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盾の聖女は、勇者コーダに恋心を抱いていた

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 ――ならば、ケイトと言う名の少女を返してください。

「……え」

 思いもよらなかったコーダの言葉に、ルナは思わず声を漏らしてしまった。
 ルナは……否、ルナだけではなかったけれど、コーダと一緒に旅をした聖女たちは、誰一人として「ケイト」という名の少女の存在を知らなかったのだから。

 魔王を討伐した後にコーダが何を望むのか、どう生きるのか。そもそもどうして、コーダが剣を手にしたのか、そこに居る誰一人として知らなかった。
 それでもどうしてか、何も知らなかったけれど……明るくて優しいコーダは誰に恨まれることも、誰に憎しみを感じることもせずに、魔王を倒した後の世界で皆に愛されて過ごすのだと、誰もが信じて疑っていなかった。
 ルナは、そんな優しいコーダの横に立つのが、自分であったら良いのにと、そう願っていた。
 その時までは……

「ケイト? 我には知らない名前だ」

 ……痛いほどの沈黙の後、国王が口を開いた。
 張り詰めていた空気が一瞬和らいだ気がして、ルナは詰めていた息を吐いた。
 それから、ルナはコーダの名前を呼ぼうとした。「コーダ、落ち着いて」と、そう言おうとして……

「嘘をつくな!!」

 ……けれど呼びかけは、他ならないコーダの叫びによって遮られた。
 ルナがコーダに歩み寄ろうとしたのは一歩分。けれど、コーダが国王に向かって行ったのは数歩分だった。ルナの伸ばした手は宙を切る。

「俺はあの日、お前らがケイトを連れて行ったあの日、あの場所に居たんだ!! 無力で何も出来なくて、ケイトが連れ去られることを、ただ見ていることしか出来なかった約立たずの俺が!!」

 コーダの穏やかな空気はどこかへ消えてしまって、コーダの瞳の奥には、魔王と対峙した時ですら浮かばなかった激情が滲んでいた。

 ーーねぇ、あなたは誰なの? コーダを、優しいコーダを返してよ。

 ルナの瞳には、コーダがまるで別人のように映って見えた。
 一緒に旅をしてきたコーダはいつだって優しくて、誰にも怒らなくて。こんな風に、感情を剥き出しにするような人では無かったから。

 それとも……それとも、これが本当のコーダなのだろうか?
ずっとニコニコと笑っていて、いつだって穏やかだったコーダの姿は偽りのものだったのだろうか?

「ずっと情報を探り続けていた。泣いていたケイトを連れていった奴が、どこの誰なのか。これ以上、俺からケイトを隠してみろ。魔国の次に滅ぶのはこの国になる」

 暗に「戦うつもりもある」と告げるコーダの姿に、ルナはもう何を信じれば良いのか分からなかった。伸ばしていた手が宙を彷徨って、それから力無く落ちていく。
 コーダが聖剣に手をかけて、軽い音と共にその刀身が姿を見せる。魔国を、魔王を殆ど一人で滅ぼした勇者の戦闘準備に、国王が表情を曇らせた。

「ルナ!」

 誰かがルナの名前を呼ぶ。祓いの聖女の、スズリハだろうか? コーダの攻撃を防ぐ盾を作らなくてはと、ルナにも分かっていた。
 そうしないと、コーダの攻撃を防げる人なんて他に居ないから。

 皆の視線がルナに集まっていた。
 「攻撃を防げ」と、国王の瞳が告げていた。
 「敵になるのか」と、コーダの瞳が問うていた。

「ルナ、ごめん。俺は君の敵になっても、もう一度ケイトに会いたいんだ」

 コーダがそう言って、それからもう一度「ごめん」と謝った。
 「話を聞くと約束したけど、守れそうにない」と、こんな時に謝ってくるコーダの姿は、やっぱりルナが恋をしたコーダ自身だった。

「……無理よ。コーダと戦うなんて、私には出来ない」

 ルナが……盾の聖女が頼りにならないことを悟った国王の行動は早かった。それまでの態度を一変させて、諦めたような表情を浮かべた。

「先見の聖女は、あの塔の上に居る」

 王城の一角、最も高い建物を国王は指さす。刹那、コーダの持つ聖剣が振り抜かれた。謁見室の窓が吹き飛んで、コーダは一瞬のうちに消え去ってしまう。

「ケイト!!」

 最後にルナが見えたのは、ルナの知らない人の名前を呼ぶコーダの横顔だけだった。
 必死な顔をしていた。額には汗が滲んでいて、大事な聖剣すら放り出してしまいそうで。真っ直ぐに塔の上だけを見つめるコーダの姿は、「ケイト」という名の人が大切なのだと、何よりも強く語っていた。


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