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霧の都編
賢き者ども稚き議論せし
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──バナーナ盗賊団による侵攻事件から一週間ほどが経過していた頃……
「やっぱアンタバカでしょ。水の都近郊の宿場町からは乗合馬車に乗り換えた方が安いのなんて料金表見れば明らかじゃない」
俺たちは屋敷の執務室でミーティングをしていた。
卓上に所狭しと並んだ資料は大きく種類分けして二つ。
一つは、鼠亜人の生息域の変遷に関連する論文の数々。もう一つは、隣国の首都である水の都へ接続する公共交通機関の料金表だ。
現在進行形でやらされ仕事を押し付けられているソフィアが、とうとう限界を迎えたとばかりに声を荒げた。
「落ち着けソフィア。旅費は貴族院持ちなんだからどうでもいいだろ」
大量の資料に紛れてなおその存在を主張する、豪華な紙に書かれた『水の都に潜伏している妖魔教団司教の動向調査依頼』の字。ソフィアではなく、そちらに視線を向けたまま返事をこぼす。豪華な紙の端には、これまた細部まで彫り込まれた判子が押されており、この街にいる大人なら誰しもが貴族院の文書であることがわかるだろう。余談だが、そうとは知らずにソフィアにバカにされた件についてはきちんと閻魔帳に記してある。
閑話休題、なぜかすごく冷めた視線を向けてくるマキに気づき正面から見据えると、やはりゴミを見るような目で話しかけられた。
「ケンジローらしいといえばそれまでですが、とんでもないクズ発言じゃありません?」
ひどい言われようである。
「確かにとんでもないクズに思われるだろうが、勝手にルート変更して差額をポケットに入れたらそれこそ横領になるだろ。そして、旅費を節約できることを貴族院に報告するのもめんどくさ……スケジュールの都合で間に合わないから仕方がないんだよ。はい、ソフィアの八つ当たりにもスマートに対応俺強い」
ついでに言うと、貴族院もたかだか数シルバー程度のために事務作業が増えずに済むという二段構えだ。
「はいはい、もういいわよ。どうせ私は頭が悪いですよー」
「拗ねんなって。ほら、この前のクエスト報酬で買ったマカロンやるから。これで機嫌直せよ」
「子供扱いしないでくれる?」
そう言いながらも、嬉々としてマカロンに手を伸ばすソフィア。
この調子だと、竜車と馬車の座席予約申請書を書き上げている間に俺の分はなくなりそうだ。
そんなことは別にどうでもいいのだが、このままでは俺のぶんまで食べ尽くされるのも時間の問題なので、マカロンを片手に書類と睨めっこを始めたソフィアの隣に座る。
「ちょっと、なんで隣に座ってくるのよ。普通にキモ」
普通じゃないキモさとはいったい何なのかを問い詰めて涙目にしてやりたいところだが、今は忙しいのでやめていこう。
「ったく、器もパーソナルスペースも狭いヤツめ。増大させた方がいいんじゃないのか? マカロン詰めまくって増大し続ける腹部のエントロピーみたいに」
言ってから後悔した。
隣から硬質な物体が破損する音が聞こえたが、恐ろしくて振り向けない。
ティーカップを床に落としてしまったのだと信じたいが、日本での生活では当たり前だったクーラーを想起させる冷気に恐怖を覚える。
「……ケンジロー、アンタって強心臓よね」
感情の起伏を感じられない声色に内心も体表もひやひやする。
「……そ、そうか? ありがとう」
笑って誤魔化すようにおどけてみるが状況がよくなる気がしない。それどころか、ますます怒らせてしまったようだ。
というか、机を挟んで反対にいるマキが寒がっていないので、ソフィアは俺だけを氷漬けにでもするつもりなのだろう。
氷の彫刻エンドだけは避けたいところだ。
いよいよ土下座を敢行するしかないかと考えてはじめていると、もはや色々諦めたようにため息をつかれる。同時に寒気からも解放された。
「……アンタあとで覚えてなさいよ」
ソフィアはそんな脅しを投げかけると、改めてため息をつきながら書類を手に取った。
どうやら許してくれたらしい。
ソフィアの怒りゲージを下げることに成功した俺は、二人と同じように書類を手に取る。
どうやらこちらは、妖魔教団の目撃情報と魔物組織の活発化における相関性についてまとめた論文らしい。
魔物組織というのは、先日のバナーナ盗賊団のような特定の魔物が組織的に害をなすことをいうのだとか。組織的に行動する魔物ということで、得てして狡猾で危険度が高いのだが、それらの活発化が妖魔教団によるものだとすれば一大事である。それに関しては貴族院も同じ考えらしく、今回の防衛戦で貢献しており貴族院との関係が強いソフィアに白羽の矢が立ったのだ。
「環境的要因で魔物が組織的に活発化するというのは別に珍しいことじゃないですよ」
資料を読み進めていくと、いつの間にか覗き込んでいたマキから解説が入った。
なんでも、元々魔物とは自然界の魔力によって変性した動物なのだとか。それゆえ、魔物は周囲の魔力の変化に敏感で、強力な魔力の持ち主が近づくと警戒心から気性が荒くなるのだとか。
昨今、バナーナ盗賊団による被害が急増していたのも、盗賊団が強力な魔力の持ち主と──それこそ、妖魔教団の司教クラスと接触したのが原因ではないかという旨の論文だった。実際に水の都周辺で目撃されていた二体の司教のうち一体が霧の都周辺地域まで移動していることが目撃報告によって推測でき、相関性があるのだと主張している。
「この世の生き物はみんな強大な魔力に対して敏感なのよ。さっきだって、魔法の冷気にあてられてゾッとしたでしょ?」
マキの言葉を受けて論文を熟読していると、ソフィアが横から補足してくれた。
確かに、と頷くと、ソフィアはさらに続ける。
「正確には発動直前の魔力を練っていた段階から反応する人もいるんだけど、アンタは鈍感みたいね」
まるで悪口みたいに聞こえるが、話を聞く感じでは魔力に敏感すぎるのもよくないらしい。
