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第二章『それは、確かな歴史』

第三十五話「疑心」

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「あ”あぁーーー」

 自分の口からでた声に、自分自身でちょっと驚く。よく銭湯のCMなんかで、おっさんが声あげて浸かっているシーンがあるが、あれは本当だった。

「なんて声出してんのよ」

 リリィーから手厳しい指摘を受ける。

「別にいいだろ。それだけ良い温泉ってことだ」

「ここは魔国の中でも、疲労回復によく効くという有名な温泉ですからね」

 メルキドがにこにこしながら、親切に教えてくれる。

 今の時間は夜の11時頃。日中、魔国探索を終えた俺たちは改めて温泉に来ていた。俺たち以外の客は誰一人としていない。リリィーの奴が営業時間外でいいから貸切にさせて欲しいと頼んだからだ。

 魔王や四天王という有名人がいる事や、俺、シオン、イブ三人の魔族特徴がないのがバレてしまえば、間違いなく騒ぎになる。
 リリィーたちに変装してもらおうかと思ったが、温泉に入るのであれば擬態するような能力が必要だろう。
 魔族特徴は服を着ていれば隠れていると言って押し通せるが、これもまた温泉に入るのであればそういう訳にもいかない。

 まさか温泉に入るだけでこれほど問題があるとは思わなかった。

 ちなみに一緒に入っているが、皆同様にタオルを一枚巻きつけた状態で入っている。そんな習慣のない魔族のメルキドとアーニャにも、リリィーが徹底させた。
 正直助かった。裸の美女を並べられても心臓に悪い。

「皆さん本当に魔族特徴が無いんですね」

「それニャ!事前に魔王様から教えて貰ってても、これは驚いだニャ」

 メルキドとアーニャが物珍しそうな目を向けてくる。

「本当に魔族ニャ?」

 アーニャは冗談めかして聞いてくるが、その瞳には疑心暗鬼と書かれており、警戒心が見てとれた。

 アーニャはふんすと鼻を鳴らすと、イブへにじり寄っていく。なにやら匂いを嗅ごうとしいるらしいです。

「おい、何してんだ」

「見ればわかるニャ。匂いを確かめるにゃ」

「それはわかってんだよ。単純にやめろって言ってんだ。誰だって匂いを嗅がれるのは嫌だろ?」

 不味い。非常に不味い。
 流石に匂いの対策なんてしてないぞ。匂いは盲点だった。
 イブが両手を上げ、困り顔でこちらに助けを求めてくる。
 すまん。俺にはどうしようもできん。

「すんすん、ん?ニャ~?」

「どうしましたアーニャ」

 バレたか?

「匂いが全くしないのニャ」

 匂いがしない?どういう事だ。
 イブが何かしらのスキルで対処したのかと思ったが、それも違うらしい。
 困惑した表情のまま、どうしたものかと固まっている。

「なら今度はお前ニャ」

 そう言って、アーニャは次に俺のもとへやってくる。

「な、なんでニャ!?鼻がおかしくなったニャ!?匂いがしないニャ」

 どうやら俺も無臭らしい。

 よくよく考えれば、俺の身体は生物としての機能をどれだけ満たしているのだろう。この身体は作られたものだ。
 腹は減るので食事はするし、眠気はあるので睡眠もする。しかし、その全てを取り払ったからと言って俺は死ぬのか?いや、死なない。既にこれは試したことだ。

 最初はこの身体が丈夫なおかげだと思っていた。それでも一週間飲まず食わず寝ずで体調が一切変わらないのだ。食欲も睡眠欲もある一定のラインからは変動しない。明らかに俺は生物としての定義を為していなかった。

 今更匂いが無いと言われても納得出来た。神であるイブもきっと同じような理由だろう。生物の枠組みに属していないのだから。


「最後はお前ニャ!」

 やけくそ気味にアーニャはシオンに突っ込んでいく。しかし、途中でピタリと止まった。

「くっさ!臭いニャ、お前何の匂いニャ!」

「待って!待って!それは酷くないかい!」

 本気で嫌そうな顔で退いていくアーニャに、珍しく本気でショックを受けるシオン。「待って!」と言いながら手を伸ばすシオンだが、アーニャは鼻をつまみながらメルキドの後ろに隠れてしまう。なかなかにひどい仕打ちだ。

