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第一章 『転生』
二十二話
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翌朝。
まぶたを開けて真っ先に思い出すのは、いつもの“ガチャ”のことだった。もうこの日課がないと落ち着かないくらいには、毎朝の儀式になっている。いつものように深い呼吸をして意識を落ち着かせると、軽い電流のような刺激が頭の奥を走り、新しいスキルの情報が脳裏に刻まれた。
『通常スキル:《閃身(せんしん)Lv1》を取得しました。』
――瞬間的に体を軽くし、移動速度をわずかに上げる能力らしい。時間制限もあり、まだLv1なので劇的な変化はないにしろ、うまく使えば回避や初動に活かせるかもしれない。こうした地道なスキルが少しずつ蓄積していくのが、俺の強みだと改めて実感する。
「よし、今日の分も外れではないな」
小さく頷いてからベッドを下り、窓を開けて外の空気を取り込む。青空が広がる中、通りの声がすでに賑わっているのが聞こえた。女将の「朝食ができたよー!」という元気な声が下から響いてきたので、支度を済ませて部屋を出る。
宿の階段を下りると、ウサギ耳のイルナが食堂の隅でなにやら書類をめくっていた。声をかけると、ぱっと顔を上げて笑みを浮かべる。
「おはようございます、アオさん! あの、昨日のポーションの追加納品、ちゃんと届いたそうですよ。街の外にある村まで運んだらしいんですけど、評判いいみたいです!」
「それはよかった。あんなに忙しそうだったけど、成果が出るとやりがいを感じるだろうな」
「はい……まだまだ改良したい点は多いですけどね。でも、これもアオさんが最初に色々手伝ってくれたおかげですよ。ありがとうございます!」
そう言うとイルナはほんの少し照れながら書類を閉じる。いつ見ても、こうして努力が結果に結びついていく姿は頼もしい。俺も「閃身」のスキルをどう活かそうか考えながら、彼女の隣の席に腰かける。
しばらくして、女将がパンとスープを運んでくる。同じタイミングで、シェオラが妹リーシェを伴って姿を見せた。近頃は朝から外へ出るのが日課らしく、彼女は簡単に手を振りながら「おはよう、アオさん、イルナさん」と挨拶して席につく。
「リーシェがだいぶ体力戻ってきたみたいで、今日はもうちょっと先の広場まで散歩しようかと思ってるんです」
「そうなんです。教会の神官さんもOKって言ってくれたので……」
リーシェが小さく微笑み、前より自然な声で話しているのが分かる。あの苦痛の日々が嘘みたいに、姉妹そろって穏やかな朝を迎えられていることに、こちらまで嬉しくなる。そのまま食事をしながら四人で軽く雑談を交わしていると、宿の入口からイゼリアがちらりと顔を出した。
彼女も甲冑姿だが、一部は外して手に抱えている。おそらく騎士団の朝巡回を終えて、休憩がてら宿を訪れたのだろう。こちらを見つけると、落ち着いた足取りで近づいてくる。
「おはよう、みんな。……少し時間ある? 外で話したいことがあるの」
いつになく真剣な声色に、食堂の空気がわずかに引き締まる。シェオラやイルナが「大丈夫?」と心配そうに尋ねたが、イゼリアは軽く首を振って「大事にはならないかもしれないけど、一応話しておきたい」と言う。俺は「分かった。じゃあ出ようか」と座を立った。
宿の外は日差しが強まってきて、通りには人々の往来が増えていた。イゼリアが静かに門のほうへ歩き、人気が薄い脇道に入ると、小さく息を吐いて口を開く。
「騎士団が、近々街を出て周辺の村や集落を巡回する計画を立てているの。表向きは治安維持ってことだけど、実際は“獣人たちが何か大きな集会をしている”という噂の確認が目的。すでに上から少し動きが出始めてる」