もっとも、魔法や魔力といった概念に馴染みがないので実感がわかないのだが。
「その点は安心して下さい。アタシもソフィアも魔力の流れには敏感なので、いつでも警告できますよ」
ドヤ顔をこちらに向けてサムズアップするマキが恐ろしく胡散臭そうに見えるのだが。……まあ、気にしても仕方がないか。
それより、改めて俺自身の魔力量が少ないことを思い出した。
こっちにきた初日の段階で魔法の才がないと判明して以降、極力魔力を使わないようにしてきたせいで忘れかけていた。
「これは頼もしいな。さ、続きをやるぞ」
言いながら、未記入の各種申請書類をソフィアの前に一山。続けて、誰でもできるような料金計算を資料付きで一式マキの目の前に置いた。短い重低音が机から二回鳴ると、少女二人からの視線が再びネガティブなものに変わった。
「ねえ、アンタに人の心とかないの? もう六時間は書類と睨めっこしてるのに休憩すらないなんてやってられないわ」
「そうですよ! のらりくらりと誤魔化されてましたけど、アタシたちまだお昼ご飯すらまだじゃないですか!」
それはとても純粋で、真っ当な抗議だった。
魔法時計はその針をまもなく十五時を指すところで、思っていた以上に時間が過ぎていたようだ。
「俺がいた国では、昼食は打ち合わせや一人で完結する雑務をこなすための時間なんだ。ついでに反論しておくと、俺に人の心がないのではなく、いつも心を鬼にしているだけだ」
言いながら、時間経過に対する進捗の遅さに額に手を当てずにはいられなかった。
この様子だともう六時間はかかりそうだ。
そんなことを考えていると、少女たちは今にも泣きそうな顔で無言の抗議をしはじめる。子どもかコイツら。
「飯だってこれが終わったら食べればいいだろ。つーか、デスクワークしかしてないのにガツガツ食ったら太るぞ。ただでさえさっきマカロン食ったんだから少しは脳で糖分を消費したらどうだ」
手にしていた論文から目を離し、肩をすくめて言ってみる。
すると、まるで猛獣のような形相のマキがこちらににじり寄ってきた。
助けを求めようとソフィアへ視線を向けるが、なぜか微笑んでいるだけで無言である。謎のプレッシャーを放っている気がするが杞憂であると信じたい。
「ど、どうしたマキ。そんな顔してもマカロンはさっき出したので全部だぞ?」
少女たちからの凄まじい圧力に無意識のうちに声が震えてしまう。
おそらく、今のマキに掴まろうものなら骨の一本や二本くらい軽く持っていかれるかもしれない。というか命の保証すらあやしい気がする。
間合いに入れたら終わる。そう思いながら、普段から肌身離さず持っている屋内用の低威力な市販魔力玉に手をかけたちょうどその時だった。
「マキ、大丈夫よ」
なんと、優しい声色でソフィアがマキを制止させた。
まるで女神のような彼女の行動に一周回って不安にさせられるのだが、助かったことに変わりはない。
「大丈夫。懺悔を聞くくらいだったら私にもできるもの。きっと、終わる頃にはケンジローもすっかりおとなしくなってるわ。……ねえ、ケンジロー?」
マキの隣まで歩み寄り、頬を撫でながらそう言ったソフィアは次にこちらへ振り向く。その表情は、もし同意しなければ何をされるのかわからないほど邪悪な笑みで、無言でうなずくしかなかった。
翌日。
「今は昔、霧の都に没落した貴族の令嬢とその愉快な仲間たちがおりけり。ケンジロー爺さんはマキを連れて街へ雑用に、ソフィア婆さんは未だ駆り出されている執事のジョージを迎えに行く形で貴族院に行きましたとさ」
外を歩くと心地いい秋晴れの中、俺たちは貴族院からの依頼を遂行するために二手に分かれて行動していた。
今は昨日に引き続き貴族院で働いているジョージさんを迎えに行くソフィアを送り出し、竜車の予約申請書を窓口に届ける途中である。
「なにバカなこと言ってるんですか。あと、今の言葉がソフィアの耳に入って怒られても、アタシはフォローしませんよ」
軽快なジョークのつもりだったのだが、どうやらマキには受けなかったらしい。
とはいえ、ツッコミを入れるだけあってソフィアのこととなると反応が早い。やはり、仲が良さそうで何よりだ。
「別に構わん。あいつの沸点の低さは俺もよく知ってるからな」
「はぁ……。反省しないと昨日みたいにまた詰められますよ」
ため息交じりのマキの言葉に昨日の出来ことを軽く思い返す。
「危うく氷像にされるところだったしな。そろそろ魔法を反射するスキルか装備があるか調べてみたほうがいいかもしれない」
中身のない雑談に意識を割いていると、気づけば運輸交通系のギルドへと着いていた。
ギルドという呼び名の通り集会所というか業界ごとに設置されている組合で、ここでは乗合馬車や竜車の座席予約から遠方からの商隊なんかが出入りしているらしい。
生活に欠かせない業界の一つなだけあって人の出入りが激しいのだが、今目の前に映るそれは盛況という雰囲気ではなくどこかきな臭さを感じるものだった。
「揉め事か? 昼食が遅れるとソフィアがキレるから勘弁してほしいんだが」
「ケンジローのソフィアに対するイメージがどうなっているのか未だに理解できないのですが。とはいえ、確かにただならぬ雰囲気が漂っていますね。……アタシちょっとその辺の人に話を聞いてみます!」
「おい、ちょっと待! ……行きやがった」
うちのシーフは、いつだって素早い。
小走りで追いつくと、さっそく手頃な商人を捕まえたらしいマキが話を聞いていた。
俺の仲間がすみません、と謝罪を入れつつ会話に参加すると、商人は快く自己紹介してくれた。
花の都からきた商隊の薬師兼商人だというおっさんは、つい一昨日、祖国から『霧の国へ行った者は帰還できないものとする』という旨の通達がなされたそうだ。
「橋の街と花の都の間で貿易トラブルが起きてのう。双方、行政や商人組合としてはよくあることだと考えて、ほどほどのところで矛を収めようと考えていたのじゃが」
そう溢すおっさんは言葉にできないほどの哀愁を漂わせていた。
