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■第四話
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それはともかく、どうやら母子は盛大な早とちりをしているらしいことも問題だ。茉莉のあまりの献身的な姿から、よくないことを想像しては気を揉んでいた陽史がとやかく言えることではないが、母子も母子でわりと思い込みが激しい一面があるのかもしれない。
茉莉は茉莉で自分のキャパを超えるようなパーティーを計画していたし、みさきもみさきで、喜多にこれ以上負担をかけまいと、その機を計りはじめている。
喜多にだって同じことが言えるだろう。
内定をもらってから打ち明けるつもりだったのかもしれない。でも秘密は、ときに人を不安にさせる。例えば、雑貨屋や本屋での茉莉の姿に陽史が不安を抱いたように。
それを考えると、やはり三人とも、それぞれがそれぞれを思うあまり言葉が足りていない状況がこのところ続いていたのだろうと思う。言わぬが花という言葉もあるが、こと三人の結びつきや、その中で育んできた関係に限っては、それぞれが今の状況やこれからのことをどう思っているかを伝え合い、理解し合うことが一番必要なことなのだろう。
幸い、その機会なら明日がある。
少々急ではあるが、料理は芳二というエキスパートがいるし、ケーキ作りもレシピ本を見ればなんとかなるだろう。力を持ち寄れば、きっとやってやれないことはないはずだ。
その際に喜多が花束なんかをプレゼントしたら――。
ひょっとしたらひょっとする、なんて展開も、もしかしたら夢の中だけの話ではないかもしれない。それまでに内定の一つももらっていたら格好がつくのだが、果たして戦況はどうだろうか。とはいえ、こればっかりは喜多の頑張りに賭けるほかないのだけれど。
そこまで妄想を膨らませ、陽史は慌てて表情を引き締めると茉莉に目を向ける。
「――わかった。料理は芳二さんにお任せするとして、茉莉ちゃんと俺は、どうにかこうにかケーキを作ってみよう。レシピもあるし、その通りにやればきっと成功するよ。失敗したってまた作り直せばいいしね。部屋の飾りつけだって、俺がいたほうが何かと便利でしょ。茉莉ちゃんを椅子の上に立たせるのは、やっぱりちょっと怖いし」
「……ほ、ほんと!? ほんとにいいの!?」
「もちろん。芳二さんも。勝手に決めちゃいましたけど、いいですよね?」
「フン。わしも今、お前と同じことを言おうと思っとったところだ」
「ハタノさん、芳二おじいちゃん……」
すると茉莉の表情がみるみるうちに華やぎ、そして瞬間、くしゃっと歪んだ。目を見開いて陽史の提案を聞いていたのも束の間、またぼろぼろと大粒の涙をこぼしはじめる。
でもそれは、悔しくて泣いた先ほどの涙とは違うことを、陽史も芳二もわかっていた。
みさきのため。疲れた顔をしている喜多のため。ひいては知り合ったばかりの陽史や芳二に迷惑をかけてはいけないという思いがほどけて溶けた、安堵の涙だ。
茉莉はきっと、今まで一人でやるんだと知らず知らずのうちに気負っていたのだろう。できる、やれると思いながらも、本当に一人でできるだろうかと不安もあったはずだ。
――こういうときこそ、芳二さんや俺の出番なんだ。
喜多が結んでくれた芳二との縁に感謝しながら、陽史は堰を切ったようにしゃくり上げる茉莉の背中を撫でつつ、そんなことを思う。そして今になってやっと、怖気づいていた自分に芳二がかけてくれた言葉に込められた思いが少しわかってきたように思う。
――『考えてもみろ。お前が今まで出会ってきたメシ友たちは、みんな〝きっかけ〟が欲しかっただけとは思わんか。そんなときに出会ったのがお前だったからこそ、お前が必死で作ろうとした〝きっかけ〟に心を動かされ、新しい日常が始まったんだ』