「そっか。前から言ってたように、獣人が集まってるっていう不穏な噂だよね。具体的な情報は得られたの?」
イゼリアは困ったように目を伏せる。
「まだ断片的。魔王の話もちらほら出てきてるけど、確かな証拠があるわけじゃない。ともかく、私も同行することになると思う。だから、あなたにも知らせておこうと思って」
「なるほど。……もし何か起きれば、協力したほうがいいかもな。ま、でもあまり先走るのも危険だし」
「そうなの。余計な衝突を避けたい。獣人の多くは普通に生活してるって分かってるし……でも、いざという時はあなたの力が欲しい。特に、あなたが持っているいくつものスキル。もう少し使い方を覚えておいて」
おそらく、騎士団の巡回が正式に動き出すまでには、まだ数日はかかるだろう。その間に俺が日々のガチャでさらにスキルを増やしておくのは、騎士団にとっても心強いというわけだ。イゼリアの視線には薄い不安が混じっているが、それを誤魔化すように軽く「ありがと」と言い、さらに付け加えた。
「……それに、あなた自身が大切なものを守りたいなら、騎士団だけでなく仲間の力を借りることも大事よ。アオ、あなたにはもう十分仲間がいるんだから」
それを言われると、胸がほんのり熱くなる。確かに、俺の周りには今やたくさんの人が集まっている――イルナやシェオラ、リーシェ、そして女将や他の冒険者たち。それだけで勇気を得られるから不思議だ。
「分かった。俺も焦らず、今のスキルを活かせるようになっておくよ。……ありがとう、わざわざ教えてくれて」
「いいの。あなたに黙って進めたくないから」
イゼリアは少し照れたように目を逸らしながら、宿の方向へ引き返す。「じゃ、もう少ししたら私も詰所に戻る。あなたはあなたで好きに動いていて」と短く言い残した。
そのあと宿へ戻ると、食堂ではまだイルナが食事を取っていて、シェオラとリーシェは既に外へ散歩に出たらしい。女将が「姉妹揃って出かけるのは久しぶりだろうね」と微笑む。そのまま午後にかけて、俺は宿の中でこまごまとした雑用を手伝うことにした。新しく得た《閃身(Lv1)》の実験をしたい気持ちもあったが、急ぎの用事はないし、騒ぎを起こすのも迷惑だろう。
夕方、シェオラとリーシェが戻ってきたころには、街の通りが赤く染まりはじめていた。リーシェは「うん……疲れたけど、痛くない」と笑っている。姉のシェオラが軽く汗を拭きつつ「すごくがんばったね」と声をかける光景は、宿屋の女将やウサギ耳のイルナまでもが嬉しそうに見つめるほど微笑ましい。少し前まで暗い部屋に閉じこもっていた子が、ここまで明るい表情を見せてくれるのは、周囲にも希望を与えてくれる。
「ほんとによかった。これでさ、今度はゆっくり街の広場を一周してみようよ。アオさんだって付き合ってくれるかもだし」
「いや、俺でよければ。けど無理は禁物な」
「ありがとう、アオさん……。いつか、もっといろんな場所へ行きたいな」
リーシェの呟きはとても小さく、それでいて力強い。ここにいる仲間たちと出かけることを心から楽しみにしているのだろう。そういった明るい未来の姿をイメージできるようになったのが、何より成長の証だ。
夜になり、食堂でいつもの顔ぶれが集まると、自然と小さな輪ができる。女将が「今日もみんなお疲れさま」と声をかけ、イルナがポーションの進捗を話し、シェオラがリーシェの回復具合を報告する。イゼリアは姿を見せていないが、おそらく騎士団の詰所で残務かもしれない。いつも来れるとは限らないし、彼女は彼女で多忙だろう。
俺は今日のスキル《閃身(Lv1)》について簡単に説明すると、「走るのが速くなるんですか?」とリーシェが興味津々に尋ねる。まだ詳細な試運転はしていないので、適当に「ほんのちょっとだけね。すごく短時間だし、まだLv1だから大して期待はできないよ」と答えるが、それでも彼女は瞳をキラキラさせる。
「でも……そういう地道なスキルが積もっていけば、アオさんはどんどん強くなるんだよね。いつかすごい力を得るのかな」
