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第三章

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 そんなある日、アレムはウィルエル達と街へ出かけることになった。ウィルエルが「買い物に行こう」と言い出したのだ。数日かけて予定と人員、訪問先調整が行われたらしく、オドリックが疲れ果てていた。アレムは外出が決まった日から、ネイバリーに来た日に馬車から見た景色を何度も思い出して心躍らせていた。どこか行きたい所があるかウィルエルに尋ねられたが、「どこでもいいです」と答えた。アレムは本当に外を見ることが出来るならどこでもよかったのだ。
 いよいよ外出の日、外の空気はアレムが城へやって来た時期は肌寒かったが、いつの間にか随分暖かくなっていた。とても天気が良く空が眩しい。その日外出したのはウィルエル、アレム、オドリック、ロイに護衛の六名を加えた十名だった。護衛の兵達はいつもアレムを異物のような目で見てくる人達だったが、仕事はきちんとするタイプのようだ。彼等はアレムの方はあまり見ずに黙って着いてきていた。
 馬車で移動し、降りたのはとても賑やかな市場だった。アレムはあちこち目移りする。食べ物や花、古本に食器、様々な屋台が並び活気が溢れている。ロイが「ここは週に一度、通りに店が並ぶんですよ」と教えてくれた。警護に囲まれながらアレム達は市場を歩き出した。ウィルエルに気が付いた市民達が次々に集まってくる。「ウィルエル様!!」と老若男女問わず叫んでいる。ウィルエルはにこやかに手を振り、近づいてくる人には握手をしたり肩を抱いたりしていた。護衛が何度追い払っても人々は押し寄せてきた。アレムは初日のパーティーのでの人気ぶりを思い出した。
 市民にもこんなに人気があるのか……。
 そんな人の隣に並ぶのは気が引けて、アレムはロイとオドリックの陰に隠れていた。ウィルエルはそんなアレムの腕を引っ張って肩を抱き寄せた。周囲から黄色い歓声が上がる。アレムは注目されたくなくて顔を伏せていた。
 食べ物の屋台からはどこからも美味しそうな匂いが漂っている。アレムが唾を飲み込んで見つめていると、いつの間にかロイが購入してしまう。
「いいです、そんなに、たべられません」
 とアレムが慌てて言っても、ロイは買うのを辞めなかった。ウィルエルとオドリックも止めてくれない。果物を棒に刺して飴で固めた物、小麦粉と卵の生地にひき肉を詰めたもの、蜂蜜のジュース……。「たべられません」と言ったはずのアレムは気が付くと全て食べ終えていた。
 古本の屋台ではアレムが手に取った本をウィルエルが全て買おうとしてしまうので、必死に止めて一冊だけ購入してもらった。
 市場を回ると今度は別の通りに移動した。屋台は無く、見るからに高級そうな店が並んでいる。ウィルエルは商品を手に取ってはアレムに「これいいね」とか「これが似合うよ」と声をかけてきた。アレムはよく分からず笑って誤魔化していた。「どれがいい?」と聞かれた時は店員の手前いらないとは言えず、とても悩んで答えを出す、というのをどの店でも繰り返した。服も宝石も欲しい訳ではないが、どの店でも店員は期待の眼差しでこちらを見ていて、購入を決めると安堵と喜びの表情を浮かべる。そのためアレムはウィルエルの買い物を止めることは出来なかった。次の店舗に移ろうと外に出た時、隣の時計店のショーウィンドウがアレムの目に入った。そこにはたくさんの時計が並んでいて、その中には懐中時計もあった。アレムは物語の中でしか懐中時計を見たことがなかった。『サービトと竜』にも懐中時計が出てくる。サービトが旅に出る時、父の形見の懐中時計を持って出るのだ。アレムは懐中時計にずっと憧れがあった。そんなアレムの視線をウィルエルは見逃さなかった。
「これ?」
 後ろからアレムの耳元に顔を寄せ、ウィルエルがアレムの見ていた懐中時計を指差した。このままではまたウィルエルに買わせてしまうと思い、アレムは「なんでもないです」と首を振った。
「サービトと竜でも懐中時計が出て来たよね」
 アレムは心を読まれているのかと思った。アレムが返事を迷っていると、ウィルエルはスタスタと店に入ってしまった。追いかけるともうウィルエルは懐中時計を店員に注文してしまっていた。
「貰える物は貰った方がいいですよ!」
 ロイが明るくアレムに声をかける。オドリックが「お前はもっと遠慮を覚えろ」とふくらはぎに蹴りを入れていた。懐中時計は店の奥に運ばれると、店主が蓋を開いて何か作業を始めた。ウィルエルがアレムを手招きする。見ると店主は蓋の裏に何か刻印をしていた。店主の器用な手つきをアレムは食い入るように観察した。刻印はすぐに終わり、アレムの手元に時計が渡された。蓋の表は蔦のような美しい模様が彫られている。蓋を開くと、盤面の奥に歯車が見えていていつまでも眺めていられそうだ。そして蓋の裏にはネイバリー語で“アレム・シャミーレ”と名前が刻まれていた。アレムは思わず「うわぁ……」と声が漏れていた。感無量で両手で大事に時計を包み込んだ。
「ありがとうございます。えいえんにもっています」
 知っている言葉で精一杯想いを伝えた。ちゃんと伝わったか心配でウィルエルの顔を見ると、ウィルエルは目を細めてアレムの頭を撫でた。やはり子どもやペットみたいに思われている気がしたが、それでもアレムは嬉しかった。
「時計をプレゼントする意味は知っている?」
 ウィルエルに聞かれてアレムは首を振った。
「同じ刻を過ごす、という意味だよ」
 アレムは時計をじっと見た。少なくとも、今は婚約を続けてくれる意思があるようだ。この先どうなるか分からないが、この時計は一生大切にしようとアレムは誓った。これを見る度に今日のことを思い出すことが出来る。時計には鎖が付いていたのでアレムはそのまま首に下げた。
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