花の都を首都とする隣国花の国とは海峡を挟んでおり、今回は両国を繋ぐ橋が落ちてしまったのだという。
「伺いたいんだが、貿易摩擦の原因になったのはどういった特産品なんだ?」
何が原因で誰に不利益があるからこんな事態に陥ったのか。その辺を読み解くうえでは些細な情報すら逃したくない。
そんなこっちの事情を知ってか知らぬか、とある鉱石の話をしてくれた。
「花の都は有名な花魔鉱の産地でのう。花魔鉱は、自然属性の力が強い土地で魔力を帯びた鉱石なんじゃが、ここ数年は水の都からの買い占めが横行しとるんじゃ。高額で買い取っていくもんじゃから、霧の国への供給が減ってのう」
そう説明する商人は、更に花魔鉱を加工して作られる特殊な照明が農産物の効率育成に欠かせないことも教えてくれた。
なるほど、小麦の生産が主なここいらでは、花魔鉱の供給減少が痛手になるのか。
このきな臭さは海外との渡航が途絶えたことと、そもそもの原因である貿易摩擦が理由だったらしい。
「というか、この国って霧の国って呼ばれてたんだな。世界地図にはええっと、フォース・キングダム・ザ……なんだっけ」
「今さらなにを。……ザ・クラウド・オブ・フォース・キングダムです。四つの旧王国が一つになったのと首都が霧に覆われやすいことが由来なのです。あまりにも長ったらしいので、諸外国からは霧の国と呼ばれているのです」
全然違います、とツッコミを入れられた。
……今後は霧の国という名で覚えることにしよう。
「ともかく、橋を落としたからお前たちは帰れないぞって伝えられたのか。だとすれば不憫だが」
「いやいや、心配には及ばんよ。こんなこともあろうかと、こっちのツテに相談済みじゃ」
伊達に長いことこの仕事をやっとらんよ、と続けた。
ギルドの受付から遠いところにいたこともあってか、故郷に帰れないことへの寂しさ以上の影響はないみたいだった。
聞き込みに応じてくれた商人にお礼を言うと、マキを連れてギルドを見れる少し離れたベンチへと歩き、腰を下ろす。
「参ったな。水の都って確か花の国から更に竜車を走らせた先だろ? こりゃ、依頼どころじゃないぞ」
もとより、面倒ごとを押し付けられた身としては肩の荷が下りたのだが、ここまできて白紙にされては昨日の苦労が報われない。
それはマキも同じ考えなのか、握り拳を作ってグリグリと怒りをぶつけている。……俺の太ももに。
痛いので振り払ってやると、怒りのぶつけ先に困っているマキが見上げてきた。
「今から貴族院に、どうなっているんだと抗議しに行きましょう!」
「今回の件は貴族院悪くないだろ。竜車の予約書類は無駄になったが、それ以外の調査は無駄にならないはずだ」
どの道、花の国への橋が復旧したら水の都へは調査依頼に行くのだし、そうでなくとも橋の街へは何が起きたのか確認しなければいけないはずだ。その辺、調査依頼と併せて体よく派遣されそうな予感がする──
──体よく派遣されることになった。
「納得がいかないわ!」
テーブルを叩く音ともにソフィアが声を荒げる。
あの後、ソフィアと合流するべく貴族院に訪れていた俺とマキは、二人揃って議会に途中参加した。とはいえ、傍聴人としてだが。
議題はズバリ、橋が落ちた件について。
橋が落ちた原因は。
誰が関わったのか。
治安はどうなっているのか。
それらの調査依頼がソフィアに押し付けられたのだ。水の都への調査依頼のついでとして。
予算が下りるのでお金で困ることはない。しかし、労力という面において、四人しかいないウチらには厳しいものがある。
若いソフィアがイジメられているにも見え、どうしたものかと悩まされていると隣に座るマキに袖を軽く引かれた。
どうしたのかと振り向くと、議会を邪魔しないように耳打ちされた。
「あれ、なんとかなりませんか? ジョージ爺だって毎日屋敷にいるわけじゃないのに、これ以上書類とにらめっこなんてアタシたちだけじゃ間に合いませんよ」
それについては全面的に同意しよう。
「とにかく人手不足だ。だってそうだろう。週末から屋敷中の掃除を始めたら次の平日が訪れるんだぞ」
雑務においてジョージさんが超人すぎるので辛うじて廃墟化を免れているが、貴族院に連日駆り出されるとやっぱり大変だ。
小声で返すと、マキも隣で頷いている。十中八九、ソフィアも人手不足を痛感しているだろうし、今日の貴族院が終わり次第ソフィアを連れて求人を出してみよう。
「無茶ぶりも大概にしなさいよ! 当家に人手も資金力も足りてないってみんな知ってるでしょ!」
向こう数時間の予定を組み立てていると、いよいよキレたソフィアが騒ぎ始めた。あーあ、一応は貴族なのにみっともねえ。
「お嬢様、お気を確かに。……しかし、お嬢様がおっしゃる通り、当家には四人しかおりません故。冒険者ギルドの運営補助だけで精一杯だということをご理解いただきたく」
ソフィアを宥めるジョージさんだが、参加している貴族たちの反応を見るに状況は芳しくない。
まるで人手不足は言い訳にならないとでも言いたげで、なんなら初老くらいの恰幅のいい髭おじに至ってはそんなのはどこも一緒だと言い出す始末。
「それを言えば、ワシのところとて花の都からの特産品の供給量が減っている件に関わっていて人手が足りんわい」
そんな、どんなに取り繕っても成人誌のキモ親父みたいな貴族様の言い分は、花の都からの供給減による綿の高騰をあの手この手で対策しているのだという。
「綿が高騰すれば、ありとあらゆる市場の物品が高騰する。市場と貿易を管理する当家では、そのような事態になれば責任問題だ。人手を割くのも納得がいくじゃろう?」
確かに、その言い分であればこの貴族様には遠方調査など押し付けられないな。
そのほかの貴族も、このおっさんみたいに各業界ギルドの補助や市場、治安維持などの責任を負っていて忙しいのだそうだ。
卓上を見ると、それぞれ何を担当しているのかも書いてある。例えば、キモ親父みたいな貴族、略してキモ族は市場コントロールの一環として農業にも手広く展開しているようだ。多忙なようでなにより……うん?
