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■第四話
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そうしてその彼――藤枝真悟とのメシ友が始まった。
聞けば藤枝は喜多と同学年だった。あの日こそ前後不覚になっていたものの、普段はしっかり者で、そしてちゃっかり者もであったようで、彼は自分の我儘でメシ友をしてもらっているんだから対価を支払うのは当然だと言って聞かなかったそうだ。
『こっちは働いてるんだし、もらえるものはもらっといたほうが絶対いいって』
奢ってもらうばかりかお金まで渡そうとする藤枝を固辞するたび、彼はちゃっかり者の顔をのぞかせ、ほとんど無理やり紙幣を握らせると脱兎のごとく帰っていくのだ。
これじゃあたまらないと思った喜多は、何度目かの際、今まで押し付けられるようにして渡されてきた紙幣を藤枝に返した。向こうはまともに働いていて、かたやこちらは二浪した上、留年もしている。とはいえ『だったら俺とサシでメシを食いましょう』と話を持ちかけたのは喜多だ。いくらなんでも同学年に奢られお金までもらうことにプライドが許さなかったし、みさきの言葉を借りれば、そんな自分をひどく軽蔑した。
『じゃあ、これを仕事にすればいいんだよ。《派遣メシ友》なんてどうだろう?』
すると藤枝は突拍子もないことをサラリと言った。
『派遣メシ友……?』
『そう。俺、秋成とこうしてメシが食えて本当に感謝してるんだよ。サシでメシを食わないかって誘ってもらったときは死ぬほど嬉しかったし、一緒にメシを食うようになって食べ物の味がちゃんと〝美味い〟って感じられるようになった。きっと態度や言葉に出さないだけで、世の中には俺みたいな人がたくさんいると思うんだ。秋成はそういう人を見つけるのも上手いじゃん。思うんだけど、秋成だからできる仕事だと思うよ、これは』
そう言うと茶目っ気たっぷりにウィンクし、喜多が返した紙幣をまた喜多に返した。
そしてそれは、その通りの結果をもたらすこととなる。
自分が望むと望まざるとに関わらず、喜多は芳二や彩乃や緒川や、そのほかにも何人もの人と《派遣メシ友》で繋がっていくこととなり、次第に〝仕事〟として対価を得ることに抵抗感も薄らいでいった。仕事にすればいいんだよと言った藤枝の言葉がひどく耳に残っていたこともあったし、誰かの役に立っていると思っていられるその間だけは、苦労して大学に入ったものの結局本気でやりたいことも見つけられずにズルズル留年までしてしまっている自分の情けなさも不甲斐なさも少しは浮かばれるような気がした。
ただ、みさき母子と会っているときは――特に茉莉の純真無垢な瞳を前にすると、喜多は途端に現実に引き戻された。何も持っていない自分、何もしていない自分、何にもなっていない自分……そういう〝自分〟が茉莉の瞳に映っている、茉莉の瞳の中にそんな自分を見つけるたび、どうしようもなく逃げ出してしまいたい衝動に駆られたという。
それでも、母子とのメシ友だけは、どうしてもやめられなかった。
いや、喜多自身がやめたくないと強く強く思ったそうだ。
だって茉莉もみさきも喜多を必要としてくれている。それがどんなに幸せなことか、逃げ出したくなる反面、喜多はもうその幸せを手放すには二人に心を寄せすぎていた。
結局、矛盾を抱えたまま母子とのメシ友は現在まで続き、その間に《派遣メシ友》の生みの親である藤枝は転勤で関西へ引っ越していき、彼とはそれっきりになった。
