あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第二部

馬車の中

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 その後私たちはギュンター様たちと共にニッセル子爵邸を後にした。ヴォルフ様はギュンター様が乗って来た馬車にハリマン様と共に乗り、私と殿下はハリマン様が乗って来た馬車に乗り込んだ。エクトル様は王家の騎士に預けて王都に送られる予定だ。

 殿下はさすがに離宮に戻られた方がいいと思ったのだけど、『こんな面白い機会は滅多にないからね』と帰る気は微塵もなかった。ヴォルフ様も何も仰らないから大丈夫だとは思うのだけど……いずれは志尊の地位に就かれる方なだけに何かあったらと思うと気が気ではなかった。

「いや~あっちの馬車は大変だろうねぇ~」

 私の心配など知らない殿下が意地の悪い笑みを浮かべた。ニッセル子爵家の使用人の服に着替えても茶のかつらは被ったままだ。

「ふふっ、兄上は怖い顔で寝たふり、ギュンターもかな? そんな二人と同乗したハリマン、地獄だろうなぁ~」

 その光景が容易に想像出来てしまって思わず笑ってしまった。そのハリマン様は私たちが乗っているこの馬車に乗ると主張していたけれど、彼はギュンター様と共にヴォルフ様を送り届ける役目を自ら請け負っている。別の馬車ではその役目が果たせないだろうと言われては何も言い返せなかった。

「ハリマン様は生きた心地がしないでしょうね」
「気が弱いからねぇ。髪に影響しなきゃいいけど。彼、アルトナーの家系だからね」

 アルトナーは若い頃から薄くなる系で有名だった。そう言えば王家はどうなのかしら? 出来れば白くなる系がいいのだけど……

「まぁ、愛しの姫を手に入れたいならその程度の試練、我慢しなきゃね」

 殿下は非日常を満喫していらっしゃった。近くには王宮騎士が八騎、シリングス家の護衛に扮して付いてきているし、残りとゾルガーの騎士は距離を置いて私たちを追っているから危険はないわよね。

「しかし意外だったなぁ」
「何がですか?」
「ああ、ギュンターだよ。もっと悪あがきするかと思ったんだけど」

 あんなにあっさりと罪を認めてしまったのは予想外だったわ。白を切るなり誰かに押し付けることも出来なくはなかったでしょうに。

「そうですわね。もしかしたら……あれが役に立ったのかもしれませんわ」
「あれって?」
「ギュンター様の浮気相手と庶子の名を書いた紙を、送ったんです。匿名で」
「浮気? あいつが?」

 殿下が目を丸くしたけれどそれも無理はない。ギュンター様は女性関係は潔癖すぎるほど何もなかったから。その理由は簡単、入り婿な上、奥様はとても美人で気も強くて、父であるノイラート侯爵ですら頭が上がらない女傑だから。浮気が知れたら何か起こるかなんて……推して知るべしだった。

「目が合った時に笑みを向けたら引き攣っていらっしゃったので、送り主が私だと気付いて下さったかと」
「うわ……えげつない事を……でも効果は抜群だな」
「ええ。お陰ですんなりと事が運びましたわ」

 ヴォルフ様はアーレントとの関係悪化も想定して、断罪するよりも末永く利用したいとお考えだった。だったら一番触れられたくない部分を突くのが手っ取り早い。

「どこでそんな情報を……」
「お茶会ですわ。半年ほど前に耳に挟んだのを思い出しまして」

 日記に記しておかなければ忘れていたわ。あの後ヴォルフ様に頼んで調べて貰ったのよね。

「それにイルクナー伯爵家の若夫人からも情報が」
「イルクナー伯爵の若夫人って……隠し子騒動の?」
「ええ。我が家に謝罪にいらっしゃった時、ギュンター様に気を付けるようにと忠告を下さったんです」

 夫人のグレーテ様は父親の野心に心を痛めていた。隠し子騒動も父親が関与しているのではと疑っていた。

「出来た夫人だな。しかし隠し子か……その、夫人は大丈夫なのか? 子が出来なかったのだろう?」
「ええ。元々政略だったので夫婦仲は今一つだったようで……元々実家から離れたい一心で婚姻されたようですし」
「ああ、なるほど……」