そうであったらいいと思う。そうあってほしいと心から思う。
――『心と言葉を尽くして向き合えば、相手が誰であろうと伝わることを、お前はわしらメシ友から学んだだろう。それができるのは陽史だけだとわしは思う』
そうだ。そうだった。芳二たちに出会って本当にたくさんのことを学ばせてもらった。
年齢も育ってきた環境も、抱える孤独や寂しさも人それぞれで。そのたびに陽史は悩み迷い、彼らにとってベストな道は何かを悪戦苦闘しながらも探し続けることができた。
ときには強引に心の内側に踏み込んでいったこともあったし、寄り添うこともままならずに、もう会えなくなってしまった人もいた。どうにか手はないかと帰省するふりをしながら母親に相談したこともあったし、茉莉とのメシ友を頼まれたときも、そして今も、こんなにもみさき母子と喜多にとっての新しい道を探す手助けをしたいと思っている。
そしてそれは単なる一過性のものではないことにも、陽史はようやく気づいた。
誰かを思ってあくせく奔走する毎日が言葉で言い表せないほど愛おしく、それでいて初めて〝やりたいことに本気で向かっている〟ことを陽史に実感させてくれるのだ。
「よーし。そうと決まれば、茉莉ちゃん、どんなケーキを作ろうか?」
本格的に泣きはじめてしまった茉莉から目当てのケーキを聞きながら。
「おい茉莉。泣いてばかりじゃわしも何を作ったらいいかわからんぞ」
「ちょ、芳二さんってば。言い方! もうちょっとソフトにできないんですか」
「うるさい小坊主。茉莉に泣かれると、どうにもたまらんのだ」
「……ぶはっ」
茉莉の涙にめっきり弱いらしい芳二を窘めつつ、吹き出してしまいながら。
「お、大きい生クリームケーキと、あとは鶏の丸焼き」
「それもうクリスマスだしっ!」
茉莉の可愛らしいとんちんかんにツッコミを入れながら。
そうしてやいのやいのとパーティーの計画を練っているうちに茉莉には笑顔が戻り、午後九時少し前にみさきが迎えに来るまで、その場は賑やかな空気に溢れていた。
「あ、もしもし喜多さん? 今、大丈夫です?」
その夜、芳二宅には戻らず自分の部屋に帰った陽史は、ベッドに腰掛けるなりさっそく喜多へ連絡を取った。喜多には痛いに違いない母子の盛大な早とちりを教えるためと、就活の進捗状況、それに明日の夜は空いているかどうかを聞くためだ。
『ああ、泰野か。ん、大丈夫だぞ。茉莉に何かあったか?』
電話口の声にはここ数ヵ月続いている就活の疲れが滲んでいるものの、真っ先に茉莉を心配する喜多に、やっぱり喜多は喜多だなと陽史は頬を緩ませる。
彼にとっての一番は、どんなときでも揺るがないらしい。みさき命、茉莉命といったところだろうか。きっと茉莉とのメシ友を頼むときも断腸の思いだったのだろうと思うと、陽史はよりいっそう、明日は必ず成功させなければと気が引き締まる思いだ。
「いえ、何かあったわけじゃないんです。あ、でも、明日の夜は時間作ってほしいです」
『……なんだ、藪から棒に』
「いや、明日はみさきさんの誕生日じゃないですか。茉莉ちゃん、喜多さんが忙しいから遠慮して呼ばないつもりなんですよ。みさきさんを驚かせるんだって一人で計画も立ててたみたいで。だから、サプライズゲスト的な感じで顔を出してもらえたらと思って電話したんです。で、そのとき二人に、どうして最近忙しくしていたのかをきちんと説明してあげてほしいんです。……それに喜多さんの本当の気持ちも。二人とも、喜多さんが忙しい理由をちょっと勘違いしているみたいなんですよ。このままだったら喜多さんたち、ずっと遠慮し合うことになると思うんです。料理やケーキや部屋の飾りつけは、芳二さんや俺が茉莉ちゃんと一緒にやります。だから、どうかお願いできませんか」
急な頼みだ。だから喜多なら必ず時間を作るはずだと確信していても、少し緊張する。
