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第4章
1 握手会④
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その場でしばらく待っていると、私よりいくらか年上ぽい背の低い女性に声を掛けられた。
「伊月さん!」
「まきせさんですか? 初めまして!」
まきせさんは主婦W/で、SNS上でたまに会話することがあるくらいの距離感のフォロワーさんだ。
私には一万人近いフォロワーがいるけど、相互フォローになっている人はたぶん三百人に満たない。
その中には過去の推しのファンの子もいるから、相互のZYXファンとなると、もっと少ないだろう。
会話をする相手はさらに限られているから、まきせさんは私から見たらわりと交流がある部類のW/ではある。
「初めまして~。うわぁ、伊月さんと会えるなんて嬉しい~」
「私もお会いできて嬉しいです……!」
「あの、実は他にも知り合いが来ててぇ、伊月さんとは相互になってないらしいんですけど、呼んでもいいですか?」
「いいですよ~。すごいですね、この枠にそんなに知り合いが入ってるって」
「ですよね~、びっくりしました!」
まきせさんはスマホを取り出して、電話を掛けた。
通話できるほどの仲の子なのか。けっこう密につながってるんだな、と、私は珍しいものを見るような気持ちでその様子を眺めていた。
「あ~、みうちゃん? 今どこ? うん、うん、伊月さん大丈夫だって。えっとね……建物から出て左側の~」
そこでまきせさんは私をちらっと見て、
「茶髪でオシャレな格好の美人のお姉さんがいるからすぐわかると思う~」
と言って電話を切った。
「そんなざっくりした案内でわかりますかね……」
「わかります! 伊月さん目立ってたから!」
そんなに目立つ容姿じゃないと思うんだけど、ZYXと会うからと思って、気合い入れすぎちゃったかもしれない。
その後すぐに若い女の子が私に目を留めて、こちらに駆け寄ってきた。
「あ、あの子かな?」
そのまきせさんの言葉を聞く限り、二人に面識はないらしい。
私、そんな目立つのか。
今さらながら恥ずかしいな。次のライブは大人しくツアーTでも着て参戦しよう。
「わ~、まきせさんですか? ついに会えた~!」
「よしよし」
みうちゃんはまきせさんとハグをした後、こちらに向き直った。
「伊月さんですよね、初めまして! いつもイラスト見てます。大ファンです!! えっめっちゃ美人さんですね……!」
「あ、ありがとうございます」
一息に情報を詰め込む若い子のパワーに、つい圧倒される。
こういう子の握手会はきっとスムーズなんだろう。
みうちゃんのバッグの持ち手には、ジークスのキーホルダーがたくさんついていた。
バッグの縁からはZee様とちるぴのぬいぐるみを覗かせていて、いかにもW/ですと全力でアピールしている。
ちなみにぬいぐるみは人間モデルではなく、それぞれが「好きな動物」として挙げた「虎」と「鳥」で、MVで本人たちが着ていた衣装を身につけている。
「伊月さんが描くじーちる、ほんっとうに大好きなんですぅ。私ケミ推しなんで~」
にこやかに発されたその言葉に、はたと体が固まる。
ケミ推し……。
ああ、しまった。
だからそのぬいぐるみか。
こういう可能性があることをすっかり忘れてた。
相互になっていない時点で警戒するべきだった。
なぜなら、私はケミ発言をしない人しかフォロバしていないのだから。
ケミ推しとは、グループのメンバーをコンビで推すことだ。
それは純粋に関係性やパフォーマンスの相性を表すこともあるけど、往々にして、ファンの妄想によりカップルとしての意味合いを持つ。
みうちゃんが言う「じーちる」とは、Zee様と充琉のカップルを指す。
ちなみに「やなちる」というケミもあり、矢凪と充琉を表している。
敢えて探さないようにしてるけど恐らく「じーやな」的なものもあるのだろう。
そういう楽しみ方に理解がないわけじゃない。
ケミとして推す気持ちが、応援する熱量として強力だということもわかっている。
でも、私自身は全くそういうつもりで描いていないので、自分が描いたものをケミと捉えられるのは不本意だ。
ZYXにケミなんてない。三人でひとつなんだから。
その場は苦笑いでごまかして、とりあえずカフェに移動することにした。