いろいろ考えながら議会の様子を聞き流していたこともあり気づくのが遅れた。
このおっさん、今なにが高騰したって言った?
聞き間違いでなければ綿が高騰していて手を焼いていると言ったが、昼間花の都との貿易について商人に聞いたときは鉱石で揉めてるはずじゃなかったのか?
この貴族も昼間の商人も、その言葉からはまるで貿易摩擦が起きている特産品が一種類しかないみたいな言い方じゃないか。
もしそうだとすると、この貴族は実際の花の都との貿易状況について虚偽の報告をしていることになる。
「……マキ。貴族って身分は社会のゴミ箱なんだな」
あまりにも堂々と嘘をつく貴族を見て本音が漏れた。
短気だが清廉潔白なソフィアにだけは、ああなってほしくないところだ。
そんなつもりでこぼした愚痴は、議会の連中にしっかり聞かれていたらしい。
「傍聴席の少年。貴族への愚弄は本来なら一発退場だ。若気の至りと思い今回は見逃すが次はないと思え」
司会進行の偉そうな人に怒られた。
「ありがたい配慮に感謝しよう」
腰を折り礼。再び頭を上げて着席する。
角が立ってはソフィアに迷惑だし、ソフィアが迷惑を被れば俺にも回ってくるのだ。あくまで慎重に様子を見守ろうと思う。
「フン。……温情など不要じゃないかね。あの礼儀も知らぬ小僧は我々貴族の神聖な議会に泥を塗ったのだぞ。処刑したって誰も文句は言いやしないわい」
なんという横暴。
お前のことを言っているんだぞ、と俺の意図を察しているらしいマキがゴミを見る視線をキモ族に向けているのが面白い。
それはそうとして、角が立たないようにという俺の気遣いは見事失敗に終わってしまった。
さすがにキレそう。
「生憎とこの国の仕組みには疎くてな。まさか、神聖な議会に参加する貴族という称号が、虚偽の市場調査結果を貴族院に持ち込む奴のことを指すものだとは夢にも思っていなかった。大変勉強になった」
「……ッ貴様ァ!!」
怒りに任せて立ち上がったキモ族だったが。
「傍聴人アオキ君。それは真実かね?」
司会進行者のその言葉には、偽りだった比喩でもなんでもなく首が落ちるぞという圧が籠っている。
嘘ではないので全く問題ない。強いて言うなら、この貴族のおっさんが商人たちに圧力をかけて虚偽の証言をさせるケースか。
昼間会った商人との会話をそのまま言葉にした。
堂々と話したからか、耳を貸す価値があると判断したらしい室内の貴族たちは真剣に耳を傾けてくれている。これは、本当に貴族の誇りを大事にしている清廉潔白な者が多いのか。それとも、目の前で出し抜こうとした同胞へ対する怒りか。
悔しそうに歯噛みするキモ族の他は、皆一様に顎に手を当て熟考。
数秒の沈黙が室内を支配していたが、やがて一人の若い女性の声がその静寂を破った。
「なるほど。それでしたら、最近の妙な衣類の高騰も納得いきますわね。家臣の者たちの間で、冬物の服に手が出しにくくて困っているという噂をわたくしも耳にしておりましてよ」
開いた扇で口元を隠しながら俺の発言を裏付けたのは、腰元まで伸びる長い月明かりのような輝きを放つ銀髪を一纏めに結った貴婦人だった。年齢は俺と同じか一つ上くらいだろう。体の細さを印象付けるドレスも控えめな胸部だからこそと言ったところか。そんなことを口にしようものなら、ありとあらゆる手段で報復を加えてきそうな雰囲気があるので黙っておくが。
ともあれ、一人がそう言い始めれば雪崩れ込むように他の人も俺の言葉を肯定的に捉えだすもので、キモ族によるこれまでの貴族院への報告の真偽を問うべきとする者も現れだした。
「おのれ、気がふれたか! 平民風情の戯言なんぞに耳を傾けおって!」
怒りのあまり気がふれたらしく、わけのわからない戯言で抵抗をはじめたが、その中身のない言動がかえって不信感を煽っているようなのであのおっさんはもうダメだろう。
なんかもうこれ以上は見るに堪えないので帰ろう。目と耳が汚れる。
「あー、ソフィア。先に帰って飯を用意しておく」
マキは残っていくようだが俺はもう本当に帰りたいので、幸いにも傍聴席から近いところにいるソフィアにその旨を伝える。
彼女も今はホッとしていて、もう手を貸す必要はないようだ。
こちらに気づいたソフィアが振り向く。そして、勝ち誇るような笑みを浮かべて。
「ここは貴族院よ。言葉遣いには気をつけなさい」
意地が悪いことこの上ない。
「はいはい、ソフィア様。貸し一つな」
素直に敬語を使うのは癪に障るので、そう言い捨てて貴族院を後にした。
すでに西の空が紺色に変わりつつある帰路では、食品市のタイムセールの声が聞こえていた。
「やっぱアンタバカでしょ。水の都近郊の宿場町からは乗合馬車に乗り換えた方が安いのなんて料金表見れば明らかじゃない」
俺たちは屋敷の執務室でミーティングをしていた。
卓上に所狭しと並んだ資料は大きく種類分けして二つ。
一つは、鼠亜人の生息域の変遷に関連する論文の数々。もう一つは、隣国の首都である水の都へ接続する公共交通機関の料金表だ。
現在進行形でやらされ仕事を押し付けられているソフィアが、とうとう限界を迎えたとばかりに声を荒げた。
「落ち着けソフィア。旅費は貴族院持ちなんだからどうでもいいだろ」
大量の資料に紛れてなおその存在を主張する、豪華な紙に書かれた『水の都に潜伏している妖魔教団司教の動向調査依頼』の字。ソフィアではなく、そちらに視線を向けたまま返事をこぼす。豪華な紙の端には、これまた細部まで彫り込まれた判子が押されており、この街にいる大人なら誰しもが貴族院の文書であることがわかるだろう。余談だが、そうとは知らずにソフィアにバカにされた件についてはきちんと閻魔帳に記してある。