いくら破天荒な喜多でも、みさきの誕生日を忘れるはずもなく、十月の茉莉の誕生日だって手放しで祝うに決まっている。でも、今年は去年までと同じなようで全然違う、みさきの誕生日だ。陽史の言わんとすることがわからない喜多ではないだろうし、その点がやはり心配の種でもある。だからといって、陽史には引く気なんて毛頭ないのだけれど。
『そうか、もう誕生日か……。わかった。場所と時間を教えてくれ。ちょっと遅れて行ったほうがサプライズゲストっぽいだろ。その合図は泰野に任せる』
すると喜多は、にわかに緊張し出した様子で陽史に指示を仰いだ。
「あ、場所は茉莉ちゃんの家で、時間は夜七時くらいからかと。みさきさんの仕事終わりの時間次第ですけど、週末なんでそれくらいまでには帰ってこられると思います」
『ん。じゃあ、その時間までにいろいろと準備を済ませておく』
「はい。明日はよろしくお願いします」
場所と時間を伝え、それから今一度、念を押しながら、どうか頑張ってくれ、どうかみんなの笑顔が溢れる誕生日パーティーになりますようにと陽史は願う。
この前はみさきや茉莉にも選ぶ権利があるとは思ったが、これまでの喜多の頑張りや、電話口での緊張した様子をつぶさに感じ取ってきた身として。同じ男として。そして何より、やりたいこともなく、ただぼんやりと日々を過ごしていた自分の人生観を百八十度変えてくれた喜多だからこそ。あらん限りの後押しで喜多を応援したいと思う。
『……ちなみに、茉莉たちが勘違いしていることって、どんなことだ?』
「ああ、茉莉ちゃんが言うには、一緒にメシを食べてくれるだけで十分だし、喜多さんだっていつも時間があるわけじゃないでしょ、っていうことみたいです。たぶんみさきさんは、これ以上はもう本当に喜多さんには頼れないって思ってるんじゃないでしょうか。そろそろ喜多さんから卒業しなきゃいけない頃かもねって話もしてるみたいで、それを聞いて俺、思わず〝喜多さんー!〟って叫びそうになっちゃいましたよ」
『ははっ。それは一大事じゃないか』
「笑い事じゃないですって。……いや、だからほんと、明日が正念場だと思うんです」
軽く笑い飛ばす喜多に少々愕然として、けれどやっぱりこれぞ喜多だと陽史は思う。
わりと際どい立ち位置にいると思うのだが、口で言うほど一大事っぽさがないところが逆に喜多らしさを感じさせ、陽史のほうもいい意味で肩の力が抜けていくようだ。
『ん。そうだな』
と、そう言った喜多の声に、これまでとは違う熱量がこもった。
反射的に居住まいを正し、陽史はスマホを握り直す。
『誕生日までには内定をと思っていたが、そう上手いこと人生は運ばないし、告ったところで結果がどうなるかも全くわからん。第一、茉莉は最初から俺をどこか下に見ているようなところがあったしな。……まあ、その通りなんだが。――けど、茉莉たちのことも就活も、何度ダメだったとしても諦めようとは一つも思わないんだ』
「はい」
『で、そう思わせてくれたのは泰野なんだ。だから、これまでのことも、今日明日のことも、ここまでしてもらって感謝してる。やっぱり俺の目に狂いはなかったな。〝派遣メシ友〟の貼り紙に目を留めてくれたのが泰野じゃなかったら、きっとほかのメシ友たちは任せても、茉莉たちのことは話すことさえしなかったかもしれない』
「喜多さん……」
『ははっ。縁の糸はどこで繋がっているか、本当にわからんもんだな。……とにかく、俺はいい縁に恵まれたようだ。明日は茉莉をよろしく頼む。それじゃあな』
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
そうして喜多との電話は終わった。よし、と勢いをつけてベッドから立つと、陽史はさっとシャワーを済ませ、早めに床に就くことにした。なにせ明日は朝からケーキの材料の買い出しや部屋の飾りつけ、実際に焼いて仕上げるなど一日中動きっぱなしになる。
