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第一章 『転生』
五話
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洞窟でのスライム討伐を終え、日の傾いた道を引き返しながら、俺は収穫物をこまめに点検していた。スライム結晶の小さな破片が無事に袋の中に収まっているのを確認するたび、また一歩“冒険者”として前進したんだなと実感が湧く。街道に出る頃には西空がオレンジ色に染まり始め、そろそろ帰らなきゃまずい時間だ。俺は少し急ぎ足でサンデリアの街へと戻った。
ギルドに立ち寄ると、夕暮れ時の受付はまだ開いており、俺は今日の戦果を提出する。結晶や核の破片を見せると、職員が慣れた様子でチェックを行い、討伐数に応じて報酬が支払われた。報酬額はさほど多くはないが、それでも武器や簡易防具の出費を補って余りある。ソロでの初討伐としては大成功だろう。俺は銀貨や銅貨の入った小袋を握りしめてほくほくした気持ちになる。
「これで少しは安定した活動資金が作れそうだな。次はもうちょっと難度の高い依頼にも挑戦してみたい……」
そんなことを考えながら宿屋へ戻ると、店の女将が夕食を準備している真っ最中だった。すでに他の冒険者がテーブルに集まり、今日あった出来事をワイワイと語り合っている。俺も空いた席を見つけて腰かけると、女将が「いつも通りパンとシチューでいいかい?」と声をかけてくれる。頷くと、ほどなく湯気の立つ椀が運ばれてきた。とろりとしたシチューを一口含むと、体全体がほぐれるように温まる。
食事を終えて部屋に戻る頃には外はすっかり暗くなっていた。夜のサンデリアは昼間と打って変わって、酒場や路地裏が騒がしく、喧噪に満ちているらしいが、俺はまだ様子見で早めに就寝する。明日の朝にはまた【ガチャ】を回せるし、それが最大の楽しみだ。枕元にロングダガーを置き、簡素なベッドに倒れこむと、眠気が一気に押し寄せた。
翌日。朝早くから鳥の鳴き声がけたたましく響き、半覚醒の状態で布団から体を起こす。頭にぼんやりと浮かぶのは、またこの時がやってきたという高揚感。そう、毎日一回、【ガチャ】のタイミングだ。さっそく深呼吸をして気持ちを整え、胸の奥で「ガチャを回す」と念じる。するといつものように脳裏にビシリと電流が走り、カラフルな光の残像がまぶたの裏で弾ける。
「今日もスキル、来い……!」
一瞬の静寂のあと、まるで大当たりの警告のように頭がチカッと光に包まれ、言葉が流れ込んできた。脳内に染み渡るそれは、前二回の通常・特殊スキルとは明らかに違う圧倒的な存在感を宿している。息が詰まるほど強烈な衝撃が走り、胸がドクンと跳ねる。
『ユニークスキル:「七つの大罪『憤怒(ふんぬ)』」取得。』
え……七つの大罪……? 最初に引き当てたのは「傲慢」、今回は「憤怒」か。あまりにもできすぎた流れに思わず目を疑うが、どうやら現実らしい。しかもまたユニークスキルを引き当てるなんて、普通はあり得ないレア度だ。初日に「傲慢」を得たとき以上に驚きで頭が真っ白になる。けれど、その力の片鱗が身体に流れ込むのをはっきり感じた。
「こんなことって、あるのか……? まさか『七つの大罪』が二つ揃ってしまうなんて……!」
震える指先で何とかステータスを呼び出す。視界に浮かぶパネルを食い入るように見つめると、ちゃんとスキル欄に追加されていた。
『黒宮碧』
種族:人間
状態:通常
Lv :1/???
HP :55/55
MP :40/40
攻撃力:16
防御力:9
魔法力:12
素早さ:14
ランク:F(下級)
ユニークスキル:
〖七つの大罪「傲慢」:Lv–〗
〖七つの大罪「憤怒」:Lv–〗
特殊スキル:
【ガチャ】【転生した者】【女神のお気に入り】
〖足軽行軍:Lv–〗
通常スキル:
〖ステータス閲覧:Lv1〗
〖采配:Lv1〗
こんなことが本当に起きるなんて……奇跡という言葉じゃ片づけられない気がする。深呼吸をして“憤怒”の能力を探ってみると、どうやら強烈な怒りの感情を爆発させることで攻撃や魔力の上限値を急激にブーストする効果があるらしい。だが“傲慢”と同様、メンタル面の制御が鍵を握るようだ。つまり、心から“怒り”を燃やしているときだけ、とんでもない力を引き出せる――逆に平常心を失ったり動揺しすぎたりすると、制御できなくなって自分に跳ね返る危険もあるという。
「傲慢は“自分こそ最強”と信じることで爆発的な力を得るスキル、憤怒は“激しい怒り”を力に変えるスキル……。どちらも扱いは難しいが、使いこなしたら相当ヤバい強さになるはず」
嬉しさ半分、戸惑い半分。なにしろ二つのユニークスキルを同時に持つなんて、ほとんど前例がないだろう。傲慢と憤怒……どちらも強い感情を糧にするわけだから、発動の仕方を誤ればとんでもない事故を起こしかねない。しかし、うまくコントロールできればスライム狩りの比ではない破壊力を手にすることも夢ではない。それこそ、かつての“魔王”すら凌駕しかねないほどかもしれない。