言われてドキリとする。七つの大罪という強力なユニークスキルを既に三つ抱えているという事実までは、公言するつもりはないが、リーシェは純粋に楽しみとして思い描いているようだ。その笑顔を見ると、魔王として歩む運命をどう捉えるべきか、改めて考えさせられる。
(いつか、本当に“魔王”になる力を手にしても、こうして笑い合える日常を手放したくない。だから……いまはまだ仲間とともに成長する時間が必要だ。)
そんな思いを胸に、宴というほどではないが和やかな時間が流れる。食事を終えると、シェオラとリーシェは早めに部屋へ戻り、イルナは錬金術の調合計画を練っているらしく、宿の一角でノートを広げている。女将は片付けに追われている最中で、俺も手伝おうか迷うが、彼女は「大丈夫、いつもありがとうね」と断ってきた。
そこへ、イゼリアが遅い足取りで宿屋の扉を開ける。甲冑の一部を外していて、やや疲労がにじむ顔つきだが、俺が視線を送ると困ったように笑みを返す。
「ごめん、こんな時間に。ちょっと話したいことがあって……少し外に付き合ってくれる?」
「うん、構わないけど……疲れてるんじゃない?」
「大丈夫、気分転換したいのよ」
そう言われ、二人で宿を出る。夜風がひんやりとしていて、街灯の光が石畳を照らし出す。イゼリアは甲冑を脱ぎきらずに上半身だけ軽装にしているが、普段よりは身軽な姿だ。人通りの少ない夜の通りをゆっくりと歩きながら、俺の存在を確認するように横目でちらりと視線を送る。
「騎士団の上層部から、さらに詳しい通達が来たの。数日中に、街の周辺だけでなく、近隣の村や集落を巡回する隊が編成される。わたしはその一隊に加わるわ。正直、魔王絡みの噂を調べるのが目的よ」
「やっぱり……本格的に動き出すんだな。危険はないのか?」
「あるかもしれない。でも、ほとんどは空振りで済むと思ってる。大規模な組織が動くならもう少し顕著な兆候があるはずだから。けど、もし獣人たちの集会が実際に行われてるなら、まずは情報だけでも抑えたい。あなたにも伝えておきたいの」
彼女の声には決意と不安が混じり合っている。俺は静かに頷き、「気をつけて」と短く返した。いまのところ、俺が同行するかどうかは決まっていないが、状況によっては呼ばれるかもしれない。騎士団が公式に動くなら、俺の力に頼らずとも済むだろうが、もし大罪や魔王の影響が絡んでいるなら、誰かが止めなければならないかもしれない。
「……もし何かあったら、すぐ連絡する。あなたのことも頼っていい?」
「もちろん。そのために俺はここにいるようなものだから」
夜の路地でそんな言葉を交わすと、イゼリアはふっと安堵したように吐息をつく。騎士としての厳しい表情が一瞬だけ緩み、女性らしい柔らかさが見えた気がする。周囲に人影もまばらで、二人しかいないこの空間に、妙な静寂が漂う。
「ありがとう、アオ。……こんなに素直に人を頼るのは久しぶりかも。騎士になって以来、自分一人で抱えこむことが多かったから」
「気にしなくていいよ。俺で支えになるなら、いくらでも頼ってほしい」
素直な言葉が口をついて出る。自分でも驚くほど自然に言えたのは、この街で積み重ねてきた日々と、彼女や他の仲間との交流のおかげだろう。イゼリアは小さく笑って「助かるわ」と短く答え、女将の待つ宿へ戻りましょう、と付け加えた。
夜の宿屋には暖かいランプの光がともり、かすかな湯気があがっている。女将がカウンターの帳簿をめくりつつ、俺たちを見つけて軽く手を振った。「おかえり。二人して夜の風にあたりに行くとはねえ」と微笑ましい視線で見送ってくれる。恥ずかしさを感じつつイゼリアと別れ、部屋へ戻るころには日中の疲れが一気に押し寄せてきた。
