1 / 35
二年目、春、いやな予感
しおりを挟む
面倒くさいことになりそうだ、と予想したオリヴィアだったが、実際にはそれほどひどいことにはならなかった。
少なくとも表面的には。
「ライカ、ミューナ、もっとちゃんと集中してやりなさい」
え、と一同がざわつく。
今日の修練は班別の組み手。拳を合わせた誰もがふたりの挙動に違和感を感じることはなかった。
「あ、ああ、はい」
答えたのはライカ。
気もそぞろでいますぐにでもここから逃げ出したいのが目に見えている。が、裾をミューナがつまんでいるのでそれもできずにいるのが現状だ。
「ほかのみんなもそうよ。一年経って、精霊たちとの対話にも慣れはじめたいまぐらいが一番事故が多いんだから」
実際、ライカとディルマュラの試合以降、精霊との歌い方を我流で身につけた者も多い。
修練で使用が許可されているのは変わらず基礎の術だけだが、歌えるようになればその練度も変わってくる。歌える以前と大きく違う精霊たちの反応に、戸惑う者も少なくない。
というわけで、と息を吐いて。
「ライカ、ディルマュラと組み手をしなさい。今度はフラットにやれるでしょ?」
「申し訳ありませんがクレア先生」
手を上げたのはディルマュラ。
「ぼくはこのあと大事な用があるのです。ライカとの組み手は楽しくて容易に終わらせたくないですから、その……」
「エイヌ王女としての用事ならだめよ。神殿に人の世の理は持ち込まない。神殿にいて腕輪を付けている以上、あたしの言うことが優先されるって何回も言ってるでしょ」
ディルマュラが浮かべたのは、渋面というよりは悲哀。
「なによその目」
「いえ。……失礼ながら、ゆっくり休まれたほうがいいと思います」
大きな、わざとらしいほどに大きなため息をついて。
「分かったわ。あんたたちの組み手はまた今度にしてあげる」
内心ほっとしたのも束の間、
「ライカとディル、あんたたちの班全員、六人でかかってきなさい」
「ちょ、あたしまで巻き込まないでください」
「単位あげるから」
「それちらつかせれば何でも言うこと聞くとか思わないでください」
すっと立ち上がり、一礼だけして出口へと歩き出す。
「じゃあいいわ。変更。あたしと戦いたいひとだけ残って。当然成績には影響しないし、やる気がないとか思わないから、用事があるなら帰っていいわ。でも、ディルは残ること。はい、動いて」
ぱん、と手を叩くと半数ほどが立ち上がり、修練場をあとにした。
全員が残った班もあれば、ひとりだけ残った班もある。
「ま、こんなもんね。せっかくだし記録もしておくわ」
懐からタブレットを取り出し、カメラを起動させ、天井に術で貼り付ける。
「さ、やるわよ。五十人相手するのも久しぶりだけど、これだけいるんだからあんたたち、一歩ぐらい動かしてみせなさいよ!」
* * *
「あーもう、なによ。急に張り切っちゃってさ」
ずんずんと修練場から寮へ続く通路を歩くオリヴィアは、我が身に降りかかろうとした災難を咀嚼していた。
面倒ごとはひとつでいい。
ただでさえ自分の部屋には甘痒い空気が満ちているのだ。
あの赤猫がどんな顔して言ったのかは、ほんの少しだけ興味があるけれど。
「色恋はお話の中だけで十分」
オリヴィアにとって恋愛小説は、よほど食指が動かなければ読むことはない。
それが義務だと言うから、成人式を終えた足で自分の卵子を役所に提出した。
今頃安値で買われて誰かの子供になっているか、医薬品かなにかの実験台になっていることだろう。
自分がどこかの王女だと言われ、自分が産んだ子が望むなら王位を、とかよく言えたものだと思う。
子を産むつもりどころか、恋愛をするつもりすらさらさらないと言うのに。
「まあいいや。晩ご飯の買い出しだけやって帰ろ」
左側の中庭に視線をやる。
小春日和の陽光が穏やかに注ぎ込み、一歩踏み入れれば十を数える間もなく眠ってしまいそうだ。
丁寧に管理された花や木と、それに釣られてやってくる蝶やテントウムシ。中央には噴水とベンチが並べてあって、他人の目さえなければ一日中読書していたい場所のひとつだ。
庭師のひとと目があった。会釈してそそくさと立ち去る。
「でも、よく気付いたな。クレアおばさん」
ライカたちが集中していないと見抜けるのは自分ぐらいだと思っていた。
ふたりを二人っきりにしたあの日から、恐ろしいほどふたりの関係は進展していない。
にも関わらずふたりは、特にライカは魂が抜けたように日々を過ごしている。
修練にしたってそうだ。
あいつは、精霊と踊り、術を展開し、相手を殴り伏せる一連の動作を、ほぼ機械的にこなしている。
二年目に入ってからは班別の組み手が一層増えたが、以前言われた連携も、ディルマュラのような強い相手と闘う時でさえ、だ。
「奇策やフェイントにも対応できるって、おかしいわよ、あのふたり」
ミューナに訊いたところ、互いに想いを伝え合った、というところまでは確認した。
それがあの体たらくだ。
「どうせ前みたいに逃げ出したいけど、それが出来ないから内にこもってるってところでしょうけど、迷惑」
渋面を作って足早に神殿の出口を目指す。
『修練生二年、オリヴィア。神殿に居るなら至急神殿長室まで来るように』
そこでこの館内放送だ。
やっかいごとのにおいしか、しなかった。
少なくとも表面的には。