「よし……まずは落ち着こう。今日はせっかくだからクエスト受けつつ、憤怒の扱いを探ってみよう」
そう決心し、少し早いがギルドへ向かう。宿屋の階段を下りると、まだ朝ごはんの準備をしている途中の女将と目が合った。彼女が「おや、ずいぶん早いわね」と声をかけるので、「ちょっとギルドに用事があって」と曖昧に笑い返す。まさか今ユニークスキルが当たったなんて浮かれ話はできない。俺は足早に宿を出て、朝日を背に大通りを進んだ。
ギルドにはすでに早起きの冒険者たちがちらほら集まっており、皆それぞれクエスト掲示板を眺めて次の仕事を探している。俺もつられて掲示板に目をやるが、正直、今はスキルの実験を兼ねて、ある程度“戦闘が発生しそうな”依頼をこなしたい。前回はスライムを難なく倒せたから、もう少し手強いモンスターが相手でもいいかもしれない。とはいえ冒険者ランクはまだFで、新米の身。あまり背伸びしすぎるのは危険だし、そもそも受けられるクエストの制限もある。
いくつか読み込んでみると、“森の奥でイノシシ型魔物が暴れて困っているので討伐または追い払ってほしい”という依頼が目に止まった。そこそこ危険度は高いが、報酬もまずまず。前にガルドたちと遭遇した猪モンスターよりは強い可能性があるが、一匹で行けるかどうか試す価値はあるだろう。憤怒の力がどの程度のものか試すにも丁度いいかもしれない。
カウンターで依頼を受ける手続きを済ませ、「イノシシ型魔物の討伐クエスト」を正式に受領した。街からそれほど離れていない森林地帯が指定場所らしい。地図には集落が点在しており、近隣の畑や畜舎を荒らす被害が出ているらしい。確かにこりゃ深刻だ。ギルドカードへの登録を終えたところで、今は余裕そうにしている男性職員が「気をつけて行ってくださいね」と声をかけてくる。つい、無意識に“大丈夫です、俺にはユニークスキルが二つもあるんで!”なんて言いたくなるが、ぐっとこらえて笑顔を返しただけにとどめた。
そのまま街を出て、指定された森へ足を運ぶ。昨日と同じく“足軽行軍”のおかげで移動はかなり楽だ。道中で軽く朝食をかじり、まだ身体が慣れていない革胸当てを微調整しながら進むうち、森の入り口に辿り着く頃にはもう体は温まっていた。周囲には家畜や飼い犬らしき鳴き声が聞こえてくる。確かに小さな集落があるようで、畑や柵が朽ちかけながらも広がっている。そこへ時折、猪モンスターが出没しているようだ。
「ん? あれは……」
遠目に見ると、焦り顔の農夫らしきおっさんが柵の向こうで警戒しているのが分かった。俺が手を振って近づくと、彼は警戒を解き、「お前さん、冒険者か? もしかしてギルドから来てくれたんか?」と声をかけてくる。うなずくと、嬉しそうに安堵の表情を浮かべた。
「そうです。イノシシっぽい魔物の件で依頼を受けまして、討伐なり追い払いなりしようと思って……」
「ありがてえ、実は数日前にもうちの羊が二頭ほどヤツにやられちまってな。とにかく獰猛なんだ。でかくて、何より妙に好戦的だ。下手に追い払ってもすぐ戻って来やがるし……もう限界だったところだよ」
おっさんは柵を開けて先に進むよう促してくれる。この森の奥に、その凶暴な猪モンスターが巣くっているらしい。俺は気合いを入れてロングダガーを確認し、革胸当てをぎゅっと締め直した。傲慢と憤怒――二つの力をいざというときに引き出すんだ。怒りのスイッチをちゃんと自分でコントロールできるかが鍵になりそうだが、まずは冷静に行こう。
草木が生い茂る小道を慎重に進んでいくと、やがて鼻を鳴らす低い声が微かに聞こえてきた。鼻息の荒い獣臭が漂い、地面には獣の足跡と、土をひっかいた痕がある。明らかに大型の猪がここを通っている証拠だ。集中を高めながら先へ進むと、雑木林の広がる開けた場所に一匹の巨大な猪がいた。背丈は俺の胸元くらいで、牙は剣のように反り返っている。筋肉質な体躯が野性の迫力を放ち、その目には凶暴な光が宿っていた。
「……これか。さすがに前に遭遇した猪よりも数段ヤバそうだ」
猪はすでに気配を察知したらしく、ゴァァという低いうなり声を上げながらこちらを睨んでいる。下手に距離を詰めると一気に突進されるだろう。まずは足元を確認して、邪魔になりそうな倒木や石などを避けつつ、反撃のスペースを確保してから動きたい。だが、猪はそんな悠長な様子を許さないというように、いきなりガリッと地面を掻き、鋭い牙を突き出して突進体勢に入った。
「うわっ……来るか!」
地を蹴る重い音とともに、猪の巨大な影が視界いっぱいに迫る。凄まじいスピードで突っ込んでくる牙をまともに受ければ、革胸当てくらい簡単に貫かれるだろう。俺は息を呑みながら横にステップを踏む。辛うじて間一髪で牙をかわすが、すれ違いざまに腕の皮膚がゾワッと総毛立つほどの威圧感を感じる。凄い迫力だ……!
