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■第三話
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「あ、喜多さん」
彩乃との派遣メシ友が解消されて、約二ヵ月。魔の前期テストもどうにか乗り切り、いよいよ大学生活三回目の夏休みが目前となったある日の昼下がり。
梅雨も明け、すっかり夏仕様になった空の下をテスト明けの解放感を味わいつつ和真とともにぶらついていた陽史は、前方に見知った人が歩いているのを見つけて思わず声を上げた。ここしばらくは連絡もなく、だからプレハブ小屋にも行っていなかったのだが、見間違うはずがない。学生にしては出来上がりすぎているあの体格はまさしく喜多だ。
なんならちょっと哀愁も漂っているかもしれない。ヨレたTシャツにハーフパンツ、足元はサンダルといったラフだが微妙に辛気臭く、また貧乏くさい格好で歩いている後ろ姿は、きゃぴきゃぴした学生たちが多く集う構内において、異様に目立っている。
「ん? あの人が噂の?」
「いや、噂かどうかはわからん。けどまあ、強烈な人ではあるよ」
陽史の目線の先を追って喜多の姿を捉えた和真は、興味津々といった顔をしながらも陽史に同情めいた視線を送る。「……ああー、なんとなくわかるかも」
実際に関わったらすごくわかるぞ。陽史は苦笑で応戦する。
「でも俺、ちょっと挨拶してみたいかも」
「はあ? 和真も引きずり込まれるのがオチだぞ」
「いいべよー。あれだけぼんやりしてた陽史の顔つきが変わったんだ、どんなもんかと思うべ、《派遣メシ友》って。世話になってるっていう芳二さんにも挨拶したいしさー」
しかし一転、和真はそう言って駆け出そうとする。
「芳二さんなら俺が直接紹介してやっから! な!?」
ギョッとした陽史は、慌てて和真の前に回り込むと必死に説得を試みる。強烈で実に厄介な男なのだ、喜多秋成という人は。大学八年生の時点でどうか察してほしい。
*
和真には話しておいたほうがいいだろうと思い、実はたまにこういうバイトをしているんだと打ち明けたのは、彩乃とのメシ友が終わってすぐのことだった。
喜多にほとんど騙されるような形で始めさせられた《派遣メシ友》とは何なのか、どういうものなのか。それを利用している人はどんな人なのか――話せば長くなってしまい、小一時間ほどかかってしまったが、一から十まで話し終わった陽史の胸はつかえが取れたようにすっきり軽く、改めてこれまでのことを整理する、いいきっかけにもなった。
あくまで陽史個人の思いだが、《派遣メシ友》のシステムを聞いて最初から抱いていた違和感の正体は、きっと〝誰かと一緒にメシを食うこと〟そのものが目的となってしまっている部分にあるように思う。喜多は信頼している人としかメシは食わない、食い物はあっても一緒に食ってくれる人間がいなけりゃ味気ないとは言う。芳二にしてみても彩乃にしてみても、気軽で気安く後腐れないこの関係を重宝していたところがあった。
でも喜多は、そうは言いつつ、それ以上のことはしない。悔しそうだったり寂しそうだったり、時たまそんな顔を見せるものの、けしてそれ以上の関係になろうとはしない。
二人も、本当はときどきメシをともにするメシ友ではなく、心から〝一緒にメシを食いたい人〟が別にいるのに、意地や見栄を張ったり、仕事だからと割り切っていたり、彼らのほうから喜多とそれ以上の――普通の友人になろうとはしていなかった。
それでは本当の意味で何も埋まらないんじゃないかと。陽史はそう思ったのだ。
根本的なところはずっと寂しいし虚しいままなのではないだろうか、と。
『――だから使えないんだ、これは。どうしても』
一通り話し終わると、陽史は和真の前にそれぞれ封筒に入れて保管している諭吉を見せた。しわくしゃの一枚と、ちょっとしわが寄っているが綺麗な三枚。
どれも金額以上の重みがある。胸に押し迫るものがある。こと彩乃から突き返された三枚は、大したこともできず、むしろ掻き回しただけなのにと思うと違う重みが生まれる。
『だから早朝五時の牛丼だったり、それからしばらく浮かない顔だったんだな』
すると和真は、あれからさらに片付いた陽史の部屋をぐるりと見回し、そう言った。納得がいったように何度か頷くと、どうりで最近顔つきが変わってきたと思った、と笑う。