「ライカ、ミューナ、もっとちゃんと集中してやりなさい」
え、と一同がざわつく。
今日の修練は班別の組み手。拳を合わせた誰もがふたりの挙動に違和感を感じることはなかった。
「あ、ああ、はい」
答えたのはライカ。
気もそぞろでいますぐにでもここから逃げ出したいのが目に見えている。が、裾をミューナがつまんでいるのでそれもできずにいるのが現状だ。
「ほかのみんなもそうよ。一年経って、精霊たちとの対話にも慣れはじめたいまぐらいが一番事故が多いんだから」
実際、ライカとディルマュラの試合以降、精霊との歌い方を我流で身につけた者も多い。
修練で使用が許可されているのは変わらず基礎の術だけだが、歌えるようになればその練度も変わってくる。歌える以前と大きく違う精霊たちの反応に、戸惑う者も少なくない。
というわけで、と息を吐いて。
「ライカ、ディルマュラと組み手をしなさい。今度はフラットにやれるでしょ?」
「申し訳ありませんがクレア先生」
手を上げたのはディルマュラ。
「ぼくはこのあと大事な用があるのです。ライカとの組み手は楽しくて容易に終わらせたくないですから、その……」
「エイヌ王女としての用事ならだめよ。神殿に人の世の理は持ち込まない。神殿にいて腕輪を付けている以上、あたしの言うことが優先されるって何回も言ってるでしょ」
ディルマュラが浮かべたのは、渋面というよりは悲哀。
「なによその目」
「いえ。……失礼ながら、ゆっくり休まれたほうがいいと思います」
大きな、わざとらしいほどに大きなため息をついて。
「分かったわ。あんたたちの組み手はまた今度にしてあげる」
内心ほっとしたのも束の間、
「ライカとディル、あんたたちの班全員、六人でかかってきなさい」
「ちょ、あたしまで巻き込まないでください」
「単位あげるから」
「それちらつかせれば何でも言うこと聞くとか思わないでください」
すっと立ち上がり、一礼だけして出口へと歩き出す。
「じゃあいいわ。変更。あたしと戦いたいひとだけ残って。当然成績には影響しないし、やる気がないとか思わないから、用事があるなら帰っていいわ。でも、ディルは残ること。はい、動いて」
ぱん、と手を叩くと半数ほどが立ち上がり、修練場をあとにした。
全員が残った班もあれば、ひとりだけ残った班もある。
「ま、こんなもんね。せっかくだし記録もしておくわ」
懐からタブレットを取り出し、カメラを起動させ、天井に術で貼り付ける。
「さ、やるわよ。五十人相手するのも久しぶりだけど、これだけいるんだからあんたたち、一歩ぐらい動かしてみせなさいよ!」
* * *
「あーもう、なによ。急に張り切っちゃってさ」
ずんずんと修練場から寮へ続く通路を歩くオリヴィアは、我が身に降りかかろうとした災難を咀嚼していた。
面倒ごとはひとつでいい。
ただでさえ自分の部屋には甘痒い空気が満ちているのだ。
あの赤猫がどんな顔して言ったのかは、ほんの少しだけ興味があるけれど。
「色恋はお話の中だけで十分」
オリヴィアにとって恋愛小説は、よほど食指が動かなければ読むことはない。
それが義務だと言うから、成人式を終えた足で自分の卵子を役所に提出した。
今頃安値で買われて誰かの子供になっているか、医薬品かなにかの実験台になっていることだろう。
自分がどこかの王女だと言われ、自分が産んだ子が望むなら王位を、とかよく言えたものだと思う。
子を産むつもりどころか、恋愛をするつもりすらさらさらないと言うのに。
「まあいいや。晩ご飯の買い出しだけやって帰ろ」
左側の中庭に視線をやる。
小春日和の陽光が穏やかに注ぎ込み、一歩踏み入れれば十を数える間もなく眠ってしまいそうだ。
丁寧に管理された花や木と、それに釣られてやってくる蝶やテントウムシ。中央には噴水とベンチが並べてあって、他人の目さえなければ一日中読書していたい場所のひとつだ。
庭師のひとと目があった。会釈してそそくさと立ち去る。
「でも、よく気付いたな。クレアおばさん」
ライカたちが集中していないと見抜けるのは自分ぐらいだと思っていた。
ふたりを二人っきりにしたあの日から、恐ろしいほどふたりの関係は進展していない。
にも関わらずふたりは、特にライカは魂が抜けたように日々を過ごしている。
修練にしたってそうだ。
あいつは、精霊と踊り、術を展開し、相手を殴り伏せる一連の動作を、ほぼ機械的にこなしている。
二年目に入ってからは班別の組み手が一層増えたが、以前言われた連携も、ディルマュラのような強い相手と闘う時でさえ、だ。
「奇策やフェイントにも対応できるって、おかしいわよ、あのふたり」
ミューナに訊いたところ、互いに想いを伝え合った、というところまでは確認した。
それがあの体たらくだ。
「どうせ前みたいに逃げ出したいけど、それが出来ないから内にこもってるってところでしょうけど、迷惑」
渋面を作って足早に神殿の出口を目指す。
『修練生二年、オリヴィア。神殿に居るなら至急神殿長室まで来るように』
そこでこの館内放送だ。
やっかいごとのにおいしか、しなかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
1 / 3
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる