あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第一部

愛妻家の溺愛?

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 重めの話をしているところに声をかけてきたのは少し年上の茶の髪をした男性だった。その後ろには友人らしい二人が続く。軽い口調がどうにも癪に障るわ。

「マイネ小伯爵、私はともかく侯爵夫人に話しかけるなどマナー違反ですわよ」

 エルマ様がピシャリと釘を刺した。名を聞いて納得した。この方、バルドリック様のいとこね。

「固いなぁ、エルマは。俺たちの仲じゃないか」
「小伯爵に名呼びを許すほど仲がよかった事実はありませんわ」
「うわ、きついなぁ。でもそういうところだぞ、エルマ。もっと可愛げを持たないと。ねぇ、そう思われませんか、ゾルガー夫人?」

 随分気安く話しかけてくるわね。不快だわ。でもバルドリック様のいとこなのよね。詳しい関係性がわからないから不快だとはっきり言う訳にはいかないわよね。

「エルマ様は十分にお可愛らしくていらっしゃいますわ。ふふ、バルドリック様はよくご存じのようですけれど?」
「な……」
「エルマ様も興味のない方から好意を持たれても困りますでしょう。私も同感ですわ。夫以外の殿方からの好意はトラブルの種、ご遠慮したいですわね」

 口元を扇で隠して視線を外し、話を続ける気がないと暗に示す。実際バルドリック様はエルマ様に夢中だし、エルマ様は他の方の好意など欲していないわよ。

「ゾルガー夫人も真面目でいらっしゃるのですね。ですが……五侯爵家の夫人ともなれば幅広い人脈が必要ですよ。男女問わずね」

 恥をかかせないようにとの気遣いは不発に終わり、最後の一言をやけに強調して流し目を送ってきた。気持ち悪いわ。そして随分とご自身に自信をお持ちなのね。確かに見目は悪くない、かしら。茶の髪はありふれているけれど瞳は綺麗な青だし、背も高く体格もいい。でも……色々と物足りないわね。誰と比べてとは言わないけれど。

「夫人は……イルーゼ様はまだ若く初心でいらっしゃるからそう思われるのですよ。ほら、ご覧ください。侯爵様もご夫人方に囲まれてまんざらでもないご様子」

 名を呼ばれて益々不快になったけれど、小伯爵の視線を辿るとその先にはご夫人に囲まれたヴォルフ様がいらっしゃった。一番距離が近いあの方は……ドゥルム小伯爵夫人だわ。あの方まだ諦めていなかったのね。不快な感情が一層深まった。

「侯爵様も男盛りですからね。たまには違う刺激がないと飽きてしまうものです。どうです? その間は私たちと楽しく過ごしませんか?」

 なるほど、ヴォルフ様はあちらで仲良くするから私は自分たちと、と言いたいのね。でも……

「ふふ、ありがとうございます。その様な意見もあるということは心に留めておきますわ」
「では……」

 私が肯定したと思ったのか目を輝かせたけれど、ぎらついた目が気持ち悪いわ。私の手を取ろうと手が伸びてくるけれど、扇を閉じてその手をぴしゃりと叩いた。

「軽々しく触れないで下さいまし」

 私に触れていいのはヴォルフ様だけよ。

「カール!」
「これは手厳しい」

 エルマ様が諫めるように名を読んだけれど、当人はニヤニヤしたままだった。私の答えを駆け引きだと思ったみたいね。そんな気はこれっぽっちもないのだけど。その時だった。離れた場所で騒めきが立った。ヴォルフ様のいる方角だわ。

「誰の許可を得て俺に触れる?」

 聞こえてきたのは咎めるようなヴォルフ様の声だった。それだけで何が起きたのか理解したわ。

「ま、まぁ、ヴォルフ様。申し訳ありませんわ、お会いできたのが嬉しくてつい……」

 頬を染めて恥じらいの表情を浮かべたドゥルム小伯爵夫人だったけれど、さすがにそんな表情が武器になるお年ではないでしょうに。愛人が何人もいるのは有名だし。

「俺に触れていいのも名を呼んでいいのも妻だけだ」

 その一言が耳に届いて頬と耳に熱を感じた。ヴォルフ様……その台詞は反則です……

「ま、まぁ……ヴォ、侯爵様は愛妻家でいらっしゃるのね。ほほ、妬けますわぁ」

 夫人が扇で口元を隠しながら笑みを浮かべたけれど、口元はかなり引き攣っているように見えたわ。周りの夫人方も顔色を悪くしている。ヴォルフ様の気分を害したと理解したようね。そんな夫人方には一瞥もせずヴォルフ様は無表情でこちらに向かって来た。残された夫人たちはヴォルフ様の背を追ったけれど、その先に私がいると気付くと歩みを止めた。小伯爵たちはにやついたまま固まっているわ。それなりにいい顔立ちなのに台無しね。