酒が入るとよく『高校時代から付き合っていた彼女に、大学に入った途端、わけもわからずフラれてさ。……今でも俺の何がいけなかったのかわからないんだ』とこぼしていた藤枝は、けれど喜多とメシ友を始めてしばらくすると彼女ができ、徐々にメシ友の機会は減っていった。……まあ、意見が合わず転勤の際に別れてしまったそうだけれど。
もっとも、これからもっともっと仕事を頑張りたい時期だったという彼女には、また一からキャリアを積まなければならない土地へ付いて行くのは、今まで頑張ってきたことを捨てるのと同じ意味を持っていたのかもしれない。たとえ藤枝と仕事を天秤にかけてでも仕事を取るくらいに。……仕事に対する考え方も向き合い方も、人それぞれだ。
そうして茉莉が小学三年生になった今年――正確に言えば二年生の春休み中に、喜多はこれからの自分の将来と《派遣メシ友》の在り方を根本から見つめ直すため、自らは付かず離れずの距離を置きつつ、この仕事を代行してくれる人を探し始めたのだという。
学年が上がっていくごとに、どんどん大人びていく茉莉。相変わらず仕事が忙しく、なかなか茉莉とゆっくりメシを食う時間が取れないみさき。藤枝の転勤と、彼から話に聞くだけだったその彼女が取った、自分の仕事に対する情熱や誇り。
そんな彼らに対して何も持っていない、何者にもなっていない自分とのギャップに、喜多はやっと〝何かにならなければ〟〝何かになりたい〟と強く強く渇望した。
そこからは陽史も知っての通りだ。
もういい加減いい歳だし、何年も留年していることからも、どう多めに見たって無駄に歳を食っているだけにしか見えない。それに、矛盾を抱えたままでいるのも、もうどうにもつらかった。だから、ちゃんとしたい――ちゃんとして、胸を張って生きたい。
陽史にはぱっと見、本気かどうかわからなかった『……今年こそどうしても卒業したいんだ』という喜多のあの言葉は、どうやら心の底から本気のものだったらしい。
みさき母子とのメシ友のあらましを話してくれた際も、喜多は『この機を逃したら俺は一生このままだ、それだけは死んでも嫌なんだ』と、いつになく神妙な顔つきでそう言ったのだから、彼がどれだけの思いで就活に励んでいるか想像に容易い。
とは言っても、どうしてこのタイミングだったのだろうと思わなくもない。
喜多だって常々ちゃんとしたいと思ってきたはずで、自分の年齢だったり学歴だったりが就活で不利になってしまうことがあるかもしれないことも十分にわかっていたはずだ。
第一、大学構内のプレハブ小屋で暮らしているのだって、最初に留年が決定したときに仕送りを止められ、住んでいた部屋の家賃光熱費が払えなくなったからだと言うから、それまでの学生生活がどれだけ目も当てられないものだったのかは、想像するまでもない。
たまたま使っていないプレハブ小屋があり、また相談に乗ってくれた教授もいい人だったからよかったものの、家が見つからなかったらどうするつもりだったのだろうか。
《派遣メシ友》で稼いだお金と、居酒屋などのバイト代で食い繋いできた留年してからの四年間を考えると、まるっきり行き当たりばったりで陽史のほうがヒヤヒヤさせられた。
だから、そんな喜多がと思うと、今年になって急に真面目に卒業を目指しはじめ、就活にも精力的に取り組んでいる理由付けとしてはいささか弱い気もするのだ。
喜多をここまで突き動かすものは何だろうか?