「くっ、やっぱり手強い」
傲慢を使って一瞬で高出力を引き出す手もあるが、気持ちが浮き足立っている状態では“自分こそ最強”とはなかなか思い込めない。ならば新たに手に入れた“憤怒”を試してみるべきか? だが、ただ恐れを感じているだけでは怒りの感情は湧いてこない。理不尽な暴力への憤りを意図的に沸き立たせる必要がある……。頭で分かっていても難しいな。どんな風にトリガーを引けばいいのか分からず、猪の二度目の突進を見極めるのが精一杯だ。
猪は振り返って再び牙を見せ、ゴゥゥッと地面を蹴って真正面から体当たりを狙ってきた。まるで戦車のような突進を、俺はまた横に飛んで回避する。さっきよりもさらにギリギリでかわし、腕に冷や汗が滲む。あまり長引かせればいつかは当たってしまうかもしれない。反撃する余裕を作るには、どうにか猪の動きを止めるしかない。頭に血が上った猪は突進後の隙をさらけ出すが、それすら短い。スキだと思ってダガーを振り下ろそうとすれば、柔軟な回転で身体を向き直し、思い切り牙を突き出してくる。
「ちょっ……手ごわいな、マジで! そりゃ農民が太刀打ちできる相手じゃないわけだ」
心臓がバクバクと警鐘を鳴らす。だが、このままじゃジリ貧だ。背後には木々や倒木が散乱しているし、移動範囲が限られてきた。もしぶつかったら防具ごと吹っ飛ばされる。なんとか一撃を入れたいが、焦りばかりが募って闇雲に斬りかかれば相手の牙に身体を裂かれそうだ。冷や汗が頬を伝う。このままではマズい……!
猪が三度目の突進を仕掛けてくる。今度は軌道を狙ってきたのか、初動で一拍ずらしてこちらの回避を読んでいるように見えた。ヤバい、かわしきれないかもしれない……その瞬間、頭の中で嫌なビジョンが閃く。力なく地面に転がる自分の姿。気づけば、通り魔に襲われ鉄骨に潰された時の恐怖がフラッシュバックしてきた。『ここで死んだらまた同じじゃないか、報われないままか……くそ、理不尽すぎる……!』
――モヤモヤとした怒りが心の底から沸き上がってきた。なんで俺ばかりこんな目に遭わなきゃいけないんだ。せっかく転生して、やり直そうと思っているのに……! どうしてこんな猪ごときに足止めされて、命の危機を感じなきゃいけない! 俺は絶対に死なない、殺されてたまるか――!
「ふざけんなあああっ……!!」
叫ぶと同時に、胸の奥が爆発したように熱くなり、視界の端が赤く染まる。きっと“憤怒”が発動したのだ。突進する猪の姿がスローモーションのように見え、頭がクラクラするほどの怒りのエネルギーが身体を突き動かす。恐怖やためらいがかき消され、ひたすら“相手を叩き潰したい”という衝動だけが満ちあふれていた。
俺は突進をかわすのではなく、逆に踏み込んで正面からダガーを突き出した。バカな行為のはずなのに、明らかに身体が軽い。猪が牙を振りかざした一瞬のタイミングを読んで、ロングダガーの切っ先をその喉元へ叩き込む。ブシュッという血の噴き出る音とともに、激しい衝撃が腕を襲うが、憤怒の力が痛みを遮断するかのようにアドレナリンを回してくれた。身体全体で衝撃を受け止めながら、一気に猪の筋肉を貫いていく。
「死ねえええぇ……!」
怒りの勢いに任せて、さらにダガーをぐいと押し込む。巨大な猪がごぼりと血を吐き、暴れまわろうとするが、俺は強引に腕をねじ込むようにして致命傷を与えていった。相手の巨体が地面を擦り、のたうち回ったのち、やがてガクッと力を失って大きく倒れ込む。視界に散る血飛沫はおぞましいが、頭のどこかがまだ怒りに支配されていて、冷静な感覚が戻ってこない。
「はぁ、はぁ……くっ……!」
そのまま地面に崩れ落ちるように膝をつき、荒い息をつく。気づけば、猪は完全に絶命していた。首筋から大量の血が流れ、地面が真っ赤に染まっている。周囲の木々にさえ血が飛んでいるほどだ。俺は動揺が徐々に引いてきたと同時に、目眩と吐き気がこみ上げてきた。こんなにむごい殺し方をするなんて、まるで自分じゃないようだ。傲慢が必要とする“自信”以上に、憤怒は危険だと痛感する。あの瞬間、まるで自分が自分じゃないみたいに凶暴性を引き出されていたのだから。
「……ヤバいな、少し力を抜かなきゃ……」
怒りが冷め切らないまま、俺は頭を何度か振って呼吸を整える。どうにか落ち着いてくると、ようやく猪が完全に息絶えたことを確認し、安堵混じりの震えを感じた。間違いなく憤怒のスキルは強大だが、制御を誤れば取り返しのつかないことになる。下手すると自分の理性が崩壊し、相手を殺すためだけの怪物になりかねない。これから使うなら、覚悟と訓練が必要だと肝に銘じる。
「はぁ……とりあえず依頼は達成したわけだ。血塗れになるのは覚悟してたが、ここまでとは……」