 彼女も私と同じく実家に居場所がなかった。夫とは家族としての信愛はあっても男性として愛せず、そのことへの罪悪感に苦しんでいたという。それもあってエマとルーディーの存在を知った時、彼女が感じたのは深い安堵と少しの寂しさだったと告白された。

「今は母子を引き取る準備をされていますわ」
「引き取るのか?」
「ええ。母親は病が重くて……長くありません。夫人は母子共に引き取るおつもりです」

 半年持たないだろうとルーザー医師は言っていたし、エマもそれをわかっている。短い間でも親子三人が共に過ごせるようにと、夫人は王都の本邸に引き取る準備していた。

「強い方なのだな……」
「ええ。お優しくてとても素敵な方ですわ」

 グレーテ様はルーディーを責任をもって育てると仰っていた。彼女なら実子でなくても愛情をもってしっかり育ててくれるはず。ついでに夫婦関係もよくなってほしいわ。兄やお義姉様のように。

「そうか。だったら後の問題はフリーデルか」

 ギュンター様は抑えたし、ザイデル伯爵は今頃騎士団が今回の襲撃事件の裏を調べているから捕まるのは時間の問題。もう誰もザイデル伯爵を助けることはないわ。

「それにしても、フリーデルがこんなにも兄上に悪意を持っていたとはね」

 流れる景色を眺めながら殿下がため息と共にそう仰った。あの麻薬と自白剤の量、片方だけでも危険だとマルガは言っていたけれど、両方を同時にとなると死んでも構わないと思っているのでしょうね。いくらヴォルフ様の身体が大きくてもハリマン様の二倍ある訳じゃないもの。

「ええ。クラリッサ様の恋を応援しているのだと思っていましたわ。でも……あの様子では最初からそのつもりだったのでしょうね……」

 想像するだけでも恐ろしいけれど、最初からそれを狙っているとしか思えなかった。

「クラリッサは兄上を癒すと息巻いていたんだろう?」
「はい。アーレントでは心に傷を負った兵たちの治療に力を入れているとか」
「らしいね。今までそんな話は聞いたことがなかったけど」
「そうなのですか?」

 自信満々に宣言していたから長年研究を続けているのだと思っていたけれど、そうじゃなかったの?

「多分あのお姫様のためにやっているように見せかけているんじゃないかな? 我が国でも治療はしているけれど麻薬を使うなんて聞いたこともないよ。それに自白剤もね。あれは兄上から機密を聞き出そうとしたんだろう。治療には関係ないと思う」

 やっぱりそうだったのね。心の蓋を取り除くのに麻薬を使うなんておかしいと思ったのよ。それに自白剤は我が国では王家の許可がないと使えない。アーレントでも同じはず。それを兵士の治療に使うとは思えない。

「欲しい情報を聞き出した後はクラリッサ様に預けて治療と称して薬を使って軟禁、意識が朦朧となったヴォルフ様を操って第一夫人に収まりゾルガー家の実権を手に入れる、というところでしょうか?」
「だろうね。その上で兄上の子を産めば完成だ」

 それは薬で眠らせたヴォルフ様を襲って……ってことよね。いくらヴォルフ様が私以外を抱かないと約束して下さっても、薬を盛られたらどうしようもないわ……

「そこまでして兄上が欲しいかねぇ。どんな兄上になっても支えるなんて言っているらしいけれど……」
「実際お世話をするのは使用人でしょうから。クラリッサ様はただ気が向いた時にしたいことだけされるだけかと」

 彼女が甲斐甲斐しく身体を拭いたり……なんて想像出来ないわ。そういうことは侍女に任せそうよね。

「やっぱりそうなるよね。全く、心を病んだ者の相手がどれほど大変なのか、何もわかっていないんだろうなぁ……」

 殿下がそんな風に仰るなんて……やけに実感がこもっているように見えたけれど、そんな経験がおありなのかしら?

「まぁ……未だに兄上が病んだままだと思っているのが解せないんだけど……」
「え? それは……」
「殿下、そろそろ到着するようです」

 今の殿下の言葉の意味を尋ねようとしたところで外から声を掛けられた。

「そうか。夫人、ここからは気を引き締めていこう」
「え、ええ……」

 気になるけれど、今は尋ねている暇はなさそうね。これを乗り越えたら改めてお聞きするわ。馬車が方角を変えるのを感じて緊張が一層増した。



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