「何をしている?」
「え? あ、あの……」

 声をかけられた小伯爵が上擦った声を出した。今のヴォルフ様の言葉が耳に届いていれば自分たちのしたことが如何にまずいかがわかるはずだけど……

「何故俺の妻に触れようとする? 名前もだ。許したのか?」
「まさか。今日が初対面ですわ」

 後半の台詞は私に向けたものだったのできっぱりと否定すると僅かに表情が険しくなった気がする。それにしてもヴォルフ様……あの場所から見ていらしたの? しかも会話まで。あんなに人に囲まれていたのに聞こえていたなんて驚きだわ。マイネ小伯爵たちは何も答えられずに顔を青くして立ち尽くしていた。

「侯爵様、申し訳ありません」

 声が出せない男性たちに変わって声を上げたのはエルマ様だった。

「家門の者の無礼、代わりに謝罪申し上げます」

 エルマ様が一歩前に出て頭を下げた。マイネ伯爵家はベルトラムの一門だし、彼の妻も確かそうだった筈。彼らを止められなかったことに責任を感じてしまわれたのね。上下関係を重視する貴族社会では彼らの行動は抗議を受けても文句を言えない。ヴォルフ様から直接抗議となると大事になるから、エルマ様は彼らのために声を上げたのね。こんな人たち放っておけばいいのに責任感がお強いんだから。そんなところも好きだけど。

「当家からマイネ家に厳重に抗議いたします。それで収めていただけませんか?」
「いいだろう」

 鷹揚にヴォルフ様が頷いた。エルマ様の顔を立てて下さったのね。

「エ、エルマ、お前っ、余計なことを……」
「いい加減にしろ!」
「バ、ルドリック……」

 エルマ様に庇われたのを不服に思ったのか、小伯爵が声を上げようとしたのを諫めたのはバルドリック様だった。彼にしては珍しく険しい表情をしている。

「今すぐ退出しろ。祝いの場で騒ぎを起こしただけでなくゾルガー侯爵ご夫妻に喧嘩を売るとはどういう了見だ? 沙汰があるまで家で謹慎していろ」
「お、お前にそんな命令……」
「バルドリック様は次期当主。少なくともあなた様よりは立場が上ですわ」

 エルマ様がバルドリック様を援護した。その言葉に小伯爵が顔を歪める。

「不服があるのか? だったら俺から伯爵に抗議しよう」
「な……! そ、っ! それは……!」
「さっさと失せろ」

 ヴォルフ様の一言で小伯爵らは慌ててその場から離れていった。情けないわね、あの程度で怯えるなんて。あれでは砂粒ほども心が動かないわ。

「侯爵様、申し訳ございませんでした」

 バルドリック様が頭を下げるとエルマ様がそれに続いた。

「気にするな。このようなめでたい場で下らん騒ぎを起こす奴が悪い」

 ヴォルフ様の言葉にざわついていた周りが静かになった。マイネ小伯爵といいドゥルム小伯爵夫人といい、婚姻式で不倫の誘いなんて非常識すぎるわ。でも今日の発言はヴォルフ様が不貞を良しとしないと言ったも同然だから、これで愛人狙いの方々も少しは大人しくなるかしら。

 それからのパーティーは和やかに進んだ。いつの間にかドゥルム小伯爵夫人たちの姿も消え、あちこちのテーブルではアウラー伯爵家とクライバー伯爵家の方たちが商談の約束を取り付けているのが見えた。今日の式は新郎新婦の狙い通りになったようね。あの後リーゼ様たちと話す機会があったけれど、お二人ともとてもいい笑顔をしていらしたわ。どうやら予想以上に反応がよかったらしい。

「お陰様で大盛況ですわ」

 リーゼ様が満足そうに笑顔を浮かべたけれど、それは花嫁というよりも商人のものだった。

 私はというと……

 その日のパーティーを機にヴォルフ様についての噂が静かに広がっていった。夫婦仲が悪いと余計な憶測を呼ぶからと仲良く見えるようヴォルフ様がした演技で実情は違うのだけど、それを誰かに話すことも出来なかった。

「ゾルガー侯爵夫人、愛されていますわねぇ」
「羨ましいですわ。夫に唯一と想われるなんて……」
「素敵だわ、これぞ夫婦の鑑ですわね」

 そんな風に言われるたび現実と世間の認識との差を思い知らされて頭をかかえることになった。愛や恋は求めないと言ったけれど……

「どうしてヴォルフ様が愛妻家で、私が溺愛されていることになっているんですの?」

 私の秘かな悩みはまだ始まったばかり。



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