自嘲気味に苦笑しながら、周囲の安全を確認する。幸い別の魔物は寄ってきていないようだ。俺は猪の死骸をなんとか引きずり、証拠として牙と耳の一部を切り取る。討伐の証明としてギルドに持ち帰れば報酬を得られるはず。できれば肉や皮も有効活用できるが、一人でこの巨体を搬送するのは無理がある。農民たちと相談すれば買取ってくれる可能性もあるが、まずはギルドへ報告してから考えよう。
「よっ……っと。うわ、重いなコイツ……」
切断作業にも血が付着するので、なるべく手早く済ませる。気分は決して良くないが、これが“仕事”というものだ。どうにか証拠部分を袋に入れると、森の外へ足を向ける。体力自体は“足軽行軍”のおかげか、まだ余裕があるが、精神的な疲れがどっと押し寄せてきて、肩が重い。憤怒による怒りの反動か、頭痛もしてきた。
森の出口付近で待っていた農夫に、討伐完了を伝える。俺の血まみれの姿を見て相当驚いているが、依頼達成を知って心底ほっとしたようだ。簡単なお礼を言われたものの、俺としては感傷に浸る余裕がない。とにかくギルドで正式に報告し、このクエストを完了させるのが先決だ。もしも相手が複数いたらどうなるか分からないが、とりあえず今回は一匹だったので助かった。
街へ戻る頃には昼前で、日差しがじりじりと照りつけてくる。俺は血のついた服を隠すように外套を合わせ、何やら周囲の人の視線が冷たいような気もしたが、気にせずギルドに直行する。受付へ向かい、依頼票と“巨大猪の牙”を示すと、職員は真剣な面持ちで書類を確かめてから金貨の一枚を取り出した。
「……相手はだいぶ手ごわかったでしょう? お疲れさまです。銀貨じゃなく金貨が報酬になるのは、それだけ危険度が高いって意味なんですよ。よく無事でしたね」
「は、はは……まあ、なんとか、ね」
心臓がまだドクドクしている。本当のところをいえば、もう少しでこちらがやられていたかもしれない。だが“憤怒”が爆発的な強さを発揮してくれたからこそ勝てたのも事実だ。まさに紙一重だった。もらった報酬はかなり高額で、一気に財政は潤うだろう。古い防具を買い替えるチャンスにもなる。けれど、それ以上に胸に残ったのは“あれほど危うい力を俺は手にしてしまったんだ”という複雑な思いだった。
報酬を受け取ってギルドを出る頃には、食欲と疲労感がないまぜとなって全身を包んでいる。宿でゆっくり休んだほうがいいかもしれない。あるいは、いずれ信頼できる誰かに“憤怒”の使い方を相談できるといいが、今のところそんな相手はいない。ガルドとセルラに話してみたいが、あまりにもレアすぎるスキルをあっさり打ち明けるのもリスクがある。
「ひとまず、今日はもう休もう。さすがに心がしんどい……」
足早に宿へ戻る途中、街の喧騒がいつも以上に遠く感じる。太陽の光は活気に満ちているのに、自分の内側はどこか陰鬱だ。殺生の罪悪感と、あの時の怒りを思い出すだけで、胃がぎゅっと重くなる。こんな危うい力を扱いながら冒険者として成長していくなんて、本当にできるのか。そこまで悶々と考えるうちに宿屋の扉を開けると、女将が「うわ、また妙な顔して帰ってきたね。何かあったの?」と尋ねてきた。とっさに「ちょっとハードな依頼で疲れただけですよ」と笑顔を作る。
部屋のドアを閉めると、ほっとしたように体の力が抜ける。ベッドに腰かけ、手のひらを見つめると、そこにはまだ猪の血がこびりついていた。雑巾で軽く拭いたが、完全には落ちていない。どこかに水場を借りて洗わなければならないが、その気力も今はわかない。握力が抜けた指先が震えている。怖い、というよりは、あまりにも凶暴だった自分に対して薄ら寒いものを感じていた。
「ユニークスキル“憤怒”……こんなにも扱いが難しいとは」
それでも、この世界の“魔王”や“勇者”という伝説を思い出すと、いずれどこかで大きな戦いが起きる可能性は大いにある。その時、俺の持つ二つの“七つの大罪”が武器になるのは間違いないだろう。死んだはずの俺がここまで生き延びていられるのは、【ガチャ】と女神の恩恵のおかげだ。ならば、少しでも自分の力を認め、成長の糧にしていくしかない。
やがて呼吸が落ち着いてきたところで、ベッドにあおむけに倒れ込む。まだ朝も早いのに、妙に眠気が強い。憤怒を使った際の疲労や反動もあるのかもしれない。瞼が重くなり、朧気な意識のまま、俺は思う――“傲慢”も“憤怒”も、結局は強い感情を制御してこそ真価を発揮するスキルだ。きっと“憧れ”や“希望”など、プラスの感情を糧にするスキルがあればよかったのかもしれないが、これが俺に与えられた道具なら受け止めるしかない。次はどんなスキルが手に入るか分からないし、毎日の【ガチャ】を活かしてもっと強くならなきゃ。
「……いつか、この力で誰かを守れるのかな。魔王がもし現れたら、俺だって――」
