初夜での暗殺に失敗した私ですが、今宵も冷徹皇帝から甘く抱き尽くされております

葛和蛙蘭

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晩餐会の夜②

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 一組の男女が、クロヴィスとエリシアを凝視していた。
 初老の男と若い娘だった。
 ブラウクン伯爵とその一人娘のマルグリットだった。

 黒髪に白磁の肌、深紅のドレスが似合う華やかな美貌を持つ彼女は、睨むような眼差しをエリシアに向けていた。
 ブラウクン伯爵も、無表情ながらも暗く憎悪に満ちた視線をクロヴィスに注いでいる。
 クロヴィスが気づかないはずがないほどの露骨さだ。
 彼はあえて気づかぬふりをしているとしか思えなかった。

 その親子が、ついにこちらに歩み寄ってきた。

「陛下、お久しゅうございます。あらためて、大陸制覇おめでとうございます。我が帝国は今後数百年にわたり繁栄し続けるでしょう」

 慇懃に挨拶する伯爵に、クロヴィスはうなずいた。

「ブラウクン伯爵。このたびの戦では大いに助けられた。兵役のみならず、多大な資金援助にも感謝する」
「いえ。陛下とはかつては親子となる予定であった仲。これしき、なんでもございません」

 その言葉に、エリシアは目を見開いた。
 クロヴィスも一瞬だけ沈黙したが、何も言わずにうなずいた。
 その隙に、マルグリットが一歩進み出る。

「お初にお目にかかります、皇妃様。噂に違わぬ……いえ、それ以上にお美しい方を前にして感激に打ち震えております」
「はじめまして。ありがとうございます」

 警戒心を抱きながらも、エリシアは微笑みを返す。

「とりわけ本日のドレスは素晴らしいですわ。社交界で流行するのは間違いないでしょう。私もぜひ真似させていただきたく存じます」
「まあ……あなたのドレスもとても素敵です」
「ありがとうございます。陛下からいただいたこの首飾りに映えるものを選びましたのよ。お披露目できて光栄ですわ」

 豊かな胸の上で輝く豪奢な装飾を見せつけながら言うと、マルグリットはクロヴィスを見つめた。

「それは光栄だ。――では、ゆっくりと楽しむがいい」

 彼はその視線を正面から受け止めることなく、素っ気なく言葉を返した。
 そして、強張った表情を浮かべるエリシアの手を取ると、その場を離れる。

(親子となる予定……? 首飾り? もしかしてマルグリット嬢は陛下の……)

 問いかけようと思ったが、今この場では憚りがある。
 エリシアの胸中は穏やかではなかった。クロヴィスと話がしたかった。

「皇帝陛下ならびに皇妃陛下。このたびは、あらためまして凱旋旅行のめでたき旅路を、心よりお祝い申し上げます」

 その時、やわらかな声に話しかけられた。
 長身で上品なたたずまいの男性とその妻が、ふたりの前で恭しくお辞儀した。
 この晩餐会の主催者である、リーモス侯爵とその妻ナタリーだった。

「リーモス。このたびはこのような場を設けてくれて感謝する」

 クロヴィスの声は軽やかだった。
 まったく対照的といっていい人物だが、彼に厚い信頼を寄せていることがうかがえた。

「皇妃様も今宵はことのほかお美しく、まさに夜会の華にございます」

 穏やかに微笑んだリーモスに、エリシアもゆったりと笑みを返す。
 不思議と人の心を安らげる彼の雰囲気に、エリシアも自然と肩の力が抜けるのを感じた。

 そんな彼の妻のナタリーも、また同様にやわらかな印象がする女性だった。

「エリシア様、お疲れではございませんか? このような大きな宴は、婚礼以来だとうかがいましたが」
「ええ。ですがお会いする皆さまが温かい方ばかりで……おかげさまで、楽しませていただいております」

 彼女の気遣いにエリシアは微笑んでみせたが、その言葉には、すこし力がなかった。

 リーモス夫妻に会って気を張っていた心が緩んだせいか、気疲れしているのを自覚していた。
 さまざまな感情がはらんだ視線、そしてブラウクン親子の挑発的な言動――それらを気丈に受け止めながら皇妃として振舞うのは、今のエリシアにはすこし荷が重かった。

「リーモス夫人、頼みがあるのだが」

 ふいにクロヴィスがナタリーに話しかけた。

「すこしの間、妃の話し相手になってもらえないか?」
「ええ、もちろん光栄ですわ!」

 ナタリーはパンと手を打つと笑顔で応じた。

「それはありがたい」

 すかさずリーモス侯爵も言葉を添える。

「妻は以前から、皇妃陛下にひとかたならぬ憧れを抱いておりまして。ゆっくりお話をする機会を頂ければ、これほどの喜びはございません」
「そうか。では、行ってくるといい」

 クロヴィスは訝しげにしているエリシアの背中に手を当て、そっとさすった。

 無理はせず、休んでこい――という彼の気遣いだった。

 どこか微笑んでいるようにも見える彼の穏やかな表情を見て、エリシアは胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
 もしかしたら嫌われてしまったのではないかと、ずっと落ち込んでいたからだ。

「ありがとうございます、陛下。では、お言葉に甘えて……」

 頭を下げてそう伝えると、エリシアはクロヴィスに微笑んだ。


 ※

 ナタリーは晩餐会の喧騒からすこし離れた貴賓室にエリシアを招いてくれた。

 用意された果実酒がグラスに注がれると、ふんわりと甘い香りが広がった。
 気候の話、地域の名産、領民の暮らし――ナタリーはエリシアが話しやすいようにとエルヴァランとの違いを確認しながら、そんな他愛のない内容の会話を弾ませてくれた。
 その優しい気遣いに、エリシアは感謝の念を抱いた。
 この地は前線だった。
 多くの領民や財産を失い、リーモスたちもけして余裕はないはずである。
 ましてやエリシアは敵国の王女。反感を持っていてもおかしくない。
 それだけに、リーモス夫妻のこの親切は胸に重く響くものがあり、心を開く支えにもなった。

「……先ほどは、こころなしかお顔が曇っていらしましたね。何かありましたか?」

 ナタリーが、そっと声を潜める。
 エリシアはしばらく押し黙ると、話しだした。

「すこし、視線に気圧されました」
「わかりますわ。あなた様へ向けられる感情は、けして単純なものではありませんから」
「ええ。……特にとても強い眼差しを向けてくる方がいました」
「ブラウクン伯爵令嬢……ですね」

 ドキリと胸が鳴った。エリシアはゆっくりうなずいた。
 すこしの沈黙を挟んだあと、ナタリーが意を決したように静かに口を開いた。

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