明日のことに思いを馳せつつ目を閉じる。喜多は結果はわからないと言っていたが、まぶたの裏に思い描くのは、やはり喜多たち三人の心からの笑顔だった。
茉莉は茉莉で自分のキャパを超えるようなパーティーを計画していたし、みさきもみさきで、喜多にこれ以上負担をかけまいと、その機を計りはじめている。
喜多にだって同じことが言えるだろう。
内定をもらってから打ち明けるつもりだったのかもしれない。でも秘密は、ときに人を不安にさせる。例えば、雑貨屋や本屋での茉莉の姿に陽史が不安を抱いたように。
それを考えると、やはり三人とも、それぞれがそれぞれを思うあまり言葉が足りていない状況がこのところ続いていたのだろうと思う。言わぬが花という言葉もあるが、こと三人の結びつきや、その中で育んできた関係に限っては、それぞれが今の状況やこれからのことをどう思っているかを伝え合い、理解し合うことが一番必要なことなのだろう。
幸い、その機会なら明日がある。
少々急ではあるが、料理は芳二というエキスパートがいるし、ケーキ作りもレシピ本を見ればなんとかなるだろう。力を持ち寄れば、きっとやってやれないことはないはずだ。
その際に喜多が花束なんかをプレゼントしたら――。
ひょっとしたらひょっとする、なんて展開も、もしかしたら夢の中だけの話ではないかもしれない。それまでに内定の一つももらっていたら格好がつくのだが、果たして戦況はどうだろうか。とはいえ、こればっかりは喜多の頑張りに賭けるほかないのだけれど。
そこまで妄想を膨らませ、陽史は慌てて表情を引き締めると茉莉に目を向ける。
「――わかった。料理は芳二さんにお任せするとして、茉莉ちゃんと俺は、どうにかこうにかケーキを作ってみよう。レシピもあるし、その通りにやればきっと成功するよ。失敗したってまた作り直せばいいしね。部屋の飾りつけだって、俺がいたほうが何かと便利でしょ。茉莉ちゃんを椅子の上に立たせるのは、やっぱりちょっと怖いし」
「……ほ、ほんと!? ほんとにいいの!?」
「もちろん。芳二さんも。勝手に決めちゃいましたけど、いいですよね?」
「フン。わしも今、お前と同じことを言おうと思っとったところだ」
「ハタノさん、芳二おじいちゃん……」
すると茉莉の表情がみるみるうちに華やぎ、そして瞬間、くしゃっと歪んだ。目を見開いて陽史の提案を聞いていたのも束の間、またぼろぼろと大粒の涙をこぼしはじめる。
でもそれは、悔しくて泣いた先ほどの涙とは違うことを、陽史も芳二もわかっていた。
みさきのため。疲れた顔をしている喜多のため。ひいては知り合ったばかりの陽史や芳二に迷惑をかけてはいけないという思いがほどけて溶けた、安堵の涙だ。
茉莉はきっと、今まで一人でやるんだと知らず知らずのうちに気負っていたのだろう。できる、やれると思いながらも、本当に一人でできるだろうかと不安もあったはずだ。
――こういうときこそ、芳二さんや俺の出番なんだ。
喜多が結んでくれた芳二との縁に感謝しながら、陽史は堰を切ったようにしゃくり上げる茉莉の背中を撫でつつ、そんなことを思う。そして今になってやっと、怖気づいていた自分に芳二がかけてくれた言葉に込められた思いが少しわかってきたように思う。
――『考えてもみろ。お前が今まで出会ってきたメシ友たちは、みんな〝きっかけ〟が欲しかっただけとは思わんか。そんなときに出会ったのがお前だったからこそ、お前が必死で作ろうとした〝きっかけ〟に心を動かされ、新しい日常が始まったんだ』
そうであったらいいと思う。そうあってほしいと心から思う。
――『心と言葉を尽くして向き合えば、相手が誰であろうと伝わることを、お前はわしらメシ友から学んだだろう。それができるのは陽史だけだとわしは思う』
そうだ。そうだった。芳二たちに出会って本当にたくさんのことを学ばせてもらった。
