。
「サトル!」
飛び出したタリアに引っ張られて立ち上がったサトルだが、すぐにうずくまってしまう。
「どうしたサトル?」
「か、からだ、が……っ!」
自身を抱きしめるように手を交差させ、呼吸は荒く、脂汗がだらだらと落ちていく。
「あんたのとこのポンコツに礼を言わなきゃね」
「な、にを……っ」
「物理的に干渉するなら、再現出来ない法術はないって言われたの。だから、試しにやってみたら成功したからね」
「ぼくに、なにを、打ち込んだ……っ!」
からだを、小さな虫のようなものが這いずり回り、筋肉が骨が血液が激しく脈動する。
「ないしょ。すぐ効果が出るからおとなしく待ってなさい」
「なにを言っているんだ、メルティ」
「ついさっきトカゲの親玉から連絡があったのよ。サヴロスの延命に関する研究は全て中止。捕獲したユヱネスとシルウェスを解放しろって」
「そうか。なら都合がいい」
「なにもよくないわよ? こっちは千年間ずーっと研究し続けてやっと解決の糸口掴んだってのに、一方的に中止とかふざけんじゃないわよ」
淡々とした口調は如実に憤怒を滲ませていた。
「クライアントが中止だっていうなら中止してやるけどさ、中止ならもうどうなってもいいってことでしょ? だから、好き勝手やっておこうって思って」
「なにを言っているんだ貴様は!」
タリアがメルティの襟首を掴み、喉ごと押さえつけるように壁に押し当て、威嚇する。
「なによこの手。やろうっての?」
「だとしたら、なんだ」
「できるわけないでしょ。ユヱネスと大差ないぐらいまで退化したあんたたちが!」
どしゅ、と鋭い音が薄暗い通路に響く。
うずくまり、悶絶するサトルの顔に、タリアの鮮血が、かかった。
「残念でもなんでもないんだけど、あんたはもう用済みなの。龍種の遺伝子が薄くなりすぎてて素材にも使えないしさ。ただ殺処分するぐらいなら四つん這いにして乗り物にでもしようかと思ったけど、そんなのあの鳥だけで十分だしさ。手間かけて連れてきた割に使ってあげなくてごめんねぇ」
「タリア……っ!」
叫ぼうとしたサトルのからだが徐々に変化していく。
まだ産毛の残っていたきめ細やかな肌は雄黄色《ゆうおういろ》の鱗に、艶やかな黒髪も一度全て抜け落ちて頭鱗が細く伸びて黄金色の短髪になるまで伸びる。
爪も鋭く伸びて一本一本がナイフのように鋭利に。
淡い光量の薄暗い通路でも、金属製の床はきれいに磨かれていて、ぼんやりとではあるがサトルは己が姿がどうなっているのか見えている。
なんだ、この姿は。
あの三人が無理矢理変質させられ、知性なく暴れたあの姿そのものではないか。
「成功みたいね」
「なにが、成功だ……っ!」
「成功よ。これでトカゲたちを延命できるようになったんだから」
「まさかメルティ、彼にサヴロス化させるナノマシンを打ち込んだとでも言うのかい?」
興奮した様子でリカルドが問いかける。
「そ。これで問題の半分は解決。あとは……」
懐から注射銃を取り出し、ひとつ息を吐く。そしてうずくまるサトルを見やる。
視線を向けられたサトルは、リカルドたちの会話など半分も届いていない。
「があああああっ!」
サトルの雄叫びは、ユヱネスのそれよりも先祖返りしたサヴロスに近い。
床に映る姿にユヱネスの面影は、いやサヴロスとしての特徴すらない。
いやだ。
自分が憧れるサヴロスは、雄々しくたくましく、強く潔いあの人のような高潔な存在。
集中しろ。
リカルドたちの言葉で、自分の体内を這いずり回っているのがナノマシンだと理解した。
そしてそのナノマシンは自分をサヴロスに変えるものだと言った。
ならば、いまの自分にならギア無しで法術が使える。
意識しろ。
自身を駆け巡る、ナノマシンがもたらしたサヴロスの血を。
あの女の思うようにはならない!
もう牙歯と呼べるまでに長くなった犬歯で親指を切って自身とタリアに振りかけ、トルアやサョリに法術をかけてもらった時の力の流れを思い出しながら自身で再現する。
「わああああっ!」
親指から流れる血と振りまいた血が淡く、次第に強く輝く。
血は法術を励起させるための素材。発動させるには自身の強い想い。
「なにをやったとしても、もうあんたは繁殖素材になるしかないのよ」
うるさい。
ぼくは、ぼくだ!