いつも行く学食では賑やかすぎるし、かといって構内に併設されたカフェテリアに入ったとしても、今度は静かすぎて逆に落ち着かない。図書館なんてほとんど私語が許されないしと考え思いついたのが、人を招いても大丈夫になった自分の部屋だった。
ちょうど揃って取っている講義が終わったその足で和真を中に招き入れると、そうして陽史は《派遣メシ友》のことを打ち明け、そもそものきっかけとなった喜多のことや、派遣先で出会った二人のメシ友たちのことを包み隠さず話したのだった。
『え』
何度か目をしばたたく陽史に、和真はまた笑う。
『だってお前、前は誰も部屋に入れたがらなかっただろ。顔も洗ってんのか洗ってないのかわかんなかったし、今だから言えるけど、生活面のだらしなさが、そっくりそのまま表れてたような感じだったんだ。でも今はちょっとずつ意識が変わってきたんだろ?』
そして、
『ともかく、陽史が変なバイトに手を出してるわけじゃなくてよかったわ。……んだらもうー。何を言われるかと思って心臓バックバクだったべしー』
そう言うや否や後ろ手に手を付き、天井に向かって大仰にため息を吐き出す。
『和真……』
『陽史に俺はどう見えてたかわかんないけど、これでも心配してたんだぞ? だって朝の五時に会う知り合いなんて意味不明すぎるだろ。だから言ったんだ、〝陽史はしょっちゅうバイト先を変えるやつだし〟って。やばいと思ったら手を引くだろうとも思ったけど、それからも物思いに耽ってたりしてたしな。もしお前に万一のことがあればって、けっこう気が気じゃなかったんだ。でも、そういうことなら別にいい。あー、安心したー』
言って、拍子抜けしたようにヘラリと笑った。
『え、待ってくれ。俺がこんなバイトしてるって知って、感想それだけ?』
けれど、拍子抜けしたのは陽史も同じだった。いや、もしかしたら陽史のほうこそ大きいかもしれない。軽蔑されないとも限らないと思っていたあれは一体何だったのだろう。陽史が重く考えすぎていたのか、それとも和真があっさり受け入れすぎるのか。
どちらにせよ、陽史はたまらず前のめりで尋ねる。別にいいとか、安心したとか、そう言ってもらえてほっとしたのも本当だが、第一これは聞いたこともないようなバイトだ。和真のほうこそ何かしら思うところや考えるところがあるはずだと思う。
が。
『なに、やめろって言ってほしいわけ?』
天井から顔を戻した和真は、見透かすような目をしてそう言っただけだった。
『いや、そういうわけじゃないけど……なんかこう、な?』
陽史はもごもごと口ごもる。
ほとんどタダ働きみたいなものだし、もう違和感の正体も掴んでいる。もしこれからまたメシ友を請け負うことがあるとすれば、こんな気持ちでは行けないだろう。それを思うと、ここですっぱり『やめたほうがいい』と言われたほうが、いくぶん気も晴れる。
『んー。でも俺は、今までの陽史の話を聞いて、陽史も自分から考えて動こうっていう気概っていうの? そういうのがあったんだなーって知れて、逆に嬉しいけどね』
しかし和真は、ちょっと考えるような仕草をしてからそう言う。
『陽史は本当は自分から行動を起こせるやつなんだよ。今はまだそれを向ける先が見つかってないってだけでさ。それに、生活はだらしないけど真面目ないいやつでもあるし。派遣先のメシ友さんたちは、そういうお前の本質をわかってたんじゃないのかな。だから何度もメシを食わせてくれたり、あえてメシ友を終わらせたりしたんじゃないの?』
『……そうなのか?』
そんな行動力、今まであった試しもないけれど。
諦めたり流されたりするまま、ここまでぼんやり生きてきた陽史にとって、和真の言葉はいささか信じられないものだったし、胸の奥がなんとも言えずモヤモヤする。
『いや、本人じゃないからわかんないけど。でも思うんだけど、俺には《派遣メシ友》で陽史が何をやりたいか、本当はお前自身が一番よくわかってるように見えるよ。その発案者の喜多さんにもできないことが、陽史にはできるような気がする』
『うーん、わっかんねー……』
『まあ、自分の気持ちなのに自分が一番わかんないときってあるからな』
そうしてどこか曖昧さを残したまま、打ち明け話はそのまま宅飲みへと移っていった。
それが二ヵ月前。
そして、そのとき抱いたモヤモヤは今でも陽史の胸を燻ぶらせている。