とはいえ、さすがに喜多もそこまでは話してくれなかったけれど。
でも、そのあたりの諸事情のことは、陽史とてわからないわけではなかったし、薄々察してもいた。喜多も言わないし、陽史もあえてそこを突っ込んだりはしない。けれど、きっと喜多はみさきも茉莉も同じくらい好きで愛しく思っているのだろう。
そこまで気持ちがあるのに本腰を入れるのが遅すぎなんじゃないかと思わなくもなかったが、そればっかりは陽史にはどうにもできないことだ。喜多には喜多のペースがあるのだろうし、今のタイミングでなければ気持ちと行動が噛み合わなかったのかもしれない。
なんだよ、ちょっとは可愛らしいところもあるじゃねーか。
破天荒で突発的なことが九割九分を占める喜多の新しい面を知って、陽史はまた少し、喜多秋成という人物に対しての見方が変わったような、そんな気がしたのだった。
聞けば藤枝は喜多と同学年だった。あの日こそ前後不覚になっていたものの、普段はしっかり者で、そしてちゃっかり者もであったようで、彼は自分の我儘でメシ友をしてもらっているんだから対価を支払うのは当然だと言って聞かなかったそうだ。
『こっちは働いてるんだし、もらえるものはもらっといたほうが絶対いいって』
奢ってもらうばかりかお金まで渡そうとする藤枝を固辞するたび、彼はちゃっかり者の顔をのぞかせ、ほとんど無理やり紙幣を握らせると脱兎のごとく帰っていくのだ。
これじゃあたまらないと思った喜多は、何度目かの際、今まで押し付けられるようにして渡されてきた紙幣を藤枝に返した。向こうはまともに働いていて、かたやこちらは二浪した上、留年もしている。とはいえ『だったら俺とサシでメシを食いましょう』と話を持ちかけたのは喜多だ。いくらなんでも同学年に奢られお金までもらうことにプライドが許さなかったし、みさきの言葉を借りれば、そんな自分をひどく軽蔑した。
『じゃあ、これを仕事にすればいいんだよ。《派遣メシ友》なんてどうだろう?』
すると藤枝は突拍子もないことをサラリと言った。
『派遣メシ友……?』
『そう。俺、秋成とこうしてメシが食えて本当に感謝してるんだよ。サシでメシを食わないかって誘ってもらったときは死ぬほど嬉しかったし、一緒にメシを食うようになって食べ物の味がちゃんと〝美味い〟って感じられるようになった。きっと態度や言葉に出さないだけで、世の中には俺みたいな人がたくさんいると思うんだ。秋成はそういう人を見つけるのも上手いじゃん。思うんだけど、秋成だからできる仕事だと思うよ、これは』
そう言うと茶目っ気たっぷりにウィンクし、喜多が返した紙幣をまた喜多に返した。
そしてそれは、その通りの結果をもたらすこととなる。
自分が望むと望まざるとに関わらず、喜多は芳二や彩乃や緒川や、そのほかにも何人もの人と《派遣メシ友》で繋がっていくこととなり、次第に〝仕事〟として対価を得ることに抵抗感も薄らいでいった。仕事にすればいいんだよと言った藤枝の言葉がひどく耳に残っていたこともあったし、誰かの役に立っていると思っていられるその間だけは、苦労して大学に入ったものの結局本気でやりたいことも見つけられずにズルズル留年までしてしまっている自分の情けなさも不甲斐なさも少しは浮かばれるような気がした。
ただ、みさき母子と会っているときは――特に茉莉の純真無垢な瞳を前にすると、喜多は途端に現実に引き戻された。何も持っていない自分、何もしていない自分、何にもなっていない自分……そういう〝自分〟が茉莉の瞳に映っている、茉莉の瞳の中にそんな自分を見つけるたび、どうしようもなく逃げ出してしまいたい衝動に駆られたという。
それでも、母子とのメシ友だけは、どうしてもやめられなかった。
いや、喜多自身がやめたくないと強く強く思ったそうだ。
だって茉莉もみさきも喜多を必要としてくれている。それがどんなに幸せなことか、逃げ出したくなる反面、喜多はもうその幸せを手放すには二人に心を寄せすぎていた。
結局、矛盾を抱えたまま母子とのメシ友は現在まで続き、その間に《派遣メシ友》の生みの親である藤枝は転勤で関西へ引っ越していき、彼とはそれっきりになった。