法術の輝きが爆発的に広がる。
光は腹部から血を流すタリアを、リカルドを、自身の首筋に注射銃を押し当てているメルティを、通路を呑み込み、それでも収まらず、施設を、サヴロスの城全てを包み込んだ。
* * *
「これは、法術の輝き?」
地下施設への直通エレベーターの中で、サョリたち四人は穏やかな光に包まれた。
元々が極秘の地下施設なので、当然エレベーターも狭く、四人は息苦しさも感じながら降下していた。
ここに来る途中でベスから預かっていたデバイスのひとつを設置してある。分身のベスはいまごろこの施設の掌握を最大の目標として働いているだろう。
「いえスズカさん。純粋な法術が放つ輝きとは少し違うように感じます。……その、機械が持つような無機質さのような感覚もあります」
「お前は、この中で一番機械に接してきたんだからな、そういう感覚が分かるのは信じるよ」
自らのつぶやきに、おぼろげではあるが回答をくれたサョリに、スズカは微笑んで返す。
「いえ。私も法術は苦手ですから。感覚が間違っている可能性はあります」
「それ、お嬢に言ったら拗ねるから言うなよ」
苦笑しながらのスズカにサョリは頷き、
「ですが、こんな輝きを放つ法術なんて私は知りません。主上はご存知ですか?」
トルアの問いにサングィスは静かに首を振る。
「我も法術は不得手だが、このような現象を起こす法術など……」
なにかに気付いたように言葉を切る。全員の耳朶を打ったのは、猛々しい咆哮。
瞬間、光が急速に収束し始める。エレベーター内も常設の照明に戻っただけなのに薄暗く感じてしまう。
「な、なんだいまの咆哮は。サングィス、この地下は先祖返りの研究もやっているのか?」
スズカが怯えたように問い詰める。
「いや。そのような研究を許可した覚えはない。無論、代々の王もだ」
答えるサングィスも表情は一層険しくなっている。
同時にエレベーターも停止。
ゆっくりと開くドアの先は薄暗い通路。
僅かに開いたドアの遙か先に、小指ほどの大きさの人影が四つ。
ひとつは壁にもたれ掛かってうずくまり、その手前に女。一番奥に白衣の男。そして女の手前には。
「サトル!」
開ききる数秒も惜しんでサョリが飛び出す。
「来ちゃだめだ母さん!」
母と呼ばれたことに喜びを感じたのも束の間。駆けつけたそこに居たのは、サヴロスの若いオスだった。
「サトル……?」
薄暗いから見間違えたのだ。
いまでもユヱネスだった頃のクセで視覚情報が判別の基準になっているせいだ。
だって視線の先に居る少年は間違いなく人族《ユヱネス》のナリヤ・サトルだ。
サトルの脇には、脇腹を押さえて立つタリア。彼らの奥には見知らぬ男女が佇んでいる。
おそらくは空調が起こした風に乗って漂ってきたにおいが、あの注射銃を持ってやや前傾姿勢になっている女が、サトルを攫ったガスマスクの女だと教えてくれる。
ならばあの四人はなにをしているのか、と思いながら駆け寄る。
「サトル、なにがあったの」
「あの、メルティってひとが」
それがガスマスクの女の名前だと察し、視線をやる。
だらりと、前傾姿勢になりながら、手にしていた注射銃をがちゃりと落とす。
「なぁに? 自分から家畜になりに来たの?」
ふひひひ、と不気味に笑い、首をぐるりと不気味に回す。
「メルティ?」
リカルドが小首を傾げながら問いかける。
同時に、前のめりなメルティの肩甲骨あたりが大きく膨らみ、衣服を破ってなにかが突き出てきた。腕だ。
「ああ、これはいけない。失敗したようだね。メルティ」
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「くっ?!」
困惑したのはサングィス。
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なんなんだ、これは。
全身を悪寒がはしる。
逃げなければ。
「そうか、きみはガン細胞を使って延命していたね。そしていまきみに起こっているのは、さっき採り入れたユヱネスの遺伝子が原因だね。もしそのまま、」
「なにのんびり観察してるんですか! 逃げますよ!」
あごに手を当ててじっくりと観察していたリカルドの脇腹を抱えるようにして、サトルはいまだぼこぼこと異音を立てながら膨張していく肉塊の脇を走り抜ける。
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リカルドを抱えながらサトルが振り返って叫ぶ。
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分かった、と頷きながらサングィスはサョリを抱き上げ、来た道を猛然と走り去る。トルアも慌てた様子で主人を追い、スズカはタリアを背負ってサトルの後を追う。
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ああもう、と悪態を吐きつつきびすを返す。ぼこぼこと、もはや生き物と呼ぶことも不可能なほどに膨らみ、いままさに廊下の両端に肉が届こうという隙間から手を伸ばし、二刀とマスケット銃をひったくって走り出す。
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「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
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