彩乃との派遣メシ友が解消されて、約二ヵ月。魔の前期テストもどうにか乗り切り、いよいよ大学生活三回目の夏休みが目前となったある日の昼下がり。
梅雨も明け、すっかり夏仕様になった空の下をテスト明けの解放感を味わいつつ和真とともにぶらついていた陽史は、前方に見知った人が歩いているのを見つけて思わず声を上げた。ここしばらくは連絡もなく、だからプレハブ小屋にも行っていなかったのだが、見間違うはずがない。学生にしては出来上がりすぎているあの体格はまさしく喜多だ。
なんならちょっと哀愁も漂っているかもしれない。ヨレたTシャツにハーフパンツ、足元はサンダルといったラフだが微妙に辛気臭く、また貧乏くさい格好で歩いている後ろ姿は、きゃぴきゃぴした学生たちが多く集う構内において、異様に目立っている。
「ん? あの人が噂の?」
「いや、噂かどうかはわからん。けどまあ、強烈な人ではあるよ」
陽史の目線の先を追って喜多の姿を捉えた和真は、興味津々といった顔をしながらも陽史に同情めいた視線を送る。「……ああー、なんとなくわかるかも」
実際に関わったらすごくわかるぞ。陽史は苦笑で応戦する。
「でも俺、ちょっと挨拶してみたいかも」
「はあ? 和真も引きずり込まれるのがオチだぞ」
「いいべよー。あれだけぼんやりしてた陽史の顔つきが変わったんだ、どんなもんかと思うべ、《派遣メシ友》って。世話になってるっていう芳二さんにも挨拶したいしさー」
しかし一転、和真はそう言って駆け出そうとする。
「芳二さんなら俺が直接紹介してやっから! な!?」
ギョッとした陽史は、慌てて和真の前に回り込むと必死に説得を試みる。強烈で実に厄介な男なのだ、喜多秋成という人は。大学八年生の時点でどうか察してほしい。
*
和真には話しておいたほうがいいだろうと思い、実はたまにこういうバイトをしているんだと打ち明けたのは、彩乃とのメシ友が終わってすぐのことだった。
喜多にほとんど騙されるような形で始めさせられた《派遣メシ友》とは何なのか、どういうものなのか。それを利用している人はどんな人なのか――話せば長くなってしまい、小一時間ほどかかってしまったが、一から十まで話し終わった陽史の胸はつかえが取れたようにすっきり軽く、改めてこれまでのことを整理する、いいきっかけにもなった。
あくまで陽史個人の思いだが、《派遣メシ友》のシステムを聞いて最初から抱いていた違和感の正体は、きっと〝誰かと一緒にメシを食うこと〟そのものが目的となってしまっている部分にあるように思う。喜多は信頼している人としかメシは食わない、食い物はあっても一緒に食ってくれる人間がいなけりゃ味気ないとは言う。芳二にしてみても彩乃にしてみても、気軽で気安く後腐れないこの関係を重宝していたところがあった。
でも喜多は、そうは言いつつ、それ以上のことはしない。悔しそうだったり寂しそうだったり、時たまそんな顔を見せるものの、けしてそれ以上の関係になろうとはしない。
二人も、本当はときどきメシをともにするメシ友ではなく、心から〝一緒にメシを食いたい人〟が別にいるのに、意地や見栄を張ったり、仕事だからと割り切っていたり、彼らのほうから喜多とそれ以上の――普通の友人になろうとはしていなかった。
それでは本当の意味で何も埋まらないんじゃないかと。陽史はそう思ったのだ。
根本的なところはずっと寂しいし虚しいままなのではないだろうか、と。
『――だから使えないんだ、これは。どうしても』
一通り話し終わると、陽史は和真の前にそれぞれ封筒に入れて保管している諭吉を見せた。しわくしゃの一枚と、ちょっとしわが寄っているが綺麗な三枚。
どれも金額以上の重みがある。胸に押し迫るものがある。こと彩乃から突き返された三枚は、大したこともできず、むしろ掻き回しただけなのにと思うと違う重みが生まれる。
『だから早朝五時の牛丼だったり、それからしばらく浮かない顔だったんだな』
すると和真は、あれからさらに片付いた陽史の部屋をぐるりと見回し、そう言った。納得がいったように何度か頷くと、どうりで最近顔つきが変わってきたと思った、と笑う。
いつも行く学食では賑やかすぎるし、かといって構内に併設されたカフェテリアに入ったとしても、今度は静かすぎて逆に落ち着かない。図書館なんてほとんど私語が許されないしと考え思いついたのが、人を招いても大丈夫になった自分の部屋だった。
