戦国時代に機関車。

ゆみすけ

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京都に到着。

上京した・・・

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 上京だ。 ここは、東京が首都である時代ではない。 また、場所でもない。 日本の都は京都である。 神武建国以来、奈良と京なのだ。 美濃から京は近いのだ。 東京は遠方で、箱根の向こうだ。 唐、天竺と同じくらいに遠いのである。 まあ、行くことはないだろう・・・ 彦根を越えて、数時間の汽車の旅が終わった。 途中、給水を何度かやったが、木炭は十分なようだ。 やはり、炭は持ちがよい。 石炭が採掘できるまでは、木炭を使おう。  「おお、京都駅が見えるぞ。」 客が騒ぎ出した。 半日で、(まあ、10時間くらいだ。)美濃から京まで機関車は走破できたのだ。 オレは、釜たき人足と機関車の点検で手が離せない。 油を蒸気ツボに補給したり、車輪に油を注したり、意外に忙しいのだ。 駅の様子なぞ、絵空事であった。 「機関車の周りに、警備の兵をつけてくれ。」 と足軽大将だ。 他国の間者(スパイ)がウロウロしているようらしい。 「いいか、他所者を機関車には近づけるなよ。」 と足軽大将が厳命だ。 「帰れんと、いかんからな。」 とオレに言うのだ。 「都は生き馬の目を抜くだわさ。」 ・・らしい。 いろいろ、行事が駅では行われたらしいが、オレは一切関係ない、としてもらったのだ。 すべて、侍大将が段取りをつけたらしい。 以前に、「上京できた、手柄は?」と聞かれたので、「そんなもん、いらんは。」 とオレは答えておいたのだ。 客人として、「やりたい事を、やらせてもらえればいいんだ。」と答えておいたんだ。 侍大将が、「お館様が、恐れ多くもお目道理が・・・」 「とりあえず、数日は美濃には戻れん。」 とか、モロモロの都合で、しばらく逗留することとなったらしい。 機関車から眼を離せないので、駅舎の宿舎に釜焚き人足らと寝泊まりしたのだ。 まあ、オレ以外は京にいる女御のところに走ったが。 (まあ、高級売春婦だ。) オレは、機織り幼女が妻に居るから、それで十分だ。 なんせ、まだ14歳なのだ。 京の女御は14歳以上だろう・・・ それに、留守番も必要なのだ。 それに、白粉臭いオンナは・・・ さて、機関車の整備が終わるころ、美濃に帰る日がきまった。 その間に、かなりの客人を機関車に乗せて、近隣を移動したのだ。 なんやらの公家とか、なんやら大将とか、モロモロだ。 まあ、山科まで往復しただけだ。 山科とは、京都駅の隣の駅だ。 歩くと、それなりだが、日帰りできる距離らしい。 話がソレるが、京にあるポンプやランプの店は、かなりの繁盛だった。 まあ、鉄砲は特別の武人が対象だからね。 それに、眼鏡だ。 とうとう、眼鏡を試作して京で眼鏡として売りにだしたのだ。 乱視や近視は日本人は多いのだ。 それが、眼鏡で解決できるなら安いものだ。 価格はランプと同じくらいだ。 度数を違えて、自身にあった眼鏡を調べて売るのである。 この時代は眼科の医者なぞ皆無だから、遠くから眼鏡を求めにくるようだ。 まあ、少しは、ヒト助けになればいいのだ。 まだ、光学ガラスは、まだ造れないから、普通のソーダ石英ガラスだが・・・・・
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