「いろんな匂いが混じった異臭がするニャ!しかもお前、ポーションでもがぶ飲みしたニャ?薬臭くて鼻が曲がりそうニャ!」


 しばらくそんな騒がしい話をしていると突如肩に重みを感じる。
 隣を見れば、こてんと首をかしげて頭をのせるイブがいた。

「お、おい、イブ?」

 よりかかってくるイブの息があらい。苦しそうな表情にドキリとさせられる。
 イブの顔は蒸気しており、まるで......そう、のぼせいるような――

「いや、ほんとにのぼせてんじゃねーか!」

「ちょっとイブ、あなたスキルあるでしょ!? 何してるのよ!?」

 リリィーがイブを揺さぶり、意識の状態を確かめる。揺さぶられるたびにイブの首は前後に振られ、完全にまいってしまっていた。

 耐性系のスキルは「耐性」なんていうが、その実感覚を完全に麻痺させる。熱も寒さも、そして痛みさえも、全く感じ取ることが出来ない。
 だから俺は、風呂へ入る時は熱への耐性スキルを切っている。今回のイブも同じだったんだろう。感覚があるのだからのぼせる前に再度発動させれば良かったはずなのだが......。

 こういうところイブは抜けている気がする。
 天性のドジっ娘か?
 以前の狙ったツンデレより全然良いと思います。はい。

「仕方ないわね。私が連れて行くわ。みんなはゆっくり入ってきて良いわよ」

「俺がいってもいいぞ?」

「イブを上がらせるのに、着替えさせなきゃでしょ。心配しなくてもちょっとのぼせただけよ」

 確かにそれもそうか。ちょっと過保護になりすぎたかもしれない。

「ならいいんだが」





 イブをだき抱え、リリィーは脱衣場へ消えていく。

 その途端、水しぶきとともにアーニャとメルキドが霞む程の速度で動きだした。
 アーニャの爪が伸び鋭い凶器となる。メルキドの髪が変化し、碧肌の蛇が大きく口を開けた。
 何もない状態から、一瞬のうちに人一人たやすく殺せる武器を生み出した二人は、シオンの首元へ凶器を突きつける。

「名前が同じだったので、まさかとは思っていましたが」

「どういうつもりニャ」

 どうやらこの二人は勇者シオンのことをある程度知っていたらしい。
 そりゃそうだろう。今まで勇者の名の下に幾千もの魔族と戦ってきたのだ。その容姿が、その名前が魔族側に知られていない訳がない。

「どうするつもりも無いよ。僕達は仲間だからね」

 シオンの肩は湯に浸かったままで微動打にしていない。

「反応しきれてない。やっぱり偽物ニャ?」

「いえ、彼は私達と攻撃を目で追っていました。動かなかったのは、私達が寸止めすると分かっていての事でしょう。それよりも――」


 こちらを横目で睨んでくるメルキドと目が合う。

「ダメじゃないか、君が反応しちゃ。まあ、わざと動かなかったのはバレてたみたいだから誤魔化せはしなかったろうけど」

 シオンが仕方無いなと言うように苦笑する。

「悪い。とっさに反応しちまった」

 俺はアーニャとメルキドのうなじに突きつけていた短剣を引き戻し、亜空間へ放り込む。
 アーニャとメルキドが動いた瞬間、俺も咄嗟に亜空間から短剣を取り出し動いていた。良かれと思ってやったのだが、どうやら余計なお世話だったらしい。

「まあ、みんな取り敢えず座ろうよ。ここは温泉だよ?」

 そう言われた二人は顔を見合わせ、複雑そうな表情ながらも渋々従う。
 魔界の温泉に勇者がいる。そんな歩く非常識の奴から、常識的な指摘をされたのだ。そんな顔にもなるだろう。

「ちゃんと説明はしてもらうニャ」

「そのつもりだよ。それじゃあ、僕らが出会ってからの、ここ1ヶ月の事について話そうか」

 そう言ってシオンは手を広げ、いつもの作られたような笑みとともに奇を衒った態度で話し始める。
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