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第7章

4 フレンチディナー②

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 そう広くないエントランスは暗めの間接照明で、黒のベストをキチンと着こなしたウェイターさんが、スッとレジカウンターから出てきてお辞儀した。
「いらっしゃいませ」
 優子さんの顔を見るなり軽く微笑み、
「お待ちしておりました。コートをお預かりしましょうか?」
「ありがとうございます」
 優子さんも淑女らしい微笑みを見せ、コートを脱いだ。
 俺もコートを脱ごうとしたら、
「亮弥くん、スマホとか財布とか、私がバッグに預かろうか?」
「あ、うん。ありがとう」
 優子さんに貴重品を渡してから、白いコート片手にじっとこちらへ笑みを向けているウェイターさんに、俺もコートを渡した。
 それを慣れた手つきでクローゼットに収納してから、
「ではこちらへどうぞ」
 と彼が俺達を案内する。
 なんかすごくちゃんとしたところぽい。
 俺みたいな初心者が来ても大丈夫なのだろうかと、少し心配になった。

 でもそれは杞憂だった。
 案内に従ってホールに入ると、スッと天井が高く抜けて、明るい空間が広がった。
 セッティングされたテーブルはゆとりある距離感で配置され、白い壁にはいくつかの絵画が飾られている。
 既に五、六組の客が入っており、チェックシャツにニットベストみたいな、俺よりカジュアルな格好の客もいた。
 年齢層は幅広く、話し声もひそひそとはしておらず適度な賑わいがあって、それぞれが自由に食事を楽しんでいるようだった。
 一番奥の大きな窓の外には、刈り込まれた植木と石畳が中央の噴水を軸に左右対象に配置された、フランス風の小さな庭園がライトアップされており、俺達はその窓辺の席に通された。

 事前にコースで注文してあるとのことで、メインと飲み物だけ選んでから、俺はようやくひと息ついて正面に座る優子さんに目を向けた。
「カジュアルで驚いたでしょ」
 優子さんが俺の心に寄り添うように言った。
「一瞬緊張したけど、拍子抜けした。なんか、店構えと客層がちぐはぐな感じだね」
「下町だからかもね。でもお店側は馴れあいすぎずに、ちゃんと上質なサービスを提供してくれるんだよね。気軽でもあり、オシャレもでき、って感じで、私はわりと好きなんだ。ここに小さな庭があるのも気に入ってて」
 優子さんは視線を外に向けた。
「たまにランチタイムに来て、庭を眺めながら優雅に食事してる」
 そう言って、ふふ、と笑った。
 優子さんにそんな趣味があったとは、初耳だった。
 というか俺は、お店に気を取られるあまり、席につくまでコートを脱いだ優子さんの姿をちゃんと見ていなかったことを悔いていた。
 上半身は白のスタンドカラーのブラウスを着ていて、先ほどコートの下に見えた黒のスカートと合わせると、本当に可愛いお人形みたいだ。
 そんな服持ってるなら、普段のデートでも着てくれれば良いのに、と俺は思った。

 と、優子さんがこちらを見てニコニコしているのに気づく。
「どうかした?」
「いや、かっこいいなーと思って。やっぱりイケメンはオシャレが映えるね」
「優子さん、俺のことまだイケメンって思ってるの? もう見飽きてると思ってた」
「全然! 亮弥くんを見飽きるなんて、贅沢な! いつも美形だなぁって思ってるし、つい見とれちゃってたりするよ、言わないだけで」
「そ、それはそれで、ちょっと恥ずかしいけど……」
 恥ずかしいけど、嬉しくもある。
 イケメンって言われるのはコンプレックスだったのに、俺、年取って丸くなったのかなぁ?
「優子さんも可愛いよ。なんだかんだオシャレだよね、着飾らないけど、上品って言うか。つかスーツ姿もめっちゃカッコイイし」
「ほんと? ありがとう。自分ではスーツが一番似合うと思ってる」
「わかる。敏腕秘書感がすごい」

 その時、さっきとは別のウェイターさんが食前酒のシャンパンを運んできて、いよいよ食事が始まった。
 恥ずかしながら初めて正式なフレンチを食べに来た俺は、テーブルにずらりと並んだフォークやナイフのチョイスからまずよくわからない。
 優子さんは「外側から使うんだよ」と教えてくれたが、左側と右側で本数が違う……というか、ナイフ側にスプーンも混ざっているし、これから何が出てくるのかわからない身としては、全くこれらを使いこなすイメージができないのだ。
 そんな俺の様子に気づいたのか、優子さんはクスクスと笑って、
「もし間違えても、必要なタイミングにウェイターさんがちゃんと補充してくれるから大丈夫」
 と言った。
「いやでも、カッコ悪いし……できれば間違えたくない」
「それじゃ、私が教えるね。間違えたらゴメン」
 そんなわけで、こまめに優子さんの動きをチェックしながら、見様見真似で食事を進めた。
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