ベッドへ身を沈め、今日の出来事を振り返る。朝のガチャで得た《閃身》をまともに試す機会はなかったが、焦る必要はない。明日になれば、また一つ新しいスキルが増えるのだから。七つの大罪がまだ四つも残っているという現実――いつその大罪スキルが飛び出すか分からないが、いまはそれを穏やかな日常で受け止めるだけの覚悟ができている気がする。
街の静かな灯りと、気のいい仲間たちがそばにいる。シェオラやリーシェは明日も教会へ行くだろうし、イルナは錬金術屋で新しい仕事をしているはずだ。イゼリアは騎士団の動きとともにしばらく忙しいかもしれないが、何かあれば助け合える関係になった。こうして強くなっているのは、毎日のスキルと同じように、人の絆が少しずつ積み重なっているからに違いない。
瞳を閉じると、いつものように淡い夢の入り口が見えてきた。明日も新しい力が手に入ると信じながら、魔王へ続く運命の道を遠くに感じつつ、深い眠りへ落ちていく。まだ“大きな転機”は訪れないかもしれない。でも、こうして積み重ねる日々こそが、いずれクライマックスの舞台に立つ自分を支えてくれるはずだ。そう思うと、ほんのり頬が緩み、あたたかな気持ちで意識が溶けていった。
まぶたを開けて真っ先に思い出すのは、いつもの“ガチャ”のことだった。もうこの日課がないと落ち着かないくらいには、毎朝の儀式になっている。いつものように深い呼吸をして意識を落ち着かせると、軽い電流のような刺激が頭の奥を走り、新しいスキルの情報が脳裏に刻まれた。
『通常スキル:《閃身(せんしん)Lv1》を取得しました。』
――瞬間的に体を軽くし、移動速度をわずかに上げる能力らしい。時間制限もあり、まだLv1なので劇的な変化はないにしろ、うまく使えば回避や初動に活かせるかもしれない。こうした地道なスキルが少しずつ蓄積していくのが、俺の強みだと改めて実感する。
「よし、今日の分も外れではないな」
小さく頷いてからベッドを下り、窓を開けて外の空気を取り込む。青空が広がる中、通りの声がすでに賑わっているのが聞こえた。女将の「朝食ができたよー!」という元気な声が下から響いてきたので、支度を済ませて部屋を出る。
宿の階段を下りると、ウサギ耳のイルナが食堂の隅でなにやら書類をめくっていた。声をかけると、ぱっと顔を上げて笑みを浮かべる。
「おはようございます、アオさん! あの、昨日のポーションの追加納品、ちゃんと届いたそうですよ。街の外にある村まで運んだらしいんですけど、評判いいみたいです!」
「それはよかった。あんなに忙しそうだったけど、成果が出るとやりがいを感じるだろうな」
「はい……まだまだ改良したい点は多いですけどね。でも、これもアオさんが最初に色々手伝ってくれたおかげですよ。ありがとうございます!」
そう言うとイルナはほんの少し照れながら書類を閉じる。いつ見ても、こうして努力が結果に結びついていく姿は頼もしい。俺も「閃身」のスキルをどう活かそうか考えながら、彼女の隣の席に腰かける。
しばらくして、女将がパンとスープを運んでくる。同じタイミングで、シェオラが妹リーシェを伴って姿を見せた。近頃は朝から外へ出るのが日課らしく、彼女は簡単に手を振りながら「おはよう、アオさん、イルナさん」と挨拶して席につく。
「リーシェがだいぶ体力戻ってきたみたいで、今日はもうちょっと先の広場まで散歩しようかと思ってるんです」
「そうなんです。教会の神官さんもOKって言ってくれたので……」
リーシェが小さく微笑み、前より自然な声で話しているのが分かる。あの苦痛の日々が嘘みたいに、姉妹そろって穏やかな朝を迎えられていることに、こちらまで嬉しくなる。そのまま食事をしながら四人で軽く雑談を交わしていると、宿の入口からイゼリアがちらりと顔を出した。
彼女も甲冑姿だが、一部は外して手に抱えている。おそらく騎士団の朝巡回を終えて、休憩がてら宿を訪れたのだろう。こちらを見つけると、落ち着いた足取りで近づいてくる。
「おはよう、みんな。……少し時間ある? 外で話したいことがあるの」
