けん者

レオナルド今井

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凍らぬ氷の都編

side.sophia

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 ──一方で。

「業龍っていうのがなんなのか知らないけれど、少なくとも積極的に集落に攻撃し続けている様子はないわね」

 それよりも集落が燃え上がっている方が脅威と言えるだろう。なにやらあの炎からは呪力の気配を感じるし、逃げ遅れたり呪われた人の救助が最優先なはずだ。

「私は逃げ遅れた人を助けに行くからアンタはここで待ってなさい」

「あっ、待って! そんなのはダメだ!」

 手を掴まれて止められた。

 なんでよ、と聞き返す前に魔物の子が続ける。

「業龍は視界に入った生き物を等しく殺そうとする凶暴な魔物だ。火の勢いを見るに既に時間が経っていて手遅れな人もいるだろう。それに、君が無事で済む保証はどこにもない」

「だとしても、よ」

 劣勢だからなんだ。賢者であり貴族である私が我が身可愛さに民を見捨てて逃げるなどあってはならない。体裁もあるが、助かるはずの命はひとつ残らず救い切りたいから。

 だから掴まれた手を振り払おうとするが、放してくれない。

「僕の手すら振り払えないのに命を懸けるのかい? だとしたら君のそれは蛮勇だ。褒められたものじゃないはずだよ」

 絶対に行かせないつもりだろうか。しかし、魔物の子の目は私の焦りを責めるようなものではない。

 魔力を切らしている私の軽率な行動を非難するのではなく、身近な誰かを守るような雰囲気を感じる。

「……魔物のくせに随分と親切なのね」

「魔物だろうと人だろうと、誰かを守ろうと思う気持ちに違いはないだろう?」

 手を放せと言っているのだがわかってくれないようだ。

 ただ、こうしているうちに冷静になってくると、私の方がワガママを言っているように思えてくる。というか、絶対そうだ。

「アンタの言う通り、か。作戦を考えましょう」

 思い直した私はそう言うと、魔物の子は力強く頷いた。

「えっと、アンタは私が業龍を倒しに行くと言ったらどうする?」

 当然無理をするつもりはないが、この子を試すために尋ねてみる。すると、間髪入れずにこう答えてきた。

「もちろん君を引き留める。今戦っても勝てないだろう。君は大切な僕の理解者だ。それは、さっき君が僕に問いかけたときに確認できた」

 そう言われると恥ずかしいのだが……。

 魔物の子は続ける。

「でも、人々を救いたいって君の気持ちには同意するよ。僕だって、犠牲になっていい命があるなんて考えてない」

 ああ、やっぱりそうだ。この子も……この魔物の子だってみんなを守りたいんだ。

「……そう。じゃあ、さっそく作戦を考えるわけだけど。アンタ、業龍について知ってることってまだある?」

 彼を知り己を知れば百戦殆からず。東国の偉人が残した戦闘における格言だと教わったことがあるが、私は自分については完璧に熟知しているつもりなのであとは敵を知るだけだ。……こんなことを口にすれば、いつもなら辛い正論が飛んでくるのだが今はそれがない。たった二日一緒にいなかっただけでこうなるとは、案外あのいい性格をした彼に依存して──

 これ以上考えるのはやめましょう。なんだかとても嫌な気分になりそうだわ。

 不快になりそうな思考を頭から追いやっていると、顎に手を添えて何かを思い出していた魔物の子が思い出したように手のひらを叩いてしゃべり始めた。

「業龍は炎龍の一派に属する上位個体なんだ。アイツは人間に虐げられた過去と唯一心を通わせた人間が裏切りに遭って殺されたことで以来人を憎むようになったんだって」

 ブレスに呪いがつくようになったのは人間への怨嗟と死んだ人間が抱く怨念を吸い取っているからなのさ。

 そう続けた魔物の子は、改めて業龍へと視線を向ける。つられて視線を向けると、依然として集落からは火が上がっているが、上空を漂う業龍は心なしかひどく疲れているように思えてくる。