閑話休題、なぜかすごく冷めた視線を向けてくるマキに気づき正面から見据えると、やはりゴミを見るような目で話しかけられた。
「ケンジローらしいといえばそれまでですが、とんでもないクズ発言じゃありません?」
ひどい言われようである。
「確かにとんでもないクズに思われるだろうが、勝手にルート変更して差額をポケットに入れたらそれこそ横領になるだろ。そして、旅費を節約できることを貴族院に報告するのもめんどくさ……スケジュールの都合で間に合わないから仕方がないんだよ。はい、ソフィアの八つ当たりにもスマートに対応俺強い」
ついでに言うと、貴族院もたかだか数シルバー程度のために事務作業が増えずに済むという二段構えだ。
「はいはい、もういいわよ。どうせ私は頭が悪いですよー」
「拗ねんなって。ほら、この前のクエスト報酬で買ったマカロンやるから。これで機嫌直せよ」
「子供扱いしないでくれる?」
そう言いながらも、嬉々としてマカロンに手を伸ばすソフィア。
この調子だと、竜車と馬車の座席予約申請書を書き上げている間に俺の分はなくなりそうだ。
そんなことは別にどうでもいいのだが、このままでは俺のぶんまで食べ尽くされるのも時間の問題なので、マカロンを片手に書類と睨めっこを始めたソフィアの隣に座る。
「ちょっと、なんで隣に座ってくるのよ。普通にキモ」
普通じゃないキモさとはいったい何なのかを問い詰めて涙目にしてやりたいところだが、今は忙しいのでやめていこう。
「ったく、器もパーソナルスペースも狭いヤツめ。増大させた方がいいんじゃないのか? マカロン詰めまくって増大し続ける腹部のエントロピーみたいに」
言ってから後悔した。
隣から硬質な物体が破損する音が聞こえたが、恐ろしくて振り向けない。
ティーカップを床に落としてしまったのだと信じたいが、日本での生活では当たり前だったクーラーを想起させる冷気に恐怖を覚える。
「……ケンジロー、アンタって強心臓よね」
感情の起伏を感じられない声色に内心も体表もひやひやする。
「……そ、そうか? ありがとう」
笑って誤魔化すようにおどけてみるが状況がよくなる気がしない。それどころか、ますます怒らせてしまったようだ。
というか、机を挟んで反対にいるマキが寒がっていないので、ソフィアは俺だけを氷漬けにでもするつもりなのだろう。
氷の彫刻エンドだけは避けたいところだ。
いよいよ土下座を敢行するしかないかと考えてはじめていると、もはや色々諦めたようにため息をつかれる。同時に寒気からも解放された。
「……アンタあとで覚えてなさいよ」
ソフィアはそんな脅しを投げかけると、改めてため息をつきながら書類を手に取った。
どうやら許してくれたらしい。
ソフィアの怒りゲージを下げることに成功した俺は、二人と同じように書類を手に取る。
どうやらこちらは、妖魔教団の目撃情報と魔物組織の活発化における相関性についてまとめた論文らしい。
魔物組織というのは、先日のバナーナ盗賊団のような特定の魔物が組織的に害をなすことをいうのだとか。組織的に行動する魔物ということで、得てして狡猾で危険度が高いのだが、それらの活発化が妖魔教団によるものだとすれば一大事である。それに関しては貴族院も同じ考えらしく、今回の防衛戦で貢献しており貴族院との関係が強いソフィアに白羽の矢が立ったのだ。
「環境的要因で魔物が組織的に活発化するというのは別に珍しいことじゃないですよ」
資料を読み進めていくと、いつの間にか覗き込んでいたマキから解説が入った。
なんでも、元々魔物とは自然界の魔力によって変性した動物なのだとか。それゆえ、魔物は周囲の魔力の変化に敏感で、強力な魔力の持ち主が近づくと警戒心から気性が荒くなるのだとか。
昨今、バナーナ盗賊団による被害が急増していたのも、盗賊団が強力な魔力の持ち主と──それこそ、妖魔教団の司教クラスと接触したのが原因ではないかという旨の論文だった。実際に水の都周辺で目撃されていた二体の司教のうち一体が霧の都周辺地域まで移動していることが目撃報告によって推測でき、相関性があるのだと主張している。
「この世の生き物はみんな強大な魔力に対して敏感なのよ。さっきだって、魔法の冷気にあてられてゾッとしたでしょ?」
マキの言葉を受けて論文を熟読していると、ソフィアが横から補足してくれた。
確かに、と頷くと、ソフィアはさらに続ける。
「正確には発動直前の魔力を練っていた段階から反応する人もいるんだけど、アンタは鈍感みたいね」
まるで悪口みたいに聞こえるが、話を聞く感じでは魔力に敏感すぎるのもよくないらしい。
もっとも、魔法や魔力といった概念に馴染みがないので実感がわかないのだが。
「その点は安心して下さい。アタシもソフィアも魔力の流れには敏感なので、いつでも警告できますよ」
ドヤ顔をこちらに向けてサムズアップするマキが恐ろしく胡散臭そうに見えるのだが。……まあ、気にしても仕方がないか。
それより、改めて俺自身の魔力量が少ないことを思い出した。
こっちにきた初日の段階で魔法の才がないと判明して以降、極力魔力を使わないようにしてきたせいで忘れかけていた。
「これは頼もしいな。さ、続きをやるぞ」
言いながら、未記入の各種申請書類をソフィアの前に一山。続けて、誰でもできるような料金計算を資料付きで一式マキの目の前に置いた。短い重低音が机から二回鳴ると、少女二人からの視線が再びネガティブなものに変わった。
