大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ

鮭とば

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本編

狂犬と鮮撃

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直感で剣を横に振った。
振っていてよかった。
もし振っていなければ。
きっと、次に目覚めた時はベッドの上だっただろう。
爪と銀剣が、それとぶつかったとは思えないような音を辺りに散らし、同時に俺へと迫っていた狂犬は一度離れる。
「チッ、流石に速いな」
『な…今のはなんだ!?』
「何って…狂犬マッドハウンドだよ」
フィールド内を縦横無尽に動き回り、マッドハウンドは最早黒い風にしか見えない。
鎧は…仕方ない、着けるべきか。視界が遮られるのが嫌だったから着けてなかったけど、今の衝撃からして、もし一撃でも喰らえばベッドコースだ。
槌型のそれの柄尻を少し尖らせ、右手の親指、その腹からぷつりと血を流させる。
ほんの僅かな、しかし確かな流血。
それが不味かったのかもしれない。
マッドハウンドが狂ったように加速、再突撃してきた。
「うぉ!!」
既に鎧は起動している。
しかし、装着完了まで、明らかに足りない。
そして、鎧を装着中はその箇所は動かせない。
つまり、足は動かせない。
不味った!
眼前には鋭く、そして整然と並んだ牙。
それが、俺の喉笛を噛み切らんと迫る。
「くっ、そ!」
完全に俺の判断ミスだ。
咄嗟に銀剣をかち上げる。
しかしそれは回避され、形を変えて今度は後ろから噛み付こうとする。
「こんの!」
それに対し、俺は髪をカウンター気味に伸ばして対応。
無意識に選んだ形は幾千の針。
手応えは、あった。
針がどこかの肉を食い破り、骨を削る感覚。
バタバタと血が零れる音と、生温くて気持ち悪い感触が髪を伝ってくる。
『よし!相手は前足を失った!もう走れな──』
『しくじった!!』
既に全身を覆った鎧は、俺の動きを縛らない。
即座に地面を蹴り、前に転がり込み、さらにその勢いのまま跳ね上がって頭に着いたマッドハウンドの血を払い飛ばす。
『どうした今代の?あいつは今手負いだ。すぐにとどめを!』
『手負いィ?おいおい亡霊様、どこがどう手負いなんですかねぇ?』
ヘルムの中で、誰にも聞こえない声が反響する。
『うっそ…だろ?』
シャルはやっぱり知らなかったか。
マッドハウンドの特性を。
『なんで……!!』
数が、不完全ながらも二体になっていた。
個にして軍、単一にして無数。
こいつらは切り落としたりすれば、そこから増える。
気軽に金剣を抜く事すら出来ん。
下手に斬って増やしてしまえば目も当てられんからな。
いつだったかの単眼巨人サイクロプスに引けを取らない再生能力。
マッドハウンドのマッドは、狂気マッドのみではない。
マッドを兼ね備えた名だ。
奴らは、自由に個体数を弄る事が出来る。
個から軍になる事も、軍から個になる事も容易い。
正しく泥の如き狂気の猟犬マッドハウンドという訳だ。
加えて──。
ガリッ。
『痛った』
『次は何事だ!?』
『…気にすんな』
想定内だよ。
さっきマッドハウンドの足を飛ばした時に付着した血が牙か爪か知らんが、そう言った形になって俺の頭を引っ掻いただけだ。
『大怪我じゃねぇか!!』
後頭部は一番頑丈だから大丈夫。
せいぜい、少し血が滲む程度だよ。
さて。
俺が銀剣を握りなおすのと、狂犬二匹が完成したのは全く同時だった。
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