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第1部3章 お出かけ編
30.5 大月承治の日常
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大月承治の朝は早い。
日の出を告げる鐘の音によって目を覚ました承治は、朝焼けに照らされたベッドから起き上がって大きなあくびをする。
こちらの世界では時間はざっくりとしか分からない。太陽の高さと王宮で鳴らされる鐘の音だけが時間を知る手だてだった。
肌着姿の承治は腰に麻布を巻き、寝ぼけた頭で風呂場へ向かう。
承治がこちらの世界に来てカルチャーショックを受けたことの一つは、風呂に入る時間帯だ。日本に住んでいた頃は帰宅後に風呂に入っていたが、こちらの世界では朝風呂が一般的なのだ。
ただし、平民扱いの承治は湯船に浸かることなどできない。
兵士や平民用の風呂は、大窯を煮立たせた部屋に入るだけのサウナだ。
全裸の男達がひしめくサウナに入った承治は、正体のよく分からない植物の葉を使って体を磨く。
こちらの世界では石鹸も高級品だ。以前、奮発して買ってみようかとも思ったが、謎の葉っぱだけでも意外に気持ちがいいので、その環境に慣れることにした。
そこそこ良い給料は貰っているが、貧乏性なのはこちらの世界に来ても変わらない。
少し長めの風呂を終えた承治は、同じく風呂上がりの男達に混じって王宮の大食堂へ向かう。
サラリーマンの新人時代には社員寮に住んでいたこともあるので、そういった集団生活はさして気にならなかった。
だだっ広い大食堂へ付くと、セレスタとオルゲン親子が席を共にして朝食を取っている姿が目に入る。
給仕からパンとスープを受け取った承治は、その席に合流した。
「おはようございます」
「オハヨー」
「ああ、ジョージさんおはよう」
席についたジョージはパンをスープに浸して食べる。食堂のメニューはスープの種類が変わるだけで、いつも同じ味のする堅いパンが定番だ。
毎日パン食を続けているとたまには米が食べたくなるが、こればっかりは食文化が違うので仕方ない。
以前、味のついた粥を出す店に行ったこともあるが、どうにも好きになれない味だった。
もそもそとパンを食べ進める承治は、セレスタとオルゲンを相手に他愛もない世間話をする。
「そういえば、オルゲンさんって前は行商してたんですよね。何を売ってたんですか?」
「ああ、香辛料だよ。香辛料は軽くて単価も高いから扱いやすいんだ。どこにでも買ってくれる人がいるしね」
香辛料の行商人――どこかでそんな題材の本を読んだことがある気がする。
「香辛料って結構高いですよね。わりと稼いでたんじゃないんですか?」
「いやぁ、まあ、そこそこ稼いでた自信はあるけど、行商というのは手に職がつかないからね。こっちに住むと決めてからは、なかなか仕事が見つからなくて今は貯金を食いつぶしてるよ」
「オシゴト、早くみつかるとイイネー」
そんなセレスタの言葉に、オルゲンは苦笑いを浮かべてセレスタの頭を撫でる。
離れ離れに暮らしていた親子がこうして仲睦まじい姿を見せてくれるのはとても心が温まる。
そんなこんなで食事を終えると、平日の今日はこれから出勤だ。
自室に戻って一張羅のスーツに着替えた承治は、ヴィオラの執務室へと向かう。
承治の仕事に明確な勤務時間は決まっていないが、日の出から二時間後に鳴らされる鐘を目安に出勤するようにしていた。時間にルーズでも叱られない環境は非常にありがたい。
職場である執務室に承治が入ると、既にヴィオラがデスクについていた。
「あら、おはようございます」
「おはようございます。ヴィオラさん今日も早いですね」
「フフ、私も今来たところですよ。お茶、淹れますね」
そんな風にして承治の勤務は穏やかに始まる。
ちなみに、承治の上司でありカスタリア王宮首席宰相の地位に就くヴィオラは、お茶が趣味だ。普段から仕事の合間に様々なお茶を淹れてくれるので、これが結構楽しみだったりもする。
自慢のティーセットにお茶を淹れたヴィオラは、今や承治専用となった小奇麗なティーカップを差し出す。
「はい、どうぞ」
「どうもどうも。今日はマンドレイク茶じゃないですよね?」
その言葉に、ヴィオラは可愛らしく頬を膨らませる。