「ねえ、アンタに人の心とかないの? もう六時間は書類と睨めっこしてるのに休憩すらないなんてやってられないわ」
「そうですよ! のらりくらりと誤魔化されてましたけど、アタシたちまだお昼ご飯すらまだじゃないですか!」
それはとても純粋で、真っ当な抗議だった。
魔法時計はその針をまもなく十五時を指すところで、思っていた以上に時間が過ぎていたようだ。
「俺がいた国では、昼食は打ち合わせや一人で完結する雑務をこなすための時間なんだ。ついでに反論しておくと、俺に人の心がないのではなく、いつも心を鬼にしているだけだ」
言いながら、時間経過に対する進捗の遅さに額に手を当てずにはいられなかった。
この様子だともう六時間はかかりそうだ。
そんなことを考えていると、少女たちは今にも泣きそうな顔で無言の抗議をしはじめる。子どもかコイツら。
「飯だってこれが終わったら食べればいいだろ。つーか、デスクワークしかしてないのにガツガツ食ったら太るぞ。ただでさえさっきマカロン食ったんだから少しは脳で糖分を消費したらどうだ」
手にしていた論文から目を離し、肩をすくめて言ってみる。
すると、まるで猛獣のような形相のマキがこちらににじり寄ってきた。
助けを求めようとソフィアへ視線を向けるが、なぜか微笑んでいるだけで無言である。謎のプレッシャーを放っている気がするが杞憂であると信じたい。
「ど、どうしたマキ。そんな顔してもマカロンはさっき出したので全部だぞ?」
少女たちからの凄まじい圧力に無意識のうちに声が震えてしまう。
おそらく、今のマキに掴まろうものなら骨の一本や二本くらい軽く持っていかれるかもしれない。というか命の保証すらあやしい気がする。
間合いに入れたら終わる。そう思いながら、普段から肌身離さず持っている屋内用の低威力な市販魔力玉に手をかけたちょうどその時だった。
「マキ、大丈夫よ」
なんと、優しい声色でソフィアがマキを制止させた。
まるで女神のような彼女の行動に一周回って不安にさせられるのだが、助かったことに変わりはない。
「大丈夫。懺悔を聞くくらいだったら私にもできるもの。きっと、終わる頃にはケンジローもすっかりおとなしくなってるわ。……ねえ、ケンジロー?」
マキの隣まで歩み寄り、頬を撫でながらそう言ったソフィアは次にこちらへ振り向く。その表情は、もし同意しなければ何をされるのかわからないほど邪悪な笑みで、無言でうなずくしかなかった。
翌日。
「今は昔、霧の都に没落した貴族の令嬢とその愉快な仲間たちがおりけり。ケンジロー爺さんはマキを連れて街へ雑用に、ソフィア婆さんは未だ駆り出されている執事のジョージを迎えに行く形で貴族院に行きましたとさ」
外を歩くと心地いい秋晴れの中、俺たちは貴族院からの依頼を遂行するために二手に分かれて行動していた。
今は昨日に引き続き貴族院で働いているジョージさんを迎えに行くソフィアを送り出し、竜車の予約申請書を窓口に届ける途中である。
「なにバカなこと言ってるんですか。あと、今の言葉がソフィアの耳に入って怒られても、アタシはフォローしませんよ」
軽快なジョークのつもりだったのだが、どうやらマキには受けなかったらしい。
とはいえ、ツッコミを入れるだけあってソフィアのこととなると反応が早い。やはり、仲が良さそうで何よりだ。
「別に構わん。あいつの沸点の低さは俺もよく知ってるからな」
「はぁ……。反省しないと昨日みたいにまた詰められますよ」
ため息交じりのマキの言葉に昨日の出来ことを軽く思い返す。
「危うく氷像にされるところだったしな。そろそろ魔法を反射するスキルか装備があるか調べてみたほうがいいかもしれない」
中身のない雑談に意識を割いていると、気づけば運輸交通系のギルドへと着いていた。
ギルドという呼び名の通り集会所というか業界ごとに設置されている組合で、ここでは乗合馬車や竜車の座席予約から遠方からの商隊なんかが出入りしているらしい。
生活に欠かせない業界の一つなだけあって人の出入りが激しいのだが、今目の前に映るそれは盛況という雰囲気ではなくどこかきな臭さを感じるものだった。
「揉め事か? 昼食が遅れるとソフィアがキレるから勘弁してほしいんだが」
「ケンジローのソフィアに対するイメージがどうなっているのか未だに理解できないのですが。とはいえ、確かにただならぬ雰囲気が漂っていますね。……アタシちょっとその辺の人に話を聞いてみます!」
「おい、ちょっと待! ……行きやがった」
うちのシーフは、いつだって素早い。
小走りで追いつくと、さっそく手頃な商人を捕まえたらしいマキが話を聞いていた。
俺の仲間がすみません、と謝罪を入れつつ会話に参加すると、商人は快く自己紹介してくれた。
花の都からきた商隊の薬師兼商人だというおっさんは、つい一昨日、祖国から『霧の国へ行った者は帰還できないものとする』という旨の通達がなされたそうだ。
「橋の街と花の都の間で貿易トラブルが起きてのう。双方、行政や商人組合としてはよくあることだと考えて、ほどほどのところで矛を収めようと考えていたのじゃが」
そう溢すおっさんは言葉にできないほどの哀愁を漂わせていた。
花の都を首都とする隣国花の国とは海峡を挟んでおり、今回は両国を繋ぐ橋が落ちてしまったのだという。
「伺いたいんだが、貿易摩擦の原因になったのはどういった特産品なんだ?」
何が原因で誰に不利益があるからこんな事態に陥ったのか。その辺を読み解くうえでは些細な情報すら逃したくない。
そんなこっちの事情を知ってか知らぬか、とある鉱石の話をしてくれた。