ちょうど揃って取っている講義が終わったその足で和真を中に招き入れると、そうして陽史は《派遣メシ友》のことを打ち明け、そもそものきっかけとなった喜多のことや、派遣先で出会った二人のメシ友たちのことを包み隠さず話したのだった。
『え』
何度か目をしばたたく陽史に、和真はまた笑う。
『だってお前、前は誰も部屋に入れたがらなかっただろ。顔も洗ってんのか洗ってないのかわかんなかったし、今だから言えるけど、生活面のだらしなさが、そっくりそのまま表れてたような感じだったんだ。でも今はちょっとずつ意識が変わってきたんだろ?』
そして、
『ともかく、陽史が変なバイトに手を出してるわけじゃなくてよかったわ。……んだらもうー。何を言われるかと思って心臓バックバクだったべしー』
そう言うや否や後ろ手に手を付き、天井に向かって大仰にため息を吐き出す。
『和真……』
『陽史に俺はどう見えてたかわかんないけど、これでも心配してたんだぞ? だって朝の五時に会う知り合いなんて意味不明すぎるだろ。だから言ったんだ、〝陽史はしょっちゅうバイト先を変えるやつだし〟って。やばいと思ったら手を引くだろうとも思ったけど、それからも物思いに耽ってたりしてたしな。もしお前に万一のことがあればって、けっこう気が気じゃなかったんだ。でも、そういうことなら別にいい。あー、安心したー』
言って、拍子抜けしたようにヘラリと笑った。
『え、待ってくれ。俺がこんなバイトしてるって知って、感想それだけ?』
けれど、拍子抜けしたのは陽史も同じだった。いや、もしかしたら陽史のほうこそ大きいかもしれない。軽蔑されないとも限らないと思っていたあれは一体何だったのだろう。陽史が重く考えすぎていたのか、それとも和真があっさり受け入れすぎるのか。
どちらにせよ、陽史はたまらず前のめりで尋ねる。別にいいとか、安心したとか、そう言ってもらえてほっとしたのも本当だが、第一これは聞いたこともないようなバイトだ。和真のほうこそ何かしら思うところや考えるところがあるはずだと思う。
が。
『なに、やめろって言ってほしいわけ?』
天井から顔を戻した和真は、見透かすような目をしてそう言っただけだった。
『いや、そういうわけじゃないけど……なんかこう、な?』
陽史はもごもごと口ごもる。
ほとんどタダ働きみたいなものだし、もう違和感の正体も掴んでいる。もしこれからまたメシ友を請け負うことがあるとすれば、こんな気持ちでは行けないだろう。それを思うと、ここですっぱり『やめたほうがいい』と言われたほうが、いくぶん気も晴れる。
『んー。でも俺は、今までの陽史の話を聞いて、陽史も自分から考えて動こうっていう気概っていうの? そういうのがあったんだなーって知れて、逆に嬉しいけどね』
しかし和真は、ちょっと考えるような仕草をしてからそう言う。
『陽史は本当は自分から行動を起こせるやつなんだよ。今はまだそれを向ける先が見つかってないってだけでさ。それに、生活はだらしないけど真面目ないいやつでもあるし。派遣先のメシ友さんたちは、そういうお前の本質をわかってたんじゃないのかな。だから何度もメシを食わせてくれたり、あえてメシ友を終わらせたりしたんじゃないの?』
『……そうなのか?』
そんな行動力、今まであった試しもないけれど。
諦めたり流されたりするまま、ここまでぼんやり生きてきた陽史にとって、和真の言葉はいささか信じられないものだったし、胸の奥がなんとも言えずモヤモヤする。
『いや、本人じゃないからわかんないけど。でも思うんだけど、俺には《派遣メシ友》で陽史が何をやりたいか、本当はお前自身が一番よくわかってるように見えるよ。その発案者の喜多さんにもできないことが、陽史にはできるような気がする』
『うーん、わっかんねー……』
『まあ、自分の気持ちなのに自分が一番わかんないときってあるからな』
そうしてどこか曖昧さを残したまま、打ち明け話はそのまま宅飲みへと移っていった。
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そして、そのとき抱いたモヤモヤは今でも陽史の胸を燻ぶらせている。
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