「もう、今日は普通のハーブティです。それに、知り合いのお茶屋さんに聞きましたけど、マンドレイク茶はエルフ族以外でも飲めるそうですよ」
それを聞いてマンドレイク茶の味を思い出した承治は背筋を震わせる。
あの強烈な苦みと辛みを掛け合わせたような味は、もはやお茶と言うことはできないだろう。
しかし、よくよく考えてみればヴィオラと承治は普段から似たような食事を食べているため、味覚はさして差がない気がする。それを踏まえると、いくらヴィオラがエルフ族とは言え、あの強烈な味のするマンドレイク茶を平然と飲んでいた事実が信じられなくなってきた。
ちなみに、今日のお茶はジャスミンティー風の味で美味しくいただけました。
そんな調子で朝のティータイムが終わると、いよいよ仕事開始だ。
今日の仕事は、来月に控える収穫祭式典の計画から始まった。
承治は式典計画書に目を通しつつヴィオラに話しかける。
「収穫祭警備のシフトと来客対応も兼ねた役人達の役割分担はだいたい決まりましたね。費用も予算の範囲内だ」
「収穫祭の予算もきっちり数字に出してみると、結構お金がかかっていたんですねぇ。ジョージさんのお陰でお金の出入りが〝見える化〟できて大助かりです」
〝見える化〟とは、仕事の中身を具体的な数字や文書に起こして把握できるようにする作業のことだ。その概念をヴィオラに教えたのは承治だが、考え方自体は組織運営の基本と言ってもいい。
「行き当たりばったりで仕事をしてると、結構落し穴がありますからねぇ。書面が増えるのは悪く言われることが多いですけど、何かをきっちり管理するなら紙に書き出すのが一番ですよ」
こうして、承治の仕事は殆ど書類との戦いになる。
この世界にはパソコンもプリンターもないので全て手作業だ。
一応、現世の知識を生かして算盤を街の職人に作らせてみたが、電卓に比べれば効率は低いと言わざるを得なかった。
承治に算盤の使い方を習ったヴィオラも、時おり指を弾いて金勘定をしている。
算盤をはじくエルフの姿というのは、いささかギャップがあって面白い光景だ。
その他にもタイプライターなんかを職人に試作させていたが、この世界の技術力を鑑みれば完成はまだまだ先になりそうだった。
承治は黙々と書類作成を続ける。
そんなこんなで集中していると、あっという間に日暮れとなる。ちなみに、こちらの世界では食事は朝夕の二回が基本なので昼飯は抜きだ。
日暮れを告げる鐘の音と共に、ヴィオラは可愛らしい所作で背伸びをする。
「さて、急ぎの仕事もありませんし、今日はこれくらいにしましょう」
ヴィオラのその言葉に合わせ、承治も椅子にもたれて一息つく。
今日は目立ったトラブルもなく、平穏とした一日だった。
サラリーマン時代は終業の鐘が鳴ってからが本番という意味不明な職場環境にいたが、今の職場では日暮れと共に仕事を切り上げるのが当たり前だ。
というより、こちらの世界には電気と電灯がないため、夜間はあまり活動しないのだ。是非、現代日本にも見習って頂きたい。
だが、承治とヴィオラにとっての〝本番〟は、日暮れ後に始まることもある。
一仕事終え満足げな表情を浮かべるヴィオラは、柔和な笑顔で承治に声をかける。
「明日はお休みですね」
来たか。
承治は身構え、平静を装う。
「ええ、休みですね」
「それじゃあ今晩……久しぶりにイきませんか?」
何だその健全な男子を誘惑するような口ぶりは。
しかし、承治は近頃ヴィオラとあまりいっていない。御無沙汰というやつだ。
本音を言えば、承治はヴィオラとイくのはそこまで嫌いでもない。ただし、夜が更ければ更けるほどヴィオラが〝激しくなる〟点を除けばである。
とりあえず、今日はどうしようか。
承治は考えあぐねた末、久しぶりにヴィオラの誘いに乗ることにした。
「まあ、最近あんまりイってませんでしたし、今日くらいは付き合いますよ」
「本当ですか! じゃあ今日は、二番通り裏のお店に行きましょう!」
「二番通り裏……あの変なモノばっかり出すところですか。ヴィオラさんも好きですねぇ」
「フフ、ソレがいいんですよ。ソレが」
こうして、承治はヴィオラの〝夜の誘い〟に乗るのであった。
仕事を片付けた二人は、肩を揃えて執務室を後にする。向かう先は、夜の繁華街だ。
……と、まあ、単純に夕飯がてら二人で外に飲みに行くだけなのだが。
その晩、泥酔したヴィオラが普段通り訳の分からない言動を繰り返し、承治を困らせたであろうことは、ここに書くまでもないだろう。