「花の都は有名な花魔鉱の産地でのう。花魔鉱は、自然属性の力が強い土地で魔力を帯びた鉱石なんじゃが、ここ数年は水の都からの買い占めが横行しとるんじゃ。高額で買い取っていくもんじゃから、霧の国への供給が減ってのう」
そう説明する商人は、更に花魔鉱を加工して作られる特殊な照明が農産物の効率育成に欠かせないことも教えてくれた。
なるほど、小麦の生産が主なここいらでは、花魔鉱の供給減少が痛手になるのか。
このきな臭さは海外との渡航が途絶えたことと、そもそもの原因である貿易摩擦が理由だったらしい。
「というか、この国って霧の国って呼ばれてたんだな。世界地図にはええっと、フォース・キングダム・ザ……なんだっけ」
「今さらなにを。……ザ・クラウド・オブ・フォース・キングダムです。四つの旧王国が一つになったのと首都が霧に覆われやすいことが由来なのです。あまりにも長ったらしいので、諸外国からは霧の国と呼ばれているのです」
全然違います、とツッコミを入れられた。
……今後は霧の国という名で覚えることにしよう。
「ともかく、橋を落としたからお前たちは帰れないぞって伝えられたのか。だとすれば不憫だが」
「いやいや、心配には及ばんよ。こんなこともあろうかと、こっちのツテに相談済みじゃ」
伊達に長いことこの仕事をやっとらんよ、と続けた。
ギルドの受付から遠いところにいたこともあってか、故郷に帰れないことへの寂しさ以上の影響はないみたいだった。
聞き込みに応じてくれた商人にお礼を言うと、マキを連れてギルドを見れる少し離れたベンチへと歩き、腰を下ろす。
「参ったな。水の都って確か花の国から更に竜車を走らせた先だろ? こりゃ、依頼どころじゃないぞ」
もとより、面倒ごとを押し付けられた身としては肩の荷が下りたのだが、ここまできて白紙にされては昨日の苦労が報われない。
それはマキも同じ考えなのか、握り拳を作ってグリグリと怒りをぶつけている。……俺の太ももに。
痛いので振り払ってやると、怒りのぶつけ先に困っているマキが見上げてきた。
「今から貴族院に、どうなっているんだと抗議しに行きましょう!」
「今回の件は貴族院悪くないだろ。竜車の予約書類は無駄になったが、それ以外の調査は無駄にならないはずだ」
どの道、花の国への橋が復旧したら水の都へは調査依頼に行くのだし、そうでなくとも橋の街へは何が起きたのか確認しなければいけないはずだ。その辺、調査依頼と併せて体よく派遣されそうな予感がする──
──体よく派遣されることになった。
「納得がいかないわ!」
テーブルを叩く音ともにソフィアが声を荒げる。
あの後、ソフィアと合流するべく貴族院に訪れていた俺とマキは、二人揃って議会に途中参加した。とはいえ、傍聴人としてだが。
議題はズバリ、橋が落ちた件について。
橋が落ちた原因は。
誰が関わったのか。
治安はどうなっているのか。
それらの調査依頼がソフィアに押し付けられたのだ。水の都への調査依頼のついでとして。
予算が下りるのでお金で困ることはない。しかし、労力という面において、四人しかいないウチらには厳しいものがある。
若いソフィアがイジメられているにも見え、どうしたものかと悩まされていると隣に座るマキに袖を軽く引かれた。
どうしたのかと振り向くと、議会を邪魔しないように耳打ちされた。
「あれ、なんとかなりませんか? ジョージ爺だって毎日屋敷にいるわけじゃないのに、これ以上書類とにらめっこなんてアタシたちだけじゃ間に合いませんよ」
それについては全面的に同意しよう。
「とにかく人手不足だ。だってそうだろう。週末から屋敷中の掃除を始めたら次の平日が訪れるんだぞ」
雑務においてジョージさんが超人すぎるので辛うじて廃墟化を免れているが、貴族院に連日駆り出されるとやっぱり大変だ。
小声で返すと、マキも隣で頷いている。十中八九、ソフィアも人手不足を痛感しているだろうし、今日の貴族院が終わり次第ソフィアを連れて求人を出してみよう。
「無茶ぶりも大概にしなさいよ! 当家に人手も資金力も足りてないってみんな知ってるでしょ!」
向こう数時間の予定を組み立てていると、いよいよキレたソフィアが騒ぎ始めた。あーあ、一応は貴族なのにみっともねえ。
「お嬢様、お気を確かに。……しかし、お嬢様がおっしゃる通り、当家には四人しかおりません故。冒険者ギルドの運営補助だけで精一杯だということをご理解いただきたく」
ソフィアを宥めるジョージさんだが、参加している貴族たちの反応を見るに状況は芳しくない。
まるで人手不足は言い訳にならないとでも言いたげで、なんなら初老くらいの恰幅のいい髭おじに至ってはそんなのはどこも一緒だと言い出す始末。
「それを言えば、ワシのところとて花の都からの特産品の供給量が減っている件に関わっていて人手が足りんわい」
そんな、どんなに取り繕っても成人誌のキモ親父みたいな貴族様の言い分は、花の都からの供給減による綿の高騰をあの手この手で対策しているのだという。
「綿が高騰すれば、ありとあらゆる市場の物品が高騰する。市場と貿易を管理する当家では、そのような事態になれば責任問題だ。人手を割くのも納得がいくじゃろう?」
確かに、その言い分であればこの貴族様には遠方調査など押し付けられないな。
そのほかの貴族も、このおっさんみたいに各業界ギルドの補助や市場、治安維持などの責任を負っていて忙しいのだそうだ。
卓上を見ると、それぞれ何を担当しているのかも書いてある。例えば、キモ親父みたいな貴族、略してキモ族は市場コントロールの一環として農業にも手広く展開しているようだ。多忙なようでなにより……うん?