そこで思考が途切れ、深い眠りに落ちていく。うっすら意識が消えかける中、女神ラピスの膝枕を受けた記憶がほんのり蘇った。死んだときは絶望を味わったが、今の俺はちゃんと今日も生きてる。血まみれでも立ち上がることはできる。あの優しい微笑みを裏切らないように、この荒っぽい世界で冒険者として踏ん張っていこう――そんな決意を胸に、俺は小さく息を吐いてまぶたを閉じたのだった。
ギルドに立ち寄ると、夕暮れ時の受付はまだ開いており、俺は今日の戦果を提出する。結晶や核の破片を見せると、職員が慣れた様子でチェックを行い、討伐数に応じて報酬が支払われた。報酬額はさほど多くはないが、それでも武器や簡易防具の出費を補って余りある。ソロでの初討伐としては大成功だろう。俺は銀貨や銅貨の入った小袋を握りしめてほくほくした気持ちになる。
「これで少しは安定した活動資金が作れそうだな。次はもうちょっと難度の高い依頼にも挑戦してみたい……」
そんなことを考えながら宿屋へ戻ると、店の女将が夕食を準備している真っ最中だった。すでに他の冒険者がテーブルに集まり、今日あった出来事をワイワイと語り合っている。俺も空いた席を見つけて腰かけると、女将が「いつも通りパンとシチューでいいかい?」と声をかけてくれる。頷くと、ほどなく湯気の立つ椀が運ばれてきた。とろりとしたシチューを一口含むと、体全体がほぐれるように温まる。
食事を終えて部屋に戻る頃には外はすっかり暗くなっていた。夜のサンデリアは昼間と打って変わって、酒場や路地裏が騒がしく、喧噪に満ちているらしいが、俺はまだ様子見で早めに就寝する。明日の朝にはまた【ガチャ】を回せるし、それが最大の楽しみだ。枕元にロングダガーを置き、簡素なベッドに倒れこむと、眠気が一気に押し寄せた。
翌日。朝早くから鳥の鳴き声がけたたましく響き、半覚醒の状態で布団から体を起こす。頭にぼんやりと浮かぶのは、またこの時がやってきたという高揚感。そう、毎日一回、【ガチャ】のタイミングだ。さっそく深呼吸をして気持ちを整え、胸の奥で「ガチャを回す」と念じる。するといつものように脳裏にビシリと電流が走り、カラフルな光の残像がまぶたの裏で弾ける。
「今日もスキル、来い……!」
一瞬の静寂のあと、まるで大当たりの警告のように頭がチカッと光に包まれ、言葉が流れ込んできた。脳内に染み渡るそれは、前二回の通常・特殊スキルとは明らかに違う圧倒的な存在感を宿している。息が詰まるほど強烈な衝撃が走り、胸がドクンと跳ねる。
『ユニークスキル:「七つの大罪『憤怒(ふんぬ)』」取得。』
え……七つの大罪……? 最初に引き当てたのは「傲慢」、今回は「憤怒」か。あまりにもできすぎた流れに思わず目を疑うが、どうやら現実らしい。しかもまたユニークスキルを引き当てるなんて、普通はあり得ないレア度だ。初日に「傲慢」を得たとき以上に驚きで頭が真っ白になる。けれど、その力の片鱗が身体に流れ込むのをはっきり感じた。
「こんなことって、あるのか……? まさか『七つの大罪』が二つ揃ってしまうなんて……!」
震える指先で何とかステータスを呼び出す。視界に浮かぶパネルを食い入るように見つめると、ちゃんとスキル欄に追加されていた。
『黒宮碧』
種族:人間
状態:通常
Lv :1/???
HP :55/55
MP :40/40
攻撃力:16
防御力:9
魔法力:12
素早さ:14
ランク:F(下級)
ユニークスキル:
〖七つの大罪「傲慢」:Lv–〗
〖七つの大罪「憤怒」:Lv–〗
特殊スキル:
【ガチャ】【転生した者】【女神のお気に入り】
〖足軽行軍:Lv–〗
通常スキル:
〖ステータス閲覧:Lv1〗
〖采配:Lv1〗
こんなことが本当に起きるなんて……奇跡という言葉じゃ片づけられない気がする。深呼吸をして“憤怒”の能力を探ってみると、どうやら強烈な怒りの感情を爆発させることで攻撃や魔力の上限値を急激にブーストする効果があるらしい。だが“傲慢”と同様、メンタル面の制御が鍵を握るようだ。つまり、心から“怒り”を燃やしているときだけ、とんでもない力を引き出せる――逆に平常心を失ったり動揺しすぎたりすると、制御できなくなって自分に跳ね返る危険もあるという。
「傲慢は“自分こそ最強”と信じることで爆発的な力を得るスキル、憤怒は“激しい怒り”を力に変えるスキル……。どちらも扱いは難しいが、使いこなしたら相当ヤバい強さになるはず」
嬉しさ半分、戸惑い半分。なにしろ二つのユニークスキルを同時に持つなんて、ほとんど前例がないだろう。傲慢と憤怒……どちらも強い感情を糧にするわけだから、発動の仕方を誤ればとんでもない事故を起こしかねない。しかし、うまくコントロールできればスライム狩りの比ではない破壊力を手にすることも夢ではない。それこそ、かつての“魔王”すら凌駕しかねないほどかもしれない。