年齢も育ってきた環境も、抱える孤独や寂しさも人それぞれで。そのたびに陽史は悩み迷い、彼らにとってベストな道は何かを悪戦苦闘しながらも探し続けることができた。
ときには強引に心の内側に踏み込んでいったこともあったし、寄り添うこともままならずに、もう会えなくなってしまった人もいた。どうにか手はないかと帰省するふりをしながら母親に相談したこともあったし、茉莉とのメシ友を頼まれたときも、そして今も、こんなにもみさき母子と喜多にとっての新しい道を探す手助けをしたいと思っている。
そしてそれは単なる一過性のものではないことにも、陽史はようやく気づいた。
誰かを思ってあくせく奔走する毎日が言葉で言い表せないほど愛おしく、それでいて初めて〝やりたいことに本気で向かっている〟ことを陽史に実感させてくれるのだ。
「よーし。そうと決まれば、茉莉ちゃん、どんなケーキを作ろうか?」
本格的に泣きはじめてしまった茉莉から目当てのケーキを聞きながら。
「おい茉莉。泣いてばかりじゃわしも何を作ったらいいかわからんぞ」
「ちょ、芳二さんってば。言い方! もうちょっとソフトにできないんですか」
「うるさい小坊主。茉莉に泣かれると、どうにもたまらんのだ」
「……ぶはっ」
茉莉の涙にめっきり弱いらしい芳二を窘めつつ、吹き出してしまいながら。
「お、大きい生クリームケーキと、あとは鶏の丸焼き」
「それもうクリスマスだしっ!」
茉莉の可愛らしいとんちんかんにツッコミを入れながら。
そうしてやいのやいのとパーティーの計画を練っているうちに茉莉には笑顔が戻り、午後九時少し前にみさきが迎えに来るまで、その場は賑やかな空気に溢れていた。
「あ、もしもし喜多さん? 今、大丈夫です?」
その夜、芳二宅には戻らず自分の部屋に帰った陽史は、ベッドに腰掛けるなりさっそく喜多へ連絡を取った。喜多には痛いに違いない母子の盛大な早とちりを教えるためと、就活の進捗状況、それに明日の夜は空いているかどうかを聞くためだ。
『ああ、泰野か。ん、大丈夫だぞ。茉莉に何かあったか?』
電話口の声にはここ数ヵ月続いている就活の疲れが滲んでいるものの、真っ先に茉莉を心配する喜多に、やっぱり喜多は喜多だなと陽史は頬を緩ませる。
彼にとっての一番は、どんなときでも揺るがないらしい。みさき命、茉莉命といったところだろうか。きっと茉莉とのメシ友を頼むときも断腸の思いだったのだろうと思うと、陽史はよりいっそう、明日は必ず成功させなければと気が引き締まる思いだ。
「いえ、何かあったわけじゃないんです。あ、でも、明日の夜は時間作ってほしいです」
『……なんだ、藪から棒に』
「いや、明日はみさきさんの誕生日じゃないですか。茉莉ちゃん、喜多さんが忙しいから遠慮して呼ばないつもりなんですよ。みさきさんを驚かせるんだって一人で計画も立ててたみたいで。だから、サプライズゲスト的な感じで顔を出してもらえたらと思って電話したんです。で、そのとき二人に、どうして最近忙しくしていたのかをきちんと説明してあげてほしいんです。……それに喜多さんの本当の気持ちも。二人とも、喜多さんが忙しい理由をちょっと勘違いしているみたいなんですよ。このままだったら喜多さんたち、ずっと遠慮し合うことになると思うんです。料理やケーキや部屋の飾りつけは、芳二さんや俺が茉莉ちゃんと一緒にやります。だから、どうかお願いできませんか」
急な頼みだ。だから喜多なら必ず時間を作るはずだと確信していても、少し緊張する。
いくら破天荒な喜多でも、みさきの誕生日を忘れるはずもなく、十月の茉莉の誕生日だって手放しで祝うに決まっている。でも、今年は去年までと同じなようで全然違う、みさきの誕生日だ。陽史の言わんとすることがわからない喜多ではないだろうし、その点がやはり心配の種でもある。だからといって、陽史には引く気なんて毛頭ないのだけれど。
