ギッチョ!!!

タマガワサトシ

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第1話 左手は罪、右手は祈り

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・任務完了後

夕暮れと夜の境目は、アイズランドの街をいちばん正直に見せる。
空は青から墨へ沈み、街路灯が一本ずつ、祈りのように点っていく。

石造りの建物が背を寄せ合い、細い縦窓が並ぶ。
煤けた灰の壁、赤茶の瓦、古い尖塔を持つ礼拝堂。
掲示板を抱えた四角い庁舎。
低い手すりの石橋。

飲み屋の赤い灯だけがやけに生々しく、
パン屋の甘い匂いが湿った石畳に落ちて薄まっていく。

人の手は、自然と右手が前に出る。

誰かに触れるとき、謝るとき、祈るとき。
右手は“疑われない”ための癖になる。

左利きは、癖で生きることを許されない。

だから――

その街の真ん中を、
左利きの男が堂々と走る光景は、目に刺さる。

ホープズ・サンは、背中の布袋を抱えたまま礼拝堂の脇へ滑り込んだ。

袋は軽い。

中身は重い。

金属の重さじゃない。
価値の重さだ。

「……終わった、ね」

屋根の影から降りてきた女が言った。
ストロベリー・ジャム。

右利きの手でフードを直し、
右利きの手でサンの肩を軽く叩く。

彼女は非ギッチョだ。
だからこの街で、顔を上げて歩ける。
だからこそ“潜れる”。

「終わったのは仕事だけだ」

サンは短く返す。
息が熱い。

走り慣れているのに、胸の奥が嫌に乾く。
能力の予感が先に肺を削っていく。

上空で、かすかな羽音。

次の瞬間、冷たい光が落ちた。

――ピッ。

小さな音。

たったそれだけで、空気が変わる。

ジャムが舌打ちする。

「早い」

サンは笑ってしまいそうになって、喉で止めた。

「そりゃそうだ。俺の顔は、もう“街の看板”だろ」

光の中心に、黒い影がいた。
ドローンだ。

丸い目みたいなレンズがサンを捉え、
追うように位置を変える。

礼拝堂前の群衆が一斉に距離を取る。
言葉はない。
視線だけが逃げる。

遠くで叫び声が上がった。

「――ホープズ・サンだ!」
「ギッチョの指名手配!」
「市民は下がれ! 射線に入るな!」

靴音が近づく。
治安隊。

サンは一瞬、袋の紐を指で確かめた。
結び目の硬さ。
逃走中にほどけない程度の、ちょうどいい締め具合。

「ジャム」

サンが言う。

「礼拝堂の裏。水路へ落とす。港まで抜ける」

「うん」

ジャムは即答した。
迷わない。

「私が道を作る。サンは、目を奪って」

サンは小さく頷く。

この段取りは、初めてじゃない。

治安隊の列が、礼拝堂前の広い通りに広がった。
赤い照準の点が、空気の中に幾つも咲く。

レーザー銃。
引き金に指がかかった姿勢のまま、銃口が揃う。

ジャムが囁く。

「……撃てる状態。すぐ来る」

サンは、逆に足を止めた。

止まった瞬間、何人かの兵が反射で息を吸うのが見えた。

「止まったぞ!」
「照準――!」

銃口がぶれずに揃う。
赤い点が胸元に咲く。

サンはその点を見て、肩をすくめた。

「当てる気かよ」

次の瞬間、引き金が落ちる気配。

サンは左手を地面へ向けた。

「――**風速、三十メートル**」

声が落ちた途端、石畳が噛んだ。

下から叩き上げる風が、
砂と粉と水滴を一斉に舞い上げ、
視界を白く散らした。

発砲音。

赤い閃きが、
舞い上がった粒子の“どこか”を焼いた。

その刹那、サンの身体は宙へ逃げていた。

風に蹴られたみたいに、上へ、斜めへ。
礼拝堂の影へ滑り込む角度で。

「……っ!」

着地の衝撃が膝に走る。
息が削れる。
喉の奥が熱い。

それでも、サンは笑う。
短い笑い。

「ほらな。撃てるだろ」


・風はまだ残っている

港の灯りの中へ踏み込んだ途端、サンの視界は白くにじんだ。

礼拝堂と水路で叩き上げた砂と水滴が、まだ空気に残っている。
潮の湿りがそれを沈めきれず、港の強い照明が粒子を拾い上げる。

闇は殺され、影は薄い。
輪郭だけが浮かぶ夜だった。

呼吸が戻らない。

走っているからじゃない。
風を使った代償が、肺の奥に残っている。

吸い込んだ空気が途中で途切れ、
喉の乾きだけが刺さる。

「サン」

すぐ横から、ジャムの声が落ちる。
短い。

「口を開けないで。咳になる」

サンは黙って頷いた。
返事を声にすれば、喉が裂ける気がした。

赤い点が胸に、肩に、額の少し上に咲く。

ひとつ、ふたつ、みっつ。

照準が揺れない。
舞っている粒子のほうが揺れているのに、
赤点だけが固定されている。

指名手配は処刑対象だ。
撃てる。
撃っていい。

いつもなら、もう撃たれている。

なのに――来ない。

焦げる匂いも、
焼ける痛みもない。

「……拘束優先」

ジャムが低く言った。

「変だね」

一拍置いて、続ける。

「これ、処刑の手順じゃない」

治安隊の声が重なって迫る。

「拘束優先、距離を詰めろ!」
「囲え! 逃がすな!」

理由を考えかけた思考を、別の恐怖が押し流す。