夕方という時間帯のせいか、近くのチェーン店は学生や仕事帰りの人でいっぱいだったので、少し歩いて路地裏の喫茶店に入った。
私が握手会に当選していたことを二人とも知っていたから、最初はその話を聞かれて、ホッとしていたのもつかの間、あっという間に話題は私の苦手とする方向に進んでしまった。
「伊月さんの描くZee様ってほんとスパダリですよね~」
す、すぱだり……。
「いえ、私はそのままを描いてるだけで……」
「わかる~本人がスパダリだからそうなっちゃうんですよね~。ちるぴと並ぶとほんと最強カップルって感じでぇ~、美しくて尊くて~」
「じーちる人気だよねぇ」
まきせさん……。乗ってしまわれますか……。
「だって美男美女じゃないですかぁ。一生いちゃいちゃしててほしい~!」
ああ……。これはかなりハードだぞ。
その場にいる全員にそういう趣向があるならともかく、何の確認もなしに言っちゃうのはどうなんだ……と思いつつ、それでも水をさせないのは、自分がW/の中ではそれなりに知られた立場だという意識があるからだ。
このことで変な陰口を叩かれたくないし、W/の間で問題になっても困るし。
まあ、まだ若い子だから、仕方ないのかな……。
「私はやなちるが好きだな~。矢凪くんちるぴの肩に顎乗せたりしてさ、距離近いよね~」
まきせさんが、まさかのやなちる派だった件。
普段ぜんぜんそんなこと言わなくて、安全な人だと思ってたのに……。
SNSではメンバーへの配慮もあって大っぴらに言えない分、こういうオフの場だとそういう話になりやすいのかもしれない。
しかもこうして堂々とその話題を振る子がいたら、ついしゃべりたくもなるか……。
「あ~! ほんとそれ! 伊月さんも描かれてましたよね!」
言われて、私は数ヶ月前に自分が描いた絵を思い出した。
「あ~……、描いたね。かわいいなって……」
「ですよね!!」
たしかに描いたけど、違う……ッ。
私は、クールな矢凪がちるぴの肩に顎乗せてるのがかわいくて、「顎のせ矢凪かわいい」って一心で描いただけで、相手がちるぴでもZee様でも関係なくて、唐突にパーソナルスペース消滅する矢凪が面白いって言いたかっただけなのに。
「矢凪くんちるぴのこと大好きだよね~」
「ね~! でもちるぴはZee様とガチなんでぇ」
ガチってなんだ、それはファンが決めることなのか??
ああ……。ついていけない。
「伊月さん!」
「まきせさんですか? 初めまして!」
まきせさんは主婦W/で、SNS上でたまに会話することがあるくらいの距離感のフォロワーさんだ。
私には一万人近いフォロワーがいるけど、相互フォローになっている人はたぶん三百人に満たない。
その中には過去の推しのファンの子もいるから、相互のZYXファンとなると、もっと少ないだろう。
会話をする相手はさらに限られているから、まきせさんは私から見たらわりと交流がある部類のW/ではある。
「初めまして~。うわぁ、伊月さんと会えるなんて嬉しい~」
「私もお会いできて嬉しいです……!」
「あの、実は他にも知り合いが来ててぇ、伊月さんとは相互になってないらしいんですけど、呼んでもいいですか?」
「いいですよ~。すごいですね、この枠にそんなに知り合いが入ってるって」
「ですよね~、びっくりしました!」
まきせさんはスマホを取り出して、電話を掛けた。
通話できるほどの仲の子なのか。けっこう密につながってるんだな、と、私は珍しいものを見るような気持ちでその様子を眺めていた。
「あ~、みうちゃん? 今どこ? うん、うん、伊月さん大丈夫だって。えっとね……建物から出て左側の~」
そこでまきせさんは私をちらっと見て、
「茶髪でオシャレな格好の美人のお姉さんがいるからすぐわかると思う~」
と言って電話を切った。
「そんなざっくりした案内でわかりますかね……」
「わかります! 伊月さん目立ってたから!」
そんなに目立つ容姿じゃないと思うんだけど、ZYXと会うからと思って、気合い入れすぎちゃったかもしれない。
その後すぐに若い女の子が私に目を留めて、こちらに駆け寄ってきた。
「あ、あの子かな?」
そのまきせさんの言葉を聞く限り、二人に面識はないらしい。
私、そんな目立つのか。
今さらながら恥ずかしいな。次のライブは大人しくツアーTでも着て参戦しよう。
「わ~、まきせさんですか? ついに会えた~!」
「よしよし」
みうちゃんはまきせさんとハグをした後、こちらに向き直った。