そんなこんなで、大月承治の日常は幕を下ろすのであった。
日の出を告げる鐘の音によって目を覚ました承治は、朝焼けに照らされたベッドから起き上がって大きなあくびをする。
こちらの世界では時間はざっくりとしか分からない。太陽の高さと王宮で鳴らされる鐘の音だけが時間を知る手だてだった。
肌着姿の承治は腰に麻布を巻き、寝ぼけた頭で風呂場へ向かう。
承治がこちらの世界に来てカルチャーショックを受けたことの一つは、風呂に入る時間帯だ。日本に住んでいた頃は帰宅後に風呂に入っていたが、こちらの世界では朝風呂が一般的なのだ。
ただし、平民扱いの承治は湯船に浸かることなどできない。
兵士や平民用の風呂は、大窯を煮立たせた部屋に入るだけのサウナだ。
全裸の男達がひしめくサウナに入った承治は、正体のよく分からない植物の葉を使って体を磨く。
こちらの世界では石鹸も高級品だ。以前、奮発して買ってみようかとも思ったが、謎の葉っぱだけでも意外に気持ちがいいので、その環境に慣れることにした。
そこそこ良い給料は貰っているが、貧乏性なのはこちらの世界に来ても変わらない。
少し長めの風呂を終えた承治は、同じく風呂上がりの男達に混じって王宮の大食堂へ向かう。
サラリーマンの新人時代には社員寮に住んでいたこともあるので、そういった集団生活はさして気にならなかった。
だだっ広い大食堂へ付くと、セレスタとオルゲン親子が席を共にして朝食を取っている姿が目に入る。
給仕からパンとスープを受け取った承治は、その席に合流した。
「おはようございます」
「オハヨー」
「ああ、ジョージさんおはよう」
席についたジョージはパンをスープに浸して食べる。食堂のメニューはスープの種類が変わるだけで、いつも同じ味のする堅いパンが定番だ。
毎日パン食を続けているとたまには米が食べたくなるが、こればっかりは食文化が違うので仕方ない。
以前、味のついた粥を出す店に行ったこともあるが、どうにも好きになれない味だった。
もそもそとパンを食べ進める承治は、セレスタとオルゲンを相手に他愛もない世間話をする。
「そういえば、オルゲンさんって前は行商してたんですよね。何を売ってたんですか?」
「ああ、香辛料だよ。香辛料は軽くて単価も高いから扱いやすいんだ。どこにでも買ってくれる人がいるしね」
香辛料の行商人――どこかでそんな題材の本を読んだことがある気がする。
「香辛料って結構高いですよね。わりと稼いでたんじゃないんですか?」
「いやぁ、まあ、そこそこ稼いでた自信はあるけど、行商というのは手に職がつかないからね。こっちに住むと決めてからは、なかなか仕事が見つからなくて今は貯金を食いつぶしてるよ」
「オシゴト、早くみつかるとイイネー」
そんなセレスタの言葉に、オルゲンは苦笑いを浮かべてセレスタの頭を撫でる。
離れ離れに暮らしていた親子がこうして仲睦まじい姿を見せてくれるのはとても心が温まる。
そんなこんなで食事を終えると、平日の今日はこれから出勤だ。
自室に戻って一張羅のスーツに着替えた承治は、ヴィオラの執務室へと向かう。
承治の仕事に明確な勤務時間は決まっていないが、日の出から二時間後に鳴らされる鐘を目安に出勤するようにしていた。時間にルーズでも叱られない環境は非常にありがたい。
職場である執務室に承治が入ると、既にヴィオラがデスクについていた。
「あら、おはようございます」
「おはようございます。ヴィオラさん今日も早いですね」
「フフ、私も今来たところですよ。お茶、淹れますね」
そんな風にして承治の勤務は穏やかに始まる。
ちなみに、承治の上司でありカスタリア王宮首席宰相の地位に就くヴィオラは、お茶が趣味だ。普段から仕事の合間に様々なお茶を淹れてくれるので、これが結構楽しみだったりもする。
自慢のティーセットにお茶を淹れたヴィオラは、今や承治専用となった小奇麗なティーカップを差し出す。
「はい、どうぞ」
「どうもどうも。今日はマンドレイク茶じゃないですよね?」
その言葉に、ヴィオラは可愛らしく頬を膨らませる。
「もう、今日は普通のハーブティです。それに、知り合いのお茶屋さんに聞きましたけど、マンドレイク茶はエルフ族以外でも飲めるそうですよ」
それを聞いてマンドレイク茶の味を思い出した承治は背筋を震わせる。
