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第2部3章 二人の想い編

91 二人の想い

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 平和の訪れにより、何の変哲もない平穏な日々は瞬く間に過ぎ去っていった。

 あの事件が終息してから今日で二週間が経とうとしているが、未だ主犯のレベックは消息不明だ。
 そして、二週間という月日は、あの事件の記憶を薄れさせるには十分な期間となった。

 それは承治やヴィオラにとっても同じだ。
 あの事件は二人の心情に大きな変化をもたらしたが、再び訪れた平穏な日常は、それらの変化を覆い隠しつつあった。

 ヴィオラは首席宰相として、承治はその部下であるデスクワーカーとして、二人は以前と変わらぬ関係を取り戻し、そして以前と変わらぬ日々を送っている。

 だが、全てが以前と同じに戻ったわけではない。
 あの事件がきっかけで、承治は〝自分の気持ち〟に気付いた。
 同時に、その気持ちをヴィオラに伝えねばならないという、強い決意を抱いた。

 承治は、何の変哲もない日常を送りながら、その決意に突き動かされてしっかりと準備を整えてきた。
 そして、いよいよ己の決意を行動に移す日が訪れた。

 休日であるその日、承治とヴィオラは珍しく二人きりで王都市街地に繰り出していた。
 その外出を誘ったのは、他でもない承治だ。
 誘い文句は「行きたい場所があるから付き合って欲しい」という微妙な内容だったが、ヴィオラは特に疑問も持たずホイホイとついてきてくれた。
 ちなみに、その誘い文句を告げた時、近くにいたファフがニヤニヤと不敵な笑みを浮かべていた理由は、あえて考えるまでもないだろう。

 そんなわけで、肩を揃えた二人は、秋晴れの空の下で若干の肌寒さを感じつつ、王都外縁を囲う城壁のたもとを訪れていた。
 目の前にそびえ立つ城壁に行く手を阻まれた承治は、目的地を探してきょろきょろと周囲を見回す。
 すると、見かねたヴィオラが声をかけてきた。

「ジョージさんの来たかった場所って、ここなんですか?」

「いえ、近くに城壁の屋上に上がれる階段があるって聞いたんですけど……」

「ああ、それならこっちですよ」

 そう告げたヴィオラは、承治を先導する形で前に歩み出る。
 結局、ヴィオラに案内してもらうことになった承治は下調べ不足を軽く反省したが、ヴィオラのお陰で城壁屋上へ続く階段は首尾よく見つけることができた。

 城壁の内壁に沿って設けられたその石階段は、少し急で危なっかしい。
 二人は足元に気をつけながら、ゆっくりと階段を上っていく。
 そして、軽い疲労を感じながら階段を上りきると、ようやく城壁の屋上に辿りつくことができた。

 その場所は、本来外敵を監視し迎え撃つために作られた空間だ。
 だが、平和な今では王都の街並みや外界の大自然といった、絶景を提供する清々しい観光名所になっている。

 そんな場所に足を踏み入れたヴィオラは、王都の外界を眺めながら感嘆の声をもらす。
 幸いにして、その空間に承治とヴィオラ以外の人影は見当たらなかった。

「わあ、凄い眺めですね! 実は私、外縁城壁の上に来たのは初めてです。王宮の屋上とは、また違う景色が楽しめますね」

 とりあえず、風景を喜んでもらえたなら掴みは上々だろうか。
 しかし、承治は何もこの景色を見せるためだけにヴィオラをここへ連れて来たわけではない。
 問題は、この先である。

「それで、承治さんはどうして私をここに連れて来たんですか?」

 当然、ヴィオラはそう疑問に思うだろう。
 普段は察しのいいヴィオラも、こういう所は非常に鈍感だ。

 それが分かっていた承治は、手始めに軽くジャブを入れてみる。

「なんと言うか、ヴィオラさんと一緒にこの景色を見たかったんです」

「はあ。何か私に見せたい景色があるんでしょうか? 王都周辺の地理は多少知っているつもりですけど……」

 まさか、ヴィオラがここまで鈍感だとは思わなかった。
 承治は仕方なく、恥を忍んで言葉を付け足す。

「いや、その、こういう綺麗な景色を、ヴィオラさんと一緒に見たかった、という意味で……」

「あっ、えっと、はい……そういう……」

 さすがのヴィオラも承治の言葉で何かを察したらしく、顔を赤らめて視線を落す。
 そして、二人はしばしの沈黙を共有した。

 さて、今のこの空気は、果たして〝ムードが良い〟と言えるのだろうか。
 少し違う気もするが、承治の発言でヴィオラがそういう方向性を意識したことは間違いない。

 何を隠そう、承治は自分の気持ちを告白するために、この場所へヴィオラを呼び出したのだ。
 だが、現地に到着していざ会話を始めてみると、告白に繋がる会話の糸口がまったく掴めない。
 どうすれば、自然な導入になるだろうか。

 そんな風にして承治が困り果てていると、ヴィオラが不意にクスクスと笑いを漏らし始めた。

「フフ、ごめんなさい。なんだか、ジョージさんがこういうことするのが、ちょっと意外に思えて……そうですよね。あんな事があった後だから、私を励まそうとしてくださってるんですよね?」

 なるほど。そういう発想もあるのか。
 と、承治はヴィオラの勘違いにむしろ感心してしまう。

 だが、考えてみれば〝ヴィオラを励ます〟という発想は、当たらずも遠からずなのかもしれないと思った。
 ヴィオラのことが好きならば、当然ながら〝励ましたい〟とも思う。それだけに限らず、単純な〝好き〟という感情からは、様々な想いが無尽蔵に派生する。

 ただし、どんな想いであろうと、それが己の内にある間は全て一方的な想いだ。
 だからこそ、承治は自分の気持ちを伝えるべく、ゆっくりと言葉を口にする。

「そう、ですね。励ましたい、というのは事実かもしれません。だけど、それだけじゃないんです……何て言うんだろ、簡単に言えば、僕はヴィオラさんに、ずっと笑顔でいてほしい、のかな……その為なら、僕はなんだってできると思った。だから、あの事件の時も、僕はヴィオラさんを助けるために全力を出せた」

 はっと顔を上げたヴィオラは、承治の目をしっかりと見据える。
 そして、静かに耳を傾け続けた。

「最初は、全然自覚がなかったんです。ただ必死で、ヴィオラさんを助けたい一心で……そして、最後には、ヴィオラさんの為ならこの命を賭けてもいいとさえ思えた。バカみたいな話ですけど、それで僕は、自分の気持ちに気付いたんです」

 そんな承治の言葉に対し、ヴィオラはどこか物悲しげな表情を浮かべる。
 しかし、その表情は哀一色ではなく、まるで呆れのような笑みが含まれていた。

「もちろん、僕のこの想いは、今のところただの独りよがりです。だから、僕はヴィオラさんにこの想いを伝えようと思った。僕の想いをヴィオラさんがどう受け止めるか、確かめたくなった。そのために、僕はヴィオラさんをここへ誘ったんです」
 
 そこまで告げた所で、承治は軽く息を整える。

 秋風がひゅうと二人の間を吹き抜け、冷えた空気を運び込む。
 だが、承治の内に滾る想いは、今この瞬間に最大の熱気を帯びた。

「僕は、ヴィオラさんのことが好きです」
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