「伊月さんですよね、初めまして! いつもイラスト見てます。大ファンです!! えっめっちゃ美人さんですね……!」
「あ、ありがとうございます」
一息に情報を詰め込む若い子のパワーに、つい圧倒される。
こういう子の握手会はきっとスムーズなんだろう。
みうちゃんのバッグの持ち手には、ジークスのキーホルダーがたくさんついていた。
バッグの縁からはZee様とちるぴのぬいぐるみを覗かせていて、いかにもW/ですと全力でアピールしている。
ちなみにぬいぐるみは人間モデルではなく、それぞれが「好きな動物」として挙げた「虎」と「鳥」で、MVで本人たちが着ていた衣装を身につけている。
「伊月さんが描くじーちる、ほんっとうに大好きなんですぅ。私ケミ推しなんで~」
にこやかに発されたその言葉に、はたと体が固まる。
ケミ推し……。
ああ、しまった。
だからそのぬいぐるみか。
こういう可能性があることをすっかり忘れてた。
相互になっていない時点で警戒するべきだった。
なぜなら、私はケミ発言をしない人しかフォロバしていないのだから。
ケミ推しとは、グループのメンバーをコンビで推すことだ。
それは純粋に関係性やパフォーマンスの相性を表すこともあるけど、往々にして、ファンの妄想によりカップルとしての意味合いを持つ。
みうちゃんが言う「じーちる」とは、Zee様と充琉のカップルを指す。
ちなみに「やなちる」というケミもあり、矢凪と充琉を表している。
敢えて探さないようにしてるけど恐らく「じーやな」的なものもあるのだろう。
そういう楽しみ方に理解がないわけじゃない。
ケミとして推す気持ちが、応援する熱量として強力だということもわかっている。
でも、私自身は全くそういうつもりで描いていないので、自分が描いたものをケミと捉えられるのは不本意だ。
ZYXにケミなんてない。三人でひとつなんだから。
その場は苦笑いでごまかして、とりあえずカフェに移動することにした。
夕方という時間帯のせいか、近くのチェーン店は学生や仕事帰りの人でいっぱいだったので、少し歩いて路地裏の喫茶店に入った。
私が握手会に当選していたことを二人とも知っていたから、最初はその話を聞かれて、ホッとしていたのもつかの間、あっという間に話題は私の苦手とする方向に進んでしまった。
「伊月さんの描くZee様ってほんとスパダリですよね~」
す、すぱだり……。
「いえ、私はそのままを描いてるだけで……」
「わかる~本人がスパダリだからそうなっちゃうんですよね~。ちるぴと並ぶとほんと最強カップルって感じでぇ~、美しくて尊くて~」
「じーちる人気だよねぇ」
まきせさん……。乗ってしまわれますか……。
「だって美男美女じゃないですかぁ。一生いちゃいちゃしててほしい~!」
ああ……。これはかなりハードだぞ。
その場にいる全員にそういう趣向があるならともかく、何の確認もなしに言っちゃうのはどうなんだ……と思いつつ、それでも水をさせないのは、自分がW/の中ではそれなりに知られた立場だという意識があるからだ。
このことで変な陰口を叩かれたくないし、W/の間で問題になっても困るし。
まあ、まだ若い子だから、仕方ないのかな……。
「私はやなちるが好きだな~。矢凪くんちるぴの肩に顎乗せたりしてさ、距離近いよね~」
まきせさんが、まさかのやなちる派だった件。
普段ぜんぜんそんなこと言わなくて、安全な人だと思ってたのに……。
SNSではメンバーへの配慮もあって大っぴらに言えない分、こういうオフの場だとそういう話になりやすいのかもしれない。
しかもこうして堂々とその話題を振る子がいたら、ついしゃべりたくもなるか……。
「あ~! ほんとそれ! 伊月さんも描かれてましたよね!」
言われて、私は数ヶ月前に自分が描いた絵を思い出した。
「あ~……、描いたね。かわいいなって……」
「ですよね!!」
たしかに描いたけど、違う……ッ。
私は、クールな矢凪がちるぴの肩に顎乗せてるのがかわいくて、「顎のせ矢凪かわいい」って一心で描いただけで、相手がちるぴでもZee様でも関係なくて、唐突にパーソナルスペース消滅する矢凪が面白いって言いたかっただけなのに。
「矢凪くんちるぴのこと大好きだよね~」
「ね~! でもちるぴはZee様とガチなんでぇ」
ガチってなんだ、それはファンが決めることなのか??
ああ……。ついていけない。
応援ありがとうございます!
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