酒が入るとよく『高校時代から付き合っていた彼女に、大学に入った途端、わけもわからずフラれてさ。……今でも俺の何がいけなかったのかわからないんだ』とこぼしていた藤枝は、けれど喜多とメシ友を始めてしばらくすると彼女ができ、徐々にメシ友の機会は減っていった。……まあ、意見が合わず転勤の際に別れてしまったそうだけれど。
もっとも、これからもっともっと仕事を頑張りたい時期だったという彼女には、また一からキャリアを積まなければならない土地へ付いて行くのは、今まで頑張ってきたことを捨てるのと同じ意味を持っていたのかもしれない。たとえ藤枝と仕事を天秤にかけてでも仕事を取るくらいに。……仕事に対する考え方も向き合い方も、人それぞれだ。
そうして茉莉が小学三年生になった今年――正確に言えば二年生の春休み中に、喜多はこれからの自分の将来と《派遣メシ友》の在り方を根本から見つめ直すため、自らは付かず離れずの距離を置きつつ、この仕事を代行してくれる人を探し始めたのだという。
学年が上がっていくごとに、どんどん大人びていく茉莉。相変わらず仕事が忙しく、なかなか茉莉とゆっくりメシを食う時間が取れないみさき。藤枝の転勤と、彼から話に聞くだけだったその彼女が取った、自分の仕事に対する情熱や誇り。
そんな彼らに対して何も持っていない、何者にもなっていない自分とのギャップに、喜多はやっと〝何かにならなければ〟〝何かになりたい〟と強く強く渇望した。
そこからは陽史も知っての通りだ。
もういい加減いい歳だし、何年も留年していることからも、どう多めに見たって無駄に歳を食っているだけにしか見えない。それに、矛盾を抱えたままでいるのも、もうどうにもつらかった。だから、ちゃんとしたい――ちゃんとして、胸を張って生きたい。
陽史にはぱっと見、本気かどうかわからなかった『……今年こそどうしても卒業したいんだ』という喜多のあの言葉は、どうやら心の底から本気のものだったらしい。
みさき母子とのメシ友のあらましを話してくれた際も、喜多は『この機を逃したら俺は一生このままだ、それだけは死んでも嫌なんだ』と、いつになく神妙な顔つきでそう言ったのだから、彼がどれだけの思いで就活に励んでいるか想像に容易い。
とは言っても、どうしてこのタイミングだったのだろうと思わなくもない。
喜多だって常々ちゃんとしたいと思ってきたはずで、自分の年齢だったり学歴だったりが就活で不利になってしまうことがあるかもしれないことも十分にわかっていたはずだ。
第一、大学構内のプレハブ小屋で暮らしているのだって、最初に留年が決定したときに仕送りを止められ、住んでいた部屋の家賃光熱費が払えなくなったからだと言うから、それまでの学生生活がどれだけ目も当てられないものだったのかは、想像するまでもない。
たまたま使っていないプレハブ小屋があり、また相談に乗ってくれた教授もいい人だったからよかったものの、家が見つからなかったらどうするつもりだったのだろうか。
《派遣メシ友》で稼いだお金と、居酒屋などのバイト代で食い繋いできた留年してからの四年間を考えると、まるっきり行き当たりばったりで陽史のほうがヒヤヒヤさせられた。
だから、そんな喜多がと思うと、今年になって急に真面目に卒業を目指しはじめ、就活にも精力的に取り組んでいる理由付けとしてはいささか弱い気もするのだ。
喜多をここまで突き動かすものは何だろうか?
とはいえ、さすがに喜多もそこまでは話してくれなかったけれど。
でも、そのあたりの諸事情のことは、陽史とてわからないわけではなかったし、薄々察してもいた。喜多も言わないし、陽史もあえてそこを突っ込んだりはしない。けれど、きっと喜多はみさきも茉莉も同じくらい好きで愛しく思っているのだろう。
そこまで気持ちがあるのに本腰を入れるのが遅すぎなんじゃないかと思わなくもなかったが、そればっかりは陽史にはどうにもできないことだ。喜多には喜多のペースがあるのだろうし、今のタイミングでなければ気持ちと行動が噛み合わなかったのかもしれない。
なんだよ、ちょっとは可愛らしいところもあるじゃねーか。
破天荒で突発的なことが九割九分を占める喜多の新しい面を知って、陽史はまた少し、喜多秋成という人物に対しての見方が変わったような、そんな気がしたのだった。
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