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実験農場、とルオン様が教えてくれた場所は、屋敷近くの一画にありました。そこだけ柵に囲まれて、他と様相が違います。
その柵の向こうにあるものを見て私は少々驚きました。
「あら……これって……」
物々しい柵の向こうには、麦でも野菜でもないものが育てられていました。
「奥様、どうかしたのですか?」
「ここにあるもの、全部薬草だわ」
「薬草……? ラァラにはただの草にしか見えませんが」
ラァラが困惑するのも無理ありません。畑で大切に育てられているのは、雑草にしか見えないものばかり。
しかし、私は知っています。これら全て、何かしらの傷や病に使える薬草ですわ。ラインフォルスト王国原産のものまであります。
「ほう、ただの娘ではないようじゃのう」
「……っ」
いきなり後ろから声をかけられました。
見れば、そこにいるのは作業着姿の老人。これまで生きた年月を感じさせる皺が刻み込まれた顔。どこか見覚えのある穏やかさを感じさせつつも、その眼差しは全てを見抜くような不思議な輝きがあります。
「実は私、学院時代は『薬草倶楽部』という集まりに参加しておりましたの。花壇の一画で先生や学友と共に薬草を栽培しておりました」
「ほう、そりゃあ良い。綺麗な花ではなく薬草とは、若い娘さんには珍しいんじゃないかの?」
「実は、すぐ隣の『園芸倶楽部』には嫌われておりましたの。せっかく整えた景観が台無しだと」
「そりゃあ、そうじゃろうのう!」
私の話が気に入ったのか、ご老人は破顔して大笑いしました。薬草も中には綺麗な花を咲かせるものもあるのですけれど、倶楽部の面々の好みのせいで雑草が生い茂っているようにしか見えなかったのが悪かったのでしょうね。
「お前さん、少し、わしと話をしてくれんか?」
「はい。喜んで」
それからしばらく、私はご老人と畑を眺めながら、薬草トークを繰り広げました。知っている品種、知らない品種、気候も土壌も違う国で育てる苦労話。実に楽しいものでしたわ。こうして自分の趣味について語り合えるのは素晴らしい時間ですの。
「ふむ……やはりラインフォルストは薬草の種類も多いんじゃのう。ここに植ってるものとて、使い方がよくわからんものもある」
「研究もされておりますから。薬草についての本も毎年更新されますの。……そういえば、こちらに嫁ぐ時に一冊持ってきておりますわ」
「! なんじゃと! ……差し支えなければ、見せてくれんか?」
「喜んで。きっと、お仕事のお役に立つかと思いますわ」
嫁入り道具代わりに持ってきた「王国薬草図鑑」の最新版がこんな形で役に立つとは思いませんでしたわ。そのうち趣味で園芸でもできれば、と思っていた程度でしたのに。
「お、奥様。そろそろ屋敷に戻るお時間です」
後ろからラァラが遠慮がちに話しかけてきました。ご老人に会ってから、ずっと黙ったままですわね。
「そうですわね。それでは、ご老人。また、お会いしましょう」
「うむ。その時は本を忘れずに頼むぞい。あー……」
「ルルシア、と申します」
「すまんの。歳で名前を覚えられないんじゃ。では、ルルシア殿、よろしく頼む」
そうして一礼したご老人の所作は、実に堂々としたものでした。
「わしについては、後で旦那に聞いとくれ。それではな」
これから水やりだといいなながら、老人は軽い足取りで実験農場に戻って行きました。
その日の夜、夕食の席でルオン様に褒められました。
「凄いじゃないか、妻殿。お爺様がとんでもなく褒めていたぞ。これほど良い嫁はなかなかいないとまで言われた」
「……親族とは思っていたけれど、思った以上の大物でしたのね」
あのご老人は、ルオン様のお爺様。先代のセイクリフト家の御当主でした。
「ラァラが静かだったのは、怖かったからなのね」
「はい。申し訳ありません。大旦那様は恐れ多く……」
彼女を責める気にはなれませんわ。何せ、ルフォア国を開国させた英雄の一人ですものね。ルオン様が農業をやっているのも、おのご老人が農業を振興させたからです。
「ラァラは悪くないわ。歴史上の人物とも言える方ですもの。でも、ルオン様、一言くらい教えてくれても良かったのでは?」
どちらかというと、しっかり教えてくれなかったルオン様に問題があると思います。
「すまない。でも、妻殿なら必ず気に入られると思っていたんだ。下手に取り繕った応対する方が、お爺様は嫌がるしな」
「……そうでしたの」
気難しい、と言うのは嘘ではなく、一応は配慮してくれたと言うことでしょうか。あまり器用ではない方ですね。
そんなことを考えながら、ラァラがグラスにワインを注ぐのを眺めていると、気づきました。ルオン様が、ちょっとおどおどした様子でこちらを見ています。
「どうかしましたか?」
「怒っているんじゃないのか? なにか、埋め合わせを」
まるで叱られた犬のように、耳を垂れさせてそんなことを言ってきました。
本当に真面目な人ですのね。
「もう怒っていませんわ。でも、埋め合わせは良いですわね。なにか考えてくださいまし」
「ええっ、僕が考えるのかい?」
「そのくらいのご機嫌とりくらい、要望しても構わないでしょう?」
「がんばです、旦那様」