「業龍はドラゴン種なので強耐性を持ってるけど、特に炎と雷、それから水は全く効かないんだ。いくら上位個体とはいえ三属性に完全耐性を持っている例は珍しい」

「その業龍さんが、心なしか疲れているように見えるのだけれど」

 強敵の様子についてなので、気のせいでなければ嬉しいのだが。

「だろうね、暴れまわったあとだろうし。でも、業龍は数百年前に人類と十年以上にも及ぶ戦いを繰り広げた末、大国を一つ滅ぼした災厄の化身だからね。油断は禁物だよ」

 なにその凶悪過ぎる生き物。なんでこんな魔物がこの国にいるのだろうか。

「わかってるわ。……はぁ、魔力さえあればなんだってできるのに」

 生憎、意識を失っていた間に自然回復した魔力は先ほどの転移魔法で使い切ってしまった。魔力を帯びた物質もないのでいよいよ何もできることがない。

「ねえ。アンタって魔力を人に分けられたりするの?」

 魔力を他人に譲渡する魔法など、少なくとも人類が編み出した魔法には存在しない。だが、もし魔力と密接な関係にある魔物にならあるかもしれない。

 そんな一縷の望みにかけて口にしたが、魔物の子は首を横に振るだけ。

「もしかしたら、誰かが秘密裏に研究しているかもしれないけど、少なくとも僕は知らないよ。なにより、知っていたとしても僕は魔法が使えないんだ。魔力の流れを一切操れないから」

「そういえばさっきもそんなようなことを言っていたわね」

「……うん」

 いくつかのやり取りの末、自信なさそうにうつむいてしまった。

「スクロースみたいに、体外に魔力術式があれば勝手に体から魔力が使われて魔法が発動できるんだけどね」

 そのスクロースももう使い切っているらしく、言い終えると乾いた笑いをこぼした。

 しかし、これは使えるかもしれない。

 逆転の一手になりえるかもしれない期待から、魔物の子の肩に手を置いて口を開く。

「ねえ、術式が人だったとしても魔法は発動できるの? それと、もしできたとして、私が術式を組んだらアンタがどれくらい近くにいれば魔法を発動できる? 詠唱魔法は無理でも術式魔法だったら今からでも地面に魔法陣を描くし、私自身が魔術的意味を持つ術式を動作で再現することもできるわ! ……こほん。答えてちょうだい」

 捲し立てるように質問してしまったが、知りたいことは伝わっただろうか。

 しばらくポカンとしだした魔物の子だが、我に返ると少し自信を取り戻したような表情で頷いた。

「たぶんできると思う。でも、魔力術式に僕が素手で触れていなければならないけどね」

 よかった、これならどうにかできそうだ。

 便利な魔法や強力な攻撃魔法がいくつか制限されるが、数人程度の人を守るくらいの魔法は使えるだろう。

「話はわかったし、僕としても救える命があるなら救いたい。それで、どんな魔法を使うんだい?」

 先ほどより一段明るいトーンと純粋な目を向けられた私は胸を張って返す。

「まずは基礎的な障壁魔法を張って私たちの身の安全を確保するわ。それから、負傷者を見つけ次第対象を拡大して、治療魔法と念のために解呪魔法も使うつもり。業龍に襲われてもよほどのことがない限り反撃のための陣は描かない。時間もアンタの魔力も、極力救命に使いたいもの」

 私の障壁魔法は、とりわけ物理攻撃以外に対して堅牢さを誇る。宮廷魔術師ですら私の障壁を破壊することはできなかったくらいだから、作戦級の魔法やブレスでも来ない限りは守り切れるだろう。反撃しないという部分で驚きの声を上げた魔物の子の頭を撫でて話を続ける。

「私の障壁魔法は絶対に破らせない。最高峰の支援魔法の一角を見せてあげるわ。だから安心してついてきなさい」

 何かあったら私が……なんて考えたくはないが、その覚悟は伝わったのだろう。怖いはずなのに、魔物の子は決心がついたように頷いてくれた。

「君を信じるよ。作戦開始だ!」



 ──時は少し巻き戻り、ソフィアは鉱山村を見て言葉を失っていた。

 魔物の子を連れて集落へ入ると、外から見た以上に凄惨な光景が広がっていた。

 大通りが交わる広場を中心に建物が焼け落ちているようで、耐火性に秀でたこの村の建造物とは思えないほどボロボロだ。

「もともと地面から火柱が出るような地域だからこそ、火への警戒が薄くなっていたのかしらね」

 思わず独り言をこぼしてしまうが、それも無理はないだろうと自分にフォローを入れる。というのも、目の前には集落で最も人が集まる四階建ての市場だったものがあるからだ。

 だったもの、というのは想像を絶する高温に焼かれたせいか黒くなって石ころのようになってしまった建材たちのことだ。

「耐火装備を付けていても中途半端な装備の人は遺体すら残らず消失。火に完全耐性を持っていても呪われているようね」

 しかもその呪いは今も焼け跡に残り続けているようだ。魔物の子と手を繋いで魔力を受け取り、清浄魔法と障壁魔法で無理やり耐えているようなもので、もしこの子から離れようものなら私もこの子も助からないだろう。