いつになく真剣な声色に、食堂の空気がわずかに引き締まる。シェオラやイルナが「大丈夫?」と心配そうに尋ねたが、イゼリアは軽く首を振って「大事にはならないかもしれないけど、一応話しておきたい」と言う。俺は「分かった。じゃあ出ようか」と座を立った。
宿の外は日差しが強まってきて、通りには人々の往来が増えていた。イゼリアが静かに門のほうへ歩き、人気が薄い脇道に入ると、小さく息を吐いて口を開く。
「騎士団が、近々街を出て周辺の村や集落を巡回する計画を立てているの。表向きは治安維持ってことだけど、実際は“獣人たちが何か大きな集会をしている”という噂の確認が目的。すでに上から少し動きが出始めてる」
「そっか。前から言ってたように、獣人が集まってるっていう不穏な噂だよね。具体的な情報は得られたの?」
イゼリアは困ったように目を伏せる。
「まだ断片的。魔王の話もちらほら出てきてるけど、確かな証拠があるわけじゃない。ともかく、私も同行することになると思う。だから、あなたにも知らせておこうと思って」
「なるほど。……もし何か起きれば、協力したほうがいいかもな。ま、でもあまり先走るのも危険だし」
「そうなの。余計な衝突を避けたい。獣人の多くは普通に生活してるって分かってるし……でも、いざという時はあなたの力が欲しい。特に、あなたが持っているいくつものスキル。もう少し使い方を覚えておいて」
おそらく、騎士団の巡回が正式に動き出すまでには、まだ数日はかかるだろう。その間に俺が日々のガチャでさらにスキルを増やしておくのは、騎士団にとっても心強いというわけだ。イゼリアの視線には薄い不安が混じっているが、それを誤魔化すように軽く「ありがと」と言い、さらに付け加えた。
「……それに、あなた自身が大切なものを守りたいなら、騎士団だけでなく仲間の力を借りることも大事よ。アオ、あなたにはもう十分仲間がいるんだから」
それを言われると、胸がほんのり熱くなる。確かに、俺の周りには今やたくさんの人が集まっている――イルナやシェオラ、リーシェ、そして女将や他の冒険者たち。それだけで勇気を得られるから不思議だ。
「分かった。俺も焦らず、今のスキルを活かせるようになっておくよ。……ありがとう、わざわざ教えてくれて」
「いいの。あなたに黙って進めたくないから」
イゼリアは少し照れたように目を逸らしながら、宿の方向へ引き返す。「じゃ、もう少ししたら私も詰所に戻る。あなたはあなたで好きに動いていて」と短く言い残した。
そのあと宿へ戻ると、食堂ではまだイルナが食事を取っていて、シェオラとリーシェは既に外へ散歩に出たらしい。女将が「姉妹揃って出かけるのは久しぶりだろうね」と微笑む。そのまま午後にかけて、俺は宿の中でこまごまとした雑用を手伝うことにした。新しく得た《閃身(Lv1)》の実験をしたい気持ちもあったが、急ぎの用事はないし、騒ぎを起こすのも迷惑だろう。
夕方、シェオラとリーシェが戻ってきたころには、街の通りが赤く染まりはじめていた。リーシェは「うん……疲れたけど、痛くない」と笑っている。姉のシェオラが軽く汗を拭きつつ「すごくがんばったね」と声をかける光景は、宿屋の女将やウサギ耳のイルナまでもが嬉しそうに見つめるほど微笑ましい。少し前まで暗い部屋に閉じこもっていた子が、ここまで明るい表情を見せてくれるのは、周囲にも希望を与えてくれる。
「ほんとによかった。これでさ、今度はゆっくり街の広場を一周してみようよ。アオさんだって付き合ってくれるかもだし」
「いや、俺でよければ。けど無理は禁物な」
「ありがとう、アオさん……。いつか、もっといろんな場所へ行きたいな」
リーシェの呟きはとても小さく、それでいて力強い。ここにいる仲間たちと出かけることを心から楽しみにしているのだろう。そういった明るい未来の姿をイメージできるようになったのが、何より成長の証だ。