そんな風に、思わぬ出会いがあった日の夕食は、実に楽しく、和やかに過ぎたのでした。
その柵の向こうにあるものを見て私は少々驚きました。
「あら……これって……」
物々しい柵の向こうには、麦でも野菜でもないものが育てられていました。
「奥様、どうかしたのですか?」
「ここにあるもの、全部薬草だわ」
「薬草……? ラァラにはただの草にしか見えませんが」
ラァラが困惑するのも無理ありません。畑で大切に育てられているのは、雑草にしか見えないものばかり。
しかし、私は知っています。これら全て、何かしらの傷や病に使える薬草ですわ。ラインフォルスト王国原産のものまであります。
「ほう、ただの娘ではないようじゃのう」
「……っ」
いきなり後ろから声をかけられました。
見れば、そこにいるのは作業着姿の老人。これまで生きた年月を感じさせる皺が刻み込まれた顔。どこか見覚えのある穏やかさを感じさせつつも、その眼差しは全てを見抜くような不思議な輝きがあります。
「実は私、学院時代は『薬草倶楽部』という集まりに参加しておりましたの。花壇の一画で先生や学友と共に薬草を栽培しておりました」
「ほう、そりゃあ良い。綺麗な花ではなく薬草とは、若い娘さんには珍しいんじゃないかの?」
「実は、すぐ隣の『園芸倶楽部』には嫌われておりましたの。せっかく整えた景観が台無しだと」
「そりゃあ、そうじゃろうのう!」
私の話が気に入ったのか、ご老人は破顔して大笑いしました。薬草も中には綺麗な花を咲かせるものもあるのですけれど、倶楽部の面々の好みのせいで雑草が生い茂っているようにしか見えなかったのが悪かったのでしょうね。
「お前さん、少し、わしと話をしてくれんか?」
「はい。喜んで」
それからしばらく、私はご老人と畑を眺めながら、薬草トークを繰り広げました。知っている品種、知らない品種、気候も土壌も違う国で育てる苦労話。実に楽しいものでしたわ。こうして自分の趣味について語り合えるのは素晴らしい時間ですの。
「ふむ……やはりラインフォルストは薬草の種類も多いんじゃのう。ここに植ってるものとて、使い方がよくわからんものもある」
「研究もされておりますから。薬草についての本も毎年更新されますの。……そういえば、こちらに嫁ぐ時に一冊持ってきておりますわ」
「! なんじゃと! ……差し支えなければ、見せてくれんか?」
「喜んで。きっと、お仕事のお役に立つかと思いますわ」
嫁入り道具代わりに持ってきた「王国薬草図鑑」の最新版がこんな形で役に立つとは思いませんでしたわ。そのうち趣味で園芸でもできれば、と思っていた程度でしたのに。
「お、奥様。そろそろ屋敷に戻るお時間です」
後ろからラァラが遠慮がちに話しかけてきました。ご老人に会ってから、ずっと黙ったままですわね。
「そうですわね。それでは、ご老人。また、お会いしましょう」
「うむ。その時は本を忘れずに頼むぞい。あー……」
「ルルシア、と申します」
「すまんの。歳で名前を覚えられないんじゃ。では、ルルシア殿、よろしく頼む」
そうして一礼したご老人の所作は、実に堂々としたものでした。
「わしについては、後で旦那に聞いとくれ。それではな」
これから水やりだといいなながら、老人は軽い足取りで実験農場に戻って行きました。
その日の夜、夕食の席でルオン様に褒められました。
「凄いじゃないか、妻殿。お爺様がとんでもなく褒めていたぞ。これほど良い嫁はなかなかいないとまで言われた」
「……親族とは思っていたけれど、思った以上の大物でしたのね」
あのご老人は、ルオン様のお爺様。先代のセイクリフト家の御当主でした。
「ラァラが静かだったのは、怖かったからなのね」
「はい。申し訳ありません。大旦那様は恐れ多く……」
彼女を責める気にはなれませんわ。何せ、ルフォア国を開国させた英雄の一人ですものね。ルオン様が農業をやっているのも、おのご老人が農業を振興させたからです。
「ラァラは悪くないわ。歴史上の人物とも言える方ですもの。でも、ルオン様、一言くらい教えてくれても良かったのでは?」
どちらかというと、しっかり教えてくれなかったルオン様に問題があると思います。
「すまない。でも、妻殿なら必ず気に入られると思っていたんだ。下手に取り繕った応対する方が、お爺様は嫌がるしな」
「……そうでしたの」
気難しい、と言うのは嘘ではなく、一応は配慮してくれたと言うことでしょうか。あまり器用ではない方ですね。
そんなことを考えながら、ラァラがグラスにワインを注ぐのを眺めていると、気づきました。ルオン様が、ちょっとおどおどした様子でこちらを見ています。
「どうかしましたか?」
「怒っているんじゃないのか? なにか、埋め合わせを」
まるで叱られた犬のように、耳を垂れさせてそんなことを言ってきました。
本当に真面目な人ですのね。
「もう怒っていませんわ。でも、埋め合わせは良いですわね。なにか考えてくださいまし」
「ええっ、僕が考えるのかい?」
「そのくらいのご機嫌とりくらい、要望しても構わないでしょう?」
「がんばです、旦那様」
そんな風に、思わぬ出会いがあった日の夕食は、実に楽しく、和やかに過ぎたのでした。
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