「よし……まずは落ち着こう。今日はせっかくだからクエスト受けつつ、憤怒の扱いを探ってみよう」
そう決心し、少し早いがギルドへ向かう。宿屋の階段を下りると、まだ朝ごはんの準備をしている途中の女将と目が合った。彼女が「おや、ずいぶん早いわね」と声をかけるので、「ちょっとギルドに用事があって」と曖昧に笑い返す。まさか今ユニークスキルが当たったなんて浮かれ話はできない。俺は足早に宿を出て、朝日を背に大通りを進んだ。
ギルドにはすでに早起きの冒険者たちがちらほら集まっており、皆それぞれクエスト掲示板を眺めて次の仕事を探している。俺もつられて掲示板に目をやるが、正直、今はスキルの実験を兼ねて、ある程度“戦闘が発生しそうな”依頼をこなしたい。前回はスライムを難なく倒せたから、もう少し手強いモンスターが相手でもいいかもしれない。とはいえ冒険者ランクはまだFで、新米の身。あまり背伸びしすぎるのは危険だし、そもそも受けられるクエストの制限もある。
いくつか読み込んでみると、“森の奥でイノシシ型魔物が暴れて困っているので討伐または追い払ってほしい”という依頼が目に止まった。そこそこ危険度は高いが、報酬もまずまず。前にガルドたちと遭遇した猪モンスターよりは強い可能性があるが、一匹で行けるかどうか試す価値はあるだろう。憤怒の力がどの程度のものか試すにも丁度いいかもしれない。
カウンターで依頼を受ける手続きを済ませ、「イノシシ型魔物の討伐クエスト」を正式に受領した。街からそれほど離れていない森林地帯が指定場所らしい。地図には集落が点在しており、近隣の畑や畜舎を荒らす被害が出ているらしい。確かにこりゃ深刻だ。ギルドカードへの登録を終えたところで、今は余裕そうにしている男性職員が「気をつけて行ってくださいね」と声をかけてくる。つい、無意識に“大丈夫です、俺にはユニークスキルが二つもあるんで!”なんて言いたくなるが、ぐっとこらえて笑顔を返しただけにとどめた。
そのまま街を出て、指定された森へ足を運ぶ。昨日と同じく“足軽行軍”のおかげで移動はかなり楽だ。道中で軽く朝食をかじり、まだ身体が慣れていない革胸当てを微調整しながら進むうち、森の入り口に辿り着く頃にはもう体は温まっていた。周囲には家畜や飼い犬らしき鳴き声が聞こえてくる。確かに小さな集落があるようで、畑や柵が朽ちかけながらも広がっている。そこへ時折、猪モンスターが出没しているようだ。
「ん? あれは……」
遠目に見ると、焦り顔の農夫らしきおっさんが柵の向こうで警戒しているのが分かった。俺が手を振って近づくと、彼は警戒を解き、「お前さん、冒険者か? もしかしてギルドから来てくれたんか?」と声をかけてくる。うなずくと、嬉しそうに安堵の表情を浮かべた。
「そうです。イノシシっぽい魔物の件で依頼を受けまして、討伐なり追い払いなりしようと思って……」
「ありがてえ、実は数日前にもうちの羊が二頭ほどヤツにやられちまってな。とにかく獰猛なんだ。でかくて、何より妙に好戦的だ。下手に追い払ってもすぐ戻って来やがるし……もう限界だったところだよ」
おっさんは柵を開けて先に進むよう促してくれる。この森の奥に、その凶暴な猪モンスターが巣くっているらしい。俺は気合いを入れてロングダガーを確認し、革胸当てをぎゅっと締め直した。傲慢と憤怒――二つの力をいざというときに引き出すんだ。怒りのスイッチをちゃんと自分でコントロールできるかが鍵になりそうだが、まずは冷静に行こう。
草木が生い茂る小道を慎重に進んでいくと、やがて鼻を鳴らす低い声が微かに聞こえてきた。鼻息の荒い獣臭が漂い、地面には獣の足跡と、土をひっかいた痕がある。明らかに大型の猪がここを通っている証拠だ。集中を高めながら先へ進むと、雑木林の広がる開けた場所に一匹の巨大な猪がいた。背丈は俺の胸元くらいで、牙は剣のように反り返っている。筋肉質な体躯が野性の迫力を放ち、その目には凶暴な光が宿っていた。
「……これか。さすがに前に遭遇した猪よりも数段ヤバそうだ」
猪はすでに気配を察知したらしく、ゴァァという低いうなり声を上げながらこちらを睨んでいる。下手に距離を詰めると一気に突進されるだろう。まずは足元を確認して、邪魔になりそうな倒木や石などを避けつつ、反撃のスペースを確保してから動きたい。だが、猪はそんな悠長な様子を許さないというように、いきなりガリッと地面を掻き、鋭い牙を突き出して突進体勢に入った。
「うわっ……来るか!」
地を蹴る重い音とともに、猪の巨大な影が視界いっぱいに迫る。凄まじいスピードで突っ込んでくる牙をまともに受ければ、革胸当てくらい簡単に貫かれるだろう。俺は息を呑みながら横にステップを踏む。辛うじて間一髪で牙をかわすが、すれ違いざまに腕の皮膚がゾワッと総毛立つほどの威圧感を感じる。凄い迫力だ……!
