あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第三部

往生際が悪すぎる

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 襲い掛かったのはエルトル公爵令息だったけれど、地面に転がったのもまた彼だった。 ヴォルフ様は後ろから襲い掛かった令息を寸でのところで避け、令息は勢いあまってそのまま地面に転がっていた。間抜けだわ……せっかくの正装が勿体ないなんて思ってしまったわ。彼を心配する気には全くなれなかった。

「く、くそっ!! 避けるなぁ!」

 立ち上がった令息がそう叫んだけれど……何を言っているのかしら? 刃が欠けたとはいっても真剣で切りかかって来るのに避けない馬鹿などいないでしょうに。でも、これで彼が母国でどんな態度だったかがはっきりしたわ。きっとあちこちに恨みを買っているのでしょうね。

「よくも……よくも私に恥をかかせたなぁ!!」

 そう叫ぶと令息がまたヴォルフ様に襲い掛かったけれど……その勢いはそこまでだった。ヴォルフ様は軽くかわすと背後に回り、左腕で令息の左腕を捻りあげてから剣を取り上げると、見えるように折れた面を首筋に当てた。案の定、剣を突きつけられた令息は息をのんで立ち竦んだけれど……ヴォルフ様なら気にせず反撃に出たわね。折れた面では大した傷にはならないから脅威にはならないもの。その前に拘束されるような状態になんかさせないでしょうけれど。

「よ、よくも……アーレント国王の甥の私に……」
「それを言うなら俺はローゼンベルク王の実兄だ」
「……っ!」

 馬鹿ね、王国が王統を重視するのは当たり前だけど、それを引き合いに出すなら実兄と甥じゃ血の濃さが比べ物にならないのに。しかも国王陛下はいつでもヴォルフ様に王位を譲ると言っているのよ。でも、アーレント王は彼に王位を譲る気なんてないでしょうに。アーレント王と王太子はあまり仲がよくないと言われているけれど、王位継承の準備は着実に進んでいるのがその証拠だわ。

「そこまでだ」

 声を発したのは陛下ではなく……見たこともない青年だった。白っぽく見える金髪に背もそこそこあって中々の美丈夫ね。冷たそうな鋭い眼光の下にあるのは紺碧色で……って、もしかして……

「あら、お久しいわね、ヨーゼフ様。いつの間にこちらに?」
「これは女王陛下。ご無沙汰しております」

 恭しい態度で陛下に挨拶した彼は、エルトル公爵令息ルドガー様の兄だと名乗った。兄弟だけど印象は真逆だわ。ルドガー様が華やかな大輪の花なら、兄君は怜悧な銀のナイフかしら。金髪なのにそんな風に感じてしまう雰囲気がある。

「ローゼンベルク国王陛下、アーレント王国のエルトル公爵家の嫡男ヨーゼフにごさいます。この度は愚弟がお騒がせして申し訳ございません」

 キレのある所作で深々と頭を下げる姿には弟にはない落ち着きと貫禄があった。どうやらヨーゼフ様は真っ当な方らしい。よかったわ、父の公爵は宰相を務めていると聞いていたけれど、ルドガー様のような思考回路をお持ちだったらどうしようかと思っていたから。

「あ、兄、うえ……いつの、間に……ぐえっ!!」

 驚きの声をあげる令息をヴォルフ様が蹴飛ばし、令息がヨーゼフ様の前に転がった。ヴォルフ様……いいのですか?

「あ、兄上っ!! 見たでしょう? この者が私を……!」
「黙れ、痴れ者が! あれほど騒ぎを起こすなと言ったのに何をしていた!」
「ひっ!」

 ヴォルフ様を告発しようとしたらしいけれど、それは不発に終わるどころか逆に強い叱咤が下りて来て令息が小さく悲鳴を上げた。

「ど、どうして……?」
「どうして? ローゼンベルク国王陛下とゾルガー侯爵から苦情が届いたのだ。よりにもよって国王陛下の兄君である筆頭侯爵の夫人に言い寄ったなどと」
「ひっ!」

 ぎろりとヨーゼフ様が睨みつけるとルドガー様が座り込んだまま後ろに後退った。ああ、立派な衣装が……いえ、今はそれどころじゃないわね。

「で、ですが兄上……わ、私は彼女を救い出そうと……」
「ご夫人があれほどお前の戯言を否定していたのに何を言っている?」
「い、いつから、見て……」
「最初からだ」

