派遣メシ友

白野よつは(白詰よつは)

文字の大きさ
21 / 39
■第三話

2-3

しおりを挟む
 ――あ、なんで俺……。
 そこで陽史は、《派遣メシ友》を頼んでいるからには、緒川が何も抱えていないなんてことはあり得ないとようやく気づく。里帰り出産中なら、妻のいない寂しさは感じても、それは一過性のものだろう。推測でしかないが、じきに帰ってくる妻と息子がいるのだから、一人で食うメシに根本的な寂しさや虚しさを感じるとは、あまり考えにくい。
 どうして気づけなかったんだろうと思う。
 七月に喜多に代役を頼まれたときも、今日になって再び頼まれたときも、だからこその《派遣メシ友》だとわかっていたから断ったし、わかっていて緒川のもとに出向いた。
 なのに、のん気にもイクメンだなと思っていたなんて、バカすぎる。
「すみません、緒川さん……。すみません」
「え、いきなりどうしたの」
「……いや、喜多さんからどう聞いてるかわかりませんけど、俺、緒川さんとのメシ友を一度断ったと思うんです。そのとき喜多さんは名前を言いませんでしたけど、時期的に考えて緒川さんとのメシ友を頼みたかったんだと思います。それに、思えばあのときの喜多さんはいつもと違って何か考え込んでるようでした。今日だって切羽詰まった感じで代役を頼んできて……。破天荒なあの人が『自分でも頑張ってみたが』って言ったんですよ。なのに、緒川さんが話してくれるまで何も気づけなくて、俺……俺――」
「泰野君……」
 その先は二人とも、言葉にならなかった。
 緒川も陽史も、子供を授かり家族になっていくこと、メシ友に会うことを軽い気持ちで考えていたわけではない。きちんと気持ちを固めて向き合ったはずだ。
 けれど、蓋を開ければ緒川の家庭には緊急警報が鳴り響いていて、陽史は彼からそれを打ち明けられるまで気づけなかった。物事すべてが見事に噛み合っていないのだ。
「――喜多君とはつい最近、立ち飲み居酒屋で知り合ったんだけど」
 するとふと、緒川が話を切り出した。
「え」
 俯けていた顔を上げると、微苦笑をこぼして緒川は続ける。
「泰野君が言った通り、彼はだいぶ破天荒な人だよね。聞けば、院生ってわけでもないのに二十八歳の大学生だって言うでしょ。《派遣メシ友》なんていう変わったこともしてるしさ。でも喜多君、詳しいやり方は話しても、もう何も受け取りたくないって。そんなことをしても根本的なところは何も変わらないのにって言うんだよ。それから、それを気づかせてくれた子に負けないように頑張るとも言ったかな。誰かのために一喜一憂してるその子のことを羨ましそうに話してさ。で、今までの自分にすごく落ち込んでた」
「それって……」
「泰野君のこと以外にないでしょ」
 だから、君が気に病むことじゃない。
 そう言うと緒川は陽史の頭に手を置き、わしわしと髪の毛を掻き回した。
 それから、ふと合点がいったように続ける。
「喜多君が言った『自分でも頑張ってみた』って、たぶんこの話を聞いて何も言えなかったことじゃないかな。これまではメシ友の話に相づちを打つだけだったそうだけど、誰かのために心を砕いて寄り添おうとする泰野君の姿から学んだんだろうね、それだけじゃダメだって。でも結局、喜多君は何も言えない自分を知った。それでも、こんな俺なんかのためにできることを探そうとしてくれた。……何か考え込んでるようだったって、きっとそういうことでしょう。たまたま知り合っただけなのに、本当にありがたいことだよ。もちろん、こんな平日の夜中に酒に付き合ってくれる泰野君だって」
「緒川さん……」
 今の話が本当なら、あの喜多にも何か心の変化があったということだろうか。
 最初は、いい加減卒業するために自分の代わりを探していた。何度剥されても懲りずに掲示板で募集をかけ続けたり、それを使って陽史を呼び出したこともある。けれど、芳二と彩乃に対して何かできることはないかと模索する陽史をたびたび目の当たりにして、喜多の心境にも少しずつ何かしらの変化が訪れ始めていたのかもしれない。
 決定打になったのは、この《派遣メシ友》の在り方を〝誰かと一緒にメシを食うこと〟そのものが目的になっているように思えてならないと訴えた陽史だろうか。
 その頃と並行して、喜多は緒川と知り合った。緒川が抱えている根本的な寂しさを知って、陽史のようにどうにか解決策を見い出そうと模索して……。もしもそんな矢先の訴えだったのなら、あれから半月以上、緒川のことと自分の就活に頭を悩ませ出口を見つけようとしていた喜多の頑張りは、これまでのことを思えば十分すぎるかもしれない。