理由があるなら、次の手はもう用意されている。
考えている間に、体を封じられる。

足元を、何かが転がってきた。

――カラ、カラ。

灰色の小さな球体。
工業製品みたいな無機質な光沢。

止まる位置が、いやに正確だった。
サンの次の一歩、その先を読んで置かれている。

「伏せて!」

ジャムの声が鋭く跳ねる。

球体が開いた。
割れたというより、展開した。

殻が楕円に伸び、
半透明の拘束カプセルへ変形する。

床に吸い付くように広がり、
脚を“包む”形で待ち構える。

捕まえるための道具。
殺さずに封じるための形。

サンは一拍遅れて足首を取られかけた。

「っ……!」

ジャムの右手が、サンの袖を引いた。
力じゃない。
タイミングだけで戻す。

その手つきが気に食わない瞬間があるくせに、
助けられる瞬間には逆らえない。

「左、サン!」

「見えてる!」

二つ目の球体が転がってくる。

今度は逃げ道を塞ぐように、左右へ。

三つ目が続く。

床を這い、
開き、
包む。

撃たずに確保するための動き。

「数で囲う気だ」

声にした瞬間、喉が痛んだ。

ジャムは即座に返す。

「数だけじゃない。人の流れも使ってる」

港の労働者たちが、無言のまま動き始めていた。

逃げるでもなく、
助けるでもない。

ただ、二人の前後を塞ぐように立つ。

ジャムが小さく息を吐いた。

「……通らない。今日は、港が味方しない」

サンは灯りを見上げた。

明るすぎる。
影がない。
空気が白い。

照準の赤点が揺れない。

上空のドローンが角度を変える。

レンズが揃い、
港の中心へ視線が集まっていく。

――ピッ。

低い電子音。

手続きが、ひとつ進む音。

背中が冷える。

同時に、背負った布袋がやけに重く感じられた。

袋の中で、乾いた音が擦れる。

宝石の音じゃない。
もっと硬く、角張った音。

「……それ、やっぱり変」

ジャムは結び目じゃなく、
中身の“気配”を見ていた。

「俺もそう思う」

「運んでる感じじゃないね」

「運ばされてる感じだ」

言葉にした途端、また擦れる。

まるで起動を待っているみたいに。

ジャムが結び目に指をかける。

「開ける」

「今かよ」

「今しかない」

その瞬間――

――ピッ。

さっきより低い音が鳴った。

港の奥で、治安隊の列が割れる。

歩幅が違う。
迷いがない。

命令がそのまま足になっている歩き方。

人混みの中に、
ひとつだけ“圧の違う輪郭”が混ざってくる。

ジャムがサンの肩を引く。

「今は、見ないで」

サンは反射でそちらを見そうになって、止めた。

理屈じゃない。
見た瞬間、何かが決まる。
そういう場の匂いがした。

「……どうする」

息が足りない。
肺が擦れる。

ジャムは一拍だけ黙った。

その間にも、拘束カプセルが足元で開きかける。

「嘘を捨てる」

「は?」

「港の“普通”が効かない。
なら、真正面から抜けよう」

サンは短く息を吸った。
足りない。

それでも左手を開く。
冷たい気配が集まる。

「短くいく」

「うん。ズラすだけでいい」

サンは口を開く。

「――風速二十八メートル」

空気が跳ねた。

白い粒子が一斉に散り、
照準の赤点がわずかに泳ぐ。

「今、行って!」

ジャムの声と同時に、サンは踏み込んだ。

飛ばない。
だが、足元をずらすには十分だ。

拘束の縁をかすめ、
積荷の影へ滑り込む。

ジャムも同時に動く。

右手を掲げ、
労働者たちに“安全”の表情を向ける。

嘘を捨てると言いながら、
嘘を使う。

生きるための嘘。

「こっち、影!」

二人は積荷の列へ潜り込む。

赤い点が追ってくる。

さっきより速い。
計算が更新されている。

「……撃つ気になった?」

サンが吐く。

ジャムは首を振る。

「違う。撃たないまま捕まえる気」

「それが一番いやだな」

「同意」

拘束カプセルが、床を這うように転がってくる。

殺さず、
壊さず、
回収する動き。

港の奥、
迷いのない歩幅がさらに近づく。

サンは布袋を強く握りしめた。

「試すか」

ジャムが頷く。

「そうね」

サンは喉の痛みを押し込み、詠唱する。

「――風速三十五メートル」

空気がはじけ、
白い粒子が舞い上がる。

灯りの輪郭が歪み、
照準の赤点が一瞬だけ乱れた。

「走れっ!」

二人は港の中心へ、あえて踏み込んだ。

逃げ道じゃない。
罠の中心へ。

――ピッ。

次の段階が始まる音。

ジャムが肩越しに言う。

「呼吸、数えて」

「無茶言うな」

「数えないと倒れる」

風は、まだ残っている。

空気にも、
体にも、
逃げ方の癖にも。

サンは足を止めかけて、止まらなかった。

今夜は、その型で終わる。

捕まえる気だ。
処刑対象を。

なぜ。

答えに触れる前に、
次の手を考えなければならない。

禁じ手――
人間ポンプ、という言葉を、
サンは喉の奥で噛み殺した。

まだだ。

今は、まだ。

(つづく)
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