 あるいは、私たちが集落へ侵入してなお様子を見ている業龍が猛攻をしかけてきたら。……テレポートで逃げることも視野に入れるべきだろう。

 いけない。逃げることよりもまずは集落内に安全地帯を作らなければならない。清浄魔法でここら一体から呪力を取り除いてしまおう。

 そう考えて魔法陣を描こうと枝を手に足を動かそうとして。

「……どうしたのよ」

 振り返ると、棒立ちのまま絶望している魔物の子がいた。

 我に返ってもらおうと呼びかけると、数秒おいて口を開いた。

「……見るがいい、みんな死んだ。また救えなかった」

 絶望一色な言葉を溢す魔物の子は、次の瞬間膝から崩れ落ちた。

 魔物の子と同じように焼けた建物を見て、私も未練を残したまま亡くなったであろう人たちに祈りを捧げる。

 天に召された人たちの来世が幸福なものであればいいと思う。

「……さて、浄化するわよ。呪いだけじゃなくて、死者を送り届けるための儀式のやらなくちゃ」

 深呼吸を一回してから、私は魔法陣を描くために拾った枝を地面に突き立てて陣を書き始めた。







 ──周囲の浄化と鎮魂を繰り返しながら集落の安全圏を増やして歩いていると、瓦礫が比較的少ない建物で人影が動いたのが見えた。

「生存者よ!」

 業龍の強大な魔力によって周囲の人の魔力を感じ取りにくい状況で、やっと見つけた最初の生存者だ。まだ希望を捨てるには早い。

 魔物の子の手を引っ張って駆け寄ると、人影はだんだんと大きくなっていき……。

「お、お嬢様……! ご無事ですか⁉」

 はっきりと見えるようになるや否や、人影だった存在──つまりは私の執事であるジョージ──がこちらに駆け寄ってくる。

 おそらく足を傷めているのだろう。もともと戦闘員ではない彼がこのような被害を受けて、それでも身動きがとれる程度の怪我で済んだのは不幸中の幸いか。しかし、ジョージももう歳なので、足の負傷は手早く完璧に治さなければ後が心配でもある。

「私は無事よ」

 そう答えると、ジョージは安心したように体の力を抜いたように見えた。

 まったく、私の執事ときたら。

「ジョージこそ怪我してるじゃない。治してあげるから見せなさい」

 スーツの上からわかるくらいには出血しているのは見逃さない。

「お嬢様のお手を煩わせるほどのことではございませぬ」

「いいから」

「しかし──」

「つべこべ言わずに早く!」

 自分でも驚くくらい大きな声で怒鳴ってしまった。ジョージを叱責するなんていつ以来だろうか。

「まったく、なにが『お嬢様のお手を煩わせるほどのことでもない』よ。怪我したままついてこられても守り切れないわ」

 あるいは、私を逃がすためにわざと手負いのまま注意を引こうと考えているのだろうか。

 霧の国最高峰の魔法使いが従者ひとり助けられなかったなんて世間に知れたら貴族としても賢者としても一生の不覚だ。絶対にあってはならない。それに、スターグリーク家の生き残りは私とジョージしかいないのだ。これ以上失ってなるものか。

「やはり、お嬢様はあのお方にそっくりでございますな」

 あのお方とは誰だろうか。

 私を見て重ねた人物だろうから私の母だろうか。高名なプリエステスだったらしいけど、物心がつく頃には亡くなっていて会話した記憶はない。いい人だったのは民や文献から伺えるが。

「ところで、不躾ではございますが、そちらのレディはどなたでございますかな?」

 治療のさなか、私と手を繋いで魔力を供給してくれている魔物の子にジョージの興味が移った。

 さて、なんて答えたものか。

「この子は倒れていた私を──」

「僕は魔物界のスター。最も強大な魔力を持つ魔物さ」

 当たり障りのないように紹介しようとしたら、思いっきり被せられた。

 恨みのこもった視線を向けてやるがそっぽを向かれた。

「恐れる気持ちは理解できるが、とって食うつもりはないよ。むしろ、この僕との邂逅に快哉を叫ぶといいさ」

 警戒心を強めるジョージを前に、我が道を往くが如く個性的な自己紹介を推し進める魔物の子。集落に足を踏み入れる前の様子とはかけ離れた言動で、本当に感情の起伏が激しい子だ。