 緒川とは、どんな寂しさを抱えているのかも、どういう人なのかも聞かされないまま、こうして喜多を介して会うことになったが、もし何もできなかったとしても喜多の気持ちを引き継ぎ、彼と彼の家族の向かう先を見続けることくらいなら、あるいは――。
 陽史は徐々に、そう気持ちが傾きはじめていった。
 ひょっとしたら、そうしないと陽史自身の気が済まないのかもしれない。
 ほとんど騙されるような形で始めた《派遣メシ友》は、五ヵ月足らずで陽史の心や生活に大きな変化を与えた。生活態度を改め自分を律することだったり、人のために一生懸命になることだったり。そうしているうちに、和真に顔つきが変わったと言われるほど。
 途中まで気づけなかったが、今日だってメシ友をやめてからぽっかり穴が開いたようだった心が久しぶりに埋まったような気がした。胸のモヤモヤもチリチリとした焦燥感も相変わらずなものの、それでもそのとき感じた充足感は陽史を再びやる気にさせたのだ。
 ――『俺には《派遣メシ友》で陽史が何をやりたいか、本当はお前自身が一番よくわかってるように見えるよ』『自分の気持ちなのに自分が一番わかんないときってあるからな』
《派遣メシ友》をしていると打ち明けたときの和真の言葉が耳に蘇る。
 その答えが喉まで出かかり、けれど言葉にするには難しかった。
「明日香と息子の話に戻るけど」
 陽史の頭に置かれたままだった手を下ろすと、緒川は噛みしめるように言う。
「本当は戻ってきてほしいし、また三人で暮らしたい。当たり前だよ、俺がこの女性(ひと)だって選んだ人と、その人が産んでくれた俺の分身なんだから。ただ受け身じゃなくて、連れ戻す覚悟と勢いで迎えに行かないといけない。何度も彼女の実家に行って頭を下げて説得して――そのあとも、明日香と息子に尽くすこと以外に道はないってわかってる」
「……はい」
「けど、また明日香に任せっきりにさせてしまうかもしれないことが怖いのも本音なんだよ。……実は育児ノイローゼ気味だったんだ、息子を産んでからの明日香は。一年の産休を取ってるけど、彼女ももうすぐ職場復帰になる。そのときになって、俺の仕事が息子が生まれる頃と何も変わらない状況だったらって考えると、とても恐ろしいんだ。家事と育児と俺の世話と自分の仕事が四重になる。犠牲にせざるを得なくなるのは、きっと明日香がこれまで頑張って積み上げてきた仕事なんだ。そうなったら、今度こそ明日香は壊れてしまうかもしれない。そうなるだけの原因を俺が作った。だから、実家でのびのび育児を楽しんでるようだって聞いて、もしかしたらそっちのほうが明日香にも息子にもいいんじゃないかって……ちらっとでも思ってしまったんだよね。完全に責任の放棄だよ。そんなことを考える自分が信じられないのもあった。もしかしたら、それが一番ショックだったかもしれない。この歳になっても結局俺は自分のことばっかかよ、って」
「……はい」
「でもそれじゃあ、何も解決しない。わかってるんだ。わかってる、わかってるんだよ。……ううっ、ごめん。ちょっともう……今日はお開きにさせてもらっていいかな」
「緒川さん……」
「ほんと勝手で悪いけど、今日はもう……」
 緒川の心中は、いつも仕事で向き合っている複雑なシステム開発の数式なんかじゃ比べ物にならないほど複雑なのだろう。説得して二人に戻ってきてもらったとしても、以前と何も変わらないかもしれない。でも、どうにか三人で家庭を育みたい――。
 陽史がわざわざ言わなくても、自分がどうしなければならないかくらい、緒川が一番身に染みてわかっている。それでもなかなか決心がつかないことがあることを、陽史は今、すすり泣きはじめた緒川の姿を通してまざまざと見せつけらたような気分だった。
「あ、あの、ベッドで寝てくださいね。……夏ですけど、風邪、引いちゃいますから」
 結局、陽史はそう言い置いて静かに部屋を出ていくしかなかった。その際、部屋の片隅に何個かの開封されないままのおもちゃが見えて、陽史は数瞬、動きを止める。
 けれど、やはり陽史も喜多と同じで、緒川にかけられる言葉を何も持っていなかった。

 緒川から返事があったかどうかは、すすり泣く声に紛れてわからなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

処理中です...