あの強烈な苦みと辛みを掛け合わせたような味は、もはやお茶と言うことはできないだろう。
しかし、よくよく考えてみればヴィオラと承治は普段から似たような食事を食べているため、味覚はさして差がない気がする。それを踏まえると、いくらヴィオラがエルフ族とは言え、あの強烈な味のするマンドレイク茶を平然と飲んでいた事実が信じられなくなってきた。
ちなみに、今日のお茶はジャスミンティー風の味で美味しくいただけました。
そんな調子で朝のティータイムが終わると、いよいよ仕事開始だ。
今日の仕事は、来月に控える収穫祭式典の計画から始まった。
承治は式典計画書に目を通しつつヴィオラに話しかける。
「収穫祭警備のシフトと来客対応も兼ねた役人達の役割分担はだいたい決まりましたね。費用も予算の範囲内だ」
「収穫祭の予算もきっちり数字に出してみると、結構お金がかかっていたんですねぇ。ジョージさんのお陰でお金の出入りが〝見える化〟できて大助かりです」
〝見える化〟とは、仕事の中身を具体的な数字や文書に起こして把握できるようにする作業のことだ。その概念をヴィオラに教えたのは承治だが、考え方自体は組織運営の基本と言ってもいい。
「行き当たりばったりで仕事をしてると、結構落し穴がありますからねぇ。書面が増えるのは悪く言われることが多いですけど、何かをきっちり管理するなら紙に書き出すのが一番ですよ」
こうして、承治の仕事は殆ど書類との戦いになる。
この世界にはパソコンもプリンターもないので全て手作業だ。
一応、現世の知識を生かして算盤を街の職人に作らせてみたが、電卓に比べれば効率は低いと言わざるを得なかった。
承治に算盤の使い方を習ったヴィオラも、時おり指を弾いて金勘定をしている。
算盤をはじくエルフの姿というのは、いささかギャップがあって面白い光景だ。
その他にもタイプライターなんかを職人に試作させていたが、この世界の技術力を鑑みれば完成はまだまだ先になりそうだった。
承治は黙々と書類作成を続ける。
そんなこんなで集中していると、あっという間に日暮れとなる。ちなみに、こちらの世界では食事は朝夕の二回が基本なので昼飯は抜きだ。
日暮れを告げる鐘の音と共に、ヴィオラは可愛らしい所作で背伸びをする。
「さて、急ぎの仕事もありませんし、今日はこれくらいにしましょう」
ヴィオラのその言葉に合わせ、承治も椅子にもたれて一息つく。
今日は目立ったトラブルもなく、平穏とした一日だった。
サラリーマン時代は終業の鐘が鳴ってからが本番という意味不明な職場環境にいたが、今の職場では日暮れと共に仕事を切り上げるのが当たり前だ。
というより、こちらの世界には電気と電灯がないため、夜間はあまり活動しないのだ。是非、現代日本にも見習って頂きたい。
だが、承治とヴィオラにとっての〝本番〟は、日暮れ後に始まることもある。
一仕事終え満足げな表情を浮かべるヴィオラは、柔和な笑顔で承治に声をかける。
「明日はお休みですね」
来たか。
承治は身構え、平静を装う。
「ええ、休みですね」
「それじゃあ今晩……久しぶりにイきませんか?」
何だその健全な男子を誘惑するような口ぶりは。
しかし、承治は近頃ヴィオラとあまりいっていない。御無沙汰というやつだ。
本音を言えば、承治はヴィオラとイくのはそこまで嫌いでもない。ただし、夜が更ければ更けるほどヴィオラが〝激しくなる〟点を除けばである。
とりあえず、今日はどうしようか。
承治は考えあぐねた末、久しぶりにヴィオラの誘いに乗ることにした。
「まあ、最近あんまりイってませんでしたし、今日くらいは付き合いますよ」
「本当ですか! じゃあ今日は、二番通り裏のお店に行きましょう!」
「二番通り裏……あの変なモノばっかり出すところですか。ヴィオラさんも好きですねぇ」
「フフ、ソレがいいんですよ。ソレが」
こうして、承治はヴィオラの〝夜の誘い〟に乗るのであった。
仕事を片付けた二人は、肩を揃えて執務室を後にする。向かう先は、夜の繁華街だ。
……と、まあ、単純に夕飯がてら二人で外に飲みに行くだけなのだが。
その晩、泥酔したヴィオラが普段通り訳の分からない言動を繰り返し、承治を困らせたであろうことは、ここに書くまでもないだろう。
そんなこんなで、大月承治の日常は幕を下ろすのであった。
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