 なるほど、ルドガー様の様子を見るため内緒で参加されていたのね。

「全く、仲のいいご夫婦にあのような言い掛かりをつけるとは……」
「あ、あれは脅されているから、で……」
「いい加減にしろ! ゾルガー侯爵夫妻は仲がいいことで有名だ。侯爵は夫人をとても大切にしているし、夫人が侯爵を慕っているなど一目瞭然。自分に都合のいい妄想は大概にしろ」
「そ、そんな……」

 最後はしどろもどろになってしまったわね。助けを求めるかのようにこちらを見たけれど、見せつけるようにヴォルフ様の腕に身を寄せた。途端に目を大きく見開いたけれど何かしら。こっちを見ないでほしいのだけど。

「お前の随行員としての任は解いた。王太子殿下からのご命令だ、すぐに帰国するように」
「は? そ、そんな……」
「嫌だと言うなら反逆罪で捕らえる」
「な!」
「外に馬車を用意してある。放り込んで公邸に送れ。私がいいと言うまで部屋から一歩も出すな」
「はっ!」

 ヨーゼフ様の後ろに控えていた騎士たちがルドガー様を取り囲んだ。さすがに抵抗すれば反逆罪だと言われてはそれ以上何も言えなかったらしい。まだ未練がましくこちらを見たけれど気付かないふりをしてヴォルフ様と共に彼に背を向けた。

「大丈夫か?」
「はい」

 ヴォルフ様にもお怪我はないわね。ルドガー様は指一本触れることも出来なかったもの。いえ、蹴ったせいで靴が傷んでないか心配だけど……こちらも大丈夫そうね。せっかくアードラー夫人が準備してくれたのだから。

「ヨーゼフ様がいらっしゃること、ご存じでしたの?」

 ご本人たちが近くにいるから小声で尋ねた。女王陛下はともかく、ヴォルフ様や陛下は驚いていなかった。ということはいらっしゃっていることも、舞踏会に出ることもご存じだったのよね。

「ああ。弟に声をかけるのはこちらで判断させて欲しいと言うのでな。好きにさせていた」
「それって、問題を起こすのを待っていたとか?」
「かもしれない。白黒はっきりさせてから回収するつもりだったのだろう」

 回収って、物ではないのだけど……でも、あれだけ話が通じない人なら決定的で言い逃れが出来ない場面を押さえないと無理かもしれないわね。姉の時もそうだったわ。両親と母の友人に見せつけてやっと話が進んだもの。それでも紆余曲折はあったけれど。

「それにしても、エルトル公爵令息は思った以上に弱かったですね。近衛騎士だと仰っていましたし、剣の大会では優勝したと仰っていたのに」
「どうせ貴族のための試合だろう。その様な試合では身分が高い者に勝ちを譲らなければならないとの暗黙の了解がある」
「まぁ、やっぱりそういうことでしたのね」

 貴族の催し物の中には平民や下位貴族は引き立て役という位置付けのものもある。身分制度がある以上忖度抜きには考えられない。特に王族が観覧する試合となるとそれが顕著に出てしまうのよね。下級貴族や平民の不満の温床になるから気を付けないといけないのだけど。

「ローゼンベルク国王陛下、この度の愚弟の不始末、後日正式に謝罪に伺わせていただきます」
「ああ、よかろう」

 陛下が鷹揚に頷かれた。ヴォルフ様の前では小犬みたいだからその差に笑ってしまいそうになる。緩みそうになる頬に力を込めた。

「ご厚情に感謝いたします。ルタ国女王陛下にもお目汚し大変失礼いたしました」
「ほほ、珍しいものを見せていただきましたわ。それにヨーゼフ様のせいではありませんから気に病まぬよう」
「寛大なお言葉、感謝申し上げます。また後ほど正式に謝罪に伺わせていただきます」

 深々と下げられた頭が気の毒に思えた。兄君はこんなにもまともなのに、弟は何故あれほどにも愚かになってしまったのかしら。エルトル公爵家の教育に問題があったのかもしれないわね。嫡男には厳しく、弟には甘く育てる親もいるから。アーレント家のように夫人が爵位を継げない弟を憐れんで甘やかしたのかもしれない。

 ヨーゼフ様から私たちにも謝罪があったけれど、ヴォルフ様はこの場では許すとは仰らなかった。後日改めて謝罪の場を設ける話になったから、その時に何かを要求されるのでしょうね。今は舞踏会の最中だから後始末は後日で十分。

その後、陛下からは希少なお酒やお菓子が振舞われると、貴族たちからは歓声が上がり会場は一層賑わった。音楽が鳴り始めダンスも再開して、舞踏会は何もなかったかのように賑わいに溢れた。こうして波乱はあったけれど社交シーズン最後を飾る舞踏会は盛況なまま幕を下ろした。




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