夜になり、食堂でいつもの顔ぶれが集まると、自然と小さな輪ができる。女将が「今日もみんなお疲れさま」と声をかけ、イルナがポーションの進捗を話し、シェオラがリーシェの回復具合を報告する。イゼリアは姿を見せていないが、おそらく騎士団の詰所で残務かもしれない。いつも来れるとは限らないし、彼女は彼女で多忙だろう。
俺は今日のスキル《閃身(Lv1)》について簡単に説明すると、「走るのが速くなるんですか?」とリーシェが興味津々に尋ねる。まだ詳細な試運転はしていないので、適当に「ほんのちょっとだけね。すごく短時間だし、まだLv1だから大して期待はできないよ」と答えるが、それでも彼女は瞳をキラキラさせる。
「でも……そういう地道なスキルが積もっていけば、アオさんはどんどん強くなるんだよね。いつかすごい力を得るのかな」
言われてドキリとする。七つの大罪という強力なユニークスキルを既に三つ抱えているという事実までは、公言するつもりはないが、リーシェは純粋に楽しみとして思い描いているようだ。その笑顔を見ると、魔王として歩む運命をどう捉えるべきか、改めて考えさせられる。
(いつか、本当に“魔王”になる力を手にしても、こうして笑い合える日常を手放したくない。だから……いまはまだ仲間とともに成長する時間が必要だ。)
そんな思いを胸に、宴というほどではないが和やかな時間が流れる。食事を終えると、シェオラとリーシェは早めに部屋へ戻り、イルナは錬金術の調合計画を練っているらしく、宿の一角でノートを広げている。女将は片付けに追われている最中で、俺も手伝おうか迷うが、彼女は「大丈夫、いつもありがとうね」と断ってきた。
そこへ、イゼリアが遅い足取りで宿屋の扉を開ける。甲冑の一部を外していて、やや疲労がにじむ顔つきだが、俺が視線を送ると困ったように笑みを返す。
「ごめん、こんな時間に。ちょっと話したいことがあって……少し外に付き合ってくれる?」
「うん、構わないけど……疲れてるんじゃない?」
「大丈夫、気分転換したいのよ」
そう言われ、二人で宿を出る。夜風がひんやりとしていて、街灯の光が石畳を照らし出す。イゼリアは甲冑を脱ぎきらずに上半身だけ軽装にしているが、普段よりは身軽な姿だ。人通りの少ない夜の通りをゆっくりと歩きながら、俺の存在を確認するように横目でちらりと視線を送る。
「騎士団の上層部から、さらに詳しい通達が来たの。数日中に、街の周辺だけでなく、近隣の村や集落を巡回する隊が編成される。わたしはその一隊に加わるわ。正直、魔王絡みの噂を調べるのが目的よ」
「やっぱり……本格的に動き出すんだな。危険はないのか?」
「あるかもしれない。でも、ほとんどは空振りで済むと思ってる。大規模な組織が動くならもう少し顕著な兆候があるはずだから。けど、もし獣人たちの集会が実際に行われてるなら、まずは情報だけでも抑えたい。あなたにも伝えておきたいの」
彼女の声には決意と不安が混じり合っている。俺は静かに頷き、「気をつけて」と短く返した。いまのところ、俺が同行するかどうかは決まっていないが、状況によっては呼ばれるかもしれない。騎士団が公式に動くなら、俺の力に頼らずとも済むだろうが、もし大罪や魔王の影響が絡んでいるなら、誰かが止めなければならないかもしれない。
「……もし何かあったら、すぐ連絡する。あなたのことも頼っていい?」
「もちろん。そのために俺はここにいるようなものだから」
夜の路地でそんな言葉を交わすと、イゼリアはふっと安堵したように吐息をつく。騎士としての厳しい表情が一瞬だけ緩み、女性らしい柔らかさが見えた気がする。周囲に人影もまばらで、二人しかいないこの空間に、妙な静寂が漂う。
「ありがとう、アオ。……こんなに素直に人を頼るのは久しぶりかも。騎士になって以来、自分一人で抱えこむことが多かったから」
「気にしなくていいよ。俺で支えになるなら、いくらでも頼ってほしい」