「くっ、やっぱり手強い」
傲慢を使って一瞬で高出力を引き出す手もあるが、気持ちが浮き足立っている状態では“自分こそ最強”とはなかなか思い込めない。ならば新たに手に入れた“憤怒”を試してみるべきか? だが、ただ恐れを感じているだけでは怒りの感情は湧いてこない。理不尽な暴力への憤りを意図的に沸き立たせる必要がある……。頭で分かっていても難しいな。どんな風にトリガーを引けばいいのか分からず、猪の二度目の突進を見極めるのが精一杯だ。
猪は振り返って再び牙を見せ、ゴゥゥッと地面を蹴って真正面から体当たりを狙ってきた。まるで戦車のような突進を、俺はまた横に飛んで回避する。さっきよりもさらにギリギリでかわし、腕に冷や汗が滲む。あまり長引かせればいつかは当たってしまうかもしれない。反撃する余裕を作るには、どうにか猪の動きを止めるしかない。頭に血が上った猪は突進後の隙をさらけ出すが、それすら短い。スキだと思ってダガーを振り下ろそうとすれば、柔軟な回転で身体を向き直し、思い切り牙を突き出してくる。
「ちょっ……手ごわいな、マジで! そりゃ農民が太刀打ちできる相手じゃないわけだ」
心臓がバクバクと警鐘を鳴らす。だが、このままじゃジリ貧だ。背後には木々や倒木が散乱しているし、移動範囲が限られてきた。もしぶつかったら防具ごと吹っ飛ばされる。なんとか一撃を入れたいが、焦りばかりが募って闇雲に斬りかかれば相手の牙に身体を裂かれそうだ。冷や汗が頬を伝う。このままではマズい……!
猪が三度目の突進を仕掛けてくる。今度は軌道を狙ってきたのか、初動で一拍ずらしてこちらの回避を読んでいるように見えた。ヤバい、かわしきれないかもしれない……その瞬間、頭の中で嫌なビジョンが閃く。力なく地面に転がる自分の姿。気づけば、通り魔に襲われ鉄骨に潰された時の恐怖がフラッシュバックしてきた。『ここで死んだらまた同じじゃないか、報われないままか……くそ、理不尽すぎる……!』
――モヤモヤとした怒りが心の底から沸き上がってきた。なんで俺ばかりこんな目に遭わなきゃいけないんだ。せっかく転生して、やり直そうと思っているのに……! どうしてこんな猪ごときに足止めされて、命の危機を感じなきゃいけない! 俺は絶対に死なない、殺されてたまるか――!
「ふざけんなあああっ……!!」
叫ぶと同時に、胸の奥が爆発したように熱くなり、視界の端が赤く染まる。きっと“憤怒”が発動したのだ。突進する猪の姿がスローモーションのように見え、頭がクラクラするほどの怒りのエネルギーが身体を突き動かす。恐怖やためらいがかき消され、ひたすら“相手を叩き潰したい”という衝動だけが満ちあふれていた。
俺は突進をかわすのではなく、逆に踏み込んで正面からダガーを突き出した。バカな行為のはずなのに、明らかに身体が軽い。猪が牙を振りかざした一瞬のタイミングを読んで、ロングダガーの切っ先をその喉元へ叩き込む。ブシュッという血の噴き出る音とともに、激しい衝撃が腕を襲うが、憤怒の力が痛みを遮断するかのようにアドレナリンを回してくれた。身体全体で衝撃を受け止めながら、一気に猪の筋肉を貫いていく。
「死ねえええぇ……!」
怒りの勢いに任せて、さらにダガーをぐいと押し込む。巨大な猪がごぼりと血を吐き、暴れまわろうとするが、俺は強引に腕をねじ込むようにして致命傷を与えていった。相手の巨体が地面を擦り、のたうち回ったのち、やがてガクッと力を失って大きく倒れ込む。視界に散る血飛沫はおぞましいが、頭のどこかがまだ怒りに支配されていて、冷静な感覚が戻ってこない。
「はぁ、はぁ……くっ……!」
そのまま地面に崩れ落ちるように膝をつき、荒い息をつく。気づけば、猪は完全に絶命していた。首筋から大量の血が流れ、地面が真っ赤に染まっている。周囲の木々にさえ血が飛んでいるほどだ。俺は動揺が徐々に引いてきたと同時に、目眩と吐き気がこみ上げてきた。こんなにむごい殺し方をするなんて、まるで自分じゃないようだ。傲慢が必要とする“自信”以上に、憤怒は危険だと痛感する。あの瞬間、まるで自分が自分じゃないみたいに凶暴性を引き出されていたのだから。
「……ヤバいな、少し力を抜かなきゃ……」
怒りが冷め切らないまま、俺は頭を何度か振って呼吸を整える。どうにか落ち着いてくると、ようやく猪が完全に息絶えたことを確認し、安堵混じりの震えを感じた。間違いなく憤怒のスキルは強大だが、制御を誤れば取り返しのつかないことになる。下手すると自分の理性が崩壊し、相手を殺すためだけの怪物になりかねない。これから使うなら、覚悟と訓練が必要だと肝に銘じる。
「はぁ……とりあえず依頼は達成したわけだ。血塗れになるのは覚悟してたが、ここまでとは……」
自嘲気味に苦笑しながら、周囲の安全を確認する。幸い別の魔物は寄ってきていないようだ。俺は猪の死骸をなんとか引きずり、証拠として牙と耳の一部を切り取る。討伐の証明としてギルドに持ち帰れば報酬を得られるはず。できれば肉や皮も有効活用できるが、一人でこの巨体を搬送するのは無理がある。農民たちと相談すれば買取ってくれる可能性もあるが、まずはギルドへ報告してから考えよう。