『そうか、もう誕生日か……。わかった。場所と時間を教えてくれ。ちょっと遅れて行ったほうがサプライズゲストっぽいだろ。その合図は泰野に任せる』
すると喜多は、にわかに緊張し出した様子で陽史に指示を仰いだ。
「あ、場所は茉莉ちゃんの家で、時間は夜七時くらいからかと。みさきさんの仕事終わりの時間次第ですけど、週末なんでそれくらいまでには帰ってこられると思います」
『ん。じゃあ、その時間までにいろいろと準備を済ませておく』
「はい。明日はよろしくお願いします」
場所と時間を伝え、それから今一度、念を押しながら、どうか頑張ってくれ、どうかみんなの笑顔が溢れる誕生日パーティーになりますようにと陽史は願う。
この前はみさきや茉莉にも選ぶ権利があるとは思ったが、これまでの喜多の頑張りや、電話口での緊張した様子をつぶさに感じ取ってきた身として。同じ男として。そして何より、やりたいこともなく、ただぼんやりと日々を過ごしていた自分の人生観を百八十度変えてくれた喜多だからこそ。あらん限りの後押しで喜多を応援したいと思う。
『……ちなみに、茉莉たちが勘違いしていることって、どんなことだ?』
「ああ、茉莉ちゃんが言うには、一緒にメシを食べてくれるだけで十分だし、喜多さんだっていつも時間があるわけじゃないでしょ、っていうことみたいです。たぶんみさきさんは、これ以上はもう本当に喜多さんには頼れないって思ってるんじゃないでしょうか。そろそろ喜多さんから卒業しなきゃいけない頃かもねって話もしてるみたいで、それを聞いて俺、思わず〝喜多さんー!〟って叫びそうになっちゃいましたよ」
『ははっ。それは一大事じゃないか』
「笑い事じゃないですって。……いや、だからほんと、明日が正念場だと思うんです」
軽く笑い飛ばす喜多に少々愕然として、けれどやっぱりこれぞ喜多だと陽史は思う。
わりと際どい立ち位置にいると思うのだが、口で言うほど一大事っぽさがないところが逆に喜多らしさを感じさせ、陽史のほうもいい意味で肩の力が抜けていくようだ。
『ん。そうだな』
と、そう言った喜多の声に、これまでとは違う熱量がこもった。
反射的に居住まいを正し、陽史はスマホを握り直す。
『誕生日までには内定をと思っていたが、そう上手いこと人生は運ばないし、告ったところで結果がどうなるかも全くわからん。第一、茉莉は最初から俺をどこか下に見ているようなところがあったしな。……まあ、その通りなんだが。――けど、茉莉たちのことも就活も、何度ダメだったとしても諦めようとは一つも思わないんだ』
「はい」
『で、そう思わせてくれたのは泰野なんだ。だから、これまでのことも、今日明日のことも、ここまでしてもらって感謝してる。やっぱり俺の目に狂いはなかったな。〝派遣メシ友〟の貼り紙に目を留めてくれたのが泰野じゃなかったら、きっとほかのメシ友たちは任せても、茉莉たちのことは話すことさえしなかったかもしれない』
「喜多さん……」
『ははっ。縁の糸はどこで繋がっているか、本当にわからんもんだな。……とにかく、俺はいい縁に恵まれたようだ。明日は茉莉をよろしく頼む。それじゃあな』
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
そうして喜多との電話は終わった。よし、と勢いをつけてベッドから立つと、陽史はさっとシャワーを済ませ、早めに床に就くことにした。なにせ明日は朝からケーキの材料の買い出しや部屋の飾りつけ、実際に焼いて仕上げるなど一日中動きっぱなしになる。
明日のことに思いを馳せつつ目を閉じる。喜多は結果はわからないと言っていたが、まぶたの裏に思い描くのは、やはり喜多たち三人の心からの笑顔だった。
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