「とても残念な感じの子だけど、魔物にしては珍しく人の心を理解できるらしいから連れまわしているの。術式な接続で歩く魔力補給機にしてるから、今のうちに使い倒してやろうかしら」

 我ながら悪い顔をしていると思う。なぜなら、私の言葉を聞いた魔物の子の顔がどんどん青ざめていくからだ。

「ま、まさか。ぼぼぼ、僕の魔力を全部使い切る気じゃないだろうね……!」

「しないわよそんなこと。霧の都を南海壊滅させなきゃ使い切れないかわからないもの、アンタの魔力は」

 不思議なほど減っている気がしないこの子の魔力に驚きを隠せない。この子が人に対して共感性を持っていてよかったと思う。

「なるほど。すると、お嬢様を守っていたのもそちらの子ですかな?」

「よく気づいたね。この僕こそが、道で倒れていたソフィアを助けた命の恩人その人さ。みごと見抜いた君の慧眼は誇るべきものだろう」

 もはや何を言っているんだろうこの子は、という感想しか出てこないのだが。気分がいいみたいだし黙っておいてあげよう。

「それはそうとして、傷は治ったはずよ。立てるかしら」

「お嬢様方のおかげでこのジョージ、無事でございます」

 見違えるほど軽快に立ち上がったジョージを見てそっと胸を撫で下ろす。

「ならよかったわ。この調子で、助かるはずの命はこぼすことなく救うわよ」

 気持ちを入れ替えて枝を握りなおす。

 さあやるぞ。そう意気込んだまさにその瞬間だった。

『グィェェェェェェ‼‼』

 突如、甲高い咆哮が辺り一帯に鳴り響いた。

 耳を庇いながら空を見上げると、左の翼膜をごっそり削り取られた業龍が体勢を崩しており、その高度も地上スレスレまで低下していた。

「あれは、魔導電磁式狙撃銃か⁉ なんであれがこんなところに⁉」

 魔物の子の言葉を聞いて真っ先に思い浮かんだのはあの憎まれ口と悪知恵を煮詰めて作ったような召喚賢者の姿だ。人の頭の中に出てくるときですら憎たらしい下卑た笑みを浮かべているのが本当に腹立たしいが、今はいち早く再開したい気持ちが強い。

「魔導電磁式狙撃銃とな。……レディ。兵器について造詣が深いようですな」

 言いながら、いまだ本名すらわからない魔物の子に疑いの目を向けるジョージ。

 その言葉を聞いて私も冷静になった。確かに、貴重な密輸品であるはずの魔法銃をなぜ知っているのだろうか。

 もしや犯罪組織にでも所属しているのだろうかと考えていると、魔物の子は呆れた様子で返してきた。

「なんだいその目は。こんな見た目だけど、僕だって七百年以上生きている魔物なんだぞ。あれがどういった代物なのか、開発の起源まで含めてすべて知っているつもりさ」

 一瞬驚いたが、言われてみれば魔物も長命種族も外見年齢から実年齢を推測するのは難しい。この子が数百歳だろうと不思議ではないはずだ。

「そう。七百歳の魔物にしては愛嬌があるんじゃないかしら」

「それは遠回しに僕のことを弱っちいって言ってるだろ! そんなに言うならもう魔力を貸してあげないからな、ホントにもうっ!」

 ……頬を膨らませてそっぽを向く姿からは、どう切り取っても七百歳の貫禄は感じ取れなかった。

「ご、ごめんね。怒らせるつもりはなかったの」

「ふん」

 すっかりご機嫌斜めになってしまった魔物の子。この状況をどうにかしなければ、という思いも込めて話を逸らすことにした。

「業龍に手痛い一撃を入れたのはたぶん私の仲間だと思うわ」

 というか、間違いなくケンジローだ。しかし、見るからに硬そうな外殻を持つ業龍に傷を負わせたとなると、マキが一緒にいて何かしらのデバフでも入れたのだろう。

 ファインプレーだと思う反面、業龍が暴れたら大変なので救助活動を速やかに行わなければならないだろう。

「幸い、業龍の敵意は集落から離れた。次に集落を襲い掛かる前までには生き残った人を全員助け出すわよ!」

 今度こそ覚悟を固めなおして歩みだす。

 そして、誰にも聞こえないように一人で念じる。

 そっちは任せたわよ。ケンジロー、マキ。
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