「よっ……っと。うわ、重いなコイツ……」
切断作業にも血が付着するので、なるべく手早く済ませる。気分は決して良くないが、これが“仕事”というものだ。どうにか証拠部分を袋に入れると、森の外へ足を向ける。体力自体は“足軽行軍”のおかげか、まだ余裕があるが、精神的な疲れがどっと押し寄せてきて、肩が重い。憤怒による怒りの反動か、頭痛もしてきた。
森の出口付近で待っていた農夫に、討伐完了を伝える。俺の血まみれの姿を見て相当驚いているが、依頼達成を知って心底ほっとしたようだ。簡単なお礼を言われたものの、俺としては感傷に浸る余裕がない。とにかくギルドで正式に報告し、このクエストを完了させるのが先決だ。もしも相手が複数いたらどうなるか分からないが、とりあえず今回は一匹だったので助かった。
街へ戻る頃には昼前で、日差しがじりじりと照りつけてくる。俺は血のついた服を隠すように外套を合わせ、何やら周囲の人の視線が冷たいような気もしたが、気にせずギルドに直行する。受付へ向かい、依頼票と“巨大猪の牙”を示すと、職員は真剣な面持ちで書類を確かめてから金貨の一枚を取り出した。
「……相手はだいぶ手ごわかったでしょう? お疲れさまです。銀貨じゃなく金貨が報酬になるのは、それだけ危険度が高いって意味なんですよ。よく無事でしたね」
「は、はは……まあ、なんとか、ね」
心臓がまだドクドクしている。本当のところをいえば、もう少しでこちらがやられていたかもしれない。だが“憤怒”が爆発的な強さを発揮してくれたからこそ勝てたのも事実だ。まさに紙一重だった。もらった報酬はかなり高額で、一気に財政は潤うだろう。古い防具を買い替えるチャンスにもなる。けれど、それ以上に胸に残ったのは“あれほど危うい力を俺は手にしてしまったんだ”という複雑な思いだった。
報酬を受け取ってギルドを出る頃には、食欲と疲労感がないまぜとなって全身を包んでいる。宿でゆっくり休んだほうがいいかもしれない。あるいは、いずれ信頼できる誰かに“憤怒”の使い方を相談できるといいが、今のところそんな相手はいない。ガルドとセルラに話してみたいが、あまりにもレアすぎるスキルをあっさり打ち明けるのもリスクがある。
「ひとまず、今日はもう休もう。さすがに心がしんどい……」
足早に宿へ戻る途中、街の喧騒がいつも以上に遠く感じる。太陽の光は活気に満ちているのに、自分の内側はどこか陰鬱だ。殺生の罪悪感と、あの時の怒りを思い出すだけで、胃がぎゅっと重くなる。こんな危うい力を扱いながら冒険者として成長していくなんて、本当にできるのか。そこまで悶々と考えるうちに宿屋の扉を開けると、女将が「うわ、また妙な顔して帰ってきたね。何かあったの?」と尋ねてきた。とっさに「ちょっとハードな依頼で疲れただけですよ」と笑顔を作る。
部屋のドアを閉めると、ほっとしたように体の力が抜ける。ベッドに腰かけ、手のひらを見つめると、そこにはまだ猪の血がこびりついていた。雑巾で軽く拭いたが、完全には落ちていない。どこかに水場を借りて洗わなければならないが、その気力も今はわかない。握力が抜けた指先が震えている。怖い、というよりは、あまりにも凶暴だった自分に対して薄ら寒いものを感じていた。
「ユニークスキル“憤怒”……こんなにも扱いが難しいとは」
それでも、この世界の“魔王”や“勇者”という伝説を思い出すと、いずれどこかで大きな戦いが起きる可能性は大いにある。その時、俺の持つ二つの“七つの大罪”が武器になるのは間違いないだろう。死んだはずの俺がここまで生き延びていられるのは、【ガチャ】と女神の恩恵のおかげだ。ならば、少しでも自分の力を認め、成長の糧にしていくしかない。
やがて呼吸が落ち着いてきたところで、ベッドにあおむけに倒れ込む。まだ朝も早いのに、妙に眠気が強い。憤怒を使った際の疲労や反動もあるのかもしれない。瞼が重くなり、朧気な意識のまま、俺は思う――“傲慢”も“憤怒”も、結局は強い感情を制御してこそ真価を発揮するスキルだ。きっと“憧れ”や“希望”など、プラスの感情を糧にするスキルがあればよかったのかもしれないが、これが俺に与えられた道具なら受け止めるしかない。次はどんなスキルが手に入るか分からないし、毎日の【ガチャ】を活かしてもっと強くならなきゃ。
「……いつか、この力で誰かを守れるのかな。魔王がもし現れたら、俺だって――」
そこで思考が途切れ、深い眠りに落ちていく。うっすら意識が消えかける中、女神ラピスの膝枕を受けた記憶がほんのり蘇った。死んだときは絶望を味わったが、今の俺はちゃんと今日も生きてる。血まみれでも立ち上がることはできる。あの優しい微笑みを裏切らないように、この荒っぽい世界で冒険者として踏ん張っていこう――そんな決意を胸に、俺は小さく息を吐いてまぶたを閉じたのだった。
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