素直な言葉が口をついて出る。自分でも驚くほど自然に言えたのは、この街で積み重ねてきた日々と、彼女や他の仲間との交流のおかげだろう。イゼリアは小さく笑って「助かるわ」と短く答え、女将の待つ宿へ戻りましょう、と付け加えた。
夜の宿屋には暖かいランプの光がともり、かすかな湯気があがっている。女将がカウンターの帳簿をめくりつつ、俺たちを見つけて軽く手を振った。「おかえり。二人して夜の風にあたりに行くとはねえ」と微笑ましい視線で見送ってくれる。恥ずかしさを感じつつイゼリアと別れ、部屋へ戻るころには日中の疲れが一気に押し寄せてきた。
ベッドへ身を沈め、今日の出来事を振り返る。朝のガチャで得た《閃身》をまともに試す機会はなかったが、焦る必要はない。明日になれば、また一つ新しいスキルが増えるのだから。七つの大罪がまだ四つも残っているという現実――いつその大罪スキルが飛び出すか分からないが、いまはそれを穏やかな日常で受け止めるだけの覚悟ができている気がする。
街の静かな灯りと、気のいい仲間たちがそばにいる。シェオラやリーシェは明日も教会へ行くだろうし、イルナは錬金術屋で新しい仕事をしているはずだ。イゼリアは騎士団の動きとともにしばらく忙しいかもしれないが、何かあれば助け合える関係になった。こうして強くなっているのは、毎日のスキルと同じように、人の絆が少しずつ積み重なっているからに違いない。
瞳を閉じると、いつものように淡い夢の入り口が見えてきた。明日も新しい力が手に入ると信じながら、魔王へ続く運命の道を遠くに感じつつ、深い眠りへ落ちていく。まだ“大きな転機”は訪れないかもしれない。でも、こうして積み重ねる日々こそが、いずれクライマックスの舞台に立つ自分を支えてくれるはずだ。そう思うと、ほんのり頬が緩み、あたたかな気持ちで意識が溶けていった。
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基本は腹を抱えて笑えるコメディだが、物語は時に、世界の運命を賭けた、手に汗握るシリアスな戦いへと突入する。絶体絶命の状況の中、試されるのは仲間たちとの絆。そして、主人公が示すのは、愛する人を、仲間を守りたいという想いこそが、どんなチート能力にも勝る「最強の力」であるという、熱い魂の輝きだ。笑いと涙、その緩急が、物語をさらに深く、感動的に彩っていく。
王道の異世界転生、ハーレム、そして最高のドタバタコメディが、ここにある。最強の力は、一途な愛! 個性豊かすぎる仲間たちと共に、あなたも、最高に賑やかで、心温まる異世界を旅してみませんか? 笑って、泣けて、最後には必ず幸せな気持ちになれることを、お約束します。
【完結】487222760年間女神様に仕えてきた俺は、そろそろ普通の異世界転生をしてもいいと思う
こすもすさんど(元:ムメイザクラ)
ファンタジー
異世界転生の女神様に四億年近くも仕えてきた、名も無きオリ主。
億千の異世界転生を繰り返してきた彼は、女神様に"休暇"と称して『普通の異世界転生がしたい』とお願いする。
彼の願いを聞き入れた女神様は、彼を無難な異世界へと送り出す。
四億年の経験知識と共に異世界へ降り立ったオリ主――『アヤト』は、自由気ままな転生者生活を満喫しようとするのだが、そんなぶっ壊れチートを持ったなろう系オリ主が平穏無事な"普通の異世界転生"など出来るはずもなく……?
道行く美少女ヒロイン達をスパルタ特訓で徹底的に鍛え上げ、邪魔する奴はただのパンチで滅殺抹殺一撃必殺、それも全ては"普通の異世界転生"をするために!
気が付けばヒロインが増え、気が付けば厄介事に巻き込まれる、テメーの頭はハッピーセットな、なろう系最強チーレム無双オリ主の明日はどっちだ!?
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