いろいろ考えながら議会の様子を聞き流していたこともあり気づくのが遅れた。
このおっさん、今なにが高騰したって言った?
聞き間違いでなければ綿が高騰していて手を焼いていると言ったが、昼間花の都との貿易について商人に聞いたときは鉱石で揉めてるはずじゃなかったのか?
この貴族も昼間の商人も、その言葉からはまるで貿易摩擦が起きている特産品が一種類しかないみたいな言い方じゃないか。
もしそうだとすると、この貴族は実際の花の都との貿易状況について虚偽の報告をしていることになる。
「……マキ。貴族って身分は社会のゴミ箱なんだな」
あまりにも堂々と嘘をつく貴族を見て本音が漏れた。
短気だが清廉潔白なソフィアにだけは、ああなってほしくないところだ。
そんなつもりでこぼした愚痴は、議会の連中にしっかり聞かれていたらしい。
「傍聴席の少年。貴族への愚弄は本来なら一発退場だ。若気の至りと思い今回は見逃すが次はないと思え」
司会進行の偉そうな人に怒られた。
「ありがたい配慮に感謝しよう」
腰を折り礼。再び頭を上げて着席する。
角が立ってはソフィアに迷惑だし、ソフィアが迷惑を被れば俺にも回ってくるのだ。あくまで慎重に様子を見守ろうと思う。
「フン。……温情など不要じゃないかね。あの礼儀も知らぬ小僧は我々貴族の神聖な議会に泥を塗ったのだぞ。処刑したって誰も文句は言いやしないわい」
なんという横暴。
お前のことを言っているんだぞ、と俺の意図を察しているらしいマキがゴミを見る視線をキモ族に向けているのが面白い。
それはそうとして、角が立たないようにという俺の気遣いは見事失敗に終わってしまった。
さすがにキレそう。
「生憎とこの国の仕組みには疎くてな。まさか、神聖な議会に参加する貴族という称号が、虚偽の市場調査結果を貴族院に持ち込む奴のことを指すものだとは夢にも思っていなかった。大変勉強になった」
「……ッ貴様ァ!!」
怒りに任せて立ち上がったキモ族だったが。
「傍聴人アオキ君。それは真実かね?」
司会進行者のその言葉には、偽りだった比喩でもなんでもなく首が落ちるぞという圧が籠っている。
嘘ではないので全く問題ない。強いて言うなら、この貴族のおっさんが商人たちに圧力をかけて虚偽の証言をさせるケースか。
昼間会った商人との会話をそのまま言葉にした。
堂々と話したからか、耳を貸す価値があると判断したらしい室内の貴族たちは真剣に耳を傾けてくれている。これは、本当に貴族の誇りを大事にしている清廉潔白な者が多いのか。それとも、目の前で出し抜こうとした同胞へ対する怒りか。
悔しそうに歯噛みするキモ族の他は、皆一様に顎に手を当て熟考。
数秒の沈黙が室内を支配していたが、やがて一人の若い女性の声がその静寂を破った。
「なるほど。それでしたら、最近の妙な衣類の高騰も納得いきますわね。家臣の者たちの間で、冬物の服に手が出しにくくて困っているという噂をわたくしも耳にしておりましてよ」
開いた扇で口元を隠しながら俺の発言を裏付けたのは、腰元まで伸びる長い月明かりのような輝きを放つ銀髪を一纏めに結った貴婦人だった。年齢は俺と同じか一つ上くらいだろう。体の細さを印象付けるドレスも控えめな胸部だからこそと言ったところか。そんなことを口にしようものなら、ありとあらゆる手段で報復を加えてきそうな雰囲気があるので黙っておくが。
ともあれ、一人がそう言い始めれば雪崩れ込むように他の人も俺の言葉を肯定的に捉えだすもので、キモ族によるこれまでの貴族院への報告の真偽を問うべきとする者も現れだした。
「おのれ、気がふれたか! 平民風情の戯言なんぞに耳を傾けおって!」
怒りのあまり気がふれたらしく、わけのわからない戯言で抵抗をはじめたが、その中身のない言動がかえって不信感を煽っているようなのであのおっさんはもうダメだろう。
なんかもうこれ以上は見るに堪えないので帰ろう。目と耳が汚れる。
「あー、ソフィア。先に帰って飯を用意しておく」
マキは残っていくようだが俺はもう本当に帰りたいので、幸いにも傍聴席から近いところにいるソフィアにその旨を伝える。
彼女も今はホッとしていて、もう手を貸す必要はないようだ。
こちらに気づいたソフィアが振り向く。そして、勝ち誇るような笑みを浮かべて。
「ここは貴族院よ。言葉遣いには気をつけなさい」
意地が悪いことこの上ない。
「はいはい、ソフィア様。貸し一つな」
素直に敬語を使うのは癪に障るので、そう言い捨てて貴族院を後にした。
すでに西の空が紺色に変わりつつある帰路では、食品市のタイムセールの声が聞こえていた。
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